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第十話「追放」


エルフ達に案内された森の奥にそれはあった。

土盛りの頂きに十字架のごとく突き立てられた、オニバスの剣。オニバスの墓だ。

周囲には似たような土盛りが乱立している。ここはエルフの墓地らしい。


「あまりきょろきょろしとると、田舎者じゃと思われるぞ」

落ち付かない様子で辺りを見渡すアイナの頭にフェンネルの手が置かれた。

台詞は冗談で口調も優しげだったが、これっぽっちも笑っていない瞳はオニバスの墓標に注がれている。

視線を剣の柄飾りに向けたまま、フェンネルは小脇のエルフに向かって言った。

「これからどうするつもりじゃ?」

「長老が復活させようとしたゴーレムが復活したなら、それを利用することを考えなくもない。

 それまでは、我々はこの島で生きる」

「意外と動揺はしておらんようじゃな」

「長老は我々を救うために命を投げ出された。我々が先を見失っては、長老に申し訳が立たない」

オニバスの後を継いだらしいエルフは、彼もまた話し相手と視線を合わさずに続ける。

「だがフェンネル、間接的にだが長老を殺したのはお前だ。我々はお前を許すわけにはいかない」

エルフの集落で最も強かったオニバスより強いフェンネルにそんな台詞を吐くなど

殺される寸前のような恐怖を感じる行為であっただろう。しかし、エルフに臆した様子はない。

勝てない相手に喧嘩を売る恐怖を、敬愛する指導者を殺された怒りが上回っているのだ。

「この島から出て行け」

瞳にはっきりとした敵意を宿らせ、エルフはフェンネルを睨み付けた。

アイナが理不尽そうに眉間にしわを寄せ、アポロンに至ってはその岩の右拳を握り締めたが

フェンネルは彼女等を片手で制した。そして返す。

「私がオニバスを殺したと言うのか?」

「貴様がその少女を奪わなければ、長老が死ぬことはなかった」

「アイナが死ぬことになるんじゃがの、その場合」

「知ったことか」

「人間嫌いもほどほどにしといたほうが良いと思うぞ。……まあ、良かろ」

フェンネルは何の未練も残さずくるりとその場で向きを変え、森の獣道を引き返す。

数歩歩いてふと思い出したように立ち止まると、肩越しにエルフを見やった。

「二度と会うこともないじゃろ。達者での」

そのまま歩き去ってしまうフェンネルの背中を、アイナとアポロンが慌てて追いかけ始めた。


小走りに追い付いたアイナがフェンネルに問いかけた。アポロンに口があったならアイナと同じことをしていただろう。

「いいんですか? 本当にこの島を出るつもりなんですか?」

「おお。そりゃ四百年は暮らした故郷じゃ、未練がないと言えば嘘になるが……

 いろいろと思うところがあるんでの。とりあえずは出ていく。あと千年もしたら帰ってくるかも知れんがのお」

フェンネルは面白そうに言った。にこにことした笑顔は強がりや空元気ではなく

ただ本当に楽しさを表情に出しただけの笑顔であり、アイナはあっけにとられてしまう。

「……楽しそうですね」

「楽しいぞ。実は六十歳でここに住み付いて以来、他の地を踏んだことがなくての。

 これからは世界のあちこちを旅してみようかと思っておる……いかん、わくわくしてきおった」

「すいません、私のせいでこんなことに……」

「だから私は楽しんでおると言っておろう。それに助けた恩は返してもらうからの、気にするな」

きょとんと見上げたアイナの頬を突ついたフェンネルが、背中のアポロンを親指で指して言った。

「最初の目的地はウィナリスじゃ。しばらくはおんしの家に世話になるからの、アポロンが住めるような頑丈な部屋を用意してくれな」

「ほ、本当ですか!?」

頷くが早いかアイナに抱きつかれ、アポロンに困ったような笑顔を向けるフェンネルであった。





そいつは自我を持ってしまった。

そいつは本来、創造主の命令を忠実にこなすだけの兵器であり、それ以外の意思や自由を持たなかった。

それでも、そいつは自我を持ってしまった。それでそいつは封印された。

勝手に生み出されて、勝手に捨てられた。そいつは暗い海の底に封じられた。

そいつは怒った。怒り狂った。

生まれたばかりの子供のようなそいつの脳裏に、自らを封印した者の姿が強烈に焼き付けられる。


『エルフだ。薄い金髪を長く伸ばした。妙齢の女エルフ。そのエルフが。自分を封印したのだ』


指一本動かせない生き地獄の中、そいつは自らを封じた者の姿を忘れなかった。

目を開いていても何も見えない暗闇の中、そいつはその者の名をずっと心で復唱し続けた。


『許さぬ。この戒めが解けたなら。あのエルフを真っ先に殺す。瞬き一つのうちに。肉塊に変えてくれる』


そいつが知り得る知識ではないが、そいつが封印されて四百年の時が過ぎていた。

ふとした拍子に、そいつは気付く。右腕がどうにか動かせることに。

そいつはまともな自我がないなりに喜び勇んで、全身の戒めを破壊し始めた。

その過程で右足が膝でちぎれ、左腕が根元から吹き飛ぶも、そいつはまるで気にしなかった。

一心不乱に束縛を壊し続けたそいつは、やがて四肢の一部と引き換えに自由を手に入れる。

冷たい水の満ちる海の底を這って移動し、そいつは喜びに体を打ち震わせた。


『殺す。殺してやる。必ずこの手で殺してやるぞ。フランネル』



貿易船は実用本位の船だ、客船と違ってよく揺れる。しかし幸運なことに、この三人は酔いに強かったようだ。

フェンネルは揺れなど感じていないかのように裁縫に精を出し、

アポロンも壁際におとなしく腰を下ろしてアイナと声なき談笑を楽しんでいる。


「じゃーん!どうじゃ?似合うと思わんか?」

三人――しかも一人はアポロン――で使うにはいささか狭い貿易船の船室で

フェンネルは今まで何やら針を通していた布切れをぱんと張って見せた。

今の衣服とコーディネートされた若草色の布に、オレンジ色で精緻な花の刺繍が施されている。

揺れる船の中でよくこれだけ見事に縫い上げたものだ。アイナは素直に感心した。

「で、それは何ですか?」

「バンダナじゃよ、バンダナ」

そう言うと、フェンネルは布をするりと頭に巻き付けた。言うだけあって、そこそこ似合う。

前髪は遠慮なく垂らしていたが、そのぶん布の位置が後ろよりになっていて、大きな耳を完全に覆い隠している。

「で、あとはこれ」

フェンネルはどこからか眼鏡を取り出し、位置を合わせて数度まばたきをした。

眼鏡とバンダナで変装したフェンネルは服装のスタイルの変化も相俟あいまって、アイナの見る限りまるで別人だ。

「これならウィナリスでも大手を振って歩けるでしょ?

