第八話「決闘」
「はあッ!」
オニバスの剣がフェンネルの衣服をかすめていく。
余裕めいた笑みを浮かべてはいるが、これは心の動きを悟られないための仮面だ。
フェンネルは感心していた。彼の知る――十五年前までのオニバスは、これほどの技量の持ち主ではなかった。
しかしオニバスも我流で修行を積んだのだろう、動きに一目でそれとわかる無駄がある。
剣だけに限って見れば、完成された剣術を使うアイナには及ばない。
同じ我流の剣でも、積み上げた年数でフェンネルにも及ばない。
「ずいぶん腕を上げたのぉ、オニバス!」
「お前を倒すために修行した」
何度か刃を交え、飛び退って間合いを取った二人。
オニバスの口調は淡々としたものだったが、内に秘める闘志は隠し切れていなかった。
「剣も、魔法もだ。……もう若造とは呼ばせんぞ!」
びゅおんっ――!
横薙ぎに振り抜いたオニバスの一撃は、清々しいまでに空を切っていた。
「――ほらほら、下じゃぞ!」
オニバスの剣の下をかいくぐって前転していたフェンネルが楽しそうに叫びつつ
すれ違い様に足元へ刃を叩き込む。不自然な姿勢からの斬撃は十分な鋭さを持たなかったが
それでもオニバスのふくらはぎを切り裂くだけの威力はあった。オニバスの顔が歪む。
「ぐっ……くそっ!」
とっさに剣を叩き付けていくものの、奇襲に傾いだ体では十分に力を乗せられない。受け止められてしまった。
刃を刃で払いのけたフェンネルの目が、オニバスの左手が動いているのを目ざとく見つける。魔法の構築だ。
伊達にオニバスを若造扱いはしていない。構築する魔法を指の動きから悟り、自らも左手で魔法を作り始める。
オニバスが放とうとしているのは『石化』だ。こちらの体を石に変え、動きを封じるつもりらしい。
確かに十五年前のオニバスは使えなかった魔法である、奇襲には最適だっただろう。
「じゃが……」
技量と知識に勝るフェンネルなら、魔法を無効化することも簡単だ。
ほとんどでたらめに手首を振り回しているとしか思えない速さで『石化』に対する『解除』の魔法を完成させ
その魔力で自らの体を覆う。これで『石化』の魔法は通じない。
オニバスはそれに気付いていないようだった、『石化』を発生させようと立ち止まっている。攻めるなら今だ。
「ほれ、行くぞ!」
アイナに教わった通りに剣を両手で握り締め、フェンネルは走った。
切っ先がぎりぎり当たる間合いから刃を打ち込んでいく。剣の根元は切れないと教わっている。
――がきいっ!!
オニバスが『石化』の魔法を完成させるのと、フェンネルの一撃が肩口に当たったのが同時だった。
「む!?」
腕に走った軽い痺れにフェンネルが表情を強張らせる。
刃を受けて破れた衣服の穴から砕けた石のようなものが飛び散ったのだ。その意味を悟り、剣を引くフェンネル。
オニバスは自らに『石化』の魔法をかけることで皮膚を石にし、刃を体で受け止めたのである。
「おおおおおッ!!」
殺気を放ったオニバスから逃れるように転がるフェンネルだったが
回避が間に合わず、脇腹を切り裂かれてしまった。鋭い感触はすぐに痛みに変わる。
フェンネルは倒れ込むも、切られた腹を押さえてすぐに立ち上がった。寝転んでなどいられない。
「……肉を切らせて骨を絶つつもりなら、もっといい魔法があろうに。『鋼鉄化』とかの。
『石化』が使えるようになったなら、すぐ覚えられたじゃろ?」
剣先を相手につけて威嚇しながら、フェンネルは疲れたように笑った。
オニバスの肩の辺りがじわじわと赤く染まっていくのが見える。
『石化』で石に変えていた肌は砕けたのだ。魔法が解ければ傷になってしまう。
