第十三話「光明」
きぃぃぃぃぃ……!
「食らえ!」
彼女の弓が下手なのは、あくまで本物の弓を使った場合に限るらしい。
フェンネルが放った光の矢は、狙い違わずミスリルの頭部――ゴーレムの弱点である核を目指して飛んでいく。
――がきっ!
が、矢が刺さったのはミスリルの頭ではなく手の甲だった。大きいくせに素早い。
「――ええい、食らえと言っておるじゃろうが!」
「さすがにできない相談だと思うのですが」
「わかっとるわ!」
虹色に光り輝く手の一部がぽろぽろと欠けたが、さしたるダメージではなさそうだ。
そもそもゴーレムというのは核さえ無事なら他の部位は好きなように復活させられるらしい。
アポロンと二ヵ月強をともに過ごしたアイナは、彼らに痛覚が存在しないことも知っている。
ミスリルを倒すには頭部を破壊するしかないということだ。
「……手強いですね」
「ああ。じゃがの、四百年前の奴はこんなもんじゃなかった」
フェンネルは右手の剣を握り直しながら言った。
考えてみれば、まだエルフの血族がこの地に住み付いていた四百年前に
あの巨人はウィナリスを壊滅させてみせたのだ。
本当なら、魔法を使える者が一人や二人いた程度で勝算の出る相手ではない。
アイナはミスリルの手足が不充分なのを心から感謝した。
「よし、アポロン」
二人を背中にかばってミスリルの動向に注意を払っていたアポロンは
主人に名を呼ばれて振り向いた。
「私らで囮をやるぞ。続け」
「囮!?」
「ああ、おんしが考えておるような囮じゃないから安心せい」
囮という言葉に思わず『犠牲』というニュアンスを感じ取ってしまったアイナだったが
フェンネルは笑って肩をすくめただけだ。
「私が皆の勝利のために自分の命を捨てるようなタイプに思えるかの?」
「思えません」
「またきっぱりと言い切りおって……まあ、いいわ。
良いか、私とアポロンで奴の攻撃を引きつける」
剣先で倒すべき相手の姿を示しながら、フェンネルは続ける。
「奴は隻腕で片足じゃからの、殴っても蹴っても、必ず攻撃の後にはバランスを崩す。
そこでアイナ、おんしの出番じゃ」
「……私が、ミスリルの頭に攻撃するんですか?」
「相変わらず飲み込みが早いの」
笑っているのはフェンネルのみ、アイナは当然不安そうな顔をしていて
アポロンも納得がいかなそうにフェンネルの肩をつついている。
「これが妥当なんじゃよ、いくら剣腕と度胸があったところで、アイナは実戦経験がほとんどないからの。
奴が反撃できないところで一撃離脱をするだけなら、失敗しても攻撃ができないだけで済むが
囮役に失敗すれば、あっという間にぺしゃんこじゃ。リスクがでかすぎるじゃろ」
「でも、それはフェンネルさんやアポロンさんだって同じじゃないですか?」
「アポロンは核さえ破壊されなければ、いくらだって復活できるからの。仮に核を潰されたところで、破片があれば修復も可能じゃよ。
そして私は魔法が使える。『鋼鉄化』なり『重力操作』なり、保険にできる魔法はいくつもあるでのお」
言いながらフェンネルはふらふらと手首を揺らし始めた。
それに合わせて動く指が魔法を構築し、アイナのメイスを輝かせる。
「ゴーレムの核を砕くには、それで十分じゃ。おんしは武器に魔力を込める心配はせんでいい。
――私らが奴のバランスを崩す。奴が倒れ込んだら、おんしはその時を逃さずに突っ込め。いいな?」
「……はい!」
怒鳴り調子で自警団員達に命令を下すオレガノの隣に、フェンネルが並んだ。
アポロンは周囲の男達が驚くのにも構わず、すでにミスリルへと突っ込んでいる。
「フェンネルか」
「状況は芳しくないようじゃの」
「……数人だが、死者が出ている。打開作はないか?」
沈痛な表情をしたオレガノの肩越しに、うつ伏せに土にめり込んだ男の死体が見えた。
