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第十二話「復活」


久しぶりの故郷に帰って、一週間が過ぎた。


「ん……」

アイナは自室のベッドからもぞもぞと這い出た。

薄手の白いパジャマは寝起きで多少乱れていたが、寝癖は見当たらない。髪が薄いせいか。

鏡の前で衣服を着替える。質の良い布を使った白いブラウスと紫のスカートは

町の仕立て屋ではなく、フェンネルの作だった。どうしても作らせてくれときかなかったのだ。

彼女は「何故繕うのか。そこに布があるからじゃ」とか言っていた。

「よし」

くしで整えた栗色の髪にリボンを結び、アイナは鏡の中の自分に微笑んだ。

楽しい一日の始まりである。


顔を洗い終えてリビングに向かうと、数人のメイドが朝食の用意をしていた。

焼き立てのパン。薄切りのハムとスクランブルエッグに色鮮やかな野菜を合わせたプレート、

温かなコーンポタージュに、よく冷えたミルク。デザートには果物が用意されていた。

メイド達の手によりテーブルに並べられていくメニューを、じっと睨み付ける者がいる。アポロンである。

「あ、おはようございます、お嬢様」

「アイナ様、おはようございます」

「おはよう」

メイド達はアイナの姿を見るや、安心したように寄ってくる。歩みが早足になっていた。

どうしたのか、と一応聞いてみるが、答えは予想できている。

「え……あ、いや、あの。……イプシロンさんです」

一人が声を潜めてそう言った。思わず苦笑してしまう。

「笑い事ではないですよ。あの方、私達より早く起きたかと思えば

 ずっとキッチンで朝食の用意を眺めてるんですから」

「その間、一言もしゃべりませんし」

「お腹が減ったのかと思ったのですが、フェリシアさんに『兄に食事は必要ありません』と念を押されていますので……」

なるほど、客観的に見れば確かに奇怪であるが、

アポロンの正体や性格を知るアイナからすれば、思わず微笑んでしまうような話である。


彼は夜になると崩れる代わりに、朝はまだ薄暗いうちから活動を開始する。もともとゴーレムはエルフのお手伝いとして作られたらしいし

しかもアポロンの役目はただでさえ朝の早いフェンネルの身の回りの世話である。朝が遅くては話にならない。

キッチンに居座るのは、ウィナリスの料理を勉強しようとしているからなのだろう。

彼は字も読めなければ言葉も話せない。料理を自分一人で覚えようとするなら、見よう見まね以外に方法はなかった。

「その……失礼ですが、気味が悪くって」

「やっぱりそう見えちゃいますか。でも、本当はいい人ですよ。ちょっと――いや、かなり無口なだけです」

アイナは苦笑いを浮かべながら言った。嘘は言っていないはずだ、正確には無口なのではなく、しゃべれないのだが。

「アポ……イプシロンさんは料理が好きなんですよ、ウィナリスの料理を学ぼうとしているだけだと思います。

 人付き合いが下手な方ですから、変に見えるかも知れませんけど、いい人なのは間違いないです」

これも嘘ではない。間違っているのは、アポロンが人であると断言してしまっているところだけだ。

それでもどよめいているメイド達に、アイナは軽く後ろを示しながら続けた。

「イプシロンさんが何を言っているかは、彼女に聞けばわかりますから」

背中に聞こえてきた足音はフェンネルのものである。そう断言できるのは、彼女が豪華な食事を楽しみにするあまり

リビングまでスキップでやってきてしまうからだ。もっとも、アイナやアポロン以外の目があるところでは、丁寧な態度を通すのだが。

「あら皆様、おはようございます」

案の定、フェンネルは部屋に入る寸前でスキップを止めて

気品さえ感じさせる足取りで軽く頭を下げた。

メイド達がようやく普通の人間を接待できる安堵に胸をなで下ろす後ろで、笑いを必死にこらえているアイナとアポロンがいた。




「そうか……わかった、指示は追って出すから

 今は捜索を続けてくれ」

オレガノが言うと、若い男が短い返答とともに敬礼し、待たせていた馬に乗って走り去る。

若い男は馬上鎧と剣に身を固めた戦士だ、自警団関連の人物であることは容易に想像がついた。

くまを浮かせた目元をこすり、オレガノは青い空を見つめる。自宅の玄関から見る空には入道雲がもこもこと立ち昇り

いかにも夏真っ盛りといったふうである。アイナが大陸に旅行に行こうとしたときにすでに初夏、

二ヵ月を過ぎた今ともなれば暑さは和らいでも良いはずであったが、太陽が音を上げる気配はない。

「こんな日は、泳ぐのが一番ですよ……あ、お父様」

つま先を地面でとんとんしながら顔を出したのはアイナだった。

服装こそいつもと変わらないが、手には大きめの巾着袋を持っている。

それは水が染みないよう加工された皮袋で、彼女がこの時期になると引っ張り出す水着入れだった。

「どうした?」

「フェリシアさんとイプシロンさんと一緒に、川に泳ぎに行って来ます」

