最後の笑顔
みさとの魅力を再確認した爽一朗は、自分のセンスがかなりいい線行ってるんじゃないかと自負していた。
彼が持ち込んで見てもらおうとしている黄川田裕哉は、経歴だとか経験だとか一切関係なく、作品として気に入れば、なんらかの形をとる人物だった。
そんな彼だから、持ち込み者も多く、数ヶ月に1度の頻度で持ち込み期間を設けていた。
爽一朗も、自分の作品が自己満足で終わるものなのか、巨匠に認められるものなのか、勝負しにやって来た。
数人が別室で順番を待っていたが、呼ばれて5分ぐらいで黄川田の部屋を出て来る人がほとんど。
ほんとに見ているのか? 聞くところによると、数枚見てから、多少見込みのありそうな作品には助言し、全く使えないものは、即座に返されるらしい。
だが、爽一朗の時は違っていた。
黄川田は、爽一朗の写真を一枚一枚吟味すると、静かな口調で質問して来た。
「君は、フリーなの? どこかの事務所にいるの?」
「はい、白斗タクミ先生のとこで働かせてもらってますが、一応フリーです」
「ん? 白斗? へえ~、なるほど……。でも彼はヌードは撮らんだろ?」
「そう、……ですね。今まで見たことはないですね。あの……、先生をご存知なんですか?」
黄川田は少し目線を上に向けながら、「いや、名前だけは聞いたことある程度だが」と誤魔化し気味に言うと「じゃあ、今回は白斗くんと一緒に撮影したわけ?」と続けた。
「いえ、オレひとりでやらせてもらいました」
「ひとりで? 彼は了解したのかい?」
「それは……。先生には内密とゆうか……、オレが無断で勝手にやりました」
黄川田は信じられなかった。どの写真もアングルが素晴らしい出来なのだ。きっと他にもいいものがあるはずだ。
「君が撮った他の写真も、ちょっと見てみたいんだが、持って来れる? 何処にも載せてないものに限るけど」
爽一朗は、えっ! と思ったが、もちろん、直ぐに持ってきます! と軽くお辞儀をすると、急いでドアを開けて出て行った。2時間後に戻って来た爽一朗に「全部見たら後で連絡するから」と伝えると、爽一朗が帰るのを待って、携帯から電話をかけた。
『ああ……、黄川田だが。久しぶりだな』
『おお、これはこれはヌード界の巨匠さま。あなたから連絡が来るなんて、珍しいなー。一体何ごとですか?』
電話の相手はなんと白斗タクミであった。
白斗にしては珍しく直ぐに出た。
黄川田は、タクミの先輩で、短期間だったが過去に同じ事務所にいたことがあった。
『おまえんとこに黒岩って言う若者はいるか?』
『黒岩爽一朗のことですか? ええ、いますけど、あいつが何か?』
『実はな、わたしのところに作品を持ち込んで来たんだよ』
『えっ……! なんでまたあなたのとこに……。まさかヌード……ってこと?』
『わたしのところに持ち込む連中は、残念ながらヌードばかりだ』と高笑いしながら『しかし、あれだけヌードを嫌ってたおまえが、女性の裸の撮り方まで教え込むとはな』と嫌みったらしく笑った。
『俺が裸苦手なこと知ってるじゃないですか。そんなこと、仕込めるわけがない』
『どうだかな』
『俺は今の現状に満足してるし、広げるつもりもないんでね』
『そうか……。彼が勝手にやったって言うのは、どうやらほんとうらしいな』
タクミは爽一朗がそんな事をしているとは全く気づかなかった。いつ撮ってたんだよ。
『それで? あいつはなんて?』
『いや、何も? 他の連中と同じで、作品持ち込みに来ただけだ。まさかおまえのところに世話になってる青年だとは驚きだったよ。おまえの差し金かと思ってみたんだが、全くの偶然のようだな』
『ああ、寝耳に水だ。ところで、あいつの写真はどうなんですか?』
『それがなぁー、個性的で斬新だし、モデルも一見複数の女性にも見えるが、この身体の線は同一人物に間違いない。この女性が何者なのか気になるとこだが、久し振りに血が騒ぐ気分だよ』
爽一朗が女性のヌードを撮りたいとは一度も口にした事はなかった。
密かに計画してたのか? そっちをやりたかったのか?
