三章(2):覚醒
地下通路を、聖はんと歩く。
夕凪はんは、窮屈そうに廊下を飛び回っている。
牢を抜け出したわいらは、西ビル三十七階を目指して、薄暗い通路を歩いていた。
閉じ込められていた牢があったのは、東ビルと西ビルに挟まれたセンタービル。
センタービルから、西、東ビルの両ビルには、容易に行くことは出来ない。
ビルを行き来するためには、センタービル五〇階の連絡通路を渡るか、地下で繋がった通路を通ることでしか、ビル間の行き来は出来ない。
一旦出口から外に出て、違うビルに入りなおすことも考えられた。
だが、出口は間違いなく警備が厳しい。
待ち伏せにあうリスクは、なるべく避けたかった。
「そやけど、大丈夫やろか? あの二人」
(心配無い。私達は地下、あの二人はセンタービルから。追っ手は戦力を二分せざるを得ない。警備員相手ならば、問題なく突破できるはずだ)
夕凪はんが、聖はんの肩に止まる。
聖はんは、腰の皮袋から干し肉を取り出し、夕凪はんに食べさせた。
「いや、そういうことを心配してるんやないって。見た感じ、輝はんはあんな状態やし、司はんは、いつ輝はんを見捨てて突っ走るかわからん。あの二人を組ませたんは、まずかったんちゃうか?」
聖はんは、余った干し肉を、一口だけ口に運んだ。
「……魔旋風も調律士も、心に、同じ屈託を抱えている」
「へえ、意外やな。むしろ、わいから見たら、あの二人は火と水。全く正反対な感じがするんやけど?」
「……守れなかった。大切なものを、守れなかった。その心の傷が、あの二人の中にはある」
(その傷が、二人を繋ぐ、か)
「そんな、簡単にいくもんかなあ? あの二人、ついさっき知り合ったばっかりやで。そない、うまくいくもんかなあ?」
「……未来など、誰にもわからぬ」
聖はんは、誰に言うでもなく、つぶやいた。
わいにはまるで、自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。
「あ、そういえば。一つ、聞きたいことがあったんや」
(何だ?)
「さっき、牢にいた時なんやけど。夕凪はん、輝はんに風、起こしてたやろ? その後、輝はんの傷が、きれいさっぱり治っとった。アレ、どんなマジック使うたんや?」
(………聖。私はこの先に敵がいないか、偵察に行ってくるぞ)
夕凪はんは甲高く一度鳴いて、聖はんの肩から飛び立つ。
「あ、逃げたな!? なら、聖はんでもええわ。アレ、どないなっとんねん?」
「………」
「だんまりかい。まあ、ええわ。絶対に調べたるからな」
聖はん、そして夕凪はんの正体もな。
二十三階。
センタービルの階段を、五十階目指して上っていく。
階段と言っても、五十階まで同じ階段が続いているわけではない。
センタービルは十階ずつ上るにつれて、先が細くなる構造になっている。
そのため、十階で階段の位置が変わる。
その度に、フロアを探索して、階段を探さなければならない。
「ふう、面倒ですね」
直通のエレベーターは、あった。
だが、乗ったら最後、降りた先で待ち伏せに合う。
監視カメラは、決して少なくない。なるべく避けて進んではいるが、捕捉は容易なはずだ。
「輝君、遅れています。急がないと、殺しますよ?」
「………」
ずっと、こんな調子だった。
話しかけても、ほとんど返事は無い。
死にたがっている。
それは、すぐにわかった。誰かに、似ていた。
小さな少年の姿が、重なって見えた。
(生きて)
また、あの声が聞こえた。
「……私は、死にたいのですけれどね」
誰とも無く、つぶやいた。
「クス」
音。
十人ほどか。
「また、殺すことが出来そうですね」
警備員が駆けてくるのが見えた。
口笛を吹く。
銃の乱射する音。
だが、こちらに弾が飛んでくることは無かった。
音が、止んだ。
調律。
音を使い、心を律する。
つまりは、生物を、どんな風にでも操ることが出来る。
ただそれは、音が認識された場合だ。
大きな音などで、違う音の方が認識されやすい場合は、調律は出来ない。
