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第十四話「根源」


弱点は胴体と予想できたはいいが、それを突くことはそう簡単ではないだろうと思っていた。

が、それもまさかここまで難しいことだとは思いもしていなかった。


相手の弱みがどこにあろうと、結局は近寄って戦って倒すしかない。

自警団達の援護を受け、アイナ、フェンネル、アポロン、オレガノの四人は

仰向けに寝転がって体をとにかく無茶苦茶に動かしているミスリルへと襲いかかった。

背泳ぎでもしているかのように振り回されては地面を削る腕をかわして上半身に飛び乗り

アポロンが左の手の平をミスリルの胸に押し付けて右拳を引き絞る。

「うおっし、行けアポロン!」

叫んだフェンネルが左手を振ると同時に、アポロンの拳が『光源』の呪文を受けて輝いた。

言われるまでもないとでも言いたげに左手を胸から外し、


がぁんっ!!!


次の瞬間には、ちょうど左手のあった位置を輝く拳が抉っている。

鉄棒で殴って傷がつくかつかないかというミスリルの体にめり込んだのだ、凄まじい威力には違いないが

胴体にあるという核を突き破るには至らなかった。

拳は三分の一ほどをうずめて止まっている。

「アポロンの馬鹿力でも無理か……っとに面倒な相手じゃの」

「手数で押してみるか? フェンネル、俺の剣にも魔法をかけてくれ」

「む、任せろ」

可聴域を超えそうな高音とともに光を放つ刃に目を細め、

オレガノは腕や足のある部分を迂回し、軽い足取りでミスリルの胸に上がる。

胸の上ではアポロンがあきらめずに同じところを殴り続けていたが、成果はさほどでもないようだ。

「アポロン、退いてろ」

背筋を使って剣を振り上げたオレガノが言い、短い吐息を漏らして腕を叩き下ろす。


ぎん!がぁんっ!


一度目と二度目で違った感触に眉をしかめるオレガノ。

悔しそうにかぶりを振り、状況を見守っているフェンネルとアイナに向かって声を張り上げた。

「駄目だ!どうも中心に近付くに従って硬度が上がっているらしい」

「なるほど、そう来たか……」

悔しそうな顔をするフェンネルの横で、ふむと鼻を鳴らし腕を組むアイナ。

先ほどの戦いより余裕が見えるのは、自軍の圧倒的有利を確信しているためだろうか。

手足を失ってなおあれだけの強さを見せ付けたさっきのミスリルを思えば、今のミスリルは弱々しく映って当然かも知れない。

「じゃあ、そいつの力をそのまま利用するのはどうじゃ?」

「どういうことだ?」

「おんしら、ミスリルの拳をぎりぎりでかわせ。そしたら勢い余って自分で自分の胸をぶん殴るじゃろ」

「自分でやれ、そんな危険な……っ!」


ごぎゃんっ!!!


男組が飛び退った空間をミスリルの拳が駆け抜けていった。薙ぐような軌道で、胸を殴ったりはしていない。

「ち、おしい」

「他人事だと思って!」

拳圧に暴れる髪を押さえながら着地したオレガノが、指をぱちんと鳴らしたフェンネルに叫ぶ。

どこか微笑ましいやりとりを完全に無視して、アイナとアポロンは目の前の敵を凝視した。

「何……?」


ごぎゃんっ!!ごぎゃんっ!!ごぎゃんっ!!!


上半身を起こしたミスリルが、自分の拳で自分の足を壊し始めたのだ。

人間で言うなら太ももだが、しかしすねより細いミスリルの大腿部が

木材をハンマーで殴るようにへこみ、やがてひび割れていく。

「何じゃ、イカレにイカレてとうとう自傷行為に及んだのかの?」

「黙っててください」

アイナのこめかみから冷たい汗が一滴、まだ丸みを帯びた顎を伝って地面に落ちる。

「……いえ、警戒してください。そろそろ、絶対、いえ、おそらく」

「アイナ?」

「余裕でいられるのは、ここまでかも知れません」


ご、がしゃああっ!!