『それで、俺に何か?』
『ああ、いや、いいんだ。彼が単独でやったことなら、彼と直接話せば済むことだから、問題ない。忙しいとこ邪魔して悪かった。じゃあな』
それから一ヶ月間、タクミは何も知らない振りをして、普段通りに爽一朗に仕事を依頼した。
そして更に一週間後。
いつもより早く事務所に着いた爽一朗は、一冊の写真集をタクミに渡した。
それには、【黄川田裕哉監修、若き黒岩爽一朗が、三十代の美しさを芸術的に表現した話題作!】とおびがかかっていた。
「…………」
「今まで黙ってましたけど、実は、オレが撮影した写真集が出版されるんです。先生に見て欲しくて持って来ました。最初で最後の写真集です」
タクミはさほど驚いた様子もなく「最初はわかるが、なんで最後なんだ?」と聞いて来た。
「多分……、もうこれ以上の写真は撮れないと思うから」
タクミは暫く腕組みをしたまま黙っていたが、ゆっくりと写真集を手に取ると、丁寧に頁をめくって行く。
――――!
タクミの衝撃は相当なものだった。
なめらかな白い肌。アンダーヘアを上手く隠し、顔は逆光や夕日を利用し、身体だけを美しく表現している。しなやかな曲線、ヒップから流れる脚線、乱れた髪、半開きの口元……、見ているだけで抱きしめたくなるような表情。
タクミは爽一朗の才能を見抜けていなかった。こんな撮り方が出来るやつだったのか?
このモデルは一体誰だ?
タクミは驚くばかりだった。更に彼の目に入って来たのは、襟足や背中にあるほくろの位置、腕の細さ……。
みさとと同じだ。目を凝らして見れば、顔だって彼女に見えなくもない。まさかと思いながらも、もう一度最初から見直す。
最終頁を見てさらに自分の目を疑った。
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撮影:黒岩爽一朗
モデル:みさと
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「……みさと? おい、このモデルのみさとって……まさかあいつじゃないよな?」
爽一朗は黙っていた。
「なんで黙ってるんだ!? そうなのか? 俺のみさとなのか!?」
その時、ドアが勢いよく開いた。
「あたしはあんたのもんじゃないわよ!」
タクミは混乱していた。
「これは君なのか?」
「そうよ」
「どうゆうことだ? 君があいつのモデルをするなんて……」
「彼があたしを撮りたいって言ったからよ。あたしは爽一朗に会うたびに綺麗になったの」
タクミは言葉を失い、暫くたってから、信じられないとつぶやいた。
思い返せば、みさとはタクミに会うことを避けているようだった。だが、みさとを信じてたタクミは、疑うどころか、仕事が捗って助かると思っていたくらいだ。
「そうか……、おまえ達……、そうゆうことか……。いつからだ……。いつからこんな関係に…………」
タクミは脱力感に苛まれた。
みさとは今までの寂しい思いや、爽一朗との出会いから気持ちの変化まで、今までの思いをすべてぶつけた。
「……。ふっ……、俺はダメなやつだな。みさとの気持ちに応えられるのはおまえしかいないってわけだ……。そもそも俺は、みさとを幸せにする権利がない人間だからな……。君はいいヤツに巡り会えたよ……。むしろ爽一朗で良かったのかもな……」
タクミはもう、返す言葉が見つからなかった。
「オレ……、先生が許してくれるなら、ずっとここでやらせてもらいたいと思ってるんですが、ダメですか?」
「……。許すとか許さないとかの問題じゃないだろ。みさとの気持ちにの中にはもう……、俺はいないんだから……。それに、これが発売になれば、おまえに撮って欲しいと問い合わせが殺到するさ。こんなちっぽけな事務所にいる必要なんてなくなるよ」
「オレは、さっきも言ったけど、彼女以外の女性を撮るつもりはないんです! オレはただ、自分の力を試したかった……。正直、こんな展開になるなんて予想外でしたけどね……」
「おまえがそう言ったところで、業界人が放ってはおかんだろ。それにあの黄川田のことだ。おまえに金儲けさせるに決まってる」
「それはないです。出版する話が決まった時に、今後一切、ヌードの新規作品は撮らないと契約しましたから」
それから写真集が発売されると、予想以上の売れ行きになった。
