第9話
そして、待ちに待った原作が始まる
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「アーベル!ルーズベルよ!久しぶりに会えて嬉しいわね!」
そう言ってナズナは窓に近づきグラウンドにたっているルーズベルを指差す。
しかし喜んでいるナズナとは対象的に、俺は訝しんで、冷や汗をかいている。
「ルーズベルなのか?なぜ……使用人はどうしたんだ」
本当に弟なのか確かめる為に窓に張り付く。
遠くから見える弟、ルーズベルがスっと手を動かした事に気づき咄嗟に
「ナズナ!しゃがめ!!!」
瞬間、ナズナと俺は反射的にしゃがみ込んだ。
耳を裂くような「パキン」という音と共に、白い光が教室の天井を切り裂き、頭上を焼くように通り過ぎていく。
鼓膜が震え、心臓が爆発しそうなほど跳ねた。
ナズナの肩が小刻みに揺れ、俺の手も冷たく濡れていた。血か、汗かも分からない。
息をひそめながら、恐る恐る振り向いた。
見慣れたはずの、整然とした教室が――
そこにはもう、存在しなかった。
黒板は血で塗り潰され、チョークの文字は真紅に染まっていた。
窓ガラスには無数の爪痕のようなヒビが入り、その隙間から肉片のようなものがぶら下がっている。
机は真っ二つに裂け、椅子はねじ曲がり、
床一面に飛び散った血と臓物が、まるで装飾のように教室を彩っていた。
まるで誰かがこの部屋を「処刑場」として飾り直したみたいに。
壁にこびりついた赤黒い塊は、恐らく心臓――それも人の。
天井には髪の毛が垂れ下がり、
その先には、吊るされたようにぶら下がる「首のない影」が揺れていた。
ナズナの喉から、細い悲鳴のような息が漏れた。
俺は返事ができなかった。
震える指先が、無意識に震えていた。
何かがおかしい。
これはただの脅しじゃない。
“本気”だ。
本当に、ルーズベル……なのか?
未だに信じられない。昔見たルーズベルは天使のように愛らしかったのに……
なのにこんな状況を作り上げた……。
そんな暇している場合では無い、俺はナズナに
「ボサっとするな!早く逃げるぞ!!」
すぐ逃げるように促したが、ナズナは恐怖で怯えて動けない。
そんなナズナは扉側に指を指しガタガタと震えた全身で伝えた。
「ルーズベル……いつの間にそこに…いたの……?」
背中からゾワッと冷たい空気を感じ取った。
恐る恐る扉に目を向けると、そこには神と見間違える程に美しい見た目をした。弟が立っていた。
彼の「美」が冷たいくらいに完璧で、人間味がない……まるで本当の神のような恐ろしさ。
彼がそこに立っているだけで、ここは天国なのではないかと錯覚をするほどだ。
「お兄様、ナズナから離れてくれるよね?なんてたって僕の命令なんだから。」
彼の言葉一つで、空気が変わった。まるで世界が彼を中心に回り始めたみたいに。
フワッと可憐な笑顔で、だが瞳の奥は欲望にまみれている。
動きが滑らかすぎて生き物っぽくない。
笑顔のまま吐息が冷たい。
その異様な光景に、僅かに生き残ったクラスメイトが嘔吐し始めた。
恐怖で強ばりながらも、俺はナズナの前に立ち、弟を睨みつける。
「お前、そん……そんなことをする為に、こんな事したのか……っ!!」
震える手は隠しようもない。カッコつけてはいるが、ナズナには気づかれているだろう。無理をしていることに。
それを見透かすように、ルーズベルは彫刻のような微笑みを浮かべた。
その顔には、人間らしい感情の起伏など、一片も感じられなかった。
「はは、お兄様……僕の命令、聞こえなかったのかな?」
その声は囁くように優しく、それでいて氷の刃のように冷たい。
まるで“神が怒る直前”の静けさ。
「質問……に、答えろよ……!!」
俺の叫びが教室に響くと同時に——ルーズベルの表情が、音もなく“無”に変わった。
端正な笑顔が消え、息をすることすら忘れるような静けさが支配する。
「僕、"ナズナから離れろ"って、言ったんだけどなぁ。」
淡々としたその一言が、世界の色を奪った。
空気がピシリと裂けるような音がして、誰も動けなくなった。
かろうじて微かに反論する。
「それは…………、断るっ……!!!!!」
俺はコイツの兄だ……!!こんな醜い感情…誰にも見せたくない、幼稚だと分かっている……!