ついにミスリルの太ももが砕け散った。

膝関節に寄った部位が割れて破片を散らし、すねとももとを分断してしまう。

切り離されたすね及び欠片が未だ虹色の光を放っているのは、ミスリルの左足の核が無事な証拠だった。

しかし、その核も外殻が砕けたことで露出してしまっている。

コンクリートの中に紛れ込んだ小石の一角が顔を出すかのように、虹色の岩石から青色の宝石が覗いていた。

「あれが足の核か、アイナの推理は合っていたらしいな」

「よし、胴体を射んと欲するなら、まずは足からじゃ!アポロン、続け!」

フェンネルが左手で魔法を編みながら走り出し、その背中を追い抜いてアポロンも拳を握る。

自分達も戦おうと得物を構えたコンフリー父娘が、

「……ふらん、ねる」

その一言を聞いて戦慄した。

それはアポロンの声ではもちろんないし、アイナの声でも、オレガノの声でも、フェンネルの声でもない。

付け加えるなら、その場にいた全ての生物が、この声の持ち主では有り得なかった。

「――フランネルゥゥゥゥゥゥッッ!!!」

岩場を駆け抜ける突風のような高い声は、今までの彼の声とは似ても似つかなかったが

その声はミスリルの左足の核が微細に震えながら絶叫する、ミスリルの声に他ならなかった。

「ミスリル!?」

「やっぱり……!」

他の三人のような華麗な身のこなしは少々荷が重いのか、

アイナは必死に走ってミスリルの倒れ込んで来るような一撃を避けた。飛び散る泥と砂利に顔をしかめながら言う。

「頭の役割をする核が切り替わったんです!」

「何……!?」

うつ伏せに寝転びながらも繰り出された次撃は、攻撃目標がオレガノに奪われたことによって外れた。

左脇に娘の細い腰を抱えた父の視線を受けてアイナは頷き、娘の顔を覗き込んだオレガノが歯を食い縛る。

アイナの言う通りならば、ミスリルの視覚、聴覚、嗅覚――味覚と触覚はもともとない――は復活したことになる。

そしてその予想は恐らく間違ってはいない。ミスリルの攻撃は明らかに敵を――アイナの位置を認識した上でのそれだ。

「ち……どうする、フェンネル!」

「どうもこうもないわ!頭と引き換えに足はなくなっとるんじゃ、奴もそう簡単には」


ひぅんっ――


「動けな……?」

怒鳴ったフェンネルの頬を何かがかすめた。なでてみるが、とくに異常はない。

指の力加減にくすぐったさを覚え、彼女が白い肌に爪を立てると、


ぷしゅっ。


爪が肌に突き刺さった。それと同時に、鋭すぎて開かなかった傷口が一直線に血を噴き出す。

驚いて振り向けば、少し離れた位置で様子を見守っていた自警団員がぶっ倒れている。

いわゆる『どてっ腹に風穴があいた』状態だった。苦しそうにもがき、何が起こったかわかっていない周囲は手当てもしていない。

「な、何じゃあ?アポロン!」

命令に従い、主人を守ろうとミスリルとの間に割って入ったアポロンの全身に、大小入り混じった穴ぼこができた。

「そっ……総員、伏せろ!撃たれるぞ!」

泡を食ったオレガノの指示が青空に響いた。

弾かれるように地面に倒れ込んだ彼らの頭上を、虹色の弾丸が駆け抜けていく。ミスリルの破片だった。


先ほど砕けた足の破片がふよふよと宙に浮いたかと思えば、尻に火がついたような加速で一直線に特攻してくる。

七色の光を引きずって飛び交うその姿はまさしく弾丸である、「撃たれる」というオレガノの警告はひどく的を射たものと言えるだろう。

水の溜まった足元に伏せ、下着に泥水が染み込んでくる不快な感覚に顔をしかめたアイナの眼前に


ぼがっ!


拳大の岩が突き刺さった。幼い少女は青ざめる。

「ひっ……な、何なんですか、これは!」

核の換装を予見していたアイナも、この反撃は予想外だったのか涙目になっていた。

「言ったじゃろ、奴は核の魔力を利用して体を動かしていると!」

瞠目すべき反射神経でピーナッツほどの散弾をかわしたフェンネルが答える。

「魔力さえあれば、奴の体はどうとでも動くんじゃ!

 その気にさえなれば、体の一部を飛ばすことだって可能なんじゃよ!」

「どうして今までそれを言わなかった!?」

「まさか本当にやるとは思わなかったんじゃ!見てみい!」

フェンネルが剣先で指し示したミスリルの欠片は、虹色の光が消えかけていた。

よく見れば飛ばした破片は一様に光が弱くなっている。もし今この状況を上空から眺めることができたなら、

ミスリルの本体から遠ざかった破片ほど、弱々しい光しか放てなくなっていることに気付けたはずだ。

「核から離れれば離れるほど、制御は困難になる!アポロンが普段人の形を崩さないのもそのためじゃ!