タクミの言ったとおり、黄川田事務所には、出版社や週刊誌、タレント事務所から多くの依頼が来ていた。だが、黄川田は彼の消息もみさとの素性も一切明かさなかった。
約束は守る男だ。
白斗タクミの作品にも『撮影:黒岩爽一朗』と書かれているため、タクミのとこにも問い合わせが来たが、彼もまた一切応じることはなかった。
爽一朗は顔写真を載せていなかったのが幸いし、外を歩いていても気づく者はいなかった。
「不思議ね、以前と全く変わらないなんて。ここに有名人がふたりいますよー、って言ったろか」みさとの笑顔はいつ見てもかわいい。
ふたりが一緒に暮らし始めて一ヶ月が過ぎた夜。
「みさと……、オレ達、籍入れないか?」
みさとは正直嬉しくてたまらなかったが、まだ爽一朗に明かしていないことがあった。
「爽一朗……嬉しいよ……すごく。でも……籍を入れるとなると……ちょっと……」
「ちょっと、何?」
みさとは深く深呼吸する。
「あたし……、まだ爽一朗に話してないことがあるんだ」
「全部話す必要なんてないさ。誰にでも過去はあるんだし」
「大事なことなの……。籍入れるってことは婚姻関係になるわけで、当然子供も欲しくなるわよね?」
「ま、まぁ、そんなの自然にまかせりゃいいじゃん! あ、高齢出産気にしてるの?」
みさとの表情が一変した。
「そーじゃない! あたし……バツがついてるんだ……。それに…………、子供は……もう出来ないと思う。可能性はゼロに近いんだ……」
爽一朗は無言だった。その言葉だけで、彼女の言わんとすることは十分伝わっていた。そして強くみさとを抱きしめた。
「オレは……、みさとがいてくれたら……それだけでいい」
みさとの瞳から涙が溢れ出す。
ふたりは、それから激しく愛し合った。
爽一朗の舌が、指が、みさとの唇から身体中を感じさせてくれた。みさとも、何度も直で爽一朗を受け入れたのだった。
二ヶ月後。
「今日は天気もいいし、バイクで行くかなー」
「バイク?」
「まさか、君のチャリで行くわけにもいかないだろ?」
「いいわよー。使っちゃってー。あたしがバイクでうならして来るからー」
相変わらずかわいい笑顔だ。
たまらずみさとの唇に熱く長いキスをした。
「これ以上したら立っていられなくなっちゃうよ……」
爽一朗はもう一度軽く唇にふれ、みさとの目をじっと見つめながら「じゃあ、行って来る。今日もかわいいみさとちゃん!」と手を振り、笑顔で出かけて行った。
それが、黒岩爽一朗との最後のキスであった。
子供を避けようとして、ワゴン車と正面衝突。即死だった。
三週間後。
みさとは爽一朗と来た高台にいた。
「爽一朗、あんたはあたしに寂しい思いはさせない、って言ったよね? 会いたい時に会いに来てくれるって言ったよね? オレがうそついたことがあるか、って言ったよね? うそつきじゃん! とんでもなく大うそつきじゃん!」
みさとは暫く嗚咽がとまらなかった。
「でもね……、あんたはあたしの身体に奇跡を起こしたんだよ。爽一朗の命がここに宿ったんだ」
みさとは自分のお腹をそっと撫でた。
その時、背中から暖かい風が吹いた気がした。
「奇跡だよ、ほんとに。こんなことってある? これも運命なのかな……。あたしはひとりじゃなくなったんだよ。でも……、きっとすごく大変だと思うんだー。だけどね……、きっとこの子は男の子だよ。爽一朗の代わりにあたしを守ってくれる。てゆうか守らせてやる」
笑顔が好きだと言ってくれた爽一朗。
みさとは、辛くて流す涙は今日だけにしようと決めた。
そして、最後に見せた爽一朗の笑顔に向かって叫んだ。
「じゃあ、また来るね。大うそつきな爽一朗パパ!!」
沈みかけた太陽は、巨大な夕日となって、ふたりを紅く照らしていた。
― 完 ―
短編とは言え、初めての小説だっただけに、何度も手直しをしました。
執筆中に未曾有な事態になり、頭の中で描いていた世界が変わってしまいましたが、何とか繋げながらやっと完結させました。無理やりな結末になってしまいましたが…。最後のふたりと言うのは、みさとと爽一朗の事として書きましたが、みさととお腹の子にもあてはまります。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。