「確かにな。だが『鋼鉄化』を使えば、お前は間違いなくこの戦法を先読みして
魔法を解除しただろう。切りかかってもらわねば意味がなかった」
「文字通り身を削る作戦じゃの。こりゃ、遠くから飛び道具で袋叩きにしたほうが早いかの?」
「人間に与するばかりか、母なる森への敬意まで忘れたと言うのか?」
オニバスの言葉に、フェンネルはぴくりと頬を震わせた。
これも地方のエルフによって差のある習性だが、エルフは自分の住まう土地を非常に大切にする。
故郷を荒らす行為には親を傷付けることに匹敵する抵抗を感じるのだ。それはフェンネルとて例外ではない。
本人は「思い付かなかった」と言っているが、狩りの際に落とし穴を使わなかったのも
そういう価値観あってのことなのかも知れなかった。
「俺を倒せるだけの魔法を放つつもりなら覚悟しておけ、円形闘技場が一つ出来上がるぞ。
手加減も無駄だ。いかにお前の魔法だろうと、本気でないなら俺にだって解除できる」
「……弓矢があるぞ?」
「お前の矢に当たる確率は隕石に当たる確率より低い」
「とことん馬鹿にしてくれるの」
殺さずに無効化する魔法を使う手もあるが、例外なく構築に時間がかかる。その隙を突かれてしまうだろう。
「とどのつまり、私はおんしと正面からガチでやり合うしかないわけじゃな。面倒なことになった」
「俺を甘く見るからだ。森に潜んで攻撃魔法で仕留めればまだ楽だったものを」
「そうじゃの。おんしがアポロンを壊してくれなければ、そうしたかもしれん」
「……?」
軽く眉を寄せたオニバス。フェンネルはこきこきと首を鳴らし、どこか遠い目をして言った。
「アポロンを治して、森を光らせ林を操り、そこの小童を脅かして――
今夜は魔法を大盤振る舞いじゃからの。
実を言うと、おんしを魔法だけで倒せるほどの余力はないんじゃ」
オニバスの腕から放り出されたアイナが痛みにうずくまっていると、
一度聞いたら忘れない足音が近づいてきた。見上げれば石巨人がいる。
「アポロン……さん……」
フェンネルとオニバスの会話は聞いていた。壊されていたことは事実なのだろう。
嬉し涙が頬の傷に染みたが、アイナは構わずに泣き続けた。
「……無事で、良かったです」
アポロンも頷き、未だ我を忘れているエルフ達とアイナの間に立ち塞がった。
この前は遅れを取ったが、それでも『結界』の魔法に閉じ込められるまでは、アポロンは互角に戦っている。
これほど頼りになる護衛はいないだろう。涙を拭い、アポロンの体を支えにしてよろよろと立ち上がる。
戦っている間にフェンネルはアイナから遠ざかっていた。何か会話をしているように見えるが、内容まではわからない。
「フェンネルさん……」
ぎぃんっ――!!
直上から何の捻りもなく振り下ろされた刃を必死に受け止めるフェンネル。
彼女が半ばアクセサリーとして装備していたこの剣は非常に造りが華奢で、
あまり強い衝撃には耐えられない。こうして攻撃を受け続けていれば、遠からず折れてしまうだろう。
「この……若造がっ!」
らしくもなく声を荒げ、フェンネルはがら空きになったオニバスの胴へと剣を振り下ろす。切っ先がオニバスの横っ腹に傷を入れた。
恐らくはあまり重い装備に衰弱した体が耐えられないのだろう、
オニバスは他のエルフと違って鎧を着ていない。そのことがフェンネルには幸いしていた、多少甘い攻撃でも傷が入る。
「若造、か!」
一度は振り下ろした剣を再び振りかぶり、防御を省みない踏み込みで叩きつけていくオニバス。
剣先がフェンネルのないに等しい乳房をかすめ、布服の胸を裂いた。
「お前にそう呼ばれるようになって、何年になるだろうな!」
「さてのお!」
ぎぃん!