 思った通りに動かせなくなるわ、加えられる力は弱くなるわ、いいことなんて何もない!攻撃範囲が広くなる以外にはの!

 ましてや、自由に動けない今なら尚更じゃ!」

「それなら、どうして!?」

「自分の体なんぞどうでも良くなったんじゃろ!」

叫び返したフェンネルの顔がやや険しさを増した。

死を覚悟した者がどれほどの力を発揮できるか、彼女は良く知っている。

今のフェンネルの脳裏には、ミスリルを復活させるために命を賭したエルフの青年の姿が浮かんでいるのだろう。

「ゴーレムの体というのは、限られた材料を必要とするわけではないんだったな?

 だとしたら、ミスリルは周囲のありとあらゆるものを発射してくるのか?」

「魔力が物質に浸透するまではかなりかかる。

 ――じゃが、できんとは言わん。そして実行されたら、防ぐのは今よりずっと難しくなるの」

その時間をオレガノは問い、フェンネルは一言「わからん」と答えた。

周囲では地に埋まってしまっていたミスリルの欠片が再び上昇を開始している。

「今のうちに聞いておくかの」

フェンネルはいやに無表情なままつぶやいた。それに気付いたアポロンが体を起こしながら視線を向ける。

「アポロン、母さんに何か言伝はあるか?オニバスにでも良いぞ」

アイナやオレガノには聞こえない、小さな声だった。アポロンは少しだけうつむき、やがて首を横に振る。

「そうか。……叱ってはくれんのか?」

フェンネルとアポロンとの会話は、周りからはフェンネルが危ない人のように映るだけだ。

何事か言われたらしく、エルフは静かに笑った。

「心配するでない、そこまで軽く見てはおらん。……じゃがな?」

音もなく浮き上がっていく虹色の弾丸。フェンネルは目を細めて言った。

「私にはの、私やおんしが奴を倒している姿が想像できんわ。おんしはどうじゃ?」

アポロンは微動だにしなかった。


――がががががががががっ!!!!


刹那、直上から降り注いでくるミスリルの体。

決死の形相で振りかざしたフェンネルの指が『結界』の屋根を構築し

自分とアポロンを守り抜く。背中のオレガノはいくつかを剣で受け流し、アイナは運良く直撃を免れていた。

それより後ろに飛んだ破片には目立った動きはない。自警団の体の心配をしなくていいのは幸運だった。

「こんのおおおっ!!」

数メートルだけミスリルに接近し、泥水の中に倒れる。少しの間だけ直立したブロンドの中を弾丸が駆け抜け

細い金髪がはらはらと風に散り飛んだ。

口の中の土を吐き出した上に穿たれる、サッカーボール大の穴。

「……ちっ!」

すぐに浮上していく虹の岩をフェンネルは苛立ち紛れに払い落とすや

左手で『重力操作』を放ち、細い肢体を空へと跳ね上げた。

ミスリルの狙いはあくまでアイナであり、視界から消えた敵を無理に追ったりはしないとの判断だったが

その予想に反してミスリルの欠片は急上昇してくる。狙いはもちろんフェンネルだ。

「う……」

ミスリルが自分の命を度外視する覚悟を決めたのは事実なのだろうが、

だからと言って自暴自棄になったわけではないことをフェンネルは理解した。

アイナを殺すという目的は忘れておらず、目的を果たす前に自分が動けなくなっては無駄死にだということも知っており、

そのためにまず邪魔なフェンネルを先に倒す、という手順を考えられるだけの冷静さは失っていなかったのである。


ぼっ――


フェンネルの右肩がこそげ取られた。声にならない悲鳴を上げて、フェンネルは真っ逆さまに地を目指す。

「フェンネル!?」

「フェンネルさぁんっ!!」

痛みを想像できる鈍い音とともに落下したフェンネル。撃ち抜かれた肩からは鮮血が溢れ、ぬかるんだ黒土に赤みを加えていた。

駆け寄ろうとするも、足元に突き刺さる破片が動きを止める。

「くそっ、くそっ……え?」

珍しく汚い言葉を使ったアイナを制したのはアポロンだった。

いつだって表情のない一つ目の顔は、しかし並々ならぬ憤怒と闘志、そして覚悟が感じ取れる。

長い腕の石巨人は、倒れた主人と目が合ったのを合図に走り出した。煙のようについてくる虹色の弾丸が体を穴ぼこにするのも頓着せず

周囲の土ごとフェンネルを拾い上げ、やや乱暴にアイナ達の元へと連れて帰ると

自らは『フェンネルを任せた』と言わんばかりに独り反撃を開始した。

いや、反撃と言うよりは、むしろ手当てをするための時間を稼ごうとしているようにも映る。正しいのは恐らく後者だ。


ががっ、がががっ!!


