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第九話「使命」


また一人、里のエルフが死んだ。

原因はわかっていた。重度の栄養失調だ。


クロノガルデニアはろくな穀物が育たない。

ここに住む限り、野草を集め、狩りで生計を立てることを余儀なくされるのだ。

食べ物にも住むところにも困らないウィナリスでの生活に慣れていたエルフ達は

その生活に耐え切れず、次々と死んでいった。


俺の母親は戦争前から俺を身ごもっていた。

運が良かった。戦争前だったから――父が人間だったからこそ、脆弱なエルフのそれではない

頑丈な体と十分な魔力を手に入れて産まれてこれたのだ。

しかし、クロノガルデニアで産まれたエルフはそうはいかない。

エルフ同士の近親婚が続いて血が濃くなりすぎたのか、それとも母親の健康状態が一様に悪くなったせいか、まともに育つエルフは少なかった。

成人しても身長は子供並。魔力も低いまま。必要以上に痩せてしまう。

五百年生きられるかどうかすら怪しいものだった。

年長のエルフが死に絶え、最年長――里の長老となった俺が真っ先に向かったのは、人間の集落だ。

使われる機会のなくなっていた貨幣をありったけ持ち出し、食料と薬を手に入れた。

この衰退の原因は、慣れない環境と食料がもたらした栄養失調だ。食べ物さえあれば、目の前の危機はしのげる。

俺が山と買い込んだ糧を目にした里の若いエルフ達は、口をそろえてこう言った。

「長老の命令と言えど、これを食べるわけにはいきません。

 人間に日々の食事を乞うてまで生き長らえるつもりはないのです。申し訳ありません」


何を言っても無駄だった。戦争を直に体験していないエルフ達にすら

人間への憎しみは根付いてしまっていたのだ。俺の力では、どうあってもその憎悪を消すことはできない。

これでは遠からず里のエルフは全滅してしまう。しかし、その状況から脱出する唯一と言っていい方法は潰された。


クロノガルデニアのエルフを率いる者として、俺は決断を下さねばいけなかった。


母親から聞いたことがある。人間とエルフの確執の原因は、たった一つのゴーレムであると。

エルフが人間の依頼を受け、当時の魔法技術の全てを注ぎ込んで作り上げたそのゴーレムは

制御法も完成しないまま力だけが一人歩きし、暴走してしまったのだそうだ。

暴走したゴーレムは全てを徹底的に破壊し続けた。最後にはエルフが強力な魔法を用いて封印したらしい。


俺は数少ない当時の文献を徹底的に調べ、封印を解除する方法を調べ上げた。

ゴーレムの封印を解いてウィナリスに放てば、ゴーレムはウィナリスの全てを破壊し尽くすだろう。

魔法の使えない人間にこれを防ぐ術はない。人間さえいなくなれば、ウィナリス島に新たなエルフの里を作ることができる。


俺は封印解除を実行に移した。目標は、クロノガルデニア島の近辺を進む人間の貿易船。

船の甲板に降り立つと、人間達は怯えたように俺を見た。次いで襲いかかってくる。

戦争が終わって三百年近くの年月が過ぎ去っていた。この人間達に罪はない。だが。

こうすることでしか、同胞を救えないのだ。

魔法を持ってすればたやすいことだ。俺は船に火をかけ、船員を一人残さず焼き尽くした。


燃え上がる船を上空から見下ろす。黒焦げの人間が炎をまとって次々と海に飛び込み、すぐに浮き上がってくる。

はるか空のかなたにいても聞こえてくる悲鳴。罪もない人々の怨嗟の声が俺の胸を締め付けた。

いくら吐いても胃液の逆流が止まらない。涙は流れ続ける。嗚咽が収まらない。

「あ……あっ、あっ、あっ……ああっ」

俺が奪ったのだ。罪もない人間の命を。未来を。全てを奪ったのだ。

濡れてにじむ視界の隅で、燃え尽きた船が沈んでいく。穴という穴から液体を垂れ流し、俺は島へと逃げ戻った。

