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三章(3):残響

 階段を上る。

 大きなフロアへ出た。追ってくる音は、聞こえない。

 センタービルは八十階。ちょうど、半分の階だ。

「うるさい、ですね」

 ノイズ。上から聞こえてくる。

 屋上、または最上階に、電磁波を出す装置があるのだろう。

 階を上に登るほど、ノイズもまた、大きくなっている。

 音が、聞こえづらくなっている。

 四十階。階段を探す。

 殺さなかった。

 いや、殺せなかった。私の何かが、輝君を殺すことを、拒否していた。

 真っ直ぐな音。

 どこまでも、真っ直ぐな、音。

 聞きたくなかった。聞いていたい気持ちも、半分あった。

 だから、殺さないまま、放った。

 あれで、良かったのだ。

 彼の音は、聞いているこちらが切なくなるほど、ひたむきすぎる。

 音が、近づいてきた。

「クス。汚い音ですね」

 警備員。

 三人。手には、拳銃。

 実弾入りだろう。さっき殺した警備員の銃にも、実弾が入っていた。

 口笛を吹いた。

 殺しあう、旋律。

「!?」

 効果が無い。

 警備員は、調律を気にすることも無く、こちらへ駆けてくる。

「クス。そういうことですか」

 イヤホン。

 全員がつけている。

 聴覚に大きな音を認識させていれば、調律は効果を及ぼさない。

 巧辺りの入れ知恵だろう。

 逃げた。

 調律が出来なければ、逃げるしかない。

 反対方向へ駆け、通路を曲がった。

 音。

 進行方向。

 曲がった先の通路に、二人の警備員がいた。

 挟み撃ちにされたらしい。

 さっきの警備員同様、イヤホンをつけていた。

「やれやれ。詰み、ですか……」

「手を挙げろ! さもないと、撃つぞ!」

 手は挙げない。どうせ捕まったとしても、いずれ殺されるだろう。

 もう、いい。

 殺されるなら、今ここでいい。

 眼を、閉じた。

 自分が死ぬ光景を想像した。悪いものではない。

「!? 何だ、貴様っ!? ぐああっ!!」

 争闘の音。

 続けざまに、二回、鈍い音が響いた。

 ふっと、体が浮き上がる。いや、抱えられている。

 抱えながら、駆けているようだ。

 眼を、開けた。

 赤のジャケットに、ジーパン。

 振り向いた顔に、眼が合った。

 真っ直ぐな瞳。

「よう、また会ったな」

「? 輝君、ですか?」

「そうだ。絶望にくれた、な」

 そう言った輝君は、無表情に見えた。

 だが、眼には光が戻っている。

 輝君は駆けたまま、通路を曲がった。

「ここなら、敵はいないな。よっと」

 降ろされる。

「何故、ここに?」

「たまたまだ。たまたま通りかかって、たまたまお前が殺されそうだった。だから、たまたま助けた」

「嘘、ですね」

 輝君は来た通路を、そっと窺う。

 警備員が三人。こちらに向かって、駆けてきているようだ。

「とりあえず、話は後だ。まずは、追っ手を片付ける」

 そう言うと、輝君が通路の影から飛び出す。

 銃撃。

 何でもないように、かわしている。

 左右に駆けながら前進しているのは、狙いを定めにくくするためだろう。

 駆けた勢いのまま、輝君は警備員の間を駆け抜けた。

 何かに打たれたように、全員がその場に崩れ落ちる。

「ふん。三人ぐらい、楽勝だな」

 いつの間にか、輝君が傍に立っていた。



「何故、助けたのですか? 私は、あのまま殺されても良かった。いえ、殺されたかった」

「うるせえ。お前に、聞きたいことがある。それを聞くまで、死なせるかよ」

 死ぬはずだった。

 司に、殺されたはずだった。

 だが、生きていた。

 生かされた。

「どうして、俺を生かした?」

「クス。何のことですか?」

「とぼけんな。二度も、俺を生かした。そして、殺すフリをして、俺を調律した」

「さて、わかりませんね」

「過去を、俺に見せた。アレは、お前の仕業だろう?」

「どうでしょうね。貴方が死ぬ間際に見た、夢かもしれませんよ?」

「違うな。俺が一度殺されかけた時、聞こえた音があった。二度目に聞こえた音は、違う音だった」

 司が、薄い笑みを浮かべる。

「クス。耳は、良いようですね。そうですよ。貴方は、死にたがっていた。それで私は、貴方が一番生きたいと思った時の記憶を、調律で見せた」