久しぶりだなー、とアイナは笑った。いつもならしょっちゅう泳ぎに行く時期にいなかったのだ、

彼女は夏日が続いていることを素直に喜んでいるだろう。

「そうか。……しかし、イプシロンさんは泳げるのか?ローブを脱げないそうじゃないか」

「ええ、どうしても駄目みたいで。見てるだけらしいです」

「なるほど、同情するよ。行っておいで」

「はい!」

オレガノがぽんとアイナの頭を叩くと、愛娘は紫のリボンをなびかせて走り出した。

その後を追ってアポロンが身を屈めながら玄関をくぐり、彼女の後に続く。

少しして、やはり皮袋を肩にかけたフェンネルがひょっこりと顔を出した。オレガノに気付き、左手を振る。


「おお、死にそうな顔しとるの。ちゃんと寝とらんじゃろ?」

「その通りだよ。あまり人の上に立ち過ぎるのも苦労が増えて嫌だ」

「じゃろうの。どうしたんじゃ?」

フェンネルの問いに、オレガノは気だるそうに首を振った。

「あのゴーレムを見失ったらしい」

「ミスリルを? おんしらの目は節穴か?」

オレガノの答えに驚きを隠さず目を丸くしたフェンネル。ときおり見せるこういう仕草が、彼女の年齢からくる風格を押し隠している。

「あんなドでかい化け物を見失ったじゃと?

 おまけに奴は全身が光っておるんじゃぞ。すぐ見つかるじゃろうが」

「そのはずだが……行方が知れないのは事実だからな。

 今までずっと真っ直ぐスタルトを目指していたはずだが、この間いきなり姿を消したんだ」

そう行ってオレガノは懐から地図を取り出す。がざがさと広げると、フェンネルに手渡した。

バンダナで耳を隠したエルフがそれを受け取り、中を覗き込む。

「どの辺じゃ?」

「トワロフだ。地図だと……ここだな。隣の都市ではあるが、山間部を挟んでいる」

オレガノは地図上に指で円を書いた。山の高低差とスタルト川の支流が線で描かれており、

中には容易に歩を進めることはできないだろうという険しい地域もあった。フェンネルが眉をひそめる。

「なるほどの。ミスリルがどこかに隠れたとしても何の不思議もなく、

 人間の手では捜索しにくい場所ということじゃの。おまけに近い」

「ああ。まったく、厄介なことになったよ」

肩をすくめるオレガノ。疲れをこれっぽっちだって隠せていない、生ぬるい笑みを浮かべていた。

自警団長とはいえ、自宅まで部下が押しかけてくるという事態がそもそも異常だ。疲れないはずがない。

さすがのフェンネルもかける言葉を選んでいると、オレガノのほうが口を開いた。

「……もし」

「ん?」

「もし、俺に何かあったら……アイナのことを頼めるか?」

「縁起でもないことを言うでない。アイナの父親はおんししかおらんのじゃぞ。

 さすがの私も代わりはできんわ」

「わかっている、言ってみただけだよ」

ほんの少しだけ焦りの色が感じられたフェンネルの声に苦笑し、

オレガノは彼女の手から地図を取り、たたんで懐にしまう。

「さて、川に行くんだろう? アイナが心配する、行ってやってくれ」

「そうさせてもらおうかの」

出勤の用意をするのだろう、とぼとぼと玄関に消えていく男の背中を見送り

フェンネルは面倒くさそうに薄い髪をかきむしり、ため息をついた。






スタルトが海に面しているとは言っても、それはほとんどが岩肌を剥き出しにした絶壁であり

砂浜などは数えるほどしかない。崖の固い地盤は港を作るのに都合が良かったため、

昔からこの街に海水浴場などというものは作られなかった。

大陸との交易が盛んなスタルトでは、海は大型船舶の出入りが激しい危険な場所である。

この街の人間の避暑地と言えば、海ではなく川なのだ。


夏がやって来たなら、スタルトの本流は暑さをしのごうとやってくる人々でいっぱいになる。

人でごった返す河川敷の一角に防水布を敷き、大きな日傘を立てて陣取っていた大男は

ある人物の帰りを今か今かと待ちわびていた。

この暑い中、白いローブで全身をすっぽり覆った姿は、他の客から少なくない好奇の視線を向けられている。アポロンだ。

先ほど捕まえてきた川ガニ数匹とデコピンで戦っていると、その背中に柔らかな重みがかかった。

アポロンは軽く肩を落として振り向く。

「あーぽーろん」

意地の悪い微笑みを浮かべて、彼の背中にしなだれかかっていたのはフェンネルだった。

黒い水着の上から若草色の半袖シャツを羽織っている。頭には同色のバンダナを巻いて耳を隠していた。

「そんな風にカニなんぞと戯れていて楽しいか? 私らと遊べば良かろ」

ぷいとそっぽを向いてしまうアポロン。元来ウブな彼だ、女性の水着姿を直視するのは恥ずかしいのだろうか。

フェンネルもそれを知ってからかっているに違いない。水着の胸元をくいと引っ張って笑った。

「ほれほれ、角度によっちゃ絶景が眺められるぞ?……ん?」

しかし、アポロンだって黙ってはいない。声なき声で反撃する。とたんにフェンネルが真っ赤になった。

「や、やかましいわ! 女は胸の大きさじゃないじゃろが!