「ああああああああっ……!! あああああああああああっ……!!!」

俺は泣き続けた。こんな方法しか思い付かない自分を呪いながら、ただひたすらに泣き続けた。



「……」

意識を取り戻したオニバスが目にしたのは、木々の隙間から覗く夜空だった。

周りではエルフ達が心配そうに自分を取り囲んでおり、少し離れたところからは少女とフェンネルの声が聞こえる。

「長老!」

「長老、ご無事で!」

目を開いたオニバスにエルフ達が騒ぎ出すが、その声はオニバスには届いていなかった。

大の字に寝転がったまま、夢の内容を噛み締める。

クロノガルデニアのエルフを率いる者として、もう一度決断しなければならない。




「フェンネルさんっ!」

ふらふらと寄ってきたフェンネルの体を抱き止めるアイナ。身長の割に軽いから、子供の腕でも支えられる。

フェンネルの重さに全身の傷が痛んだが、再会の嬉しさに比べれば些細なことだった。

「大丈夫ですか!?」

「ああ、深い傷はない。それよりおんしじゃ、無事か?」

「は、はい、あちこち痛いですけど、動けないことは」

アイナは頷いた。魔法を受けた体は打撲がひどく、歩く度にしくしくと痛んだが

それでも今のフェンネルの疲れ加減を見ればまだマシだと思えた。

以前二日ほど徹夜が続いた父を見たことがあるが、そんな感じである。眠そうな半眼とおぼつかない足取りが似ていた。

魔法を使うことによる魔力の消費――精神力の消耗からくる疲労感はアイナも知っているが、こんなになるまで魔法を使ったことはない。

そこまでして戦い、自分を助けてくれたフェンネルを見上げていると、自然と涙が込み上げてきた。

「……ありがとうございました」

「なんじゃ、泣くことはなかろう。もう怖いことはないぞ」

「そうですね」

フェンネルがぽんとアイナの頭に手を置き、次いで何やら魔法を構築した。

『結界』を使ったがどうのとか言っていたから、それを解除したのだろう。いつの間にやら森の輝きは消え失せていた。

「とりあえず、傷の手当てをせねばならんな。アポロン、頼む」

フェンネルの声に従って、アポロンがひょいとアイナを抱え上げて肩に乗せた。

そして自らの主へも手を伸ばし、同じように肩に乗せようとして、


きぃぃぃぃぃっ……!


魔法の構築音を聞いた。

「――えっ!?」

アイナが驚いてエルフ達を見る。彼らもまた予想外の事態に混乱しているようだ、皆が空を見上げてうろたえていた。

足元でフェンネルが歯を食い縛る音が耳に届く。エルフ達の輪の中心には、そこにいるべきエルフがいなかったのだ。

目をこらせば、夜空に浮かぶ灰色の雲へ突っ込んでいく人影が見える。

「オニバス……! あの馬鹿!」

フェンネルが素早く右手を動かし始める。慌ててアポロンがフェンネルの右腕を掴んだが、フェンネルはそんなゴーレムを睨み付けた。

「離せ、アポロン! このままじゃオニバスがやばいんじゃ!

 ――大丈夫、『結界』と『光源』の制御をせんでよくなったからの、海まで行って帰ってくるくらいわけないわ」

「海……? 何をしにいくんですか!?」

フェンネルの口から出た脈絡のない単語に混乱するアイナ。フェンネルは説明するのも面倒くさそうに彼女に背を向け叫んだ。

「オニバスが飛んでいきおった! あいつを放っておくと寝覚めが悪いんでの、追いかける!」

「そんな!? フェンネルさん、もうヘトヘトじゃないですか!」

「さっき言った通りじゃよ。節約すれば往復分くらいの魔力はひねり出せるんでの、問題はない。

 ただ、追いつけるかどうかは怪しいもんじゃがの」

「そんな……向こうだって疲れてるはずなのに」

アイナが理不尽そうに唇を噛み締めたが、それに対するフェンネルの返答はどこか涼やかなものだった。

「死ぬ気でやればたいていのことができるのは、エルフも人間も同じじゃろ?