「何故だ?」

 司は、押し黙っている。

 眼は、遠くを見ていた。

 眼がまた俺に戻った時、司は話し出した。

「昔話でも、しましょうか……」



 孤児だった。

 赤ん坊の頃、親に孤児院に預けられたらしい。後で、聞いたことだ。

 寂しくは無かった。

 あの人が、いたからだ。

 豊倉真里菜。みんな、シスターと呼んでいた。

 暖かく、孤児全員に平等に接していた。だから皆、大好きだった。

 音が、した。

 豊かで、それでいて、暖かな音。

「また、ハーモニカ、ですか?」

「ええ。もしかして、迷惑だったかしら?」

「いえ、続けて下さい」

 いくら子供達が騒いでいても、シスターがハーモニカを吹くと、すぐ静かになって、シスターの周りに集まってくる。

 そして、眼を閉じて、その音色に、耳を傾ける。

 優しい時間。

 いつまでも、それが続くと思っていた。

 夢の終わりは、突然だった。

 ある夜。

 眠っていた。

 何かが階段を駆けてくる音で、眼が覚めた。

 扉を開けたシスターは、焦った顔をしていた。

「皆、逃げて!」

 私の他にも、孤児がいた。

 私を含め、皆わけがわからず、呆然としていた。まだ、寝ている者もいる。

「どうしたのですか?」

「怖い人達が、ここに来ます! だから、今すぐここから逃げて!」

 何人かが、泣き出した。

 院長先生も、駆け込んでくる。そして、泣いている孤児を、何とか出口へと誘導していった。

 部屋に、私とシスターだけが残っていた。

「司君。貴方も、逃げて」

「逃げるなら、シスターも一緒です」

「……そうね。一緒に、行きましょう」

 階段を駆け下りる。

 孤児院も兼ねた修道院なので、建物は小さい。出口はすぐだ。

 見えた。

 出口。孤児が、列を作って外に出ようとしていた。

 銃声が、響いた。

 乱射される、銃。

 ばたばたと、眼の前で、孤児が血を噴出しながら、倒れていく。

 誰かの血が、顔にかかった。

 呆然としていた。何が起きているか、理解できなかった。

「しっかりしなさい、司君! 逃げるのです!」

 シスターが、肩を揺する。

「………あ、はい」

 手を、引かれた。

 全てが、ぼんやりしていた。

 叫びと銃声が交錯しているはずなのに、シスターの声だけが、やけにはっきり聞こえていた。

 気がつくと、元の部屋にいた。

 何かの焦げる匂いがする。どこか、燃えているんだろうな、と何となく思った。

「ここに、隠れていましょう。もしかしたら、ここまでは来ないかもしれないわ」

 そう言うと、シスターは私を抱きしめた。

 抱きしめられて、初めて、自分が震えていることに気づいた。

「大丈夫。貴方は、私が守ります」

 足音。重なっていた。

 階段を駆け上がる、音。

 扉が開き、入り口から、銃を持った男達が駆け込んできた。

「おい、女と子供が二人だ。命令通り、殺すぞ」

 三人。

 一人が手を挙げ、残りの二人が、素早く銃を構えた。

「お止めなさい。貴方方の行いは、神への冒涜です!」

「悪いな。こっちも、仕事でね。……死にな」

 シスターは、私を抱きしめたまま、銃口に背を向ける。

 男が、手を振り下ろした。

 重なる、発砲音。

 シスターの背中から血が噴出すのが、ひどくゆっくりと、見えた。

「シスター……?」

 シスターが、抱きしめたまま、私にもたれかかる。

 顔が、すぐ傍にあった。

 口から、血がゆっくりと流れている。

「……ごめん……ね。あな……たを、……守れなかった」

「嫌です! 死なないで! 私を、一人にしないで下さい!!」

「クス……。あなたは、……ひとり……なんかじゃ、ないわ。……いつでも、私が……見守ってるから」

 懐から、シスターが何かを取り出す。

 ハーモニカ。

「これ……を、私だと……思って。……ね?」

「嫌だ! シスターがいない世界なんて、私には意味がない! シスターが死ぬなら、私も死にます!」

 シスターが、微笑んだ。

 その笑顔が、なぜか、悲しかった。

「ね、司君。一つ……だけ、……私と約束して、くれる……かな?」

「何ですか……?」

「絶対、……約束すると、……言って」

「はい、約束します。だから、死なないで。死なないでください!」