弾丸をかいくぐる必要はない、少々の傷はたちどころに治る。

偶然にも主人と同じ右肩を吹き飛ばされたアポロンは

それでも闘志が萎えないところを見せつけるがごとく、地面に落ちた右腕を拾って投げ付ける。

右腕はミスリルに届かず、失速して地面に落ちたが

アポロンが拳の間合いに接近するまでの盾にはなった。

右腕とその破片を光にたかる蛾のように呼び寄せつつ、左拳を引き絞る。

そして殴った。数発殴り、手応えが変わってきたところで今度は不格好な蹴りを放っていく。


がちっ!!がつんっ!!


直った右腕も戦線に加え、あらん限りの力を込めてミスリルの肌を削り取っていくアポロン。

「いける……?」

よたよたと『治癒』の魔法を構築するフェンネルを気遣いながらも、思わずアイナはつぶやいてしまった。

アポロンはそれだけの活躍をしている。フェンネルを傷付けられた事実とは、こうもアポロンを狂暴にさせるらしい。

しかし、そんなアポロンの猛攻を止めるのにミスリルが用いた戦力は、ただ一発の弾丸でしかなかった。


――びきゃあっ!!


正拳突きを繰り出したような姿勢でアポロンがぴたりと停止する。

非情な現実だった、決死の反撃をあざ笑うかのように突き刺さった、氷柱のようなミスリルの破片は

アポロンの青い瞳――核の中心を貫き、その機能を停止させてしまった。

風に吹かれた人形のようにぐらりと仰向けに倒れ、その衝撃で体を作っていた岩石がばらばらと散らばる。

フェンネル宅で何度か目撃した、アポロンが眠るときによく似ていた。むしろ同じことなのだろう。永眠であることを除けば。

「ッ――!!」

止血に使っていた血染めのハンカチを放り出し、アイナは傍らのメイスを引っ掴んで走る。

核の破片があればゴーレムは復活できる――その事実は知っていても、彼女は実際にその光景を目にしたことはない。

逆に、核を壊されればゴーレムが死ぬというのは、目の前の虹色の巨人が不完全ながら証明してくれていた。

死んだ人間は生き返る。そんなことを聞いて、本気にする者が何人いるだろうか。

だからアイナは走った。巨人の恐怖を、友達を殺された怒りが上回ったのだ。逆上とも言う。

「よせ、アイナ!」

「行け、オレガノ……!私は大丈夫じゃ、アイナを死なせるな」

「すまん、そうさせてもらうぞ!」

柔らかな光の中で塞がっていく傷口を一瞥し、オレガノがアイナの足跡を踏み消すように続いた。

少ししてフェンネルも歩き出す。失血と鈍痛で足元がおぼつかなかったが、ここまできて負けるわけにはいかなかった。


走り出してから己が選んだ行動の危険さに気付いたが、下がりはしなかった。

倒れたアポロンの無念を思えば、頬をかすめていく弾丸の恐怖にも耐えられる。仇を討つのだ。

『重力操作』で距離を詰めようと、両手で握っていたメイスから左手を離す。


ぐぁんっ!!


「えっ!?」

その瞬間、ミスリルの破片がメイスの中ほどに食らいついた。

宝石を埋め込んだアクセサリーのような外観になってしまったメイスが、その衝撃をアイナの右手に伝える。

凄まじいものだった。手がしびれるとかそんな次元ではなく、握った指ごと持っていかれそうな――

「……あんっ!」

驚きに足がもつれたが、父に叩き込まれた体術が彼女の身を守った。

前受身で衝撃を殺し、そんな場合ではないのに地面に寝転がって荒い息をつく。殺し合いは異常なほど体力を使うものだ。

鼻の奥がつんとしてくる。潤む視界に、逆さの青空とミスリルの一つ目。

「死ね、死ね、し、ね、死ね、死ねフラ、フランネル……!」

表情がなくともわかる。自分を睨んでいる。容赦のない殺気に体が震え出す。ただひたすら怖い。

ミスリルを取り囲む蜂のように飛び交っていた破片がぴたりと静止し、その状況が意味するところに身を縮こまらせたアイナを

「アイナっ!」

オレガノが救い出した。脇の下に手を差し入れるように小さな体を放り捨てると、そちらへと自らも飛ぶ。


――だだだだだだっ!!