 仕方ないじゃろ、種族的なもんなんじゃよ、この体形は……うるさい!個人差なんて金輪際口にするでない!」

「何騒いでるんですか?」

ふいに割って入ってきた少女にフェンネルがわめくのを止め、アポロンが表情を変えずに目を輝かせた。

無論、アイナだ。いつもの紫を基調とした衣服は傘の下に畳まれており、

今は濃紺の水着を身につけている。ビキニタイプの露出の多い水着は、意外とアイナに良く似合っていた。

うんうん頷くアポロンの横で、目ざとく彼女の持つ食べ物を見つけたフェンネルが問う。

「それ、なんじゃ?」

「スイカです。夏になると食べられる果物……いや、野菜なのかな?とにかくどうぞ」

アイナが盆に乗せていたのは、赤い果肉の果物だった。切り分けられているが、皮の形状から元は丸い形であると予想できる。

防水布の上に盆を置くと、アイナは身の色に反して緑色の皮の部分を持って食べ始め、フェンネルもそれに習った。甘くて美味しい。

「うまいもんじゃの。……いやー、来て良かったわ。毎日美味い物が食える」

「何なら定住します?」

「うおお、誘惑するでない。その気になってしまうじゃろが、世界旅行も終わってないのに」

「ふふ……」

フェンネルが大仰に頭を抱え、アイナがそれを見て笑った。

「食べ終わったら泳ぎましょう……何だかアポロンさんに悪い気がするなあ」

「気にするでない」

表情は苦笑いであったが、口調には本当に罪悪感のにじみ出ているアイナの言葉に

フェンネルは笑顔で首を横に振り、アポロンも合わせて頷いた。

「俺はアイナの水着姿が見れただけで満足だ。だそうじゃ」

大真面目な顔のままフェンネルが断言し、アイナが空々しい笑みを返す。アポロンがのそりと立ち上がった。

「もちろん、ビキニときたらポロリしかないだろう。期待しているから、早く泳いできてくれ。とも言っておる」

「やっちゃいなさい、アポロンさん」

アイナが満面の笑顔でフェンネルを指差すと、アポロンも『合点承知』とばかりにびっと敬礼して

軽々とフェンネルを頭上に抱え上げる。「目標は川です」とのアイナの命令に、こくりと頷いた。

「おおっ!?」

そして周囲の人々が岩の腕を確認する暇も与えず、電光石火の所業で川へと投げ飛ばす。

「のおおおーーっ!!!???」

しかし力加減を間違ったのか、はたまた狙ってやったのか、フェンネルの体はほとんど垂直に上昇を続けて空の彼方に消えてしまった。

「あー」

アイナが間抜けな声とともに頭上を見上げて数秒後、再び青空にフェンネルの姿を確認する。

落下の軌道から見るに、どうにか川に落ちることができそうだ。

「…………地球は青かったーーっ!!!!!」


――どぼおおおおおんっ!!!


河川敷に人々の悲鳴が轟く。

水面から立ち昇った水柱を無表情に見つめていたアイナの頭上に

アポロンがすっと日傘を差し出し、自分もその下に納まる。

一瞬遅れて雨のように落ちてきた水玉達が傘に受け止められた。

「しばらく、こうしてますか」

アポロンがこくりと頷く。ぼたぼたと鳴り響く雨音の下、川でフェンネルが大ブーイングを食らっているのが見えた。



「で、フェンネルさん、地球って何なんですか?」

「さてのお。何となく口走った言葉なんじゃが」

ほとぼりも冷め、アイナとフェンネルは川の冷たい水に浸かっていた。

アイナの平泳ぎが、その何気ない表情に違和感さえ覚えるほど速い。最初こそ夢中になって追いかけていたフェンネルも

今はすっかりあきらめて、温泉にでも入っているかのように突っ立っているだけだ。

「もう競争はしないんですか?」

「勘弁してくれ、これ以上痩せたら骨と皮だけになってしまう。

 しかし速いのお。さすが鍛えておるだけあるわ」

「鍛えているから速いわけじゃないんですけどね。

 どちらかと言えば、速いから鍛えあがったんです……あれ?」

「川で遊んどるうちに泳ぐのは速くなって、体は鍛え抜かれたと言いたいのかの?」

「ああ、そうそう、そういうことです。夏になると毎日のように来てましたから」

「なるほどの」

すぐそばにいるアポロンが無言の圧力をかけているため

フェンネルの美貌に釣られて寄って来る男もいない。からかって遊ぶ相手はいなかった。

ため息とともに濡れた髪をしぼるフェンネルへ、アポロンが何事か話しかける。

「違うわ、別につまらないわけじゃないぞ。じゃがの、まさかここまで速いとは……計算外じゃった」

「楽に勝てるとでも思ってました?」

それを聞き付けたアイナが勝ち誇ったように腕を組んだ。応えるようにフェンネルも口元を吊り上げる。やや引きつってはいたが。

「違うの。楽に勝てると思っとったわけじゃない。実際、楽に勝てるんじゃ」

「今まで負けてたじゃないですか」

「花を持たせてやってたんじゃよ。十本泳いで八本負けただけじゃ。まだ負けとらん」

アポロンが投げやりに裏手ツッコミの仕草をすると、フェンネルが振り返り様に「うるさいわ!」とツッコミ返した。

 