「遠距離攻撃ができない者はさっさと下がらせろ。市民の避難誘導に回すんじゃ。
この騒ぎで火事場泥棒も多くなっとるじゃろうしの」
「だが、それでは戦力が――」
「私とアポロンが囮になる。大砲とライフルで援護してくれれば良い」
「囮……?」
オレガノは眉をひそめたが、ミスリルの攻撃を回避することに専念しているアポロンと
やや後方で光るメイスを構え、戦況をうかがっているアイナの姿に全てを察したようだった。
「娘を信用してやれ。私などよりずっと、アイナの強さは理解しているはずじゃろう?」
「……当たり前だ」
「うむ。――大丈夫、死なせはせん!つーわけで手伝ってくれると助かるんじゃがの!」
「任せろ!」
二人が同時に地を蹴った。
近付くにつれ、ミスリルの巨大さが恐怖として感じられてくるが
今更そんなものに恐れをなすフェンネルではない。オレガノもアポロンも同様だ。
「剣士隊、槍士隊、退け!銃に持ち替えろ!
余った者は市民の避難経路を確保するんだ!銃士隊、砲士隊は引き続き援護射撃!」
走りながら指示を飛ばし続けるオレガノと、やや困惑しながらも命令に従って機敏に動く優秀な団員を横目に
フェンネルはアポロンのすぐ脇で止まった。そしてすぐさま横に飛ぶ。
――どごおおおおおおんっ!!
彼女らの影を押し潰すようにミスリルの左足が落ちてきた。轟音も手伝って、見る者に雷のような印象を抱かせる。
「おー、怖いったらありゃしないの!」
膝を折って地面に手を突きバランスを取るミスリルに、フェンネルとオレガノが飛び付いた。
魔法で空を飛べるフェンネルはともかく、オレガノは膝から頭を目指して自分の足で駆け上がっている。
超人的という他ないバランス感覚だ。フェンネルは口笛を吹いた。
「おい、こいつの弱点は頭で良かったんだったな!?」
「良く覚えとったの、大正解じゃ!」
オレガノが右肩に上がるや剣を振りかぶり、フェンネルは左肩に着地して魔法の構築を始める。
「おおおおおっ!!」
「はああああっ!!」
ばちいいいいっ!!!
オレガノのフルスイングがミスリルの核に食い込むと同時に、フェンネルの魔法が音高く炸裂した。
ためらいなく飛び降りた二人の前で顔を押さえ、悲鳴を上げて悶絶するミスリル。気が狂いそうな高い声だった。
「……やかましいな」
「じゃから、早く倒そう」
二人は『重力操作』でゆっくりと落下しながら言葉を交わす。他人事のようだが、口調は真剣だ。
そして着地するなり走り出した。かく乱のため、立ち尽くすミスリルを取り囲むように円を描いて地を蹴る。
「相手の動きに注意しろよ!」
「わかっとる!」
片足で器用に立つミスリルが、指の間から一つ目を光らせた。
大巨人が放つ威圧感が微妙に強まったことを感じて立ち止まったオレガノの前で
ミスリルが高々と拳を突き上げる。胸が下を向いている、このまま叩きつけてくる気だ。
「フェンネル!アポロン!来るぞ!」
「だからわかっておるわ、そう心配するでない!」
このエルフとゴーレムがオレガノほどの警戒を抱いていないのは、
やはりただ実戦を経験しただけの者と、戦場で生きてきた者との差だろうか。
彼からすれば今のミスリルは明らかに雰囲気が異なるのだが、
それは彼以外の者からしたら微妙な差異ですらない。
振り下ろされた拳はフェンネルを捕らえずアポロンを捕らえず、再び地面をぶん殴ってクレーターを作る。
フェンネルは大きく間合いを外していたが
アポロンは四つん這いに――正確には二つん這いになったミスリルの懐に上手く飛び込んでいた。
「っし、行け、アポロン!」
主人の期待に応えんとアポロンが拳を握り締め、自らと同じ一つ目の顔を表情なく睨み付ける。
――がしいいいいいいっ!!!
