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移動スーパーの男

作者: 八雲ヒイロ

都市伝説風の奇譚となる短編小説、第9話目となる今作は、年金暮らしのお年寄りが買い物で体験する、ほっこり系のヒューマンドラマです。

 妻が体調を崩してから、Gは主婦業の大変さを初めて知ることとなった。もうすぐ八十歳になろうという老齢になった今、世の中のことを何でも知っていると思っていた自分の愚かさを恥じるほどだ。


(俺はこの歳まで、何も知らずに生きてたんだな……)


 料理についても、大変なのはキッチンの中だけだと考えていた。だが、実際に大変なのは、食材や調味料を日々買いそろえておくことにある。この点についても、何でも良いわけではない。資産に余裕があれば別だろうが、限られた収入の中では、可能な限りで節約しながら買わねばならないからだ。野菜のような季節ものは時期によって価格が変動するし、セールや特売日のタイミングを知っておくことも大事だ。そうして、どんな料理を作るかを想定していないと、買うべき物も判断できなくなる。

 また、料理を終えた後の食器洗いも面倒であり、これも料理をする上で大事なことなのだが、Gは手伝ったことなど無かった。

 勤め人として働いていた頃は、自分が大黒柱として稼いでいるのだからという奢りが多分にあった。つい偉そうにしてしまったが、妻は大人しく主婦業をこなしてくれていた。専業主婦として生活を支えてくれたことに、今では深く感謝している。


(さて、今日は特売日だったな)


 メモ用紙に書いた買い物リストを改めて確認してから、Gは家を出た。運転免許は三年前に返納して車も処分しているから、近所のスーパーまで徒歩で行かねばならない。歩くだけなら大した距離ではないが、買い物袋を抱えて帰るときは少し大変である。帰り道は上り坂が多くなるし、年齢の割に元気なGも、最近は膝の調子が良くなかった。

 公園のそばを通り抜けようとしたとき、


(……あの車は何だ?)


 公園の入り口近くに停められた、小さな配送車らしきものに気づいた。

 かわいいラッピングが施されたそれは、移動スーパーのようだ。


(こんなところに来るとは、珍しいな……)


 買い物に不便な地域ではないから、この辺りでは見かけないものだった。だが、ここで買い物を済ませられたら便利である。家まで三分もかからないし、坂道を上らなくてもよいからだ。


(値段が気になるが、チェックだけしてみるか……)


 Gが近づいていくと、ドライバーらしき男が気づいた。

 歳の頃は、五十代の半ばくらいだ。


「いらっしゃいませ!」


 男は元気よく挨拶をし、Gをにこやかに迎えた。


(まいったな……)


 こうなると、ここで何かを買うしか無さそうだ。

 買い物リストを見せると、男はすばやく商品をまとめた。スーパーと提携しているサービスということで、店頭と同じ価格設定だった。ただし、商品ごとに手数料としての10円が加算されるが、坂道を往復して買い物をする手間を考えると、とても安いと言える。


「この歳で買い物や料理をするのは大変でね。でも、君のおかげで今日は助かったよ」

「そうですか。お一人暮らしですか?」

「いや、妻がいるが……。今は調子を崩していてね……」


 そんな言葉に、男は心配げな顔を向けた。こういう時に、自然と共感の意思を示せる人間は少ないということを、Gは長い人生の中で知っている。そんな彼に好感を持ち始めたとき、


「では、こちらの品物をサービスで付けておきますよ」


 男は、ほうれん草のような野菜を手渡してくれた。


「いいのかい?」

「これは商品ではなく、私が家庭菜園で作った野菜なんですよ。マイナーな品種ですが、見た目通りに、ほうれん草と同じように調理できます。栄養価も高いですから、ぜひ奥さまのご滋養に……」


 心遣いに感謝しつつ、Gはサービスの野菜を受け取った。最近では人とのコミュニケーション機会もめっきり減ったが、久しぶりに、人の温かさに触れた気分だった。


「君は、ここにまた来るかい?」

「ええ、三日に一度は。ぜひ次回もご利用下さい」


 元気よく言うと、男は出発の準備を始めた。他に客はおらず、配送すべき場所は他にもあるから急がねばならないのだろう。これだけ働いて、これだけの心遣いができても、手数料から考えられる収入はごくわずかだろう。


(こういう人物に、もっと仕事の機会を与えてほしいものだな……)