「だいたい、ゴールラインに到達するのが数秒遅かっただけじゃろう? そんなんで勝ったと言うのは早とちりが過ぎるぞ」

「世間一般では、人はそれを『勝った』と表現します」

「ええい、アポロンと同じことを言うでない!行くぞ!」

ばしゃばしゃと水を掻き分け、スタート地点まで泳いでいくフェンネル。行って来ます、とアポロンに笑いかけ、アイナが続いた。

対岸は遠すぎるので、スタート地点は川の中ほどだ。同時にスタートし、足のつく浅瀬まで先に辿り付いたほうが勝ちというのが

先ほどから用いているルールである。提案者はフェンネル。

この時点ですでに背の低い、すなわち水底に足のつきにくいアイナが不利だと言うのに、フェンネルはなかなか勝てずにいる。

すでに抜かれているフェンネルを眺め、アポロンはのそのそと尻の位置を直した。

周囲のざわめきが強くなった気がする。また自分の姿を見て驚いた人間がいたのか。

鬱陶しい視線を振り払おうとざわめきの方へ目を向けたアポロンは、自分が勘違いをしていたことに気付いた。


水面が輝いている。アイナ達が競争に興じているところを見て、ぎりぎり視界の端に捉えられるかという距離の水面が

油を垂らしたように虹色に光り輝いているのだ。避暑を楽しんでいた人々は、光る水面を見てざわめいたのだろう。

泳いでいた者のうち、数人が水に潜って中を確認し、すぐに慌てた――否、怯えた表情を浮かべて我先にと岸辺を目指す。


ごっ――!!