渾身の右拳がミスリルの顔面を突き上げた。
アポロンの拳が、自らのバランスすら崩しかねないほどの勢いを持ってミスリルの顔面を抉る。
飛び散るミスリルの核の破片。自惚れというものに縁遠いアポロンであっても、自らの勝利を確信した一撃だった。
ひびだらけの宝石を輝かせながら、ミスリルはゆっくりと地に倒れ伏せ
「……アポロン、逃げろぉっ!!」
ない。背中を風が吹き抜けていくような感触を覚えて振り返ったアポロンは、オレガノの絶叫の意味を知る。
ミスリルの左膝が高々と持ち上がっていた。
拳を突き立てた反動を利用して下半身を振り上げていたのだ、
恐らく最初の拳がかわされることは想定内だったに違いない。
ミスリルの胸板の下に収まっていたアポロンに、不意打ちの一撃をかわすことはかなわず
ご、しゃっ――!!
どんな金属より硬い膝で貫かれ、胴体を粉々に砕け散らせてしまった。
「――アポロンっ!?」
吹き飛ばされたゴーレムの破片にたまらず駆け寄るフェンネル。
胴体の損傷が激しかったが、四肢は無事であったし、核も無傷だった。すでに再生が始まっており
大は岩ほど、小は砂粒ほどの破片がかたかたと震えながら集まり出している。
ほっと一息つくが早いか、フェンネルはその端正な顔を怒りに歪めて立ち上がった。
「やってくれたの……!」
魔法を構築する高音を響かせ、フェンネルが飛翔する。素早く立ち上がるミスリルは、しかしその巨体のせいで
のろのろと起き上がっているようにしか見えなかった。
「いい加減にくたばらんか――」
きぃぃぃぃぃぃぃぃっ……
宙を舞うフェンネルが何度目かすらわからない魔法の構築を始めた。
が、今までのそれとは明らかに違う。浮いていることを利用して手足を振り乱し、全身で魔力を紡ぎ上げていく。
織り上げた魔力の機織物を虚空から引っ張り出し、フェンネルは叫んだ。正面切って睨み合うミスリルが、右手を顔の前にかざす。
「――この木偶の坊がァ!!!」
ご――じゅあああああああああっ!!!!!
ガードにもまるで頓着せず叩きつけられた魔法は、火など通用しない体であるミスリルの巨体を焼き尽くし始めた。
エルフの社会において『発熱』の魔法は本来、燃やすもののない場所で暖を取るような目的で使われたものだが
フェンネルの手にかかれば、それは余波で周囲の温度を上げてしまうほどの凶悪な熱風と化す。
仮にアイナの乗っていた客船を沈めたのがフェンネルであったなら、アイナは骨も残らず空気の一部と成り果ててしまっていたはずだ。
それだけの魔力が――防御されてなお、ミスリルの前腕を中ほどまで吹き飛ばすだけの魔力がフェンネルにはある。
「……浅いか!」
変な匂いのする白煙の中、フェンネルの眼はミスリルの核がそれでも無事であることを見抜いていた。
右手の剣に魔力を宿らせながら、止めとばかりに急降下して
アポロンと同じように、背後から漂ってくる異様な気配に後ろを返り見た。
「何じゃと――っ!?」
迫り来たのはミスリルのつま先だ。
フェンネルの魔法に体を傾がせたのは間違いないのだろう、しかしそれすらも利用してミスリルは後方に宙返りし
サッカーでいうところのオーバーヘッドキックの要領でフェンネルを蹴り潰しにきたのである。