 あとはこういう風に口調を改めておけば、いつ男からお茶に誘われてもOKってもんよ」

「と言うか、見た目相応の話し方もできるんですね」

「当たり前じゃない。年寄り臭いしゃべり方は趣味でやってるって言わなかった?」

「言われましたけど……やっぱり、違和感があります」

「……はは、私もじゃ。本当にすっかり板についてしもうたわ」

フェンネルは肩をすくめた。


確かに、フェンネル達エルフがウィナリスの人間の前に姿を現せるはずがない。

皆に逃げ惑われ、下手をすれば攻撃の対象になってしまうだろう。どうにかして正体は隠さねばならなかった。

今はさすがに脱がせているものの、乗船時にアポロンはシーツを利用して作った特製のローブに身を包み

足には消音のために綿を詰めた布袋をくくりつけている。

こうして肌を隠し、足音をごまかし、異常に長い腕を隠せば、どうにか非常に大柄な男で通すことができるだろう。

宗教上の理由と嘘をつくつもりでいる、とフェンネルは言っていた。

「一応、マフラーも作っておくかの」

「どうするんです?この初夏に」

「少々暑いじゃろうが、口元を隠す。この美しすぎる顔を見てエルフと勘付く男がおるやも知れん」

「壮絶に考え過ぎです。明らかに怪しいじゃないですか」

「そんなことはないぞ、赤いマフラーは正義のしるしじゃからな」

「何の話ですか」

「バッタの改造人間の話じゃよ、百十数年前に流行った安小説なんじゃが、やっぱり知らんか。

 ……まあ、それはともかく、裁縫は暇潰しじゃ。何なら、下着でも縫ってやろうかの?」

「何でそこで私の下着が出てくるんですか」

「もう十四じゃろう。かぼちゃパンツは卒業しても良い年頃じゃ」

「黙れ」

「口調を変えて怒るなと言うに…… せっかくのスカートが台無しじゃな、風に舞ったらどうするつもりじゃ」

「手で押さえます」

「なるほど、するとスカートが朝顔の花を咲かす。その中心にはアイナの下着。

 正面や横に効果が薄いことを差し引いても、後方のギャラリーに与える効果は凄まじいものがあるのお。

 おんし、なかなかテクニシャンではないか……アポロン、どうした?」

視線を追ってアイナが横を向くと、アポロンがもじもじと手を擦り合わせて虚空を見つめている。

二人の視線に気付くと、すぐに両手をぶんぶか振った。『違う、違う』というジェスチャーと思われるが、何が違うのか。

「どうしたんですか?船酔いなら、甲板にでも行きます?」

「放っておけ、酔うことがあるかどうかは知らんが、酔ったところで吐くものがない。

 ……ふふ、私の女のカンにビンビンきとるわ」

フェンネルはいきなり立ち上がるとアポロンの鼻先――もとい顔の宝石にずびしと指を突き付けて

「アポロン!おんし、アイナのパンチラ妄想して興奮しとったろう!」

「ええっ!?」

アポロンは憤慨したようにフェンネルへと両腕を振り上げ、

すぐに小脇で頬を赤らめているアイナに向き直って首を横に振りまくる。

「違う?何が違うんじゃ、この助平ゴーレムめ!