「クス。……私との、…約束」

 ホッとした顔で、シスターは微笑んだ。

「生きて」

「………わかりました」

「ふふ。……良かっ……た」

 音。

 音が、聞こえる。

 生の、音。

 目の前の、シスターの、音。

 小さくなる。

 どんどん、小さくなっていく。

 消えそうだ。

 嫌だ。

 消えないでくれ。

 消えずに、いてくれ。

 音を。

 音を、響かせてくれ。

 消える。

 そして。

 ……消えた。

 聞こえない。

 もう何も、聞こえない。

 これが、死か。

 もう、あの音には会えない。

 それが、死というものなのか。

 シスターの手から、ハーモニカを受け取った。吹き方はわかっていた。何故か、知っているのだ。

 立ち上がる。

「ガキか。大人しく一緒に死ねば良かったのに。馬鹿なヤツだ」

 音。

 どうすれば操れるのか、知っていた。

 さっき、わかった。

 ハーモニカを、吹いた。

 目の前にいた男達が、苦しみだす。

 体が、膨れ上がった。

 叫び声をあげながら、破裂した。

 血が、降りかかる。それが何故か、心地良かった。

 シスターを、床に寝かせた。開いた眼を、指で閉じた。

 焦げた匂い。窓から、橙の光が見えた。

 燃えていた。ハーモニカを懐に入れた。

 シスターを担ぎあげる。

 出口へ、向かった。

 襲撃した者達が、銃口を向けてくる。

 口笛を、吹いた。

 殺した。

 殺し、尽くした。

 燃えている孤児院から、外へ出た。

 孤児院から少し離れたところに穴を掘り、シスターをその中に埋めた。

 燃えた木で、十字架を作り、挿した。

 十字を切り、祈る。涙が一筋、頬を撫でた。

 どうか。

 どうか、この人が、安らかでありますように。

「さようなら、……シスター」

 ハーモニカを、強く、握りしめた。



「襲撃してきた者達を調律で吐かせたら、首謀者が別にいました。だが、襲撃した者達は誰も、その首謀者が誰だか知らなかった。ずっと、探しましたよ。それが、シスターに生きろと言われた、私の生の意味だと思いました。しかし、何が何でも生きようとは、思わなかった。私の生は、あの時すでに、終わっていたのです。シスターが死んだ、あの時にね。私は、襲撃の首謀者を殺す。そのためだけに、今まで生きてきました。他人をその目的を果たすために利用し、殺してきた。その罪は、償われなければならない。首謀者を殺して、私も死ぬ。それが、今まで私が殺してきた命に対しての償いであり、私の罪に対する断罪です」

「何で、この話を、俺に?」

「クス。貴方は、死にたがっていた。それは、誰かに、似ていた。私に、似ていた」

「だから、俺を調律したのか?」

「ええ。単なる、自己満足でした。貴方を生かすことで、私も救われるのではないかと、思いました。しかし、救われなど、しなかった」

「生きろよ」

「?」

「俺は、琴乃から、いらないと言われた。アイツにとって、俺は必要なんだと、勝手に思っていたのにな」

「違ったのですか?」

「ああ。それは、単なる傲慢だった。俺は、中途半端な想いを琴乃に向けて、琴乃を傷つけていたんだ。だから、死のうとした。このまま生きていても、何の意味も無いと思ったからな。それを、お前が調律してくれた。俺はまた、生きてみようと思った。生きて、琴乃と本気で向き合おうと思った。お前が、救ってくれた」

「それは、良かったですね」

「お前も、生きろ。生きて、光があるか、確かめてみろ」

「光など、無いですよ」

「生きてみなきゃ、そんなもん、わからねえだろ? だから、生きてみろよ」

「クス。不思議な方だ。馬鹿らしいと思いながらも、そのまっすぐな音は、心に響く。いいでしょう。目的を果たすまで、生きてみましょう」

「よし。それで、その首謀者ってのには、会えたのか?」

「ええ。今も、近くにいますよ。遅かれ早かれ、また会うことになるでしょう」

「そうか」

「一つ、聞いてもいいですか?」

「何だよ?」

「貴方は、貴方の妹さんのために、死のうとしていた。それは、どうしてですか?」

「それは、それが琴乃のためになると思ったからだ。琴乃は俺のせいで、苦しんだ。だから、俺がいなくなれば、琴乃が苦しむことは無くなる。今考えたら、やっぱり俺は、ただ琴乃から逃げていただけなのかもな」