文字通りの間一髪だった。ごろごろと転がったアイナの長髪を、ミスリルの弾が撃ち抜いた。

アイナは誰でもホールインワンできそうな穴だらけの地面に呆然とした後、思い出したように父の姿を探す。

「お父様……」

果たして、父は負傷していた。

うつ伏せにうずくまり、腹を押さえて震えている。呼吸ができないのではないかと心配になるくらい地面に押し付けた顔から

尋常でない脂汗が滴っていた。そしてじわじわと広がってくる血だまり。

「お父様!?しっかり!」

以前に教えられていた介護術の基本も忘れ、力任せにオレガノの体をひっくり返したアイナが唾を飲み込む。

オレガノは左脇腹を撃たれていた。弾は貫通しているようだったが、出血がひどすぎる。

傷口を塞ぐ真っ赤な指の間から、何か――朝食でマスタードをつけて食べる腸詰のようなものが顔を出していた。

「アイナ、ぐ……無事か」

「しゃべらないで下さい!だ、誰か――」

「うらあっ!!」


ばちゃああっ!!


二人に飛来した弾丸を『結界』で弾き返したのはフェンネルだった。青い顔をして宙に浮いている。

「大丈夫か!?」

「ふぇ……フェンネルさん、お父様が!アポロンさんが!」

「わかっておる!ジタバタするな、とにかくオレガノから離れろ!」

言うなりフェンネルはアイナの手を掴み、引きずるようにオレガノから遠ざける。

ミスリルの狙いはアイナなのだ、戦場においては死んだも同じ、戦えなくなった人間をどうこうするとは思えない。

怪我人をアイナから遠ざけるのは、もっとも安全な怪我人のかくまい方だった。

「ど、どうしましょう……どうすれば」

「私に任せろ」

そう言うフェンネルの目は、面白くもない漫才を見るように座っていた。

「おんしはよく頑張った、もう逃げるんじゃ」

「フェンネルさんは……?」

「とりあえず、まだ負けは認めん。奥の手を使う。……できれば、明日の朝日を拝みたかったもんじゃな」

ぼそりと吐き捨て、フェンネルは飛んだ。アイナが何か言うよりも先に、彼女の声が聞こえないはるか上空まで。



エルフの魔法というのは、もともとは便利に生活をするために考え出されてきたものだった。

物体にかかる重力を支配する『重力操作』は、重い物を持ち上げたり、空を飛んだりするために、

『発熱』は厳しい冬を乗り切るために、『光源』は暗闇から己の身を守るために。

こと人間はエルフの長所ばかりをうらやましがるが、エルフとて致命的な生物的欠陥はある。

筋力はかなり低い。脂肪がつきにくく、寒地では生き抜くのが難しい。少しの体調不良が死に直結することも珍しくない。

魔法はそれを補うための技術だ。


しかし、例外もある。

人間達と交わるようになり、必要以上に敵と戦う機会の増えたエルフ達は

自ずとそのための魔法を編み出すようになった。

自衛のために必要な力の限度を、生きるために必要な破壊の限度をはるかに超えた

『より多くの物体を破壊し、より多くの生物の命を奪う』ための、純然たる戦闘用魔法。

フェンネルもそのいくつかを知っていた。その危険さもよく知っていた。


ある程度の高さに体を留めたフェンネルは、両腕を大きく振り回して魔法の構築を開始した。

『発熱』を放った時はより多くの魔力を取り込むために全身を使ったが

今回の場合は少し違う。この魔法は全身を使わねば構築できない。

戦闘用魔法にはその乱用を防ぐため、時のエルフ達によって制約が課せられていた。

その制約とはすなわち『一人では使えない』というもの。

個人が強すぎる力を持つことを防ぐためである。戦闘用魔法は、十数人のエルフと莫大な魔力を必要とするのだ。


フェンネルはその掟を破り、たった一人で戦闘用魔法の構築を始めていた。

構築に必要な人数は全身を使うことで代用し、必要な魔力は自分の体と周囲から搾り出す。

ありあまる才能の上に数百年の修練を重ねたフェンネルだからこそできる荒業だったが

だからこそそれは術者の身を苛んだ。魔法を編み上げるフェンネルの皮膚が裂け、血管が小さく爆発する。

しかし、フェンネルの顔に苦痛の色はない。

生き残るつもりがないのだ。この魔法を使った後は、壊れたアポロンと一緒に土に還るつもりでいた。

これでミスリルを倒せる保証はないが、時間は稼げるだろう。

今の奴なら、移動するのにはかなりの時間を要するはずだ。この魔法で時間を稼げれば、アイナ達は海上にでも逃げられる。

後のことは思い付かなかったが、オレガノやアイナが何とかするだろう。オレガノはまだ致命傷ではなかったと思う。

「あの若造には、向こうで会えるのかの……?」

四百六十年強、思えば短い人生ならぬエルフ生であったが、それなりに悔いはなかった。

満足だ。敬愛する母親と同じ地で眠ることができる。


きぃぃぃぃぃ……!!