 まったく、私という女神と一つ屋根の下で暮らしておきながら理性を保っていられたのは

 そういう趣味の持ち主じゃったからか!いやもう、付き合って以来の疑問がようやく解けたぞ!わははははは」

アイナにはアポロンの声は聞こえないが、それに答えているフェンネルの声は当然ながら聞こえた。

心底おかしそうに笑っているフェンネルを相手に必死の弁解を試みているアポロンを見ると

どうやら当たらずとも遠からず的なことを考えていたようだ。

「アポロンさんでも、そういうこと考えるんですね」

人畜無害の権化のような性格のアポロンにも、思わぬ一面があるようだ。

アイナまでもが笑い出してしまい、アポロンはとうとうスポットライトを背中に浴びつつ肘をついてしまう。

「わはははは、嫌われたか、アポロン!初恋は潰えたようじゃのお、わははははははっ、はははのはー」

笑い転げるフェンネルを捕まえようとして避けられ、アポロンは本気で悲しそうに輝く宝石をアイナに向けた。

どことなく潤んでいる気すらする青いそれを苦笑まじりに小突き、アイナは立ち上がって尻をはたく。

「大丈夫ですよ、そのくらいで嫌いになったりしませんってば」

子犬のように首を傾げるアポロン。

「本当です、アポロンさんのことは好きですから、そんな目で見ないで」

微笑まれて安心したのか、アポロンはべたーっとその場に突っ伏してしまった。

そんな石巨人の姿にあらためて苦笑いし、アイナは部屋のドアを開いた。水の侵入を防ぐための段差が少し邪魔である。

「わはは……どこ行くんじゃ?トイレか?」

「ええ、まあ」

年頃の娘の羞恥心に言葉を濁したアイナが部屋を出て行き、狭い船室にはフェンネルとアポロンの二人が残された。


「何気に逃げられたんじゃないかの? トイレという名目で、おんしのそばから離れたんじゃな、アイナは」

フェンネルのからかいに物凄い速さで顔を上げるアポロンだったが

主の優しげな表情に戦意を削がれたのか、とくに反撃はしなかった。もそもそと座り直す。

「冗談じゃよ。……おんしの気持ちもわからんではないわ、私とて時折はっとすることがあるからの」

アポロンは頷いた。この場にアイナがいればその言葉の意味を問い質したのだろうが

もしそうなれば、フェンネルは年の功でのらりくらりとごまかしたに違いない。

「さて……ちょいと甲板に行って来るわ、留守番しとれ」




手をハンカチで拭いながら狭い通路を歩いていたアイナは

すぐ前を横切っていくフェンネルを見つけた。

フェンネルのほうは彼女に気付かず、いつも通り気負いのない足取りで歩き去る。あちらは甲板だ。

「……?」

小首を傾げ、アイナはその後を追う。


「フェンネルさーん」

甲板の柵に肘をついて海を眺め、潮風にブロンドを弄ばせていたフェンネルは

小走りに寄ってくるアイナを見て目を細めた。

海はすでに青い色を失って久しい。オレンジの輝きがそれに取って代わっていた。

「アイナか」

「どうしたんですか? 潮の香りは嫌いだったんじゃ」

「おお。どうも好きになれん」

そう言って視線を夕日の沈みかけた海に戻す。

何となくフェンネルの隣に並び、柵に手をかけたアイナ。横目でフェンネルを見やると、計ったようなタイミングで声をかけられる。

「のお、アイナ」

「はい?」

「おんしが乗ってた船が沈んだのは、ここじゃろう」

「え……」

言われてアイナはあちこちに視線を巡らせるが、溺れ死ぬかも知れない瀬戸際に周りの景色などは覚えていられない。

「わ、わからないです」

「そうか。まあ、おんしが沈められそうになったのは間違いなくここじゃ」

「わかるんですか?」

「オニバスが死んだのはここじゃからな」

フェンネルはさらりと口にした言葉は、声に反した形容しようのない重みがあった。

次に言うことが見当たらずに目を逸らしたアイナへフェンネルはさらに問う。彼女もまた、アイナを見ていない。

「ウィナリスに、ここを通ると船が沈むという海域の伝説はないかの?そんな感じのニュアンスの噂が」