だが!
俺はコイツの兄なんだ…………っっ!!!!!
すると、ルーズベルはスっと視線を別の場所へ向ける。
どこを見ているんだ……?
視線の先に顔を向けるとロッカーだった。
スゥ……と彼が口を開く
「そこにいるのは誰かな?」
するといきなりガタンガタン!とロッカーが動き始めた。
「あ、あれ?!なんで開かないんだろう!!ちょ、ちょっと壊れちゃったの?!マユ!開けるの手伝いなさい!!」
ロッカーから聞き覚えのない声が聞こえる。
ナズナはずっと立ち上がり、ブツブツと呟く。
聞き耳を立てて聞くと
「なんでなんでなんで…原作と流れが違うじゃん……!」
よく表情を見ると、普段見せないような恐怖と絶望の顔をしていた。ルーズベルが現れた時よりも酷く怯えていた。
「ナ、ナズナ……、どうしたんだ……?」
「も、もう!無理なの!!!終わりなの!!!!」
彼女はボロボロ涙を流し目を血走らせて発狂する。
「全部違う、全部狂ってる、誰のせい?!私のせいだとでも言うの?!」
そしてガタガタとロッカーを開ける。
開くとそこには、クラスメイトが残っていた。
「え、セラさん……?なんでそこに居るんだ……?」
「え、わぁ!このモブ、セラって名前なんだ!!さすがアーベル!優秀〜」
と、ケラケラ笑いながら拍手する。
セラさんはナズナの肩に手を置き耳元で何か喋っている。
続けてセラさんは俺と弟を見てニヤリと笑う。
「愛おしい君達だけど、私のせいで愛しさ半減〜!ごめんね!」
普段のセラさんでは考えられないほどの表情変化。
とは思うが、正直セラさんの普段はよく分かっていないのが素直な意見だ。
「でもでも!こういう結末も……まぁアリかな?君たちが選んだ選択全てを愛すのがヲタクってもんよね!!」
「ナ、ナズナ……知り合いなのか……?」
当たりを見渡すがナズナが居ない……。どこへ行ったんだ?!
「お、おいルーズベル!ナズナが消えた!!」
俺の発言にハッとしたのかルーズベルも当たりを見渡す。
あのルーズベルが気付かなかった…だと?
「セラさん…君は一体……」
「でもまぁヲタクだけど、もう今の君達には興味無いや。」
「何を言って…
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そしてまた物語は序盤へと戻って行った。
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何故なんだろう?
何故ルーズベルは私の存在に気がついたんだろう……。
うーんうーんと声をうねらせ、悩む。
「……や、やはりロッカーに隠れていた事がいけないのでは?」
いつの間にか後ろにいたマユが声をかける。
「原作通り動いても、原因を探さない限り意味無いか……、マユ、いい判断だ!」
指をパチン!と鳴らしウィンクをしながら指を指す。
そして外界の干渉を受けず思考を深く掘り下げられる、箱庭の空間に入った。
「じゃあ上映スタート〜!」
ワハハ!と呑気にポップコーンを食べながら前回の記憶を再生させる。
ここは私が考えた箱庭だ。映画館のように変えるのも余裕余裕〜
隣にマユを座らせて、前回、何故ルーズベルが私の存在に気づいたのか観察を始める……間もなく。
「あーん!ここのアーベル!表情……本っ当にかっこいい!!ガクガク震えながらナズナを守って……!!愛おしい〜!!!」
隣で騒ぎ、はしゃいでいるアユミにマユは冷たい目線を送る。
「も〜クソザコの癖に守ろうだなんて、頭悪いんだから!!でもそこが好き♡」
ジタバタと動く為、ポップコーンが床に落ちる落ちる。なんならマユの頬に当たったりもする。
「アユミさん。原因を探すのではないんですか。」
「え??聞こえなーい!」
そう言ってリモコンで音声を大きくし、爆音で流す。
完全に推し活になっている。
アユミはそんな事にも気が付かず、ひたすら推しを眺める。
はぁ、とマユは重いため息をし、リモコンを取り上げ、映像を無理やり止める。
「アユミさん。私だって……まぁ、」
マユは少し躊躇いながら続ける。
「原作通りに……動かしたいんです。彼らを見て悶えるのは結構ですが、原因を見つけるまで我慢してください。」
ぶぅっと不貞腐れたように頬を膨らませて椅子に座り直す。
「はぁー、分かってるよ〜。原因もまぁ……察しはついてるしぃ〜?」
散らばったポップコーンを蹴散らし、箱庭の一部に融合させた。
「マユだって、ある程度察したでしょ?」
「まぁ、ある程度は。」
「じゃあせーので言おう!せーの」
「私がちょっとだけ感極まったからだよね!」
「アユミさんのオーラが一気に増えたからです。」
……ん?