練度に差はあれ、二人の剣技は似通ったものだった。筋力がないぶん、あまり重く頑丈な剣は振るえない。盾も持てない。
強度のない剣で戦うために、相手の攻撃を真っ向から受け止めることはせず
かわすか、剣でさばくにしても受け流すことを重視していた。
そんな剣と剣とが、鍔迫り合いの力相撲を展開している。
気持ちが高ぶっているのだ。真剣勝負の緊張を超越した思いが、冷静さを欠くほどに戦士を熱くしている。
オニバスも、そしてフェンネルも、正面からぶつかり合う他に選択肢を持ち合わせていなかった。
「若造だから若造と呼んでいたんじゃ、別に気にしとらんわ!」
フェンネルの剣が一文字を描いてオニバスを襲う。刃はオニバスの柄に刻みを入れた。
間髪入れずに突きが繰り出されたが、これはオニバスが剣を剣に巻き付けるようにして叩き落とす。
「言ったはずだ!」
オニバスの不格好な蹴りがフェンネルの鎖骨を打ち抜いた。靴底の泥がフェンネルの服にくっきりとあとを残している。
蹴りの威力も知れようと言うものだ。防御をまるで省みない全体重を乗せ切った一撃は
エルフの非力を補って有り余るものだった。たまらずフェンネルがどうと倒れ込む。
「ぐっ……」
「もう、若造とは呼ばせないとな!」
甲高い金属音が鳴り響いた。反撃を歯牙にもかけない踏み込みから打ち込まれた刃が
フェンネルのとっさにかざした剣に受け止められる。
「おおおおおおッ!!」
防御されたと見るや、オニバスは容赦なく次撃を見舞おうと大振りに得物を振りかぶっていた。
目をむくフェンネルの手から、ぽろりと柄がこぼれ落ちる。あまりの衝撃に腕の感覚が失われてしまっていたのだ。
ざすっ――!
「っあ……が! この……!」
白刃の描く軌跡が右の肩口に吸い込まれる。
あまりに力任せの太刀筋には鋭さがなく、幸いなことに急所は外れたようだったが
それでもオニバスの剣は拳一個半ほどの肉を断ち割って、フェンネルの首筋近くに鮮血を噴き上がらせた。
体に食い込む刃をとっさに握り締めて切断作業を中止させ、自ら退いて強引に剣を体外に追い出した。
研ぎ澄まされた刃を握った左手はずたずたに裂けていたが、構わずフェンネルは血塗れの指を動かす。
苦痛に歪む視界の中、フェンネルは右肩の傷に『治癒』の魔法をかけた。
みるみる傷は治り痛みも引いていったが、それでも目まいだけは消えない。
魔法は使用者の精神に大きな負担を及ぼす。
さすがのフェンネルも限界が近付いているようだった。血を大量に失ったことも災いしているのだろう。
「ゴーレムを直し、同胞を威嚇し、万が一の援軍を避けるために『結界』を張り――
限界のようだな、フェンネル」
「『結界』にも気付いておったか」
「つい一瞬前にな。……援軍を避けると言うよりは、単純に俺達の足止めのためか。
集落に辿り付きさえしなければ、あの少女を殺すことはできない。
だから集落に辿り付けないよう『結界』を張った。そんなところか。
ゴーレムの腕に乗ってきたのも、少しでも力を温存しようとしたため」
「いろんな意味でレベルが上がったのお。本当に嫌になるわ。正解じゃよ」
「あっさり白状するのだな」
「何を言って否定しても、説得力がないじゃろう?」
「確かに」
右肩を治したのは当然だ、剣が振るえなくなる。
しかし傷付いた左手を治さなかったのは何故か。左手が傷付いたままでは魔法が満足に構築できない。
治したところでもう魔法を構築する精神力はないのかも知れないし、
そもそも左手を治せるだけの精神力が残されているのかさえ怪しいものだ。
それほどまでにフェンネルは傷付き、疲れきっていた。
「……わからないな」
オニバスがつぶやいた。肩で息をするフェンネルを心底悔しそうに見つめ、続ける。
「何故それほどまでに、あの少女を守ろうとする?