 心からそう思いつつ、Gは家へと向かった。


 それからというもの、Gは三日に一度の移動スーパーを利用するようになった。この地域に何時間もいるわけではないはずだが、男は必ず、Gが向かう時間に車を停めていた。


「君のおかげで、買い物が楽になったよ」

「いつもありがとうございます」


 笑顔で答えつつ、彼は購入商品をまとめてくれる。

 買い物袋に、あの野菜も必ずサービスしてくれる。


「この野菜、妻が気に入っててね。最近ではめっきり調子が良くなって、医者からも薬は必要無いくらいに回復していると言われたよ。もう歩けるから、今度はぜひ、君にも会わせたいね」


 そんな言葉に、男は優しげな笑みを向けた。


(こんな息子がいたらな……)


 Gは改めて思った。

 妻との間には男の子が一人いたのだけど、幼くして亡くしてしまった。まだ五歳だったから、もし生きていればこれくらいの年頃だったろうと思えてしまう。


 翌週、すっかり元気を回復した妻を連れて、Gは出かけることにした。予定通りなら移動スーパーが来る日だから、妻にはぜひ、あの優しい男を紹介したいと思っていた。そうして公園近くにやって来たが、移動スーパーの姿は無かった。


「残念だが、たまにはこういうこともあるか……」


 これまでは必ず出会えたことの方が、改めて不思議に思えた。


「話を聞いて興味があったから、ずっとお会いしたかったけど……。それにしても不思議な話ね~。近所の奥さんに聞いても、この辺りで移動スーパーなんて見たことがないって言ってたもの」


 妻の言葉に、Gは少しだけ思い当たるものがあった。彼が買い物をしているとき、他に客の姿を見たことが無かったからだ。そもそも、公園のそばとなるこの場所は、住宅のある区域から少し離れている。目立つことも無いから、移動スーパーで営業をするには不向きだろうと思えた。


「あら、この野草って……!」


 妻が、公園の端にある野草に目を留めた。

 ほうれん草にも似た野草は、あの男がくれた野菜に間違いなかった。


「ふふふ、さっそく調べてみましょうか……」


 最近ではすっかりスマホを使い慣れた妻が、画像検索で調べ始めた。それらしいと思える野草の特徴は、抗炎症剤としても使えるほどの効能があるらしい。そのおかげもあってか、妻の体調は回復したようにも思えた。


「ひょっとしたら、お薬よりも私の体に合っていたのかもね」


 微笑みつつ、妻は薬草を愛おしそうに撫でた。

 そうして、


「この場所だから、ひょっとすると……」


 妻が最後まで言わずとも、Gには分かった。

 幼くして亡くなった息子は交通事故で命を落とした。

 その場所が、ちょうどこの辺りだった。


「そうかもしれないな」


 Gは微笑み、妻と並んで、野草が生えているあたりに向かって手を合わせた。


 数日後、Gは念のために近隣のスーパーへと問い合わせてみた。

 移動スーパーについては担当者が数日ほど病欠となった配送車があり、やむをえず臨時で雇った男がいたという。いわゆる時短バイト系サイト経由で応募してきた人物ということで、詳しい書類を確認することなく、短期間限定ですぐに仕事をしてもらったそうだ。仕事はきっちりやってもらったが、後日の支払い段階になって、指定口座が架空のものだったと判明したそうだ。また、時短バイトの紹介会社にもデータ登録はされていなかったという。


―当社としても困っているのですが、お客様に被害が無くて何よりです


 電話に出た担当者は、困り気味に言った。


(なるほどな……。やっぱりあの男は、お前だったのか……)


 仏壇に向かい、幼いままの息子の遺影を見つつ、Gは笑った。


「ずっと子供を相手にしているつもりだったけど、あの子も立派に成長していたということかもね……」


 妻の言葉が、まさしくその通りだとGにも思えた。


―僕はいつまでも子供じゃないよ


 ひょっとしたら、彼はそう言いたかったのかもしれない。

 仏壇の前には、息子が愛用していた玩具などを今も飾っている。

 それはこれからも変わらない。

 だが最近では、コーヒーなども供えたりするようにしている。

最後までお読みいただきありがとうございます。活動報告でも書きましたが、投稿を続けている短編小説については「奇譚」と呼ぶことにします。作風によってはホラーだったりヒューマンドラマだったりします。よろしくお願いします。

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