少しの沈黙が流れた。
お互い何を言ったのか確かめ合う。
「わ、私のオーラが増えた?」
「感極まった?本気ですか?」
そして更に沈黙が流れた。
2人は同時に同じ事を思った。
『何を言ってるんだコイツ』
最初に口を開いたのはアユミ。
「オーラが増えたってどうやって分かったの?」
残ったポップコーンを鷲掴みにし一気に食べる。
マユはそんな下品な食べ方にドン引きしながらも答える。
「ナズナちゃんのスキルなのか分かりませんが、一瞬あなたから赤いオーラが見えたんです。」
「ナズナちゃんのスキル?それは無い!だって彼女のスキルは愛だもの!!そんな詳細言及されてなかった。」
「スキルでは無かったとしても、確かにオーラが溢れた瞬間、ルーズベルが気づいたんです。」
「じゃあ何故溢れたのか……、それに何故オーラが見えた……?」
ブツブツとアユミは呟く。
「原作のナズナちゃんだとそんなスキル無かった。これが転生した際の特典か何か…?だとすると、私が死んでも生き返ってる。って謎にも納得出来る……。」
スっとアユミは立ち上がり、箱庭に
映し出されていた映像が消え、椅子がふわっと溶け、暗がりが陽光に包まれる。
いつの間にか見慣れた暖かい空間に変わっていた。
アユミはウロウロと歩きながら続けて呟く。
「そして原作と違う行動を取ったのは私。私があの時死んでいれば物語は続いていた……?」
グルグルとマユの周りを歩き始める。
「原作通りになれば、アーベルやルーズベルが苦しんでくれる。でも私の存在は邪魔……それでも私は居たいし、見たい……!!」
アユミの終わらない葛藤に終止符を打つ為、マユはコホン!とわざとらしく咳き込む。
「では、その仮説を立証させる為に、物語を始めますか?」
マユは冷たい目線でアユミを見上げる。
「そうね、1回目試してみようか。お願い出来る?」
アユミは純粋な笑みのままマユの両肩にポン。と手を載せ、マユの視界に顔を覗かせた。
マユは一瞬だけ眉を動かし、
首元に手を当て一瞬で意識を手放した。
死に際、マユは悟ってしまった。
“もう二度と死にたくない”――そう誓ったばかりの願いが、
アユミが生きている限り、決して叶わないという現実を。
この世界で彼女は、精神的拷問を平気な顔で行う。
誰より原作に詳しくて、誰より原作を愛しているはずの彼女が、
その「愛」を口実に、キャラクターを殺しにかかる。
酷い転生だ。
これはきっと、地獄の悪趣味な冗談だ。
意識が闇に呑まれていくその瞬間――
マユの胸に煮えたぎるような感情が、ひとつだけ残った。
コイツさえ死んでくれれば……
それは祈りではなく、呪いにも似た願いだった。
燃えさかるような憎悪と嫌悪が、マユの魂の奥に刻み込まれた。
そしてすべてが、暗転する――。