「人は、それほど容易く、他人のために、自分を投げ出してしまえるのですか?」

「投げ出せる。大切なヤツのためなら、投げ出せる。そいつの代わりに、死んだって構わない。そいつが助かるのなら、俺は喜んで、身代わりになる」

「そう、ですか…」

「さっき、お前が話したシスターって人も、多分、俺と同じ想いだったはずだぜ? 守りたかったから、お前の身代わりになった。大切だったから、お前に、生きろと言った」

 眼を、閉じた。

 あの光景を思い出す。

 なぜ、シスターが私を庇って、死んでいったのか。

 なぜ、生きろと言われたのか。

 ずっと、考えていた。

 考えても、答えなど、無いような気がしていた。

 そうか。

 大切だったのだ。

 だから、言ったのか。

 ―――生きて、と。

 涙が、溢れてきた。

 止まらない。

 あの時から、涙を流していないことに、気づいた。

 頬を、涙が伝う。

 輝君は、何も言わない。

 泣いてもいいのだ、と思った。



 司が、静かに泣いた。声を出さず、ただ泣いていた。

 見てはいけないような気がして、ずっと違う方を見ていた。それでも、何度か見た。

「クス。いけませんね、こんなに泣いてしまっては。あの人に、笑われてしまう」

 司が薄く笑う。その笑いに、照れ隠しが見えることに気づいた。

「ほら。……拭けよ」

 ハンカチを、司に差し出す。

「? 良いのですか?」

「ああ。俺の知ってるヤツも、泣き虫でな。だから、いつもこうして持ってる」

「私が泣いたのは、七年ぶりですよ」

「そういうことに、しておいてやるよ」

「クス。……誰かに話したら、殺してあげましょう」

「フッ。そいつは、怖いな」

 笑いあった。

 初めて、笑いあった。

「俺も一つ、聞いていいか?」

「クス。今度は、輝君から質問とは。推測すると、妹さんのこと、ですか」

「まあな。お前、俺の音がわかるんだよな。つまりは、俺の心が」

「ええ。全てでは無いにしろ、かなりのところまで、わかりますよ」

「だったら、教えてくれないか? 俺の琴乃への想いが、何なのか。俺は琴乃のことを、どう思ってる? 親愛なのか。それとも、恋愛なのか?」

「それを聞いて、輝君はどうするつもりですか?」

「それがわかれば、俺は、前に進める。そんな気がするんだ。よくわからない想いを抱えたまま、本気で琴乃と向き合えるのか、不安なんだな。中途半端な想いを琴乃にぶつけて、また琴乃を傷つけてしまうかもしれないと思うと、怖いんだ」

「だから、妹さんへの想いが何なのか、知りたいのですね?」

「ああ」

 ハンカチが差し出される。受取り、しまった。

 司が一度、遠くを見た。

 昔を思い出しているのだと、今ならわかる。

 視線がまた俺に戻り、司は静かに言った。

「想いに、名前など、いらない」

「? どういう、意味だ?」

「人の想いに、名前など必要ない。想いは、想いです。わざわざ、名前をつける必要など、無いのですよ」

「けど、俺は、答えが欲しいんだ」

「輝君が、妹さんのことを想っている。それだけで、いいのですよ。どんな想いからであれ、貴方は、妹さんのことを大切に想っている。自分を投げ出しても守りたいぐらいに、ね。その想いは、きっと、届きます。おそらく、届いた時、その答えは自ずと出るのでしょう。輝君の求める答えが、ね」

 また、司は遠くを見た。

「私も、シスターへの想いは何だったのだろうかと、よく考えるのですよ。やはり、わかりません。わかるのは、私がシスターを今も大切に思っているということだけです。それだけで、良いのでしょう」

「そうか。……そうだな」

 窓から、空を見た。

 司も、見ているようだった。

 空が、茜色に染まっている。

 しばらく、空だけ見ていた。

 黒衣が、翻る。

 いつもの薄い笑みが、そこにあった。

「やはり、貴方は嫌な人です。私とは、合いませんね」

「ふん、お前がそれを言うか。それは、俺の台詞だ」

「クス。貸しがあることを、忘れているようですね。私は、貴方を調律した」

「何のことか知らないが、俺は、お前が殺されかかっていたところを助けてやった」

「あくまで知らないフリ、ですか。まあ良いでしょう。一つ、貸しにしてあげますよ」

「お前が貸しにするなら、俺も一つ、貸しにしておいてやるよ」

 司が何を言いたいのか、すぐにわかった。

 だから、俺も同じようにして、返した。

 空が、暮れようとしている。

「行きましょうか、輝君」

「ああ。行こうぜ、司」


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