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1.1932 東京殺人奇談・前篇
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まさか、ここにいるとは。
ミキは痛む頭を抱えつつ、紫煙曇る店の中、眼前の雀卓を囲む、四人の男女を睨みつける。
すなわちあの三人組―――日下部、新藤、相川と、真剣な顔で牌を見つめる日野紫の姿であった。
「あらあら、おミキさん。今日はえらく遅い時間においでだね」
出前から帰った店の女将が声をかけてくる。ミキたちがいるのは一階食堂の入り口だ。どうも、二階の雀荘が客で埋まってしまったから、この四人はわざわざ卓を運んできて麻雀を打っているらしい。
「これ、お嬢さん。どうしてこんなところにいるんだい?」
後ろから杖でつついて尋ねると、紫は振り返りもせず答える。
「家を出て、どこへ行こうかと迷っているときに、ばったり学校のお友達―――ここの娘さんなんですけど―――に会っちゃって。誘われて、遊びに来ているんです」
「そのわりに、その娘さんの姿はないね」
「彼女、夜は家のお手伝いで忙しくって。私も帰るに帰れなくなっちゃったから、こうやって遊んでもらってるんです……はい、ロン」
「無茶苦茶つえーんだよ、彼女!」
相川が頭を抱えて叫ぶ。新藤も真っ青な顔で頷いた。
「こないだから、随分ついてないよね僕ら。狗堂君と紫さんなら、どちらが強いだろう」
「そんなに強いの、彼」
狗堂という名に、ぱっと顔を上げて紫が反応する。
「そりゃ、もう。きみと同じでね、初めて麻雀するって言ってたけど、ありゃ嘘だよ」
日下部の言葉に、紫は笑みを浮かべた。
その様子に、ミキは気づかれぬようこっそりと溜息をつく。
やれやれ。
「しかしお嬢さん、お屋敷では親御さんが心配しておられるよ。早くお帰んなさい」
ミキの言葉に、紫は渋い顔で振り返った。
「嫌ですよ。私、折角家出してきたのに。それに、ここにいれば彼に会えるかもしれないじゃない」
「彼?」
「狗堂さんよ。私、彼と会って話がしたいんです」
「話って、何の」
「いろいろと……積もる話。内証です」
ミキと紫の会話に、興味津々といった様子で聞き耳を立てる三人組に気づき、紫はぶっきらぼうに言った。
どうしようもない。そういえば、紫は昔から頑固だったなあとしみじみ思う。今現在、ぶっちぎりの厄介以外何物でもないが。
「そんなこと言ったって、お嬢さんはお家の人に探されてるんだよ」
「あら、そう」
「見つかりゃ、お店に迷惑にかけるだろう。それでもいいのかい?」
黙り込む紫。すると、店の奥から店主が出てきた。太い笑顔だ。
「まあまあ、これくらいの年頃の娘さんなら、親と衝突することもあろうさ。うちは別にかまわんよ」
「しかしね」
「さあさ、おミキさんも呑みなって! なに、今日はうちのおごりにしとくさ。なっ」
店奥には、はらはらしている店の娘の姿がある。どうも、親爺は紫を連れてきた娘を庇う気でいるらしい。
まあ、紫から目を離さなければいい話だ。
店主にぴょいと摘ままれ、席に座らされたミキは、横目で麻雀にいそしむ彼らを眺めつつ、ただ酒にありつくことにした。
それから予想の通り、時計の短針が夜半を指す頃になって、紫が卓に突っ伏した。
「なんでえ、お嬢さん。もう御仕舞かい」
向かいに座す相川が紫に酔った手を伸ばす―――それを、素早く立ち上がったミキが、ぴしゃりと打った。
「いってえ!」
「てめえで呑ませといて、そりゃないんでないかい、酔っ払い。大人しくしときな」
ちえ、と相川は渋々引き下がっていく。その酒臭い息に眉をひそめると、ミキは紫の身体を揺さぶった。
「お嬢さん。ちょいと、しっかりしな」
どうも本当に、酒を呑んでいるらしい。ぐでんぐでんに酔っている。
まあ、都合はいいか。
これから起きることを予期してそう考えるが、紫は不意に伏せていた顔をこちらに向けた。
「うーん……」
酒気に赤らんだ頬、瞼がぱちぱちと開いたり閉まったりするたび、長い睫が瞳にかかる。
不覚にも、煬介は胸が鳴った。性格に難はあるものの、紫は世に言う美少女なのである。
いかん、と煬介―――いやミキはかぶりを振った。無理矢理水を飲ませると、紫はややしゃんとした。ミキ自身も多少呑んでいるが、元々ザルな性質なので支障はない。
「全く、お嬢さんたら仕方がないねえ。……ご主人、お勘定」
「ああ、いいよ。うちの娘も世話になったからねえ」
他の客の注文を取っていた主人が、忙しげに応じる。
「お嬢さん、大丈夫かい」
「平気、平気。表に出たところでタクシーを呼ぶさね」
