社内片想い
月明かりが差し込む暗い部屋で一人、枕に顔を埋める。脳裏に浮かぶ様々な状況が、彼女を苦しめていた。
(嫌われたくない、でも、あの人には好かれたくない)
美沙には、吉川拓哉という想い人がいる。昨日までは、同じ部署で働く彼を遠くから見つめ、機会があれば声をかける。その繰り返しで、叶いそうで叶わぬ片想いを楽しんでいた。
だが、拓哉の親友である峰岸敦が、休み時間や仕事の合間に、美沙の席に来るようになった。最初は、吉川も一緒に来て、三人で話していた。そう、そこまでは良かった。
ある日を境に、吉川は来なくなった。いや、わざと避けているようにも感じた。しかし、敦はいつも通りやって来ては、美沙に声をかけて来る。態度も、いつもより優しい言葉遣いであり、嫌な予感が体を走った。
美沙は、執拗な男が嫌いであり、ましてや人を馬鹿にするような態度をとる性格の持ち主も好ましく思わない。また、女々しい男もその対象に入る。
美沙と仲の良い社員である山崎が一生懸命、パソコンの配線を設置していた。だが、それを遠くから見るだけの敦が、笑いながらこう言った。
「山崎君、何ハッスルしてんの?」
そして、他の人が手伝うために助言をしたとき、他人がしゃしゃり出ない方がいいんじゃね、と付け加えていた。それが切っ掛けで、美沙は敦に苦手意識を持つようになった。
最初は我慢していたが、限界はすぐにやって来た。耐え切れず、美沙は敦が声をかけてきたとき、スマートフォンを取り出し、流行のアプリケーションを弄び始め、話しかけないでという雰囲気を醸し出した。
だが、敦は美沙の後ろの席に座り、机に突っ伏し始める。明らかに暗い顔をしながら、ため息をつき美沙を見つめる敦の態度に、虫唾が走り、もはや生理的に受け付けないレベルまで達した。さらに、その席に座るはずの男性が、敦に声をかける。
「どうした?」
「……」
どんなリアクションをとったのかは知らない。その行動が女々しくて、気持ち悪いと思いながらも、気を紛らすために隣の人に声をかけた。
その一連の行動から、あることが予想できる。敦は、拓哉に美沙が気になっていると伝え、拓哉がそれを応援する立場に立っているんじゃないかと。
敦を嫌う行動をとってしまった美沙の行為は、拓哉に伝わっているだろう。それが示すのは、拓哉の美沙に対する印象が悪くなるということだ。片思いどころか、声をかけても無視されるかもしれない。そう考えると、心が痛む。
実際、次の日から拓哉と話せる機会もなく、ただ遠くから見つめる時が続く。一日に二、三回は視線が合うが、美沙から逸らしてしまう。敦に関しては、美沙が女子社員と話していても割り込んで話しかけようとするため、近づいて来た瞬間、その場から逃げるようにオフィスを出る。
敦とは、話したくない。彼に対しては苦手という範疇をとっくに越えている。だが、拓哉とは話したい。彼を想う気持ちは変わらず、むしろ強まり、できることなら付き合いたいとも思っている。
だが、それも恐らく無理だろう。親友を避けている美沙から想われている拓哉の立場を考えれば、恋人という関係を築くことができる可能性は0に近い。
美沙は、悩んでいた。敦に声をかけられた時の態度、拓哉への想いをどうすればいいか。散々悩み、枕を濡らしても、結果は出ない。スマートフォンを手に取り、親友の菜子に電話をかけた。
『夜遅くにどうし……美沙、泣いてる?』
「ごめん、あのね」
寝起きの菜子の声を聞き、申し訳ないと思いながらも、手短に事情を話した。相槌を打ちながら、最後まで聴いた菜子が、一つの答えを導き出す。
『峰岸くんに関しては、明らかに避けるんじゃなくて、声かけられてもやんわりとその場を離れればいいんじゃないかな』
声をかけられたら、二、三言返し、お手洗いと嘘をついて、その場から離れる。それが、社会人としての対応だという結論が出た。菜子にも、苦手な人が社内に居るらしいが、仕事上話さないわけにもいかないので、必要最低限の会話をし、自然と離れるようにしているらしい。
『吉川くんのことは、あたし、美沙には後悔してほしくないから』
美沙は5ヶ月前に、彼氏の浮気が原因で別れ、それ以来初めての恋だった。菜子は、少し落ち着いたら拓哉に声をかけてもいいと思う、と言ってくれた。
「でも、あたし、嫌われてるかもしれない」
『その可能性は低いよ。だって、嫌いな人には視線を送らないもん。美沙は峰岸くんを見てるの?』
考えれば、見ていない。菜子の言う通り、視界にも入れたくない程毛嫌いしているため、見つめるなんてことは絶対になかった。頭を横に振りながら、菜子に伝える。
「ううん」
『でしょ? だから、気になってるんだよ。いくら親友から聞いた話とはいえ、所詮、噂話でしょ。実際、吉川くんは美沙と話して、美沙の性格とか何となくわかってるはず。美沙がどんな人なんだろって気になってると思うから、話しかけてあげたら、きっと嬉しいと思うよ』
息をつかず、一気に話し続けた菜子は、明るい笑声で美沙を励ます。それにつられるように、美沙も笑った。
「ありがとう」
「いつでも話してね、友達なんだから」
自信がついた美沙は、枕から顔を上げ、仰向けに寝転がった。菜子にお休みの挨拶をし、通話を切る。大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出した。勢いよく起き上がると、冷蔵庫から保冷剤を取り出し、箪笥に仕舞ったタオルを取り出して巻き、泣き腫らした両目に当てる。
曇っていた心も嘘のように晴れた美沙は、再びベッドに横たわる。
(明日から、頑張ろう)
私、頑張ります。好きな人に、声かけます。
どうか、嫌われませんように。上手くいきますように。
あと、連絡先を聞けますように。