魔法を使いこなせるわけではないアイナにも、そこに集まった魔力の凄まじさは感じ取れた。

『光源』を使うまでもなく発光する魔力は天空のフェンネルを中心に、毛糸玉のような流れで球体を描く。

輝く球体はやがてフェンネルの右拳に集中する。かざした玉の直径は、術者のフェンネルよりも大きい。


やがて、玉の一部――ミスリルの核の延長線上の部分が、引っ張られるように伸びた。

シャツのたるみを引っ張ったように尖っていく先端と、それに従って細くなっていく玉。

そしてアイナは魔力の玉が何を象っていたのかを理解した。

それは槍だった。創世神話にて主神が用いたという巨大な投げ槍を思わせるそれは

静かな威厳に満ち、見る者に優雅ささえ感じさせ、しかし絶対的な破壊の象徴であることを頑なに主張し続ける。

それはフェンネルが自らの命と引き換えにして構築した大魔法の姿だった。

銘を『破壊』。あまりにストレートすぎる命名ではあるが、この魔法にこれ以上の名はない。


フェンネルが何かを叫んだ気がした。

肩の回転を用いず、渾身の力でダーツを投げたような姿勢。数秒遅れて、光の巨槍が動き出す。

かたつむりにすら劣るかも知れない速度だった槍は、やがて歩く人を追い越す速さを得、馬車すら足元にも及ばぬ加速を見せ

足を失い、とっさに動けずにいるミスリルへと飛翔した。

体をかばうように置かれた右手を障子紙のようにやすやすと貫き、突き刺さった槍から暴力的な光が溢れ、そして、



気がつくと、アイナは青空を見上げていた。

まず目の前が真っ白になり、何か波のようなものに全身を叩かれ、耐え切れずに吹き飛ばされたところまでは覚えている。

「……戦いは……皆は……」

かぶりを振りながら体を起こすと、そこは先ほどよりだいぶさっぱりしていた。

川のあるべきところに、湖ができている。中に溜まった泥水は、川を流れていた水に違いない。

アイナの知るところではなかったが、オニバスはフェンネルの魔法を「円形闘技場が一つ出来上がる」と称した。間違いはなかった。

数千とはいかなくとも、千と数百人なら入れそうな大穴だ。それでいて、周囲の林などへ被害が出た様子はない。

「自警団の皆は……」

気絶しているだけだろうが、背中でばたばたと倒れていた。頭を抱えて震える者も多い。

「お父様……」

オレガノは傷を押さえてうめいていた。気を失っていないのはさすがだったが、早く手当てをしなければ。

「アポロンさん……」

アポロンはあの衝撃で破片の位置が変わっていた。散らばる岩のところどころに、青い光が見える。

「フェンネルさん……」

フェンネルの姿が見当たらない。どうなったのだろう、まさか自分の魔法に巻き込まれたのか。

茶色い水の溜まった湖の周囲を、小走りに見て回る。しかし、金髪のエルフの姿はどこにもない。

アイナが見付けたのは、その代わりとしてはあまりに酷な物体だった。

「……ミスリル」


湖は、さして深いものでもなかったらしい。

洗面器の中に石けんが浮かんでいるようだった。ミスリルの胴体が、湖の中に鎮座している。

胴体は食べかけのリンゴのようにいびつな円柱形だった。その歯型にあたる部分に、見覚えのある青い宝石が埋まっている。

「核……!」

しかし、アイナの叫びに気付いたわけでもないだろうが、宝石は一回りだけ小さくなった。

瞬きをする度に、数センチずつ。ゆっくりとだが、確実に核を虹色の岩石が覆っていく。まだ死んでいない。終わっていない。


じゃぽっ。


不自然な水音を聞きつけ、足元に視線を落とす。薄汚れた布切れのようなフェンネルが、岸で荒い息をついていた。

「フェンネルさんっ!」

「……アイナ?」

全力で自ら引っ張り上げて座らせたが、すぐに寝転んでしまう。上半身を支えておくこともできないらしい。

「おんしが……どうしてここにおる?」

「え?」

「私は死んでいないのか?」

