生徒会長と風紀委員長、プールにて
六月の終わり頃――つまり、梅雨の終わり頃。墨原学園にとってはプール開きの日である。
もっとも、わざわざ梅雨の終盤を選ばなくともいいのだが。なにせ墨原学園のプールは、室内プールなのである。
「プールだと担任も参加しなくちゃならないってのがめんどくせーな」
雪彦はため息をついた。普段のラフな格好ではなく、黒いボクサーパンツ型の水着に白のパーカを着ている。
彼が立っているのはプールサイド。目の前のプールでは、生徒が自由に泳いでいた。
「くおらあぁぁぁぁぁぁ! ちゃんと指示通りに動けえぇぇぇぇ!!」
隣で中高体育担当の教師であり、体育委員の顧問である樹沢洋一が叫んだ。
あまりの大音量に、雪彦の耳の中でびぃぃぃぃんという音が響く。
「ちょっと樹沢先生。声のトーンもうちょっと落してくださいな」
そう言ったのは毒島だ。当たり前だが、彼女も水着である。胸元から覗く谷間がまぶしい。
なぜ彼女がいるかというと、体育が二つのクラスでする合同授業だからである。
「しかしですな、毒島先生。生徒は全然教師の話を聞いていないんですよ」
樹沢は顔をしかめた。
「プール開きでハイになってるんでしょう。やっぱまだまだ子供だ」
雪彦はやれやれと首を横に振った。そんな彼の顔に、水がかけられる。
「ぶふっ。だ、誰だ! んな真似するのはっ」
大体予想付くけどっ、と心の中で呟いて辺りを見渡せば、予想通りというか、なんというか。
「ぼうっとしてる春樹先生が悪い」
プールの中からキリナがせせら笑った。
「おまえな~。餓鬼かよ! 十五にもなって水かけとかっ」
「まだ十四だも~ん。んでもって餓鬼だも~ん」
「屁理屈言うなあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ふいっとそっぽを向くキリナに、雪彦は怒鳴り声を上げた。
「いいですね……春樹先生は」
いつの間にか、陸が泳ぎ寄ってきた。端正な顔に、恨めしそうな表情が浮かんでいる。
「は……何言ってんだ、おまえ」
今のところでうらやましがるとこあったか? 顔をしかめていると、陸は暑苦しい顔で叫んだ。
「キリナさんに無条件でいじめてもらえるじゃないですか!」
……そういやこいつはそういう奴だった。
雪彦と樹沢は脱力し、毒島は口を押さえて肩を震わせた。
精神科にでも行ってこい! と叫びたくなるが、嘆かわしい、これで正常なのである。
何でこんな趣味に目覚めてしまったんだろう。本当に残念な男である。
「いいポジションですねー、まったぶほおぉ!」
陸が水に押し流された。
正確には、キリナの持つ小型スクリューが起こす波によってである。
しかも陸以外にも複数の男子が押し流された。
「キ、キリナァァァ! だから無闇に『創造女王』の能力使うなぁっ。陸以外の奴も巻き込まれてるし!」
「ぷぅ」
「ほっぺふくらましても駄目だっての!」
雪彦が全力でしかると、キリナは不承不承という感じでスクリューを消した。
プールの波が止まる。中にいた生徒は全員目を回していた。
「……静かになったが、授業どころじゃなくなったな」
樹沢の言葉に、雪彦と毒島は頷く。
「っの~、おい! 生徒会長!!」
男子の一人が声を荒げてキリナを睨んだ。
「さっきから好き勝手やりやがって! 女王だか何だか知らねぇが、こっちは迷惑してんだよっ」
どうも怒りで怖いもの知らずになったようである。
他の男子も「そうだ、そうだ!」と盛り上げていた。全員同じことを思っていたらしい。
その中に女子が参加しないのは、キリナ側に付いているからである。意外とキリナは、女子にあこがれの的にされているのだ。
「何よ男子! 黒鳥さんの水着姿に鼻の下伸びてたくせに!」
「ちょっと目ぇ回したぐらいで、女の子に寄ってたかって怒るなんてサイテー!」
あげくに女子が言い返しを始める。プールに似つかわしくない殺気が漂い始めた。
「お、おいやべぇぞ、これ……」
「止めるべきなんだけど……どっちも味方しかねるわね」
雪彦と毒島は顔を見合わせた。
「樹沢先生、何とかしてくれませんか」
「な、何とかって言われても……」
樹沢が返答に困っているうちに、女子と男子の闘気が大きくなる。
ここにいるのは、程度の違いこそあれ全員異能者だ。
『サード』はキリナと陸だけだが、『セカンド』は過半数を占めている。
このままだと、プールが半壊しかねない。
「大体何だよ、女王って! 何様のつもりだよっ」
男子の一人が叫んだ。