その短所を除けば、思いのままに生物を操ることが出来る。
その点では、敵の電磁波に、限りなく近いと言える。
「……殺したのか?」
輝君が、珍しく口を開いた。
「ええ」
以前、殺すことについて、反対された。
また、同じ問答を繰り返すと思った。
しかし、言ってきたのは、意外な言葉だった。
「……お前の力で、俺を、殺せ」
「クス。これは、意外ですね。どうしてです?」
「……俺を、殺せ」
「今の輝君なら、放っておいても、じきに死ぬでしょう。わざわざ、私が手を下すまでもありません」
「……殺してくれ」
やはり、死にたがっている。
また、小さな少年が、重なって見えた。
「それほど、死にたいのですか?」
「……ああ」
心に、あるかなきかの共感が湧いた。
死にたいのだ。
この少年も、死にたがっているのだ。
そして私は、殺す手段を持っている。
なら、望み通りにしてやればいい。
「良いでしょう。貴方の望みを私が叶えましょう」
口笛を、吹いた。
輝君の手が、自身の首を締め上げる。
「………」
見ていた。輝君は、全く抵抗する様子は無い。苦しい表情も、する様子は無い。
ただ、顔はどんどん赤く、黒くなっていく。
「どうですか? 死んでいく気分というのは?」
似ていた。
だからこそ、聞いておきたかった。
「……何も、感じない。………ただ、生きて欲しい」
「生きたい、では無くてですか?」
「………生きて欲しい。……アイツに、生きて欲しい。……アイツのこれからを見届けられない。それだけが、……残念だ」
音が、消えた。
輝君が、その場に崩れ落ちる。
死んだわけではない。気絶しただけだ。
まだ、手は首を絞め続けている。
このまま締め上げれば、間違いなく、輝君は死ぬ。
「生きて欲しい、ですか……」
言葉が、耳に残っている。
どういうことだ。
自分のために、死にたいのではないのか。
誰かのために、死んだというのか。
何故だ。
どうして、そんなことが出来る。
輝君を見た。生の音はどんどん小さくなっている。
もうすぐ、消えるだろう。
「……クス。私も、甘いですね」
目覚めた。
いや、目覚めたのではない。死んだはずだ。
だから、目覚めることなど、無いのだろう。
殺された。
違う。殺してもらったのだ、司に。
死にたかったのだ。
途方もないくらい、ただ、死にたかった。
自分で、死のうとした。
だが、止められた。止められて、死ねなかった。
だから、司に殺してくれと、頼んだ。
司は、俺を殺してくれた。
死ねたのだ。
だが、心が疼いている。
死んでも、この心の疼きは抑えられないのか。
守りたかった。
たった一人の、妹。
守れなかった。
それどころか、傷つけていた。
琴乃の想いに気づかない振りをして、ちゃんと向き合わなかった。
俺はただ、逃げていたのだ。
琴乃の、想いから。そして、俺自身の想いからも。
でも、もういい。
死ねた。
これで、琴乃を苦しめることは、無くなるはずだ。
琴乃を苦しませる俺は、いなくなったのだから。
心の奥が、また疼いた。
眼を開けた。
薄暗い天井。
さっきも、見たような気がする。
急に、胸が苦しくなった。
咳き込む。
しばらく咳き込んだ後、息を吸った。
「気がつきましたか?」
聞き覚えのある、声。
声の方へ顔を向ける。
薄闇に、笑顔を浮かべた司が立っていた。
「……俺は、死んでいないのか?」
「死にましたよ。名取輝という、絶望にくれた少年は」
「……俺は、死んでない」
「では、私の眼の前にいるのは、違う輝君なのかもしれませんね」
「ふざけるなっ! どうして、殺さない!」
司に掴みかかる。
笑いを浮かべていた司が、ふっと真顔になった。
「殺す価値すら、無いからですよ。妹から拒絶されたぐらいで、死のうとしている。そんな命、殺す必要すら無い」
「!? 何で、お前が、そのことを知ってるんだ?」
「聞こえたのですよ。音が。輝君と輝君の妹さんの、二人の、音が。私はどんなに遠くの音でも、聞くことが出来る。会話はもちろんのこと、心の音まで、ね」