死んだ目をしたフェンネルの、今にも消えそうな問いかけ。アイナのこぼした涙がフェンネルの肌に白い線を引いた。

「生きてます!生きてますよ、大丈夫です!」

「大丈夫なはずがあるか……!この土壇場で、死に切れなかったのか、私は……!」

悔しそうに涙を流し始めたフェンネルの物言いで、ようやくアイナは理解する。

あれだけの魔法だ、彼女は死ぬ気で――否、本当に死ぬつもりであの槍を放ったのだろう。命を魔力の足しにしたに違いない。

「……ミスリルは?」

「え……」

「ミスリルは?奴はどうなっておる?」

「……」

アイナは少し悩んだが、言われるがままにフェンネルの体を抱き起こし

その目にミスリルの胴体を映してやった。フェンネルの泣き顔がいよいよ歪んでいく。

「おのれぇ……まだじゃ、まだ……!」

口ではそう言うが、彼女の体は指一本たりとも動かない。動けない。動かせない。

アイナは再びミスリルへと目をやった。核である宝石はほとんど完全に保護されてしまっている。

あと十秒もしないうちに、核は胴体へと封じられてしまうはずだ。そうなればもうミスリルを破壊できる者はいなくなる。

今が絶好の勝機であり、これを逃せば勝機はなかった。だが、その勝機を掴むのは誰だというのか。

彼女しかいない。彼女以外にまともに動ける者はいないのだから。

ウィナリス島の命運が、年端もいかぬ十四歳の少女――アイナ・コンフリーの双肩に託されたのだ。


涙は止まった。足の力が抜けた。ぺたりと湿った地面に膝をつくと、妙に温かな液体が下着を濡らす。

たった一人であんな化け物を倒せと言うのか。いや、倒さねばならない。今すぐに。もうじき核が見えなくなる。

今ならあるいは、自分でも倒せるかも知れない。ミスリルは瀕死といっていいところまで追い詰められているのだ。

だが、もしそれに失敗したらどうなるか。失敗した者は周りにたくさんいた。

失敗したらどうなる。

オレガノのように、深い傷を負って苦しむのだ。

失敗したらどうなる。

フェンネルのように、立ち上がることもできない疲労困憊を味わうのだ。

失敗したらどうなる。

アポロンのように、死の直前まで追い詰められるのだ。

失敗したらどうなる。

自警団の戦士のように、一思いに人生を終わらせられてしまうのだ。

失敗したらどうなる。

死ぬのだ。


「……死んだら」

美味しいご飯も甘いデザートも食べられない。川で泳ぐことも、雪遊びもできない。

読みかけの本の続きも気になる。本格的に釣りの勉強もしたい。魔法だって使えるからには使いこなしたいと思う。

ウエディングドレスにも興味はあったし、キスの一つもしてみたい。剣術にしても、まだ父を倒したことがない。

オニバスに襲われさえしなければ実現するはずだった、離島への学習旅行だって幻に終わる。

生きてやりたいことは山ほどあった。挙げればそれこそキリがない。死にたくない。絶対に死にたくない。何が何だって死にたくない。

しかし、逃げ出すことはできなかった。どれほど強く生への渇望を自覚したところで

父への恩義や親友達への友情を切り捨てて自分の命を長らえるには、アイナは優しすぎた。

一歩も動けない状況とは、このことを指すのかも知れない。

「戦えないのかしら」

「……当たり前です」

「なら逃げなさい。フェンネルはそのために『破壊』を放ったのよ」

「無理です……皆必死に戦ったのに、私だけ逃げるなんて、そんなことは……」

「でも、戦えないのでしょう」

「……わかっています」

アイナが自分の両手で頭を抱えた。幼い頃の炎症の痕を掻きむしる。そこには荒れた肌と耳の穴だけがあった。

「戦えない……けど、逃げることもできない……

 どうすればいいんですか。私はどうしたらいいんですか?どうしたら」

「自分のことくらい自分で決めなさいな。オレガノもそう言っていたでしょう」

「どうしてですか!どうして!――どうしてなのよ!どうして私がそんな決断をしなきゃいけないのよ!」