虹色の光の正体を悟ったアポロンが苛立ったように地面を殴り飛ばし、ローブをびりびりと破り捨てた。

轟音にアポロンの方を見、その岩石の体を目撃してしまった人々が悲鳴を上げて逃げ惑い始めるが

当のアポロンはそんなことなどまるで気にしていない。どうせすぐに自分のことなど気にならなくなるのだ。

普段の鈍重な動きからは想像もつかない速さで走り出すアポロン。人込みを挟んだその向こうで、光る水面が山となっていた。



「ぬおー、ぬお、まーたーんーかー、ぬおー……おおっ?」

前すら確認せずにアイナを追いかけていたフェンネルの体が、ふいに持ち上げられた。

腹部を掴むごつごつした感触は、アポロンの右手である。見ればアポロンはローブを脱ぎ捨ててしまっていて、

自分と同じようにアイナも捕まえられ、肩に乗せられているのが確認できた。

「あ、アポロンさん!?」

「お、おいアポロン、何をやっとるか!」

フェンネルがアポロンの頭を小突くと、アポロンは面倒くさそうに右方を視線で示した。

ざぶざぶと川を突き進むアポロンから振り落とされないようしがみつき、何事かとそちらを見やれば

「……」

一生で最も見たくなかったものを見てしまった。フェンネルはぽかんと口を開け、一瞬遅れて歯を食い縛る。

そこに立っていたのは、油のにじんだ虹色に全身を輝かせた大巨人。

小山のようなその体から、幾筋もの滝が流れ落ちている。足元で泳いでいた人々が、大波にさらわれてもがいている。

左腕と右足がなくなっていることは妙だったが、それは四百年の時を経た今も変わらず

フェンネルの脳裏に恐怖の象徴として刻み込まれた兵器の姿だった。

「……冗談ではないぞ、ド畜生がァッ!!」

これ以上ないほど歪めた顔を掻きむしり、頭に巻いたバンダナを投げ捨てる。


予想することは、自分には不可能ではなかったはずだ。予想できたはずだ。

地図には谷に囲まれた巨大な――ミスリルが潜って進むことが可能なほど深い――川や運河がいくつも記入されており、

しかもその川は下流でスタルト川と合流する。

奴が『彼女』の気配を嗅ぎ付け、川の流れに沿ってスタルトを目指すというのは予想できたはずだ。

オレガノ達人間には予想できなかっただろうが、自分にはできたはずだ。


「迂闊じゃった、迂闊じゃった……!くそ、アポロン!」

珍しく狼狽しながら叫ぶフェンネルに言われるまでもなく、アポロンは水を掻き分けて岸に上がると二人の服を掴んで走り出す。

予想はできたはずだ。自分は、人間達の知らない情報を知っていたのだから。

奴の目的は。ミスリルの目的は、恐らく――

「……フランネル?」

ミスリルと名付けられた大巨人は、自分より遥かに小さい巨人を見てつぶやいた。口はないが、確かにしゃべっている。

アポロンのそれと良く似た――しかし大きさはまるで違う――宝石が見つめていたのは

自分のミニチュアのような石の巨人、アポロンではなく、

かつて自分を造っておきながら封印した身勝手なエルフの血族、フェンネルではなく、

「フランネル……」

「え?」

「見つ、けたぞ、よ、うや、く、見つけたぞ、フランネル……」

ミスリルの一つ目が見つめていたのは、アポロンではなく、フェンネルではなく、

未だ事態を飲み込めずに大巨人を見上げる少女だった。

目を見開く少女――アイナ・コンフリーの遥か上方で、ミスリルは巨大な拳を固く硬く握り締める。

「よう、よ、ようやく、ようやくゥ!!ようや、く、見つ、け、たぞ、見つけた、ぞ!!ようやく見つけたぞ!!!フランネルゥゥゥゥゥッッ!!!!」


ぐらあっ――


巨体が傾いだ。ミスリル本人は殴りかかっているつもりなのだろうが、下のアイナ達には倒れ込んでくるようにしか見えない。

「な、何……!?」

「あれがミスリルじゃ!」

走り続けるアポロンの肩の上を身軽に渡り歩き、アイナをその薄い胸に抱き止めたフェンネルは

同時に右手で素早く印を切っていた。見えない糸を編むように動いていた指が、空気中から何かを引っ張り出すような仕草を見せ、


きぃぃぃぃっ…… ばちゃああああああっ!!!


フェンネルの右手が突き出されるが早いか、ミスリルの傾いた体が再び持ち上がった。

持ち上がったと言うよりは、弾んだと形容するほうが正しいかも知れない。

『結界』の魔法だ。あらゆる物体を拒む見えざる盾が、ミスリルを弾き飛ばしたのである。

よたよたと後退するミスリル。フェンネルは一人安堵していた、何も考えずに吹き飛ばしたが

もしあそこで尻餅でも突かれていては、間違いなく川で泳いでいた人間に被害が出ただろう。

振り落とされないよう必死にフェンネルにすがっていたアイナが怒鳴る。そうしないと聞こえなかった。

「み、ミスリルって、船の中で話してもらった、あの!?」

「他にミスリルという単語の意味を知っとるなら、今すぐに教えてくれんか?」

そう言ってフェンネルは笑う。引きつった端正な顔は、どうひいき目に見ても笑顔には見えなかった。


「さて、どうする?」

「どうするって……」

「断言するとの、奴の狙いはおんしじゃ。おんしが逃げる方向に奴はついて来るぞ」

「え……」

あまりに唐突に提示された事実に絶句するアイナ。

説明をすっ飛ばされても、理屈が飲み込めなくとも、フェンネルの真剣な表情を見ればそれが真実だとは理解できた。

露骨に表情に出るアイナの混乱。自分ではパニックを起こしかけているはずなのだが、

「……下流に逃げましょう、これ以上上流に向かうと、町に突っ込んでしまいます!

 とにかく町から遠ざけないと!奴にスタルトで暴れられるわけには行きません!」

口をつくのはとても今まさに我を忘れようとしている少女の提案とは思えない、冷静で筋の通った逃走ルートだった。

フェンネルも半ばそういう性格を見越して聞いたのだろう。頷き、疾走するアポロンの頭をぺちりとやった。

「アポロン、聞いたな?下流に向かって走れ!人の多いところや町は避けるんじゃぞ!」

主人の命令に頷き、アポロンはやや前傾姿勢を取ってペースを上げる。



ずんっ!!ずんっ!!ずんっ!!ずんっ!!


体長二メートルを超える石巨人アポロンの足音を掻き消す、ミスリルの轟音。

片足が根元からないため、腕を杖代わりに地面に突いて歩いている。動作自体はひどく遅いのだが

とにかく歩幅に差がある上、ミスリルには障害物と呼べるようなものが存在しない。

大昔に存在したとされる巨大な肉食トカゲと人間が戦う安小説のワンシーンをアイナは思い出す。

あまりに現実感がないせいか、恐怖と混乱はきれいに消え去っていた。

それは尻の下で響く頼もしげな振動と、ずっと自分を抱いてくれる温もりのおかげでもある。

「いずれアポロンさんが走れなくなったら、少しまずいですね」

「問題ないぞ。アポロンはいくら動いても疲れないからの、永遠に走れる」

アイナが驚いて肩越しに背中を見やると、フェンネルは意地悪く笑っていた。

「……日が出ている限りはの」

「ダメじゃないですか!」

「そう言うな。アポロンが謝っとる。今度はホントじゃぞ」

「あ、ごめんなさい、アポロンさん!アポロンさんが悪いわけじゃないですよ……って、そうじゃなくて!」

「暴れるでない、落ちたら拾ってやれんぞ」

「暴れたくもなりますよ、何とかしないと……どう何とかすれば……」

「そう一人でしょいこむな。おんしはまだ子供なんじゃから、できないこともあるじゃろ?」

言いながらフェンネルは親指で後ろを示した。

猛スピードで横に流れていく緑の土手。アイナが体を入れ替えてそちらに目を向けると、たくさんの人が群がっているのがわかる。

「そういうときは、大人に頼ってもいいんじゃぞ」

大半が知らない男だったが、その中に良く知っている顔が一つだけあった。

「……銃士隊、放てぇ!!」


――ずだだだだだだだだだっ!!!


