19 甘く溶けるような
休日の朝、侯爵家の馬車がゆっくりと城下の街へと進んでいた。
吐く息は白く、石畳に冬の光が淡く差し込む。
エドワード・フォン・グランツは窓の外を眺めながら、胸の奥に落ち着かないざわめきを抱えていた。
(……ただの外出だ。寒いから温かい飲み物を摂る、それだけのことだ)
何度もそう言い聞かせる。
だが、その理屈の裏で「彼女と会う」ことに心が弾んでいる自分がいる。
やがて馬車が止まり、約束の場所に立つ少女が目に入った。
マリアベル・ド・クラウディア。
淡い青のマントを纏い、毛皮の縁が頬を柔らかく縁取っている。
白い息を吐きながら、こちらに気付いた瞬間ぱっと笑顔を咲かせた。
「エドワード様!」
明るい声が冬の街角に響き渡る。
彼女の笑顔は、寒さの中でひときわ暖かかった。
「……ごきげんよう、クラウディア嬢」
形式ばった挨拶を返しながらも、心の奥では小さく安堵が広がる。
やはり彼女は変わらない。真っ直ぐで、そして眩しい。
二人は並んで喫茶店へ向かった。
石畳を踏む足音が重なり、街並みに漂う甘い焼き菓子の香りが鼻をくすぐる。
「ここです!」
マリアベルは扉を押し開けた。
暖炉の炎が揺れる店内は、冬の外気と対照的に暖かく、香ばしいカカオの匂いに包まれていた。
席につき、ほどなくして銀のトレイに乗った二つのカップが運ばれる。
濃い茶色の液面にふわりと湯気が立ち上り、表面には溶けたマシュマロが白い雪のように浮かんでいる。
「ふふっ、見てください。これが冬の楽しみなんです!」
マリアベルはスプーンでそっと表面をすくい、唇を寄せる。
その仕草は子供のように無邪気で、しかし妙に目を奪う美しさを秘めていた。
エドワードも手を伸ばす。
カップを口元に傾けると、濃厚な甘さとほろ苦さが舌に広がり、喉を温かさが満たしていく。
「……なるほど。確かに、身体が温まるな」
「でしょう? 冬には欠かせないんです」
彼女は嬉しそうに頷き、頬をほころばせる。
その笑顔を見て、エドワードは思わず視線を逸らした。
(……これは、ただ寒いからだ)
そう自分に言い聞かせる。
だが、心の奥で別の声が囁く。
――本当に望んでいるのは、この時間そのものではないか?
マリアベルは両手でカップを包み込み、目を細めていた。
「エドワード様と一緒に飲むと、もっと美味しく感じます」
その言葉に胸が跳ねる。
理性が「軽々しく受け取るな」と警告を発する。
だが同時に、温かさが心を満たしていくのを止められなかった。
「……気のせいだろう」
抑えた声でそう返す。
それでもカップを口に運ぶ指先は、わずかに震えていた。
店の外では冷たい風が吹き荒れている。
けれど、この小さな喫茶店の片隅だけは、不思議なほど柔らかな空気が漂っていた。
エドワードは再びカップを傾けながら、心中で密かに呟く。
(……やはり現状を変えられない。父の望む未来がどれほど確かであっても、今この瞬間を拒むことはできない)
白い湯気が二人の間に立ち上り、甘い香りが胸を満たした。
彼にとってそれは、理性を溶かすような甘いひとときだった。