ぬかるんだ土に拳を叩きつけてアイナは叫んだ。何度も何度も打ち付ける度に、白い手が泥で汚れていく。

「普通の子供だったら!十四歳の女の子だったら!こんな状況に陥るはずがないじゃない!

 ここは大陸の紛争地帯じゃないのよ?平和なウィナリス島なのよ?なのになんで!?なんでなのよ!?」

「私のせいよ」

その声に、唐突に拳は止まった。

「全て私の責任よ。申し訳なく思ってる。……そうね、私は多くの人々に迷惑をかけてきたわ。

 フェンネルにも辛い思いをさせたし、その彼女を守る役割は、アポロンに押し付けてしまった。

 ミスリルが復活しても何をすることもできず、その尻拭いはあなたのような幼い子供に任せている。駄目な奴よ」

「……」

「全て私の責任よ。だからオレガノに無茶を言って、立ったまま眠らせてもらった。

 でも、そんなことが償いになるとは思えない。だから、あなた達は私を恨んでくれていいわ。

 フェンネルと、アポロンと、ミスリルにも伝えて。あなた達の不幸は、全て私のせいなのよ」

「……あなた、は」

「ごめんなさい。あなただけでも幸せにしてあげなければ、守ってやらなければいけなかったのに。

 私にはそれができなかった。本当にごめんなさい。

 だからせめて、この瞬間だけでも力にならせてほしいの。私のせいでやってきた災難に――」


きぃぃぃぃ……


アイナの周囲をシャボン玉のような薄い膜が取り囲む。

それはフェンネルが用いていたのと同じ『結界』の魔法であり、

今のアイナでは逆立ちしたって使えない高等な魔法だった。

「――私が背負わせてしまった不幸に全力で立ち向かうあなたに、せめて戦う力を与えてあげたい。

 勝手だとは思うけれど、守って欲しい。私の愛したこの島を。夫を。子供達を」

「いいんですか?ミスリルだって――」

「いいのよ、楽にしてあげて。幸いなことに、あの子は私以外を恨んではいないようだから。

 きっとあなたのことは許してくれるはずよ」

「……わかりました」

放り出していたメイスを拾い、アイナは立った。その足取りに疲れた様子はなく、その瞳に戦いへの恐れはない。

「あの……。あなたに会えて良かったです」

「ありがとう。――では行きなさい、アイナ。私の愛しい娘よ」



倒れたままのフェンネルは、それでもアイナが『結界』で全身を覆うところを見ていた。

その間、彼女はうつむいて微動だにしていなかった。フェンネルの知る魔法というのは、

何かしらの行動を起こさなければ構築できないはずだった。が、現実にアイナは『結界』を使っている。

ありえなかった。もしアイナが何らかの方法で体を動かさずに魔法を使えたとしても

アイナに『結界』を教えた覚えはない。見よう見まねで構築したところで、膨大な魔力を消費して倒れてしまうだろう。

初めて使う魔法というのは、精神に極度の負担を強いる。魔法とは、それを繰り返すことで使いこなせるようになっていくものだ。

こっそり練習していた可能性を切り捨てるなら、他の何者かに構築してもらった公算が高い。

だが、自分以外に『結界』を使える者がこの場にいるはずがない。この島に存在するエルフは自分一人だけのはずだった。

「……」

そこまで考え、フェンネルは思い留まる。もう一人だけいた。そのエルフなら、アイナに『結界』を使ったのも頷ける。だが。

「……馬鹿馬鹿しい。死人が何をしてくれると言うんじゃ」

死者は生者に何もすることができない。逆がそうであるように。

口でそう言い、頭でそう考えながらも、フェンネルはその思い付きを捨て去りはしなかった。

アイナと出会えたのも、今こうして自分が生き残れたのも、もしかしたら全ては――

見上げた青空の上を、『重力操作』でアイナが跳んでいった。

苦笑したフェンネルの瞳は、自分達の勝利をこれっぽっちも疑っていないように見えた。




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