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第12話

「それは…………、断るっ……!!!!!」

俺は霞む視界、震える手。立っているだけで、喋るだけで、呼吸をするだけで痛い状態のまま弟の名を呼んだ。

もう動けない。けれど、視線だけは逸らせない。


「ははっ……お兄様ぁ……」


ルーズベルは、まるで照れ隠しでもするように微笑んで、

すっと顔を手で覆った。

透き通る白い指の隙間から……

この世のものとは思えないほど美しい、金色の瞳が、こちらをじっとりと見つめている。

その視線には、慈しみも、喜びも、憎しみもない。

ただ、深く沈んだ静かな狂気だけがあった。


「――いや、お兄ちゃんだけだよ?」


その声は優しい。懐かしい。

それなのに、背筋が冷たくなる。

“あの頃の”声に、ほんの少しだけ似ていた。

けれど、それはもはや別のもの。


「僕のお願いをさぁ、断るの……?」


くすっと笑った唇に、そっと指先を添える。

その仕草は、まるで少年のように無垢だった。

けれどその顔は――神の仮面がひび割れる、直前の瞬間だった。


「……あー、おっかしい……」


音を立てて何かが崩れる気配がした。

美しく、神聖で、崇高だったはずのその顔が、

ほんの僅かに、しかし決定的に歪んだ。


「またあの頃みたいに……僕のワガママ、聞いてくれる…よね?」


まるで無邪気な弟のような声でそう言った。

でも、その笑顔の奥に潜んでいたのは――

“神が悪に堕ちた”という事実そのもの。

それは、美しくて、神々しくて、

それでも、どうしようもなく“おぞましい”。

この瞬間、確かに――神は笑って、堕ちた。

仮面の下にいるのは、弟だった。


けれど――

人でなくなった弟。

息を呑む。

次に何が始まる。


ルーズベルの瞳の動きも、呼吸も全て見ていないと次の攻撃に備えられない。

いや、備えられるのか?

そんっなのはどうっでもいい!!

ナズナは、守らなきゃいけない。


……違う。

守らなきゃいけない“フリ”をしなきゃいけないんだ。

俺が、兄だから。

俺が、劣った方だから。

俺が、ずっとずっと、お前の“影”だったから


「ルーズベル……」


言葉にならない声が喉の奥で絡まる。


“なんで、お前はそんなに綺麗なんだよ”

“なんで、俺じゃなくてお前なんだよ”


昔は天使のように愛らしくて、俺を見るとキャッキャと自然な笑顔を向けてくれて。


俺がいなきゃ、何もできなかったくせに――


今は、あんな顔して。あんな目して。

まるで、神様みたいな顔して。

俺の全てを置き去りにして、光の中に立ってる。


それが羨ましいなんて、思いたくなかった。

妬ましいなんて、言いたくなかった。

俺は…兄なのに。

なのに、こんなにも惨めで、こんなにも弱くて。


「ナズナは…絶対に……渡さない…っっ!!!!」


この声に、どれほどの意味がある?

威厳も、誇りも、兄としての価値も、全部擦り減って、弱い人間の意地だけ残って……。


それは、ただ目の前に堂々と立つ神への願いでしかない。


「はぁ……、なんでダメなの?」


――なんで、だと?