アポロンよりは機敏に動けるということか、制御をしくじってきりもみしながらも、すれすれでミスリルの足をかわすフェンネル。
眼下でミスリルは仰向けに倒れ込み、面白いように河川敷の地形を変えていた。
川の水は流れをせき止められて溢れ、林は薙ぎ倒され、大地はへこんでいく。
「いよいよ本気でキレ始めおったな、木偶が……!」
呆れたようにかぶりを振り、フェンネルは倒れたミスリルの頭めがけて一直線に突っ込んだ。
これ以上奴を暴れさせれば手遅れになる。河川敷を滅茶苦茶にされるくらいならばまだいい、
街中に川の水を引っ張り込まれることも有り得ない話ではないのだ。瞬く間に大洪水が起きるだろう。
最終的にミスリルを倒せたとしても、アイナの故郷を潰されては負けたも同じだ。何としてでも今のうちに叩かねばならない。
まだ被害が少ないと言える今のうちに。
「叩くっ!」
立体パズルを組むように補修されていくアポロンのそばに
そんなことをして何が変わるわけでもないだろうが、アイナは寄り添っていた。
「大丈夫ですか?」
心配げな言葉にアポロンは頷く。胸から上はすでに復活しており、あとは四肢が繋がるのを待つばかりとなっていた。
やや表情を和らげたアイナは、少し向こうで駄々をこねるように暴れているミスリルを見やった。
ひびだらけの核に操られる七色の体は、左腕と右足を持たない。
妙だ。アイナはそんなことを考えていた。いかにアポロンが意思を持つ高度なゴーレムであるとはいえ
アポロンと同じ体付きをしている――つまり、アポロンと同程度の技術を持って製造されたと考えられるミスリルが
あそこまで損傷した体を放っておくだろうか。事実、先の小競り合いでフェンネルに破壊された前腕は
ゆっくりとだがすでに自己再生を始めている。相手に回復能力があることは間違いない。
「それなら、何故――」
背骨を砕こうと弧を描く蹴りは、余裕を持ってかわされた。
「奇襲が二度続けて通じると――!」
思うな、という言葉は自らを襲う重力に呑み込まれた。
フィギュアスケート選手もかくやという華麗な舞いを披露しつつ左にスライド、すぐに進行方向を前に戻し
螺旋を描いて突き進むフェンネルの目標は無論、ゴーレムの弱点である頭の核である。他を破壊しても、どうせ修復されてしまうのだ。
ヘッドスプリングで跳ね起きたミスリルの頭突きを、前方宙返りしながらの急上昇で回避する。
「ちっ、思ったよりも身軽じゃの!」
ミスリルのつむじ――ミスリルに毛は生えていないが――の辺りを逆さに浮いたまま見据えたフェンネルが毒づく。
片足でバランスを取らねばならないという制約はあるが、片方の腕が使えない今の状況において
これより速く立ち上がる方法はそうそうないだろう。
フェンネルがけん制の魔法を放とうとした途端、振り向く勢いを乗せたバックナックルが眼前をかすめていく。
「のわっ――」
『重力操作』を持続させるための集中を保ちつつ他の魔法を使うというのは神経を使う、
そんな高等技術を用いている真っ只中、視界をさえぎるほどの巨大な質量を目の当たりにし
さすがのフェンネルの集中も途切れた。ものの数秒だけにしろ、本物の重力に引かれて落下する。
どうにか持ち直したフェンネルが次に見たのは、倒れるコマのようにバランスを崩すミスリルの巨体だった。
ばきゃ、ばきゃばきゃばきゃ、ずぅ――んっ……!!!