「エルフの領海のことですか?」

「それ、内容を話せるかの」

「ええ」

アイナは自分の知っている領海の伝説を語り始めた。


ウィナリスでの海難事故がそこに集中する、不可解な海域があること。

人に仇成す海という意味を込めて、エルフの領海と名付けられたこと。

沈没した船の生き残りに、実際にエルフにやられたと主張する者が多いこと。

傭兵だった父も自分も、エルフの領海で実際に船を沈められたこと。

父のほうの詳細は知らないが、自分は確かにエルフが船を焼き尽くすところを目撃したこと。


「そのエルフが、フェンネルさんに見えたんです」

「なるほどの」

フェンネルは納得したように頷き、ふいに右の袖を大きくまくった。

細い腕に彫り込まれたくさび形の刺青がアイナの目に飛び込んでくる。

アイナは思わず後ずさってしまった。この刺青を見ると、恐怖を思い出してしまう。

「船で見たエルフの刺青と、風呂場で見た私の刺青が同じものだったわけじゃな」

「はい……」

「疑問に答えるとの、これは証じゃ」

「証?」

「百になると彫り込まれる。だいたいその年齢で成長が止まるからの、成人の証じゃ。

 今のクロノガルデニアの小童どもは知らんでも、オニバスが百歳になったばかりの頃は

 まだまだ年長者も生きておったはずじゃ、彫られていて当然じゃろう」

「成人したことを証明する刺青ですか」

「同時に、クロノガルデニアのエルフであることを示す部族の証でもある。

 ウィナリスの辺境にもおるじゃろう、体に奇天烈な化粧をした蛮族が。あんな感じじゃな」

「……じゃあ、私が見たのは」

「オニバスじゃな。奴は背の割には痩せておるし、私と見間違えてもしょうがないかも知れん」

フェンネルが船の一件を知らない理由がようやくはっきりした。

アイナは安堵とともに、新たな疑問が鎌首をもたげるのを感じた。


「オニバス……さんは、どうしてそんなことをしたんでしょうか?」

暴れる髪を手で押さえながらアイナが続ける。

「何百年も前からエルフの領海の伝説はあるみたいですけど、

 それは全てオニバスさんがやったことなんですか?」

「そうじゃろうの。そんなことをする理由と、そんなことのできる力を持ち合わせた奴は

 クロノガルデニアにはあいつ以外おらん」

「では、なぜそんなことをする必要があったんでしょうか」

「ふむ。……そうじゃの、暇じゃし話してやるか」

身内の恥を晒すようで恥ずかしいんじゃがな、とフェンネルは笑った。

自嘲の微笑みを浮かべてアイナの背中を押し、部屋に戻るよううながす。

「フェンネルさんは?」

「ヤボ用での。もう少ししたら行くから、アポロンでもいじめて遊んどれ」

「わかりました。アポロンさんはいじめませんけど」


船室に戻るアイナの背中を見送り、フェンネルは再び海へと向き直った。

空の色は橙から群青へと変わりかけている。ぼんやりと水平線を眺めつつ懐をまさぐると

先ほど縫い上げたばかりのバンダナが出てきた。

空の色と同じオレンジの刺繍はなかなかの自信作だったが、だからこそ手向けにはちょうどいい。

「――おんしのことを気に入っていたのは本当じゃぞ」

フェンネルは美しい花の絵に深く口付け、バンダナを風に乗せて海へと放る。

「のお、オニバス……」

若草色の布は風にもまれ、白い波にさらわれ、すぐに見えなくなった。






大陸から離れた外海に位置するウィナリス群島最大の島、ウィナリス。

四季の移り変わりが豊かなこの島には

かつて人間とエルフが互いに協力し合って暮らしていた。

エルフの寿命は長いので、その歴史はほとんど完全なままで残っている。


群島を放浪していた流れ者のエルフを、人間の小さな村が救ったことが始まりらしい。

行き倒れていたところを手厚く看護してくれた村人達に恩義を感じ、エルフはこの村に定住する。

実際にその数百年後、島を大津波が襲った際

このエルフは卓越した魔法の技術を持って村を守り抜いたとされる。