ふざけるな。

こっちは、どれだけの感情を詰め込んで、ようやく言葉にしたと思ってるんだ。


俺がどれだけ、お前に……自分に……抗ってきたと思ってるんだ。

それなのに。

お前はそれを知ってて、笑ってるんだろ。

だから、その質問をしたんだろう。


唇が震える。

怒りなのか、悲しみなのか、悔しさなのか、もうわからない。

俺が、必死に掴み取ったこの“感情”も、

お前の前じゃ、まるで子供の戯言みたいに見えるんだろう。


――くそ……


そうだよな。

お前は、何一つ、俺の痛みを知らない。

知っていても知らないフリをする。

あの頃のルーズベルは、もう

どこにもいない。


「アーベル!!!」


その声はまるで、張りつめた俺の心をぶち壊す一発の爆音みたいだった。

振り返ると、ナズナがいた。


ふわふわしてるはずの彼女が、今は全身に“必死”を纏ってこっちを見てる。


「逃げるわよ!今すぐここから、ルーズベルの元から!!」


言いながら俺の腕をぐいっと掴む。その手は震えてるけど、力強かった。


「……ナズナ」


俺はその名を静かに呼ぶ。驚いてるのか、呆れてるのか、自分でもよくわからない。

けれど、確かに心の奥が、すこしだけ温かくなった気がした。


「アーベルが言ったのよ!逃げるしかないって!立ち向かってどうするの!」


焦りながら叫ぶナズナの顔は、泣きそうで、でも諦めてなくて。

その姿に、胸の奥が少しだけざわついた。


「……落ち着け」


俺は静かに彼女の手を外す。


「近い、うるさい、……あと、顔が赤いぞ」

「……アーベだけには言われたくない…」

「……黙れ」


視線を逸らしながら、俺は小さくため息をついた。

だけど、口元だけは、ほんのわずかに緩んでいた。


ルーズベルはその場に漂う雰囲気に、もはや耐えられなくなったのか、

先ほどまでの静かな威厳を脱ぎ捨て、まるで感情を制御しきれない少年のように声を荒らげた。


「だから!お兄ちゃん……!離れろって……!!」


その叫びと同時に、彼の手から魔力が弾けそうになった瞬間――

空気を断ち切るように、鋭く、それでいて静かな声が空間を裂いた。


「主様、お戯れをよしてくださいませ。」


ルーズベルの指先が、あと1センチで俺の額に触れようとした瞬間だった。

その声に俺の体は反射的に跳ね、尻もちをついてしまった。

ゆっくりと顔を上げると、扉の前に――見慣れた制服を纏った、我が家の使用人たちが立っていた。

その表情はまるで“嵐の前の静けさ”のように無機質で、あっけらかんとしていた。

ルーズベルは振り返らない。ただ、声だけで応じる。


「……タイミングが悪い時に来たね。」


「このまま続けられるのであれば、実力行使に移ります。どうか、ご了承ください。」


室内に、張り詰めた静寂が落ちる。

数秒の沈黙。息を呑むような圧。


「……はぁ。」


ルーズベルは小さく、ため息を吐いた。

さっきまで浮かべていた“弟”の表情は、まるで仮面を被るように――いや、貼り付けるように変化する。

神のように穏やかな、つくりものの微笑み。

だが、その奥にある瞳だけは隠せなかった。

金色の光の奥底に、狂気と独占欲が渦を巻いている。

それは――ナズナに向けられていた。


「……また、会いに行くね。」


金の瞳が細められ、にこりと微笑む。

その笑みは、神の微笑に似て非なるものだった。

ルーズベルと使用人たちは、何もなかったかのように静かに、教室を後にした。


残された俺たちは、まるで嵐の通り過ぎた後の廃墟みたいだった。


「はっ……はぁ……っ」


ようやく肺に空気を取り込めた。

どこか遠くで鼓膜がまだ震えている気がして、全身が重たい。

心も、体も、擦り切れた布みたいにボロボロだ。


「……夢、だったのか……?」


思わず、そう呟く。

でも、服に残ったルーズベルの香りや、掴まれた腕の感覚はあまりにリアルで。

それが夢じゃないと突きつけてきた。

先ほどまでの出来事は、まるで俺の人生を丸ごとひっくり返して、感情も理性もぐちゃぐちゃにかき回したみたいだった。


「……ルーズベル……何考えてるんだよ……」


ナズナは、まだ震える手で俺の袖をつかんでいた。

あの彼女でさえも、今は黙り込んでる。

ただひとつだけ、はっきりわかるのは――

ここから、何かが始まってしまったということ。

それはきっと、元に戻れないくらいに歪で、

抗いきれないほどの地獄だ。


そして俺は、知らず知らずのうちにその中心に引き込まれていた。



ーーーー


第1章 終わり