川の水をぶちまけ、木々を押し潰し、逃げ遅れた自警団を圧殺して受身を取り
機敏にも背中で転がり、巨人は再び身を起こす。
模型のように小さな本物の景色。いびつに潰れた地面の上で、ぐちゃぐちゃに潰れた屍肉が濁った流れにさらわれていく。
「――畜生がァァァーッ!!」
裏返った絶叫とともに放たれた光の矢を、ミスリルはいとも簡単に突き出した手で捕らえて握り潰した。
自ら射った魔力を追うように加速するフェンネルを叩き落とそうと腕を振りかぶり、無造作に下ろしてくる。
「ちっ―― っ!?」
空を掻き回した平手が湿った大地に手形をつけた。その手に飛び乗り、身軽に頭部を目指す男の姿をフェンネルは見る。
オレガノだ。彼の身軽さは賞賛する他ない、自ら突っ込みつつもその動向を見守るエルフの下で
男手一つで娘を十四まで育て上げた父親が、今また娘を守らんとミスリルの腕を駆け上がる。
が、その腕がぐらりと傾いた。
「っ!?」
ミスリルは強引に腕を持ち上げていた。振り下ろした勢いに負けない力で振り上げられた右の腕は
その衝撃に耐え切れず、肘を妙な方向に曲げさせてしまっているが
ゴーレムには痛覚もなければ折れる骨もない。ミスリル自体には何の問題もなく、
今危険にさらされているのはその腕の上にいたオレガノの命である。
彼はちょうど肘の付近を走っているところだった。関節に挟まれることを避けて宙に逃げた判断は見事であったが
その後の状況は絶望的である。翼のない人間に、空を間近に感じられるこの高度からの自由落下は死を意味した。
「……フェンネル、すまんっ!」
投げ出されたオレガノの叫びが聞こえた。
先に逝くかも知れないことへの謝罪か、フォローを頼むことへの謝罪か。彼も彼女も、前者の可能性はまるで考えなかった。
「任せろ!死なせんぞ!」
正中線で旋回しながら上昇、ミスリルをまたぎ越した弧の頂点で一瞬だけ速度を緩めたかと思えば
次の瞬間、フェンネルははるか下方のオレガノへと急降下している。
「ぐぅ――」
ずざぁ――っ
猛烈なGに耐え伸ばした両腕にオレガノのフルプレートアーマーを抱き止め、
足の位置を戻しながら滑空、砂利を蹴散らし靴底で平行線を引きながら着地したフェンネル。
鋭く一つ息を吐き、何か魔法でも叩き込んでやろうと振り返れば
ほんの数メートル上にミスリルの握り拳が迫っていた。
「へ」
隣のオレガノを突き飛ばす猶予もない。何もできずに棒立ちとなったフェンネルには
やけにゆっくりと時が流れているように感じられた。緑がかった虹の拳のところどころが欠けていることも、
その横から何か灰色の物体が接近していることもはっきりと見える。
死んだ。有無を言う権利を無視してうっかり覚悟を決めてしまった彼女の右横に
どごおおおおおっ!!!!
ミスリルの拳骨が直撃した。すぐ真横が大地震の震源地であったかのような衝撃に吹っ飛ばされるオレガノとフェンネル。
呆けたような意識の中で反射的に身をかばう二人の目には、自らの肩を砕きながらの特攻で
どうにか拳の軌道を逸らすことに成功したゴーレムの姿があった。
「アポロン!」
戦線復帰したフェンネルのどちらかと言えば忠実なる僕は何か言いたそうに無言で天を指した。
示されるままに空を仰いだ二人は、まだ未熟な『重力操作』で飛翔するアイナを見つけ、
「「!」」
すぐさま自分の役割を理解する。
風を切る気持ち良さが薄れるのを感じつつ
アイナは握ったメイスの感触を確かめた。バック転して飛び上がったその下に、ミスリルの後頭部がある。
足裏を地面に向けながら、大上段に得物を振りかぶる。下ではフェンネルとアポロンがミスリルの足元へ駆け寄り
オレガノが何やら愛剣を輝かせているのが見える。
「お願いしますよ」
肩に力は入れない。最初は武器の重みに任せて振り下ろし、なめらかに最高速まで加速させ、打突の瞬間に全力を込める。
「――ぃやあああああっ!!!」
がきいいいっ!!