それからの数千年で数を増やしたエルフ達は島のあちこちに散り、

そこに住んでいた人間達と良好な共生関係を築き上げる。

土地を大切にする気質が裏返ったのか、エルフは農耕を好まない。人間達から食料を受け取る代わりに

エルフはエルフ独自の技術――魔法を利用した様々な恩恵を人間達にもたらした。

魔力を利用した地質の改善は安定した食料供給を人々に約束し、

エルフの戦士が用いる強力な攻撃魔法は、人の手に負えない魔獣の恐怖を取り去ってくれた。

しかし、それらは必ずしも、ウィナリスの住人達に安息をもたらすものではなかった。


餓えることも魔獣の食料となることもなくなった人間達が爆発的に数を増やし

ついにはそこそこ大きなウィナリス島ですら抱え切れないほどの大人口となってしまったのだ。


多すぎる人間は住む場所を求めて争い始めるようになった。

敗北した者達は実りのない小さな離島に追いやられ、勝ち残った者達もまた新たな同胞から狙われる。

泥沼の戦争が続く中、とある人間達が行動を起こした。

大した計画ではない。彼らは他者より抜きん出た力を用いることで

自治都市の乱立する形となっていたウィナリスを完全に統一しようとしたのだ。


彼らは自分達と協力関係にあったエルフ達を頼り、計画に必要不可欠な強大な力を得る。

そのエルフ達が他の同胞より優れていたのは

何らかの行動を制限する空間を作り出す『結界』の魔法と

意思なき人形――ゴーレムを作り出す『傀儡』の魔法だった。

それらを組み合わせ、エルフ達は戦闘用ゴーレムとでも称すべき兵器を作り上げたのだ。


大人が二人肩車をしたほどの巨体を誇るそのゴーレムは

常に自らの周囲に『結界』の魔法を用いることで、信じられないほどの防御力を実現する。

当時の製鉄技術で作られた武器では角を欠けさせるのがやっと、

有効なのは魔法による攻撃だが、それでも破壊には大量の魔力を打ち込まなければならなかったと言われる。

もともと力が弱いエルフの雑用をこなすために作り出されたゴーレムだ、膂力は折り紙つきである。


ミスリルと名付けられたそのゴーレムを用いた一団は次々と領土を広げていったが

それでもミスリルの性質が有名になれば、対処法も考えられてしまう。

作られた当初こそ絶対無敵の戦士と恐れられたミスリルも、だんだんと常勝不敗を名乗れなくなってきた。

事態を重く見た人間達は、エルフ達に今よりももっと強い、新たなミスリルを作るよう要請する。

もともとかなり無理をしてミスリルを完成させたエルフ達はその要請を受けるのを拒んだが

背に腹は変えられず、最終的には製作に取り組み始めた。

自分達がウィナリスを統一すれば、それだけ大きな顔ができるのだ。


エルフ達が考えたのは、当時の魔法技術の最高峰であるミスリルの巨大化である。

既存のゴーレムを大きくするだけなら、難しいのは魔力と材料の確保のみだ。

小山ほどもある巨人と相対する恐怖を考えてもらいたい。ミスリルを大きく作り変えれば、それだけでミスリルは強力になる。


だが、それは間違いだった。


エルフ達の誤算は、本当にそのままミスリルの全てを巨大にしてしまったことだ。

岩石の体は大きくなり、自ずとその器に込められた魔力も大きくなった。

そして強大になった魔力は、ミスリルの思考能力までも強大にしてしまったのである。

その結果、元は簡単な命令を理解できる程度の知能は

ある程度の自我を持つまでに進化した。しかし、エルフ達はそれに気付かない。

ミスリルは実験のために見ず知らずのエルフ達の命令を聞き続ける毎日を送り、



「そしてある時、ついに溜まったストレスが爆発したんじゃ」

それも当然じゃの、とフェンネルは皮肉っぽい笑みを浮かべた。アイナも頷く。

いきなりある程度の知能を持って生まれたのだ、

同じ前後不覚にしても生まれたばかりの赤ん坊というよりは、記憶喪失者に近いものがあるだろう。

何でここにいるのかがわからないまま、自分より明らかに矮小なエルフ達に命令される日々。誰が耐えられると言うのか。

