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初恋  作者: だんざれす
17/38

18 心弾ませて

冬の夜は長い。

侯爵家の屋敷の廊下には、煌々と灯された燭台が並び、硝子窓に白い息のような曇りを映していた。

エドワード・フォン・グランツは自室に戻る途中、母と出会った。


「エドワード」

穏やかな声に足を止める。

母は相変わらず優雅に佇み、薄紅色のショールを肩にかけていた。

「明後日の休日、予定はあるのかしら?」


心臓が一瞬だけ跳ねた。

頭に浮かぶのは、マリアベルの顔。

「ホットココアを飲みに行きませんか?」と無邪気に笑ったあの表情。


――誰にも言えない約束。


「……友人と出掛けることになっています」

咄嗟に口をついた言葉は、半分は真実で半分は偽りだった。

嘘をついたわけではない。学園の友人と出かける、と言えば嘘ではない。

ただ、その相手がマリアベルであることを伏せた。


母はそれ以上深く追及せず、にこやかに頷いた。

「そう。寒いから、あまり無理をなさらないように」

「はい」


一礼して歩みを再開する。

だが背後に残る母の柔らかな声が、胸の奥で重く響いた。


(……隠した)


気付けば指先に力が入っている。

侯爵家の長男が、母にすら正直に話せない約束を抱えている。

その事実が、罪のように甘くのしかかっていた。




自室に戻り、机に積まれた書類を広げても、文字は目に入らない。

心は既に休日の光景を描き始めている。


――街の通り。

――窓辺に並ぶ菓子と温かな飲み物。

――白い息を吐きながら並んで歩く二人。


(何を想像している……私は)


両手で顔を覆う。

これはただの言い訳だ。

寒いから、温かい飲み物を飲むために外出するだけ。

それ以上でも以下でもない。


だが、その「言い訳」を自分が望んで作り出していることを否応なく知っている。


――マリアベルと一緒に過ごす時間が、楽しみで仕方がない。


その想いを直視すれば、侯爵家の長男としての自分が揺らいでしまう。

父の望む未来とは違う方向へと傾いてしまう。

だからこそ「友人と出かける」と答えた。

自分自身への偽り。母への偽り。


「……現状を変えられない」


椅子に深く身を沈め、天井を仰ぐ。

ぬるま湯のような日々。

そこに沈んでいる自分を自覚しながらも、抜け出す意思は持てない。

それどころか、心は次第に温もりに甘えようとしている。



――


窓の外には冷たい星々が瞬いていた。

その下で、マリアベルはどんな表情をしているのだろう。

「約束」を胸に、同じように心を弾ませているのだろうか。


ふと、その想像に微笑みが零れた。

自分でも驚くほど自然に、頬が緩んでいた。


(……いや、これはいけない)


慌てて背筋を伸ばす。

だが心臓の鼓動は早鐘のように響き、収まる気配はなかった。


母に告げた言葉――「友人と出かける」という曖昧な答え。

その裏に隠した秘密が、こんなにも心を熱くさせる。


理性では禁じている。

家柄も立場も、未来も考えれば、彼女との関係は望まれないものだ。

だが、それでも――


(会いたいと思っている。この気持ちは誤魔化せない)


机に肘をつき、額を押さえる。

言い訳は山ほど並べられる。

寒さのせい。偶然の誘い。断りきれない性格。

どれも言葉の上では正しい。


だが心の奥では、ただ一つの真実が熱を放ち続けていた。


――彼女と過ごす時間を望んでいる。


侯爵家の長男として背負うべきものと、ひとりの青年としての願い。

その狭間で揺れながら、エドワードは深く息を吐いた。


「……変えられないな、やはり」


窓に映る自分の顔は、静かな苦笑を浮かべていた。


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