表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/18

第6話

明るすぎるほどの光が差し込む、人工的に整えられた静かな空間。

一見、心地よさそうな庭園──けれどどこか、現実感のない「綺麗すぎる世界」だ。

花は風もないのに揺れて、鳥の声はまるで録音のように繰り返される。

そんな歪な楽園の中心に、アユミは立っていた。


「マユ、最終テスト!全然重要なシーンじゃないけど、だからこそ、大切なものってあるよね!」


満面の笑みで振り向いたその姿は、まるで子供のようだ。

だけど――マユはその笑顔がいちばん不気味に感じた。


「え、あ、はい……。」


白いベンチの端に座っていたマユは、びくりと肩を震わせながら返事をする。

背後の草木が微かに揺れたような気がしたのは、風のせいではない。

彼女の恐怖が、景色すら撓ませていた。


「アーベルの『ナズナ、俺はこの先どうしたらいいんだろう』の続きのセリフはなぁんだ!」


ぱんっ、と手を叩き、軽い調子で訊ねるアユミ。

その無邪気さは、残酷さの裏返しだった。


マユは唇を噛みしめながら、一呼吸置き、答えた。


「……、はい。その次のセリフは…『……っ、私はアーベルが選んだ道なら全部肯定する。ずっと一緒にいるよ。』です。ここのシーンは普段毒舌なアーベルが、ナズナ…私に弱みを見せるシーンです。」


言葉は正確だった。

でも、それ以上に正確だったのは、マユの“演技”。

まるで、実際にその場で体験したような抑揚、マユ自身の感情を削ぎ落とした声音。


「うんうん!それでそれで?」


にこにこと、アユミは嬉しそうに身を乗り出す。

しかしマユは、淡々と続きを口にした。


「そして初めて見せるそんな姿に、嬉しさと悲しさが混ざり、普段とは違う、苦しい笑顔を向けます。」


その瞳には、もはや“意思”がなかった。

すっかり、感情の抜け殻。


まぁこの答えは少し惜しいが、ほぼ正解だろう。


アユミは内心でそう呟く。

マユの声、表情、すべてが“演じる”ことに染まりきっている。

その様子を見て、思わずフンス!と鼻息を荒くする。


こうやって少しずつマユを殺していけば、ナズナちゃんになってくれるだろうし…道は長いぞ!頑張れ私!!


アユミは、目をキラキラと輝かせた笑顔で――


「じゃあほぼ正解だし〜!物語始めましょっか!」


「…!」


突然、アユミはマユの腕を引き、地面を蹴るようにして放り投げた。

柔らかく包んでいたはずの箱庭の景色が、ビリッと裂け始め、彼女の身体を空間の外へと弾き飛ばす。

まるでガラクタを捨てるように、容赦なく。


目の前で死んで欲しくないし……実際、この箱庭で何日過ぎたのかも分からない。


アユミはそう呟き、スカートを直しながら、遠く消えていくマユの影を見送った。

芝の上に残った足跡すら、数秒で消えていく。

すべてが、アユミの思い通りの箱庭。


さぁマユよ!箱庭の実験対象として頑張ってくれ!


空に向かって満足げに笑うアユミの顔に、あのいつもの“無邪気な笑み”が、深く深く刻まれていた。


───────────────────


いきなり、何かに引きずられるような感覚と共に――アユミの手によってマユは箱庭から放り出された。


眩しい光が一瞬だけ瞼の裏を焼き付けて、次に見えたのは…黒ずんだ空。

まるで燃えかすのように煤けた雲が、空全体に広がっている。陽はなく、風もなく、ただ重たく湿った空気が身体に絡みつくようだった。


ごつごつとした岩肌の地面に叩きつけられ、全身を打ちつける痛み。

荒れ果てた土地。草木も無く、地面には何かが焼け焦げたような跡があちこちに残っていた。空気は鉄臭く、かすかに生臭さすら混ざっている。


「……ここ、どこ……?」


何かがおかしい。ここは、私が覚えた原作の世界ではない。

けれど箱庭でもなければ、前世の世界でもない。

あまりにも不気味で、冷たくて、絶望的な場所だった。


早く、早く逃げなきゃ。ここにいたら、絶対に――


何か良くない事が起こる。と直感した。

震える膝を押さえ込み、無理やり立ち上がろうとした瞬間。


「ッぐあッ!!」


鋭い衝撃が、脳髄を突き抜けた。

右足首が、ありえない方向に捻じれている。

皮膚の下で、骨がズレた音すら聞こえたような気がした。


「だれか……っ、助け……っ!」


必死に絞り出した叫びは、空間に吸い込まれ、音のすべてが飲み込まれていく。

返ってきたのは反響じゃなく――


“ズズズ……ズ……ズ……”