ーーーー



「はっ、はぁ……!!!」


箱庭が揺れるレベルで私は叫んだ。

いや、もはや叫びというか、これは祈り。感謝。生きた証。推し尊い供養。


「すっっっばらしい……!原作……!!完成された原作が……今……この目の前に……!!!」


自分の両頬をパァンパァンと叩きながら私は天を仰ぐ。

鼻血でも出そうな勢いで。いや、むしろ出ろ。


「ちょっと待って、え?これ、夢じゃないよね?ねぇ私、いつの間にこんなに徳を積んでたの!?生前?違う違う違う!今!今の私の執念と愛と狂気がこの原作を救ったの!!」


腕をブンブン振り回して回転しながら、箱庭の床に頭をガンってぶつけた。

でも痛みすら尊い。むしろご褒美。


「神様ーーー!!!祝福ください!!いや、もう祝福されてたわ。推しが!!地獄に向かって!!滑り台ノーブレーキで突っ込んでいくのが!!!尊すぎるってぇぇ!!!」


私はゴロンゴロン転がりながら、涙とよだれを分泌しまくる。


「アーベルがっ……!!ルーズベルがっ……!!これからどんどん、苦しんで、堕ちていくんだよね!?え、最高じゃない!?嬉しすぎて心が爆発したわ!!今、五回くらい!!!」

満面の笑顔で天井を指さす。


「オタクの財産ってさ、なにより“推しが一番苦しんでる瞬間を見届けられること”なんだよね……」

涙がキラリと頬を伝う。


「ありがとう……私……生きててよかった……」


が、ここからだ。

原作では、このまま――突然、場面が変わる。

アーベルの自宅へ、舞台がスッと切り替わるのだ。

でも……ここは、漫画じゃない。ページもないし、カットもない。

これは、現実。リアル。空気も、血も、鼓動も全部“本物”。


私は――ドキドキしながら、ゆっくりと意識を人形へと移した。


お願い……カミサマ……お願い、お願い、このまま……原作通り……2話の状態へ……!!


祈るように、必死に。


……


「ナズナ、大丈夫か?」


時が、止まった。

……ように感じた。

現実では、たった数秒。

けれど私とマユの中では、それが永遠のように長く伸びる。


進んでる……リアル時間で、進んでる……!?


私たちは、一瞬で理解する。

目の前のアーベルの声が、体温が、全部“本物”だ。

頭の中で、目まぐるしく、激しい思考の嵐が吹き荒れる。


マユは、ナズナとしてこのまま“守られるヒロイン”を演じるべきか?

それともアユミの目を盗んで、アーベルを“原作外”で救う行動に出るべきか?

何か行動を起こしたら、アユミにバレる?また“調整”される?


一方アユミは、己の脳内アーカイブを必死にフル回転させていた。

2話では……どうだった?ナズナとアーベルは、どんな会話を交わした?どこまで踏み込む?どんな距離を保つ!?

なのに、今のやり取りは……原作にはない。


「おい、ナズナ…そろそろ腕をどけろ。」


まずい、台本がない。アドリブだ。間違えれば“改変”だ。

マユとアユミはその声すら、音の粒がスローモーションのように届く。


「ナズナ」


そう言って、アーベルがそっとナズナの頭にコツンと指を当てる。

「きゃあっ!」

反射的にマユが叫んだ。セラの死体から少しオーラが動いたのを、感じた。


マユとアユミは、無闇に喋れない。

一言が致命的になる――だから、言葉を、選ぶ。削る。迷う。

マユの心臓は、自分の鼓膜を震わせるほどドクドクと暴れまわる。

震える唇が、ようやく掴んだ言葉は。


「ルーズベルに……何か起こったのかな?」


一瞬の沈黙。


その沈黙の中で、アユミは目を細めた。

けれど、アーベルは、ふっと息を吐くように呟いた。


「そうだな……俺も、未だに信じられない。

幼い頃に見たルーズベルは、優しくて……愛らしかった。」


アーベルは静かに、血のついたジャケットを脱いだ。

その指先も震えている。

シャツを整え、乱れた髪をかき上げ、メガネをクイッと戻す。


「こうなってしまったのも……何か、理由があるのかもしれない。」


“推しが苦しんでる姿”、アユミの内心はもう歓喜で昇天しかけていたが、顔には出さない。

表情一つ間違えば、全部壊れる。それほど、現実は脆い。


「よし、ナズナ。行こう。」


正解は――わからない。でも、ここで立ち止まれば、物語は止まる。


……これで、合ってるのか……?


誰にも答えられない問いが、二人の心に渦巻いていた。


1章が終わりました!

2章開幕までしばらくお待ちください!

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