基本通りの打ち下ろしがミスリルの後ろ頭をぶん殴った。
痺れる腕に顔をしかめたアイナの足元で巨体が傾いだのは、打撃の威力というよりは、むしろ驚きのためだろう。
もともと地面に叩きつけていた腕に体重を預けて倒れるのをこらえたミスリルは、しかし立つことを許されなかった。
ごおおおっ!!
ミスリルの一本足が爆発した。ただでさえ体重が腕に寄っていたところに
フェンネルの魔法とアポロンの体当たりで向こう脛を打ち抜かれ、支えを失ったミスリルはうつ伏せに倒れ込んでしまう。
ミスリルは見た。自らの頭がつくであろう位置に、光る剣を構えた男が立っているのを。
「お父様っ!」
「オレガノ!頼むぞ!」
アイナとフェンネルがそれぞれの場所から声を張り上げた。アポロンの思いも同じだっただろう。
万有引力に逆らわず逆らえずやってくる巨人の頭に、オレガノは裂帛の気合と光刃をぶつけてやった。
その結果はすぐに知れることとなる。核ごと真っ二つに割られたミスリルの頭が、オレガノの左右にずんと落ちた。
「……」
「やったか……!」
オレガノは何も言わずに口元を吊り上げ、フェンネルが疲れ切った笑顔を浮かべてその場に崩れる。
アポロンは傷だらけの両腕を突き上げて喜びをアピールした。
頭を割られたミスリルはぴくりとも動かない。壊れているか、死んでいるか、どう表現すべきかは難しいところだ。
「倒した……」
『重力操作』でふわふわと降りてきたアイナは、真下にいたアポロンの手の上に着地し
礼を言う暇もなく、タックル気味に走ってきたフェンネルに抱き締められた。
「アイナ!アイナ!勝ったぞ!ミスリルを倒したんじゃ!」
「え、ええ――」
「どうした、浮かない顔をして」
オレガノも剣を納めながらアイナへと歩み寄ってくる。刃はすでに光っていなかった、フェンネルが魔法を解除したのだろう。
「まあ、実戦だったからな。良く頑張ってくれた、アイナ。父として誇りに思うぞ」
「――そう、ですか。ありがとうございます」
珍しくべたべたしてくるフェンネルに頬擦りされ、傷だらけの父の手に頭を撫でられ、ようやくアイナは笑顔を見せた。
犠牲者は出た。スタルトに被害が出なかったとは言えない。だが自分は確かに倒したのだ。あの化け物を。
そう自らに言い聞かせ、倒した敵の亡骸をもう一度見やったアイナは、
「やっぱり……逃げて!早く!」
叫びながら走り出した。いきなり抱擁を拒まれた三人が何事かとアイナの視線を追い、
「――んなっ!?」
「……馬鹿な!?」
立ち上がったミスリルを見た。
頭は割られた。それは間違いない、すでに虹色の輝きを失い
ただの岩として落っこちていた。だが、体のほうは生きているようだった。
頭が――否、目がないせいで周囲の状況を把握できていないようだったが
とにかく近くにアイナ達がいるものだと思っているのだろう、無茶苦茶に手足を振り回している。
実際にはアイナ達や自警団は、すでに遠くに避難してしまっているのだが。
「……ゴーレムとは、頭部を破壊されれば死ぬのではなかったのか?」
オレガノが苦虫を噛み潰したような面持ちで問う。
「……そのはずなんじゃがな」
フェンネルが仏頂面で頬を掻く。
何にせよ、放ってはおけなかった。理由はともかくミスリルはアイナを殺そうとしていた。
だからこそアイナがいる河川敷にとどまって暴れていたのである。しかし、今のミスリルがアイナを確認する手段はない。
視界を失ったミスリルが、暴れながら街中に進むとも限らないのだ。
事態は一刻を争う。が、倒し方がわからないのでは止めようがない。八方塞だった。