見捨ててしまえばそれで済むだろう。お前は言ったな、人間に味方しているつもりはないと」
「ああ。……ほんの六十歳ちょっとの小童ではあったが、私とて四百年前の戦争を直に体験したエルフじゃ。
ウィナリスの人間を許すことはできんよ」
「ならば俺達とともに来い。その少女さえあれば、ウィナリスはエルフの手に取り戻される。
封印を解き、さらにお前が仲間となったなら確実にだ。楽園は再び俺達のものになるんだ」
「悪くはないかも知れんのお……じゃがな」
フェンネルの荒い息が意図的に規則正しく整えられ始める。
だるさを忘れるように閉じられた目が開かれたとき、そこには新たなる闘志が光となって宿っていた。
「どうして空は青いのか。どうして海水はしょっぱいのか。
世界の生い立ち、生物の存在意義、過ぎ去ってしまった歴史の真相――
知らなくても何も困りはせんが、どうしても知りたくなることがあるじゃろう?」
いつの間にか近くでアポロンに守られながら戦いを見守っていたアイナを横目で盗み見、フェンネルは笑った。
「私にもある。それはアイナを守らねば知ることはできないことで、
アイナと一緒にいなければわからないことなんじゃよ。見捨てることはできん」
誰も気付いてはいないことだったが、だんだんと地面に落ちる影が夜闇に溶け込み始めている。
それは森の輝きが弱まっている証拠であり、フェンネルの力が尽きかけている証拠だった。
しかしフェンネルに危なげな様子はない。決意に満ちた眼差しを真っ直ぐオニバスに向け、微動だにせず立っていた。
「それにの、オニバス。おんしのやり方で楽園は取り戻せぬよ。
ウィナリスは取り戻せるかも知れん。じゃが、四百年前までの楽園は帰っては来んのじゃ。
楽園は朽ち果てた。何をしても無駄じゃよ、新たに育てぬ限りはの」
「お前の言いたいことはわかる」
一人頷き、オニバスはすっと右手の剣を持ち上げた。切っ先をフェンネルに向ける。
フェンネルもそれに習った。剣先三寸が重なり合い、きんと澄んだ音色を一度だけ奏でた。
「だが――今更あきらめることはできない。絶対にな。
ここでウィナリスを取り戻せないのであれば、我らも楽園とともに朽ち果てるまでだ」
「だろうの。そのつもりがあったなら、おんしはとっくにそうしていたじゃろう。
……さて、これ以上はやめにしておかんか?やはりおんしのことは嫌いになれんよ」
「ああ、お前に情を移されては俺も気分が悪い」
きりっ。柄を握る拳に力が込められ、刃と刃が擦り合って鳴く。
かすかな音だったが、それで十分だ。
二人が同時に右足を引き、近すぎた相手を再び殺傷圏内に捉えたかと思えば、
――ぎぃぃぃんっ!!!
首筋を狙って薙ぎ払われた剣同士がぶつかり、耳にたこができるほど聞かされた高音を放つ。
「おああああッ!!!」
ほとんど無意識に雄叫びを上げて斬りかかるオニバス。呼吸を整えることもせず、フェンネルをたたっ切ろうと剣を振るう。
唸りをあげて肌を裂いていく刃をどれも寸前で見切ってかわすが、それでも避け切れない攻撃はある。
避けた直後、乱れた姿勢で防いだ剣にバランスを崩され、フェンネルがふらりとよろけてしまう。
迫るオニバスの刃。それを受け止めようともかわそうともせず、ただフェンネルは
がすっ!!
コンパクトに突き出した左のつま先をオニバスのみぞおちに食い込ませていた。
蹴り出した左足が地面につくやそれを軸足に踏み込み、お返しとばかりに肩を狙って刃を打ち下ろす。
蹴られた拍子に緩めてしまった右腕の力を取り戻し、オニバスは剣をフェンネルではなく、彼女の剣へと叩き付けた。
当たり所が良かったのか悪かったのか、フェンネルの剣は中ほどからぽっきりと折れてしまった。
「「っ――!!」」
折れて宙を舞う剣先を挟み、交錯する両者の視線。
フェンネルは短く軽く情けなくなった剣を突き出したが、オニバスはそれを余裕を持って受け止める。
鍔と鍔が激突して鈍い衝撃を伝えた。体重を乗せるように剣を操り、フェンネルの剣を押さえ込むオニバス。
長さの半分になった剣はオニバスの意のままに流れ、土にうずまった。何の抵抗もなく。
「なっ……」
フェンネルは剣を封じようとするオニバスの動きに逆らおうとしていなかった。
押さえ込まれると見せて剣を手放し、致命的な隙を作らせたのである。
オニバスは剣を両手で握っていた。防御はできない。フェンネルの右手が拳を固めた。狙うは、驚愕に引きつるオニバスの細い顎。
「――らああああああっ!!!!」
天まで届けとばかりに石を空へ投げて遊ぶ子供のような、そんな腕の振り。
己に残された力と思いを注ぎ込んだ拳が振り抜かれた。
「っ――」
自らの勢いに振り回されて転んだフェンネルと、パンチの軌道に沿って反り返ったオニバス。
ほとんど同じタイミングで大の字に倒れた二人だったが、立ち上がったのは一人だけだった。
「こんなしんどいの、これっきりにして欲しいもんじゃのお……」
震える足で地を踏み締めたのは、金髪の女エルフ。
フェンネルはうつろな目をしてそうつぶやき、すぐにぺたんとその場に座り込んだ。