「それがどうした! 俺は、死にたいんだ! 生きていても、琴乃を傷つけることしか、できないんだ!」
「待っている」
「? 何をだ?」
「輝君を、待っている」
「どういうことだ?」
「貴方の妹さんは、貴方が来てくれることを、待っている」
「!? そんなわけ、無いだろ! 琴乃は俺を、必要無いと言ったんだ!」
「それは、電磁波に操られていたから、そう言ったのでしょう。私には、確かに聞こえましたよ。貴方の妹さんの、心の音が、ね」
「嘘を言うんじゃねえ! 俺は、絶対信じないからな!!」
「やれやれ、強情な方だ。ここまで言ってわからないのなら、やはり、死ぬしかないようですね」
「ごちゃごちゃ言ってないで、早く殺せ」
「逃げるのですか?」
「何だと?」
「死ねば、無くなる。妹さんが苦しむことも、自分が苦しむことも、無くなる」
「………」
「結局、貴方は逃げているのですよ。妹さんの想いからも、貴方自身の想いからも。そして、生きることからも」
「うるせえ! お前に、何がわかる」
「わかりませんよ。わかりたくも、無いですね。死んでいく者の、気持ちなど」
ふっと、司は、遠くを見た。真顔だった。
再び、俺に顔を向ける。
「良いでしょう。先ほどは殺し損ないましたが、今度は、本当に殺してあげますよ」
音律。
気が、遠くなっていく。
視界が、真っ白になった。
「兄さん。アイス、買ってきたよ」
「お、ありがとな」
アイスを受け取り、ベンチに座った。琴乃と並んで食べる。
昼下がり。
俺達は、公園にいた。
休日で、特に予定も無かった。
家でゆっくり寝ていたが、琴乃に叩き起こされた。
それで、今の状況だ。
「えへ。何か、これってデートみたいだね」
「馬鹿言うな。俺たち、兄妹だぞ?」
「むー。そんなの知ってるよ」
何故か、琴乃の機嫌が悪い。
ハンカチを取り出す。
いつも、母さんに持たされていた。
「ほら」
「え、何?」
琴乃の口の周りについていたアイスを、拭う。
「よし、きれいになった」
「……あ、ありがと」
軽く、頭を撫でた。
「うう。またそうやって、子供扱いする~」
風が吹いた。木々の葉が、音を鳴らす。
のんびりした午後。
そして、琴乃が傍にいる。
それだけで、十分だ。
「おいおい、可愛い子連れてんじゃねえか。俺たちに、ちょっと貸してくれよ」
四人。
高校生ぐらいの年だろうか。
だとしたら、俺や琴乃より年は4つか5つぐらい上になる。制服を着ていないので、よくはわからない。
「ふん。チンピラか。何の用だ?」
「お前のようなガキに、用は無えよ、引っ込んでろ」
「兄さん……」
琴乃が、俺の服の袖を掴むのがわかった。
怖がらせた。琴乃を。
かっと、血が騒いだ。
「てめえらみたいなクズは、琴乃に近づくことすら許されねえんだよ。さっさと失せろ、チンピラ」
「このっ、ガキが!」
一人が殴りかかってきた。かわし、顔を殴った。
その隙を突かれる。右。拳。脇腹にまともに入った。
一瞬、息が止まる。
動きが止まったところを、別の一人に下段から蹴りあげられた。また、腹に入る。
喧嘩はした。
ほとんどが、琴乃絡みだった気がする。
琴乃をいじめたヤツと、喧嘩した。
一対一なら、負けなかった。同級生なら、三人がかりでも、勝てた。
だが、かなり年上のヤツとなると、そうもいかない。
ましてや、今は四人だった。
勝たなければ。
勝って、琴乃を守らなければ。
後ろから、腕を取られた。
身動きが出来ないまま、顔や腹に攻撃を受け続ける。
一人が、羽交い絞めにされたままぐったりした俺に、近づいてきた。
「ガキが。弱いくせに、つけあがってんじゃねえよ」
唾。顔にかかる。
その瞬間、思いきり、男の股間を蹴り上げた。
「ぐああっ!!」
悶絶。
「こいつ! ふざけてんじゃねえぞ!!」
白光。
ナイフ。
瞬間、鋭い痛みが走った。
首から、血が噴出していた。
視界が一瞬、白くなった。
「いやあああ!!」
悲鳴。
見た。琴乃。
涙。
泣かせた。
琴乃を、泣かせた。
無力だ。
琴乃を守る力さえ、無い。
力が、欲しい。
琴乃を守る、力が。
(力が、欲しいのか?)