火薬が絶え間なく爆発した。

煙い大合唱に弾かれて飛んでいったのは、球形に整えられた小さななまり

ウィナリス島都市国家スタルト自警団における最新兵器、ライフル銃を構えた男達は

油断なく第二射の用意を整えながらも、地を揺らして突っ走ってきた石巨人の姿に驚きを隠せずにいる。

そればかりか水着姿のエルフが肩から降りて来たとくれば、彼らが銃口をフェンネル達に向けても無理はなかった。

思わず身構えるアイナと、気負いなく立つフェンネルとアポロン。

「待て!」

ふいに鋭い声が響いた。銃を持った男達を掻き分けて現れたのは、古びた鎧と剣で武装した顎ヒゲの男――オレガノ。

「お父様!」

「アイナ、無事だったか……良かった。他に生存者はいないか?」

「もう少し川のほうに行けば、まだ人はいたと思います」

「そうか。……総員、このまま進め!」

上司であり、今となっては数少ない実戦を経験した戦士であるオレガノの言葉を聞き

ただただエルフとゴーレムを凝視していた自警団員が、目の前の脅威に向き直る。今はどう考えてもミスリルを倒すのが先だ。


「……しかし、あまり効いてはいないようだな」

足並みを揃えて進んで行く男達の背中と、何かに慌てているらしいミスリルを見やり、オレガノは緊張した面持ちでつぶやく。

戸惑ってこそいるが、それは明らかに銃弾を受けたダメージによるものではない。そもそも、撃った弾の大半が届いていなかった。

ミスリルが大きな動きに出ないのは、おそらく町の四方八方から接近して来る自警団の対処を考えているからなのだろう。

足元に大量の虫がぞろぞろ寄ってくれば、誰だって気味悪く思う。同じことだった。

「今のがライフルとかいう武器かの?見たのは初めてじゃ、なかなかの迫力じゃの」

「あの巨人が迫力だけで倒せれば、楽だったのだが」

「人生そう甘くはないじゃろ。……まあ、間違った作戦ではない」

遠くミスリルから視線を外さず、フェンネルが続けた。

「今の武器、弓矢などよりよっぽど効果的じゃ。四百年前ならともかく、今の技術で製造された武器なら

 奴にダメージを与えることも十分可能じゃろう」

「直に見た奴の話は重みがあるな」

「二度と見たくない奴じゃったがの。――とにかく、正面から接近戦をするでないぞ。

 おんしほどの腕前がなければ、ミスリルの力に真っ向から挑むのは無謀もいいとこじゃからな。

 数と素早さで引っ掻き回すんじゃ。あと、港の船に大砲がついとるじゃろ。あれを持って来るのもいいかも知れん」

「言われるまでもない、今ありったけの大砲を部下に準備させているところだ。スタルトの底力を見せてやるさ」

「その意気じゃ。……生き残れよ、オレガノ」

「ああ。……すまないが、アイナを頼むぞ!」

オレガノは腰に帯びていた二振りの剣のうち、片方をフェンネルに投げ渡した。

かなり細身であったが、フェンネルにはまだ重いくらいである。しかし、ないよりはましだ。

部下に追いつこうと走り出すオレガノの背中は、勇ましく、物悲しげで、少しだけ楽しそうに見えた。



「とにかく、今のうちに着替えておくかの」

フェンネルが落ちていた皮袋をアイナに放る。アイナはそれを無言で受け取った。

受け取って、そのままでいた。うつむき、足元に目を落としている。

「どうした?」

「お父様……奴と戦うつもりでしょうか」

「じゃろうの。それが奴の仕事なんじゃろ?」

「……勝てる、でしょうか」

「多分の」

気のない返事を返すフェンネル。にらんできたアイナに肩をすくめてみせた。

「ミスリルの手足がぶっ壊れとるのは、こっちにとってはかなりのプラスじゃ。動きも鈍いし、隙も大きくなる。

 奴の攻撃をかわして、その隙に集中攻撃すれば、魔法がなくともミスリルを倒すことは可能かも知れん」

「ですが……」

「おお。ミスリルが倒れた時、この町がどうなっているか、おんしの父さんがどうなっているかは保証できん」

フェンネルがはっきりと言い放った。

慰めならいくらでも思い付いたことだろう。だが、アイナがそれを望んでいないから、言わなかった。


アイナはしばらく冷えた体を突っ立たせていた。しばらくして、着替えの入った袋に手をかける。

「逃げようって顔じゃないの。どうする気じゃ?」

「戦います」

小さな声だったが、つい先ほどのフェンネルよろしくはっきりした声だった。

アポロンが思わず手を伸ばしたが、隣のフェンネルがそれを片手で止める。生気すら感じられないほどの無表情だった。