「私は『傀儡』の魔法を完璧に使えるわけではないがの……理論は知っとる。
魔力とは万物や大気に内包される力じゃが、人や亜人の精神力を削った力でも代用が利くんじゃ。
自らの魔力と外界の魔力を併用し、擬似的な精神を構築して宝石に込める。
ゴーレムはこの宝石――核に宿る擬似精神に基づいて物事を判断、
そして擬似精神を削って魔力とし、それを用いた魔法で石や鉄を動かして自らの体とする」
「それが本当なら、核を破壊されたミスリルは動けないはずだろう」
「わかっておるわ」
腕を組んだフェンネルの脇で、オレガノがため息をついた。
自警団の兵士達もほとんど初めての実戦であり、仲間の死やミスリルを倒せなかったことで士気が落ちている。
辺りに暗い空気が満ちていた。
「……あの、フェンネルさん」
だからこそ、アイナの控えめの挙手に全員が注目したのである。
思わず身を縮こまらせたアイナに、フェンネルがどうしたのかと視線で聞いてきた。
「少し考えたんですけど、いいですか?」
「何じゃ?」
「ミスリルには、アポロンさんと同じように
壊れたところを修復する力があるんですよね」
「そうじゃろうの。私が吹っ飛ばした腕も再生しとったからな」
「だとしたら、ミスリルが自分の左腕と右足を直さないのはおかしいと思いませんか?」
それを言われ、数人がミスリルに向き直った。体に目立った傷はないが、やはり腕と足が片方ずつなくなったままだ。
自警団の皆の気持ちを代表してオレガノが言う。
「確かに……もし修復機能が備わっているなら、斬った頭だってすぐに復活するだろうしな」
「それは私もおかしいと思ったが、どのみちこちらに有利な要素じゃったからな。深く考えておらんかったわ。
――それで、それがどうしたんじゃ?」
「自分なりに推理してみたんですが――あの腕なり足なり、いつ壊れたのかはわかりませんが
壊れた部分を直せるのに直っていないのは、直さないか直せないかのどちらかです。
この場合、直さないと言うのは有り得ないと思います」
「じゃろうの」
「だとすれば、ミスリルは手足を直せなかったとしか考えられません。
ではどうして直せなかったのか。可能性はいくつかあります。
第一に、ミスリルには腕と足を直すだけの余力がなかった」
「……それはないな」
アイナの仮説を否定したのはその父のオレガノだ。自警団の頭の回る数人も同じ結論に至ったようで、うんうんと頷いていた。
「仮に四つの四肢全てが破壊されていたとして、復活されられるのは二本だけだったとするなら
俺ならば腕一本足一本より、足二本を取る。あれだけの巨体なら、殴るより踏み潰す方がはるかに効果的だろう。
それに、奴は戦闘中に吹き飛ばされた腕や細かな傷も修復していた。余力は十分にあったと見るべきだ」
「私もそう思いました。……次の仮説ですが、ミスリルの復活は不完全で、腕と足がまだ封印されたままである」
「残念じゃが、それも間違いじゃの」
フェンネルがやれやれという調子で肩をすくめたが、表情は本当に残念そうだった。
封印や復活うんぬんという会話は、アイナ、フェンネル、アポロンの三人のみに通じる会話だったが
他の者達もミスリルが今までずっと封印されていたということはどうにか理解しているようだった。
「封印についてあんまり詳しいことは知らんがの、
別にゴーレムの体の材料は、前と同じでなければならないというルールはないんじゃ。
たとえばアポロンの核以外をこの世から消滅させたところで
アポロンは何か代用品を見つけて体を作れるぞ。ミスリルも同じじゃろ、
腕と足が封印されたままなら、何か代用品で新しいのを作ればいい」