重たく、湿った、肉を擦るような足音だった。


「……なに……?」


影が、ひとつ。


最初は熊かと思った。けれど、違った。

狼にも見えた。けれど、違った。


毛皮の間から剥き出しになった肉のような皮膚、

左右で高さの違う肩、ねじれたような足、

地面を這うように動く前肢――それは、まるで“人間の手”。


その異形の“何か”が、音を立てずにじわじわとこちらに近づいてくる。


「ッ、いや……来ないで……!」


呼吸が浅くなる。耳の奥で心臓が爆発しそうに脈打って、胃の奥がぐにゃぐにゃと捻じれる。


「誰かっ、誰か助けて――!!」


足を引きずり、這うようにしてその場を離れようとする。

でも、足首が痛すぎて、手も膝もすぐに血で濡れた岩に滑って崩れ落ちる。


その間にも、“それ”は一歩ずつ確実に迫ってくる。

一歩踏み出すごとに、地面が震える。

まるで、世界がその生き物の存在に耐えきれず、悲鳴をあげているようだった。


……誰も来ない……


そう気づいた瞬間、マユの表情から希望が剥がれ落ちる。


そうだ。

ここは原作の世界じゃない。もう、“物語”なんかじゃない。

だから――


せめて……せめて……


まともに死にたい。

悲鳴も出せずに食われるのなんて嫌だ。

目の前で、自分がぐちゃぐちゃにされていくなんて、そんなの、そんなの――


「やだ……やだやだやだ……!!」


崩れ落ちた地面の上で、マユは泣き叫んだ。

だけど、声はもう、どこにも届かない。


ただその“獣”だけが、彼女の命の匂いに惹かれるように、

ずぶずぶと黒い爪を引きずりながら、距離を詰めていた。


「っ、どこか、なにか……っ」


死ねる道具。

自ら命を絶てる何か。

それだけが、この地獄のような空間で、唯一“自分の意思で終われる手段”だと分かっていた。


けれど――見つからない。

転がっているのは石くれだけ。岩はどれも鋭利さがなく、喉を裂くどころか、手を傷つけることすらできない。


終わる方法が……ない。


絶望に染まりかけたその時。


ぬるり。


太ももに、柔らかく、どこか生温い、湿った感触。

まるでナメクジが這うような気味の悪さに、思わず声を漏らしながら身体を仰け反らせた。


「ひッ……!」


粘液は透明で、ねっとりとしていた。

ゆっくりと重力に従って滴るそれは、ただの水なんかじゃない。


これは、“それ”の――涎だった。


ぞくりと全身に鳥肌が立つ。

背骨に氷柱でも差し込まれたかのように、身体が動かなくなる。


視線を上げる。

そこにあったのは、“それ”の顔。


もはや形容しがたい。

眼は、ぎょろりと丸く、光も感情もなく、ただひたすらに“こちら”を見ている。

口は笑っているようにも見えた。

喉の奥から漏れる音は、言葉でも声でもなく、唸りでも鳴きでもなく――悦び。


エサを目の前にした、獣の“歓喜”だった。


「はっ……はっ……、だ、誰か……」


口だけが震え、声にならない声が喉を掠れる。

アユミに抱いた恐怖なんて、所詮“言葉の範囲”だった。


今、目の前にあるのは――本能の崩壊。


身体が、思考が、心が、“それ”の前で凍りついていく。


巨大な口がゆっくりと開かれる。

その奥は漆黒で、光が一切届かない奈落。

咀嚼された何かの匂い。胃酸と血が混じったような腐臭。


牙が見えた。

白くなどない。

赤黒く染まり、ギザギザと鋸のように並んだ歯。


食われる。

このまま、生きたまま、痛みも感じたまま、ぐちゃぐちゃに砕かれて、喉に流し込まれる――


「……ああ、もう……」


呼吸すら忘れた。

声も出ない。

心臓の音だけが、やけにうるさい。


目の前に迫るその口が、世界のすべてに見えた瞬間――


ズバンッ!!!!