「四百年前にの。数多くのエルフが奴と戦い、そして死んだ。

 ウィナリスは完膚なきまでに破壊され、再興にかなりの時間がかかった。

 この島の造船技術や文化レベルが大陸より低いのは、そのせいじゃ。一度無に還されたせいで、の」

「……」

「そんな化け物と戦う気か?」

「父がいなければ、今の私はありません。この町がなければ、今の私はありません。

 今の私には使いものになる力があります。魔法が使えるのは私だけですから。

 ミスリルの体に一番効果的なのは、魔法なんですよね。なら、私が戦えば勝率は上がるはずです」

「なるほどの。じゃがな、魔法を使えるのはおんしだけじゃなかろう?」

眉間にしわを寄せたアイナに、フェンネルはけたけたと笑って自らとアポロンを交互に指差した。

「……は?」

「私もおる。アポロンもおる。生粋のエルフと超上級のゴーレムじゃ、これ以上の戦力はあるまい?」

「で、でも、あなた達は……」

「おんしは思い付きで今みたいなことを言う奴ではないし

 絶望的な戦いに挑む自分に酔うようなタイプでもないじゃろ。

 戦う覚悟があるのなら、私らは何も言わんよ。一緒に奴を倒すぞ」

フェンネルが言い終わるのを待たず、アポロンはひょいとアイナを抱え上げて肩に乗せた。

自ら飛び乗ったフェンネルの位置を調整した後、二人の着替えを持って走り出す。

「あ、アポロンさん、どこへ……」

「おんしのメイスを取って来なければなるまい。

 できる限りの準備をするためにもの、とりあえずはおんしの家に帰るべきじゃ。

 ……町人の注目を浴びるのは、この際じゃから我慢せいな?

フェンネルが笑ったのと同時に、ミスリルに追われていたときの全力疾走に比べればだいぶ楽な振動が伝わってきた。

ぽかんとしてアポロンに揺られていたアイナは、時が経つごとに潤んでくる瞳をこすりながらつぶやく。


「……一つだけ、聞いてもいいですか?」

「何じゃ?」

「どうして、そんなに気遣ってくれるんですか?守ってくれるんですか?

 クロノガルデニアにいたときからずっと思ってたんです。同胞から疎まれてまで、命を賭けてまで、どうして」

数秒の沈黙を挟み、フェンネルはやや低い声で返す。

「おんしがあまり美味そうだったもんでのお」

「はあっ!?」

「嘘じゃ。まあ、乗りかかった船ってやつじゃよ。細かいことは気にするな」





「すげえ……」

自警団の一人が、他人事のようにつぶやいた。


「来るぞ!どっちでもいい、横へ飛べ!銃士隊は撃ち方用意!ぼやぼやするな、潰されるぞ!」

巨人と――正確には巨人の左足と対峙する男達の中に、オレガノの声が響き渡る。

ミスリルは足元に群がる人間達を一掃しようと右拳を振り上げている。ものの数秒もしないうちに、それは地面へと突き落とされるのだろう。

慌てて左右に散らばる戦士達に送り出されるようにして、オレガノがミスリルへと突っ込んだ。

「お、オレガノさん!?」

「団長、下がって、団長っ!!」


ぼがっ――!!!


ミスリルの虹色の拳が大きく地面をえぐった。遠間から一部始終を目撃した男達が顔を背け、

すぐにその心配が杞憂であったことに気付き、新たな心配の必要性にも気付かされた。

「マジか!?団長ーっ!!」

地面にそびえ立ったミスリルの右腕へ、オレガノが駆け上がっていく。

「む、う……」

さすがのミスリルも驚いたようだった。四十手前の精悍な顔立ちに闘志を秘めたオレガノは

近所の階段でも上っていくかのように、いともたやすくミスリルの顔面へと到達してしまう。

「おおおっ!!」


ぎぃんっ――! ぎんっ――!!


何のひねりもない、それでいて確かな技術に裏打ちされた豪快な太刀筋がミスリルを襲った。

顔面の宝石に数本だが深い傷を入れられ、いよいよ怒り始めたミスリルが鬱陶しいハエを払うように右腕を振り回すものの

オレガノは始めから相手の行動がわかっていたかのように飛び上がると、大きさに似合わない速度で動くミスリルの手の甲に着地、

上手く膝で衝撃を殺しながら空中にその身を投げ出す。

自警団の部下が上げた悲鳴を遠く聞き流しつつ、オレガノは派手な水飛沫を上げて川に転落した。

「……こら、何をしている、お前達! 敵から目をそらすんじゃない!」

鉄鎧を着ているにも関わらずあっという間に水から上がってくるや、呆然としている戦士達へ怒鳴り飛ばし始める。

「ぼさっとするな、死にたいのか! 俺達がやらなければ、スタルトは終わりだ!