「暴走したミスリルは周りにいたエルフ達を薙ぎ倒し、人間も潰し、

 二ヵ月もの間、ウィナリスで暴れ続けた」

「二ヵ月も……」

「おかげでウィナリスの人口はいきなり減ったらしいの、正確なところは知らんが。

 皮肉にもミスリルは確かにウィナリスの人口問題を解決したわけじゃ。

 この事件が起こったのは四百年前、私が六十くらいの時じゃな。さすがによく覚えておるよ」

「でも、私達にとっては伝説です」

「そりゃ仕方ないわ、時間の感じ方が違うからの。

 ……エルフ達はミスリルを止めるのに総出で戦い、その大半が死に絶えた。

 生き残った者達も傷を負い、まともに動けるのは少数じゃった」

「それで、人間達に故郷を追われることにも無抵抗だったんですね」

「そういうことじゃ。ミスリルの一件――今で言う戦争が終わって以来、

 エルフは人間達から危険な種族として迫害され、住みにくい離島に逃げざるを得なかった」

「恩知らずだったんですね……昔は助けてもらってたのに」

「同じだけ、私らも助けてもらってたんじゃ。もともと容姿に優れて不老長寿のエルフをひがむ者も少なくなかったし

 時代も発展して個人の利害という概念が生まれ、昔のような思いやりは薄れてきておった。

 私のエルフびいきも入っておるしの。あまり気にすることはない」

「……はい」

「で、最終的に封じられたミスリルを、オニバスが復活させようとしていたわけじゃ。ウィナリスを壊滅させるためにの」

「そうだったんですか……でも、そのためにどうして私が必要だったんでしょう」

「ミスリルの封印を解く鍵はの、生物の命だったんじゃよ。

 一人や二人では駄目じゃ、大量の命が必要じゃった。そう簡単には解けんようにの。

 私が知ってるのはそれだけじゃ。オニバスは封印の構造についてよく調べたようじゃから

 おんしでなければ駄目な理由があったとして、それを知っていたのかも知れん。

 ……生贄に捧げるのは若い美少女じゃと、相場が決まっておるじゃろ?」

フェンネルがけたけたと笑ったが、アイナはくすりともしなかった。笑える冗談ではない。

「それで船を沈め続けていたんですね、人間の命でミスリルの封印を解くために。

 同じところで船が沈んだのはそこにミスリルが封印されていたか、何かそこでなければ駄目な理由があったからで、

 最期は自ら生贄になったわけですか」

「そういうことになるの。馬鹿な奴じゃよ、生涯若造じゃった」

つぶやき、フェンネルはランプの灯かりを弱めて

代わりに自ら『光源』の魔法を構築した。部屋が一気に明るくなる。

「?」

「いや、バンダナをなくしたからの。新しいのを作らんと……

 おんしがパンティを作って欲しいなら、何を差し置いてもそちらを優先するけど、どうするかの?」

「黙って部屋の隅でバンダナ作っててください」

「何じゃと、冷たいのお。頼んでくれたら形状はTバック、多少無理してでもフリルをつけてやろうかと思ったのに」

アイナはぷいとフェンネルに背を向けてしまった。

壁際に寄せた荷物からカードを取り出すと、いそいそと半分をアポロンに配り始める。

「さっきの続きをしましょう、アポロンさん。二度もジョーカーは引きません」

「え、あ、ちょ、シカトか!? おい、アイナ!」

「シカトですので、おとなしく無視されててください」

「答えたらシカトになってないじゃろ! 冗談じゃ、悪かった!せっかくじゃから私も入れてくれ、一緒に遊ぼう!」

「いえいえ、お構いなく。私はアポロンさんと愛を育んでおりますので」

手札で口元を覆っても隠し切れないアイナの悪戯な笑顔を向けられ、アポロンはごりごりと頬を掻く。

アイナを挟んだ向こうで騒ぐフェンネルを見、

アポロンはしばし思考を巡らせ、スネる寸前に構ってやれば良いかと大きな手で小器用に手札を整理し始めた。


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