声が、聞こえたような気がした。
どこかで聞いたような、声。
それでいて、ひどく懐かしい、声。
「ああ。琴乃を守る、力が欲しい」
「てめえ、何ぶつぶつ言ってんだ?」
(いいだろう。君に、力をあげよう)
脈動が、聞こえた。
全身を、血が駆けているのがわかった。体が、熱くなる。
「うおおっ!!」
後ろからの束縛を、力ずくで振りほどいた。
「何だ、コイツ? まだやる気か?」
駆けた。
背丈より高く、跳躍する。
男の首。蹴り飛ばした。
男が、ゴムまりのように吹き飛んでいく。
まず、一人。
「!?」
男達が、驚きの表情を浮べる。
自分でも、驚いていた。
なぜか、知っている。
戦い方を、知っている。
それで、体が勝手に動く。
「この、野郎っ!」
左右同時に、拳。
どちらも片手で掴み、捻った。何かの折れる音がし、掴みかかってきた腕は、変な方向に曲がっていた。
これで、三人。
「「ぐああっ!」」
驚き。
さっきの跳躍といい、今のといい、大して力を使っていない。
それでも、吹き飛ばし、腕が折れた。
何なんだ?
俺は、どうしたんだ?
気配。
後ろ。
振り向く。
ナイフ。どこか、ゆったりしている。
いや、そう見えるのは、俺だけだろう。
余裕をもってかわし、手刀でナイフを叩き落した。
「ちっ! ガキがっ!!」
ナイフを落とされた男が、掴みかかってくる。
懐に、飛び込んだ。そのまま、顎を拳で突き上げる。
男の体が、俺の背丈より高く飛んだ。
四人。
「!? は、ははは……」
勝てた。
勝てたのだ。
琴乃を、守りきった。
「琴乃っ!!」
琴乃に、駆け寄る。
血が、首から噴出し続けていた。構わなかった。
「大丈夫か! 怪我とか、しなかったか!?」
琴乃が、泣きながら答える。
「……うん、私は大丈夫だよ。でも、兄さんが」
「良かった」
ほっとした。
ほっとすると、何故か眠気が襲ってきた。
そのまま、眼を閉じた。
眼が、覚めた。
薬の匂いがする。
腕に、違和感がある。点滴だった。
「病院、か……?」
傍に、気配があった。
寝ている状態で、顔だけ気配の方へ向ける。
「っ!!」
首に、激痛が走った。
斬られた。だからだろう。縫われたのか、血は止まっていた。
横。見た。
琴乃が、寝ていた。
ちょうど、起きるところだった。
「……ん。!? 兄さん!?」
「よう」
言うと、琴乃の眼から、涙が溢れてくる。
ハンカチを、取り出そうとした。
着替えさせられたようで、見当たらない。
「よう、じゃないよ! 首から血を出して、死んじゃうとこだったんだからっ!! あれから、三日も寝たままで、もう目覚めないんじゃないかって、心配でっ!」
「悪かった。俺は、死なない。琴乃を守れずに、死ねない」
「馬鹿っ!!」
「はは、そうだな」
「私が、どれだけ心配したと思ってるんだか::! もう、あんな無茶、しないで」
「ちょっとだけ、自信が無いな」
「馬鹿っ!!」
「わかったよ。もう、しない」
「それから………」
「ん?」
「……ありがと」
琴乃が、微笑んだ。
この笑顔を、守れた。
この笑顔を守るためなら、俺は死んだっていい。
微笑み返した。
優しい瞳が、俺を見つめている。
「おかえり」
「ああ。……ただいま」