「ええ。私は詳しいことはわかりませんけど、封印の除去が不完全だったとは思えません。
……何百年と人の命を奪い続けていたんですから」
実際には封印解除はまだ不完全であり、だからこそミスリルは自分の手足を切り捨てて動き出したのだが
そんなことをアイナ達は知る由もない。
「他に仮説はないのか?」
「これが最後です。第三に、ミスリルの核は頭にはなかった」
「それも外れじゃ。核はゴーレムの感覚器官じゃぞ、どこか外から見てわかるところについてなければならん。
でないと外が見えんじゃろが、あれは目であり、耳なんじゃからな」
今度こそ呆れた様子でフェンネルが首を横に振る。
「前に話さなかったかの?」
「あれはミスリルの核ではなく、ミスリルの頭の核であったとしたら、どうでしょうか?」
フェンネルの動きが止まった。自警団がざわめき出し、オレガノが静かにするよう求める。
「……どういうことじゃ?」
「ミスリルが一体のゴーレムではなく、複数のゴーレムの集合体だったとしたらどうでしょうか?
ミスリルがミスリルの頭、ミスリルの右腕、ミスリルの右足……と言ったように
それぞれの役割を分担して受け持っていたゴーレムの集合体としたらどうでしょうか?」
「つじつまが合う」
オレガノが即答し、続ける。
「ミスリルが複数のゴーレムの集合体であるなら、
左腕と右足が直らないことにも説明がつく。
それぞれの部位にそれぞれの核があり、他の核では他の部位の破損に対応できないのだろう」
「ええ、フェンネルさんの話したエルフの伝承が正しいなら、あのミスリルはあくまで試作品です。
そういう状況に対処できていなかったとも、そういう状況が想定されていなかったとも考えられますし
そうでなくとも、頭を破壊して油断した相手を暴れて仕留めることくらいはできるでしょう。
エルフが山ほどいた四百年前の当時なら、ゴーレムの仕組みも知れ渡っていたでしょうから」
「……加えて、開発も楽になるだろうの。無茶苦茶に強い核を構築するのは骨じゃが
ある程度強い核数個を連動させるだけなら、前者より恐ろしく簡単な作業になるわ」
「だが、それが間違いないとして、どうやったら奴を倒せる?
核が何個もあるのなら、それをしらみつぶしに破壊していくしかないのか?」
オレガノの質問に、アイナはかぶりを振ることで答えた。
「いえ、この仕組みを採用するなら、恐らく全身を統括する脳の役割を果たす核があるはずです。
それを破壊すれば、ミスリルは活動をやめるはず」
「じゃが、核が複数個ある事実は変わらんぞ。
もしその脳を破壊できたとして、他の核が活動を続けたらどうする」
「全身を統括する機能を持った核があるのに
他の核に意思なんて持たせませんよ、下手をすれば頭の言うことを体が聞かずに暴走してしまうかも知れません。
核が破壊されると役割が切り替わる可能性もありますが――
それなら、頭が破壊された時、代わりに目となり耳となる核が用意されているはずだと思います。予想ですが」
「なるほど。……では、その核がどこにあるかわかるか?」
「体内にあるのは間違いありません。遠隔操作のできるような場所があるなら
四百年前に暴走したミスリルを止めることははるかに容易だったはずです。そこを壊せばいいんですから。
――防御力の高いミスリルの、さらに狙われにくい場所。
それは真っ先に弱点と判断される頭でも、反撃の際に破壊されてしまうかもしれない手足でもないはずです。
だとすれば、残るは」
全員がミスリルに向き直った。頑丈な鎧であるミスリルの肉が最も厚く、かつ誰も弱点だと思わない部分。
「胴体……!」
戦士達は誰からともなくそうつぶやいた。