風を裂く鋭音と共に、“それ”の首が音もなく吹き飛んだ。


ぐにゃりと倒れる獣の身体。

内側から溢れる血と肉の塊が、地面を染める。

熱い匂いが鼻を刺す。


時間が止まったようだった。

思考も、視線も、全てがその場に縫いつけられて動かない。


耳を打つように響いたのは――

少年の、高らかな声。


「ハハハ! 我が来たからには、もう安心していいぞ、小娘!」


まるで物語の一節みたいな台詞と共に、獣の崩れた死骸の向こうから姿を現したのは——


光だった。


いや、光に包まれた“人”だった。

朽ちた肉の山から差す陽の光が、ひときわその身体を照らす。

瞬間、世界がそこだけ止まったように見えた。


彼の髪は、雪のような白髪。

触れたら溶けてしまいそうなほど繊細で、それでいて一本一本が陽の光を反射し、淡くきらめいていた。

頬をかすめた風に、柔らかく流れる髪が舞うたび、まるで舞台の幕が揺れているようにすら感じられる。


肌も雪のように白く、指先から足の先まで、線一本に無駄がなかった。

透明感すらある肌が、空気に溶け込むように儚い。

今にも、触れたら消えてしまいそうだった。


けれど――その瞳だけは、圧倒的だった。


黄金。

まるで溶けた金属をそのまま閉じ込めたような、濃密で、凶暴なまでの輝き。

その光が、ただ“そこにいる”というだけで、全ての視線を支配する。


目が離せなかった。

いや、離せるわけがなかった。


この世の全てが背景になってしまうほど、その“少年”は美しかった。


その顔立ちは、どこかルーズベルに似ていた。

けれど彼よりも少し幼く、少年らしい柔らかさを残していた。

それなのに、醸し出す存在感は、まるで世界の“頂点”に立つ者のようだった。


荒地に立つ彼の足元には、花も草も風も、息を吹き返すように輝く。

雲は動きを止め、風は彼を避けて吹いた。

周囲の色さえ淡く滲み、彼を引き立てる背景と化していく。


私は、呼吸を忘れていた。


彼の一挙手一投足が、目の前の世界すべてを支配していた。

一歩進めば大地が息を呑み、指を上げれば空が脈を打った。


ただの“立ち姿”が、神の降臨に見えるほどだった。


あまりにも……

あまりにも綺麗すぎて、現実感がなかった。


しばらくのあいだ、感謝の言葉すら出なかった。

脳が動いていなかったのだ。

ただ、呆然と、彼の存在を見つめていた。


ようやく「ありがとうございます」と言葉を絞り出した時、彼はふっと胸を張って、満足そうに笑った。


「良い!勇者ともあれば、このような行為は当然の事だ!だが、もっと褒めよ!!!」


その声は空に響き渡り、鳥たちさえも黙らせる覇気を纏っていた。


私は目を瞬かせる。


……勇者?

なにを言ってるの、この少年は。

勇者はアーベル。

それが“原作”の、決まった設定だったはず。


じゃあ、この目の前に立つ、あまりにも美しい少年は……いったい、何者?


訝しむ私の顔をのぞき込んできた少年は、まるで悪気もなさそうに口を開いた。


「ほほう? 随分と愛くるしい顔立ちだな」


……はい、失礼。


助けてくれた“救世主”のはずなのに、さっきの感謝を撤回したいくらいの不快なセリフだった。

そのうえ、無遠慮に距離を詰め、こちらの顔をじろじろと見つめてくる。


この子供……なんか生理的にムリなタイプかもしれない。

表情にも出ていたのだろう、少年は顎に手を当て、妙に芝居がかった口調でさらに話を続ける。


「それにしても……なぜこのような小娘が、グランデオンにいるのだ?どこから来た?」


……ぐ、グランデオン?

聞いたことない。

少なくとも、原作には一言も登場しない名前だ。


不信感と困惑が混ざった表情を浮かべたまま、私は黙り込んでしまう。

そんな私の態度が気に食わなかったのか、少年は大げさに肩をすくめて腕を広げた。


「そんな黙っていては、救えるものも救えないではないか!」


アメリカの深夜コメディか?と思うほどの芝居じみたリアクション。

声量もやたら大きく、遠くの枯れ木に止まっていた鳥がバタバタと飛び立った。


はぁ……本当にこういうキャラ苦手だ。

どこかアユミにも似ている気がする。自分本位で、空気を読まず、世界を自分のものだと信じて疑わない。


「……しょうがない。これはあまりやりたくは無いのだが……」


少年がふいにトーンを落とす。


それは、今までの軽々しい声とは全く違った。

低く、深く、響きのある声音だった。


そして——その指が、空を切るように軽く弾かれた。


パチン。


乾いた音が、空気を切り裂く。


その瞬間——

金の瞳が、光った。


いや、“光った”というより、“放った”。

瞳から迸るように神々しい輝きが走り、辺りの景色が一変する。


空気が震えた。

重力が変わったような錯覚に襲われる。

枯れた草木がたわみ、空が、光に焼かれて溶けていくように感じた。


この世界の“格”が一段、上がった気がした。


少年の身体が、まるで太陽を内に抱えたかのように発光する。

その眩しさに、思わず目を細めた。


そして、彼の口から告げられたのは信じ難いセリフだった——






「スキル……【神聖】!!」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