 つまりはそういうことじゃ。……アポロン、アイナを頼んだぞ!」

目をむいたアイナの視界を一瞬さえぎり、フェンネルが漆黒の空へと飛び出していった。



ごおおおおおっ――


風を切る音だけが聴覚を支配していた。

何の迷いもなく前だけを見据え、高速で自分の体を飛ばしていたオニバスは

ふと自分の名前を呼ばれた気がして振り返った。

金髪のエルフがのろのろと自分を追いかけてくる。

「フェンネル……」

小さくつぶやき、オニバスはやや大げさに正面へ向き直った。

目元を拭った右の拳から冷たい雫が散ったのは、何かの錯覚だろうか。




「待て、オニバス!待てと言っておるじゃろが!」

端正な顔に深いしわを刻み、妙な臭いのする汗を垂らして

フェンネルは必死に魔力の制御を行っていたが

単純に残存の魔力に差があるのか、それとも覚悟の差か、フェンネルとオニバスの距離は広がるばかりだった。

『重力制御』を利用しての飛行はかなりの魔力を消費する高等技術だ。

その分、術者のコンディションの違いが明確に現れる。フェンネルはオニバスを視界に捉え続けるのが精一杯だった。

「くそっ……くそっ……!」

ともすれば落ちそうになるまぶたと体を叱咤し飛ぶフェンネル。

彼女からすれば永遠に続くとさえ思えた苦行は、しかし唐突に終わりを告げることとなる。オニバスが止まったのだ。

「っ、は――オニバス!」

空中にふわりと直立するオニバスから少しの距離を置いて止まり、フェンネルは声を張り上げた。

フェンネルと同じ距離をフェンネルより速く飛んできたのにも関わらず、オニバスに疲れた様子はまるでない。

ほんの少しだけ呼吸が荒くなっているだけだ。その深い息も、酸素不足からくるそれと言うよりは

どこか泣くのをこらえているような、鼻の奥がツンとするのをこらえているような調子であった。

「何をするつもりじゃ?」

「決まっている。俺は俺の果たすべき役割を果たすまでだ。長老としてな」

「ミスリルの封印を解除するつもりじゃな?」

沈黙が肯定の意味であることは間違いない。

「冗談もほどほどにせんか!」

再びフェンネルが声を張り上げ、頭痛がひどくなったのか頭を押さえた。

「ミスリルが何を持って封印されているか、わからんはずがあるまい!」

「ああ、知っている」

「ならば止めろ!今すぐ止めるんじゃ!

 真に長老として果たすべき役割は、生きてエルフを導いてやることじゃろう!

 こんなところでおんしが死ねば、それこそ同胞は死に絶えるぞ!?」

「里の者はそこまで馬鹿ではない。あいつらはあいつらなりに生きていけるはずだ。

 ……俺はあいつらに約束した。命に換えても、ウィナリスの人間を滅ぼす」

そう言って剣を鞘ごと外すオニバス。はるか下から響く波の音がやけに大きい。

いつの間にか二人は島の上空を飛び出して外海へと出てしまっていた、

アイナがこの場にいれば、その海を見て表情を引きつらせることだろう。

二人がいるのは人間がエルフの領海と呼ぶ、忌み嫌われた海域の上空だった。

「そうして取り戻した楽園をさらに大きくするのは、あいつらの役目だ。

 あいつらがそれを望まず、クロノガルデニアで生き続けると言うのなら、それでもいい。

 俺の役目は封印された最強のゴーレムを復活させて、ウィナリスをエルフの手に解放することだ」

「目を覚ませ、オニバス……

 おんしは最初に立てた目標に囚われすぎているだけじゃ!落ち付け!」

「……」

オニバスはふっと笑い、地に付いていない足元に目を落とすと、


――ぶんっ。


いきなり手の中にあった剣をフェンネルへと投げ付けた。

あまりに急に飛来してきた物体を回避することなど今のフェンネルにはできず、

細身のそれを薄い胸に抱え込むように受け止める。

「オニバスっ!?」

フェンネルが叫ぶ頃には、オニバスの体は海に向かって落下を始めていた。

最後の力を振り絞り、重力加速度に自らの魔力をプラスしてオニバスを追いかける。

腕もちぎれよとばかりに限界まで伸ばした右腕は、関節の軋みもむなしくオニバスを掴むことはなかった。


ぱしゅっ――


指先が彼の衣服をかすめた瞬間、彼がフェンネルに微笑んだ瞬間、

オニバスの体が燃える金属のように光り、光は七色の輝きを放ち、輝はオニバスの姿を消し去った。

「……」

フェンネルが呆然と見つめた自らの指先を、風に舞い飛んだ涙が濡らす。

一人のエルフの命が失われたことにも我関せず、潮臭い水面は静かに揺れていた。


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