「そもそも女子が生徒会長って間違ってるよな。普段エラそーだけど、どうせ大したことねぇんだろ」
「そうそう! 『サード』だからってエラいって勘違いすんじゃねーよ!」
雪彦はマズい、と思った。
こんなことを言われて、キリナがキレないはずが無い。
雪彦は慌てて止めようとして――キリナがプールから出でいるのに気付いた。
「……」
「何?」
「いや……珍しく怒らないなと思って」
「ボクの代わりに怒る奴がいるからね」
キリナはふあぁ、とあくびを漏らした。
「代わりに怒る奴って……あぁ、陸か」
雪彦は納得する。
……そういえばあいつはどうしたんだろう。
雪彦はプール内を見渡した。
「あ、いた」
雪彦の目がプールの中心で止まる。
陸は、一番危ない男子と女子が向かい合ってる間にいた。
「おい、陸! おまえ俺らの味方しろよっ」
男子は阿呆にも、陸を味方に付けようとした。
普通なら、キリナを罵る側になど行くわけがないと解るのに。
雪彦は救いようがなくなって額を押さえた。
「……君達、キリナさんに対してなんという口の聞き方してるんですか」
陸がドスの聞いた声を出した。男子達は凍り付く。
「キリナさんを馬鹿にするなど……百億年早いんですよ!」
陸は右手を上げた。その手の平から、何匹もの蝶が飛び出していく。
紫色の羽をした蝶だ。模様は無く、一匹一匹が拳ほどの大きさだった。
「あーあ……『サード』発動させやがった」
雪彦は今度は両目を押さえた。
「あれ……どういう能力だ?」
「階堂 陸の能力名は『幻影の中の蝶』と言って」
樹沢の言葉に、キリナが答えた。
「その名のように幻覚を見せる。彼が出したあの蝶を見たもの全てにね」
キリナは水泳帽を脱いでニヤッと笑った。
「馬鹿だねー、アイツら。彼を怒らせるなんて。アイツドMだけど、性格はえげつないよ♪」
言ってる間に、男子達の周りに変化が起きた。
いつの間にか、彼らの周りに無数の蜂がたかっていたのだ。
しかも、蜜蜂などの小さな蜂ではない。
大きさからしておそらく、雀蜂かその辺りだ。
つまりその攻撃は……とんでもなく痛い。
「え、え、マジ……?」
「ちょ、陸?」
男子達は青ざめて後ずさるが、もう遅い。
「どこまでも深く反省しなさい!」
陸がそう言ったとたん、蜂達は男子達に襲いかかった。
『ぎぃやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
男子達の絶叫が、室内プールに響き渡った。
―――
「すみませんでした」
制服に着替えた陸は土下座した。
陸の能力の餌食になった男子達は、医務室に行っている。
所詮は幻覚。肉体的な怪我は無いのだが、精神的なショックは大きい。
土下座したまま動かない陸を、雪彦は顔をしかめて見下ろしていた。
「うん、土下座までしなくてもいいぞ。反省してるならそれでいいから。……つーかよ」
雪彦はキリナを指差した。
「おまえ何で階堂の背中踏んでんだよ!」
土下座した陸。その背に、キリナは当然のように右足を乗せていた。
「えーと……お仕置き?」
「満面の笑みで言うなあぁぁぁぁぁ!」
「いいんです、春樹先生!」
キリナに踏みつけられながら、陸は顔を上げた。頬になぜか朱が差している。
「僕はキリナさんにこうされるのが……最上の喜びなんです!!」
「精神科行け!」
即座にそう返し、雪彦はキリナの頭を軽く小突く。
「ほら、どいてやれ」
「どかなきゃ駄目なの?」
「当たり前だ!」
「……はぁい」
キリナは意外と素直に足をどけた。
何か条件をふっかけられるかと思っていた雪彦は、とりあえずほっと安堵する。
しかしすぐさま表情を引き締めて口を開いた。
「ったく。大体こいつが謝ってんのは、おまえのせいなんだぞ!」
「ボク知らなぁい♪」
「おまっ、殴るぞ!」
「やれるもんならやってみな~」
雪彦の怒鳴り声を、キリナはぬらりくらりとすりぬけた。
雪彦は無駄かと思いつつも、キリナに説教する。
キリナがうんざりした表情を浮かべつつも、その瞳はじっと雪彦の顔を見つめているのに気付いたのは……端から見ていた陸だけだであった。
プール開きでした。
キリナがスクリュー使ったのは、右往左往するクラスメイトを見たかったからです。我ながらドSな理由考えちゃったな……
沙伊はプールは小学校以来入ってないです。だから中学や高校のプールでは何をするか解らないんですが……大丈夫ですよね。今回授業風景出てないし(多分)
変なとこがあったら感想で教えてください。