 手放したくない宝が一つでもあるなら、それを守るために剣を振れ!銃を撃て!鬨を上げろ!力の限り戦え!」

たった今一騎当千の働きを見せた男の言う言葉には、絵空事ではない重みがある。

皆の武器を取る手に力がこもったのを感じ、オレガノはにやりとした笑みを浮かべて叫んだ。

「銃士隊、砲士隊、指示を待つな!準備ができた奴からぶっ放せ、ただし味方に当てるなよ!

 槍士隊は敵が倒れ込んだところを狙え!巨人が立って動いているときには無理をするな、頭に攻撃を集中させろ!

 剣士隊と俺で奴をかく乱する!剣士隊各員、俺に続けぇっ!!」


うおおおおおおおっ!!!


死闘には似つかわしくないと思える青空に鬨の声を響かせ、男達は自らの十数倍の巨体を持つミスリルへ襲いかかる。

細々とした生物の予想外の猛攻に怒り、わなわなと震えていたミスリルは

右腕を突いて大きく体を持ち上げ、足で戦士を踏み潰しにきた。再び見切ってゴーレムの弱点――頭の宝石へ斬りかかろうと

腰を落として身構えたオレガノの小脇を身軽に駆け抜ける影が二つ、足音重く駆け抜ける影が一つ。

「……な、何っ!?」

その正体を悟ったオレガノの顔が驚きに歪められた。影のほうもそれに気付き、オレガノをかばうように立ち止まる。

「お父様、私も戦います」

「つーわけじゃ。百万の援軍を得たと思っておれば良いぞ。……行くぞ、アイナ!」

「はい!」

三つの影――アイナ、フェンネル、アポロンが走り出した。




ミスリルの足裏が日の光と空を覆い隠す。

放っておいたら間違いなく圧殺される状況下で顔色一つ変えず

フェンネルは両手の指をそれぞれ複雑に揺らしながら叫んだ。

「止めろ、アポロン!フォローはしてやるからの!」

アポロンがこくりと頷くと同時に、石と金属がぶつかり合うくぐもった金属音が轟いた。


ぎしいいいっ――


フェンネルの『鋼鉄化』で、一時的に石巨人から鉄巨人となったアポロンが

伸ばした両腕でミスリルの足を受け止めている。

もちろん、普通にそんなことをすればアポロンが土にめり込んでしまう。

こんな芸当も、右手の『鋼鉄化』と同時に放たれた左手の魔法『重力変化』の恩恵があればこそだった。

今ミスリルは、本来の数分の一程度の重量に軽量化されているのである。

「さすがに二つ同時はしんどいの」

「私がやります、制御に集中してください」

「助かる」

アイナが右手の鉄棍棒を握り締めつつ、先ほどのフェンネルと似通った動きを左手にさせる。

その間にアポロンは本来よりだいぶ軽くなったミスリルを力いっぱい押し上げていた、

もともと不安定な姿勢でしか立ち上がれない大巨人は、足の裏からの予期せぬ圧力に耐え切れず、尻を地面についてしまう。

響き渡った鈍い音に顔をしかめながらも、その頃にはアイナの魔法も完成している。


きぃぃぃぃぃぃぃ……!!


「……行けえっ!!」

アイナは自らに『重力変化』の魔法をかけて体重を極限まで減らし、

座り込んだ姿勢でなお町の建造物を見下ろすミスリルの頭へと跳び込んだ。

文字通り身軽に着地すると魔法を解き、裂帛の気合とともにメイスを高々と振りかぶる。

 

メイスは途端に光を放った。下でフェンネルが構築した『光源』の魔法がアイナの得物を光らせたのだ、

ミスリルの体は、魔力を帯びた武器のほうが破壊しやすい。魔力を付与するだけなら、簡単な魔法で十分だった。

「はあああああっ!!!」


――っがあん!!


輝くメイスがミスリルの顔面にひびを入れ、わずかだが破片を飛び散らせる。

「わっ……」

勢いあまってバランスを崩し、うっかり足を踏み外してしまったアイナだったが

フェンネルが腰から剣を抜きつつかけてくれた『重力制御』で、何の衝撃もなくアポロンの両手に収まる。

「怪我はしとらんな?」

「はい、ありがとうございます」

油断なくミスリルを見つめつつ、三人は改めてそれぞれの武器を構えた。

アポロンが拳を握り、フェンネルが右手に何気なく剣を提げ、アイナがメイスを正眼に固定する。

「フランネル……」

器用に右腕一本で立ち上がったミスリルが正面に立つアイナを見下ろし

こころもち顔を近づけて怨嗟の声を上げたが、アイナはひるまずに叫び返す。

「フランネルゥゥゥゥゥゥッ!!!」

「人違いですよ、私はアイナだ!」

アイナの靴底が、草とともに土を掘り返した。


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