紫を無理やり立たせ、店を出る。三人組の誰かが追ってくると思われたが、それもなかった。彼らもそうとう酔っていたのだろう。
眠たげな紫の手を引いて、賑やかな繁華街をミキは歩く。
「ねえ、おミキさん」
「何だい」
「彼、どうして来なかったのかしら」
煬介の事だ。
「……そりゃ、そうそう毎日麻雀打ちに来るもんじゃないだろうさ」
「でも、私わざわざ彼に会いに来たのに」
「会ってどうするんだい? 確か、あんたの幼馴染にそっくりなんだっけね」
「そっくりと言うか……ええ、そうね、彼のような気がするの。私の幼馴染。彼は否定していたけど」
そこで紫は、着物の袖の中からかんざしを取り出した。ミキはそれを見て驚く。変装道具だ。どこかで落としたと思っていたが、紫が持っていたのか……
「これ、彼が落とした物なのね。どういった物かは知らないけど……返してあげたくって」
「それだけのために、家出したってのかい」
ミキは呆れた。
徐々に人通りのない道を進みながら、二人は会話を続ける。酔いのせいか、紫はそれに気づかない。鉄道が真下をくぐる陸橋が、歩みの先に見えてきた。
「だって、大事なものかもしれないでしょう」
「じゃああの店に預けていけば良かったのに」
「そうね、そうすれば、良かったかな……」
そのまま、紫はミキに寄り掛かるようにして、力を失う。
まるで崩れるように眠りについた少女を見下ろして、ミキ―――煬介はようやく効いたか、と溜息をついた。飲ませた水に催眠薬を入れておいたのだ。
彼女の身体を抱き上げ、橋のたもとに横たわらせる。すると、闇深い橋の向こうから、足音が聞こえてきた。
地味な色地の着物姿の女が一人。
今この時分この辺りをうろつくにしては、心もとない若い女だ。
「日野紫さんをお迎えに上がりました」
元々のものか、妙に耳をつく高い声で女は宣言した。おそらく、女の夜目はミキと紫の姿を捉えているのだろう。彼女が視線を向けた方角は間違っていない。
ミキは紫をそのままにすくと立ち上がると、女の方に立ち寄る。すなわち、橋の上へ。
「獅子崎の使いの者か」
「はい」
「獅子崎は何処にいる?」
この橋は赤坂御用地の端にある。橋下の線路は、古くは江戸城の外濠を削ったもので、池の傍に位置していた。橋の周りも街灯と草木が生えているだけで、民家の灯りは遥か遠い。
すなわち、人が身を隠せるようなところは殆どないのだ。
女は答えない。つまり、獅子崎はここにはいないということだ。
「よくぞまあ、先回りをしたものだ」
この女がミキたちを監視していたわけではない。もとより、獅子崎は煬介に監視などつけてはいなかった―――その代わり、彼が通りそうな道に、手下を配置しておいたのだろう。
「紫さんをお渡しください」
「その前に一つばかり訊きたいことがあるんだが、いいかね?」
女と一定の距離をとって立ち止まると、ミキは続きを口にした。
「おまえさんは、わしを殺せと命令されてはおらんのかね」
苦笑交じりに、女は答えた。
「ええ。あなたは、我々の同志となるのだと」
「……そうかい」
ミキは自分の背後、橋のたもとの闇を指さした。
「お嬢さんはあそこだよ」
「ありがとうございます」
女は真っ直ぐ歩いて来ると、ミキを通り過ぎた―――
それを、ミキの杖が阻む。
ただ阻んだわけではない。仕込み杖―――刀は鞘を振り払うように抜かれていた。かっと目を見開いて跳び退く女。ミキが振り上げた刃は、女の右逆手が握る苦無で防がれる―――が、男の膂力が上回った。女の白い腕を刃が蹂躙する。
血液が迸る。女はさらに退こうとするが、間に合わない。腕に刺さったままの刀を、ミキは真っ直ぐについた。女は必死に首を反らせて回避する。その左手が何かを抜いた。
ミキはそれを読んでいた。空いている右手で彼女の左手首を掴むと、膝で肘をへし折り武器を手放させる。苦無だった。こいつ、他に武器がねえのか―――鉄砲とか。
そう思った矢先、女は膝を折ると、ミキの刀を腕に差したまま前転し、ミキから距離をとった。素早く立ち上がる。
逃げるつもりか。
向けられた背に、ミキは軽蔑の舌打ちをした。女は脇目も振らない。ミキは足元の苦無を拾うと、着物の裾目がけてそれを撃った。足首をかすり、着物の動きを妨げたそれは、女を転ばせる。
「逃がすと思うか?」
近づいていくと、女の身体が痙攣しているのが見えた。あ、とミキは顔を歪ませる。
「コイツ―――」
伏せていた女の顔を仰向けにすると、土気色したそれは死相を浮かべていた。唇からはだらしなく流れた涎。毒だ。
「チッ」
悲鳴を上げても誰も来ぬような場所だ。逃げ切れぬと悟って、拷問される前にと自決を選んだのだろう。しかしこんなところで死なれては、死体の処理に困る。
さて、どうするか―――
ミキはここが陸橋の上なのを思い出して、指を弾いた。