第11話
幾度も原作を崩している原因――おそらく、私の感情の“高まり”。
確証はない。でも、私は知ってる。
一回目も、二回目も、そして今回も。
ルーズベルが私に視線を向けた、その瞬間――
私の心は、感情に呑まれていた。
推しを前にして、息が止まりそうになる。
この世界の重力が変わったような錯覚に陥るほど、心が一気に持っていかれる。
嬉しさも、尊さも、焦がれるような憧れも。
それら全部が、呼吸よりも速く波となって胸に溢れ、内側から私を焼きつくしていく。
なるほど、そういうことか。
原作からのズレ。
その兆候は、マユが言っていたオーラ。
おそらく私の“原作への愛”が爆発したオーラだったんだ。
……やば。
これ、ガチで推し活するの、難易度高すぎじゃん……。
私はこっそり唇を噛む。
ほんの少しだけ爪が手のひらに食い込むように拳を握った。
痛みが、現実へ引き戻してくれる。
けど、それでも足りない。
鼓動は収まらず、顔の筋肉がビリビリする。
笑いたくて、泣きたくて、叫びたくて。
すべての欲望が喉までこみ上げてくるのを、私は食いしばって耐えた。
けど、私の中の冷静な部分が言う。
“この現象には法則がある”。
感情の波がピークになった時、オーラを感じた彼はこちらを“見て”くる。
そしてそれが物語に干渉する引き金になっている。
つまり、推しに感情を向けすぎると、世界が歪む。
――それなら、制御すればいい。
うん。わかってる。
私の理性、まだ生きてる。ギリギリ、保ってる。
視線を下げ、アーベルの顔を見ないようにする。
心臓がドクドクとうるさい。
でも表情筋には命令を出す。“何も感じていません”と演じろ、と。
ここで取り乱したら、アウト。
ここで泣いたら、崩壊。
ここで“好き”が漏れたら、私はこの物語の癌になる。
ヲタクとして……原作を守るために、
私は自分を“隠し通さなければならない”。
心の中では何度でも絶叫していい。
けど、顔は“無”でいろ。
肉体が燃え尽きても、感情は表に出すな。
“私はモブ”。“私は背景”。“私はただの空気”。
私は彼を見ていない。
私は彼に惹かれていない。
そう言い聞かせながら、ただただ呼吸を整える。
震える指先を隠すようにスカートの裾を握りしめる。
耐えろ。耐えてみせろ。
これが、原作に対する最大の敬意なんだから……!!
「ふぅ〜…」
ため息をついた、その一瞬が命取りだった。
いや、違う。わかってた。わかってたけど――準備が間に合わなかった。
何度目か数えるのも億劫になるほどの攻撃が、容赦なく私の頭を打ち抜いた。
ズドン、という衝撃音と同時に視界がぐるりと回転し、鮮やかな赤が一面に滲む。
首の角度がおかしい。重力に逆らえず、体は勢いよく床を転がっていく。
そう…!!!!
ここからが本番。
私は一秒の猶予もなく体を動かした。
吹き飛ばされた瞬間に、ボロボロのまま全身をねじ込むように箱庭へと移動する。
体の節々が動かしにくい。頭がぐらつく。でもそれどころじゃない。
ほんの少しでもオーラが溢れてしまったら――
ルーズベルに気付かれる。
そしたらまた、またまた原作が崩れる。世界が狂う。あの美しい物語が歪む。
だけど、今回は違う。
私は確信していた。この方法が、現状で最も確率の高い生存ルートだと。
こんなこと、前の私じゃ絶対に思いつかなかった。
……悔しいけど、前に出会った“少年”のおかげだ。
あのときの記憶が、まだ焼き付いてる。
あの目。あの速さ。あの殺意。
無様に、何回も、何回も殺された。
反応する間も、考える時間も、叫ぶ隙さえ与えられずに。
でも、ほんの一瞬だけでも箱庭に逃げ込めていたら――
きっと、あの少年を抑え込む手段を編み出せていた。
今ならできる。
その後悔が、今この瞬間の私を生かしてる。
私は箱庭に身を滑り込ませるように転がり込むと、荒い呼吸を抑えながら即座に動いた。
スキル【創造】を発動。
片膝をつきながら、両手を地面へ突き立てる。
ごりごり、と粘土のように動く物質が湧き上がる。
無機質な塊に、頭部、胴体、四肢のアウトラインを急ピッチで形作る。
精密さは捨てた。目的は“死体”だ。違和感さえなければ十分。
人間の再現なんて無理に決まってる。でも、雰囲気がそれっぽければ、それでいい。
指が震える。でも止めない。
アユミは迷いなく、ぐしゃぐしゃの感情をこねるように、その偽の“私”を完成させた。
だが――
このまま箱庭に籠ってしまっては、原作が見れない。
それはダメ。それは、嫌だ!!
それだけは、私のポリシーに反する。
私は「推しをこの目で見る」ために生きてるんだから!
葛藤を一秒で押し込め、人形を肩で担ぎ上げ、息を吐きながら――
アユミは出来上がった“死体”を無造作に箱庭の外へと投げ捨てた。
“ドサッ”という音も、箱庭の中からは聞こえない。
でも、空気のわずかな変化でわかる。世界が動いた。
――ルーズベルの目が、人形の死体を通り過ぎた。
よし、完全に騙せてる。
私は拳を握った。
この一瞬、このひと手間が、物語を守る盾になる。
箱庭は外界の干渉を受けない。
私がいくらギャーギャー騒いでも、誰にも聞こえないし、伝わらない。
ここは私だけの空間。私だけの特権。
何をしてもいい。何を叫んでもいい。
誰にもバレない、怒られない、引かれないッ!!
ならやることは一つ!!!
「ルーズベルうううぅぅぅううううッッッ!!!!!!!」
絶叫、即土下座。地面に額をこすりつけて祈りを捧げる。
「お前何なんだよ!!?その声も顔も演技も魂も完璧すぎだろ!?!?!?!聖遺物か!?!?お前自身が聖遺物かァァ!!?」
「尊い!!!推しが目の前で動いて喋って存在してるって何!?なんでこの世にそんな奇跡あるの!?!?ねぇ!?!?!?ありが……ありが……ありがぁ……」
感情がぐちゃぐちゃになって言語が崩壊する
そのまま地面をゴロゴロ転がりながら意味不明な言葉を連呼し、
「ハァ〜〜〜〜!!音源化しろ!!!あのセリフだけ3時間ループで流してくれ!!!なんなら脳に直接焼き付けてくれ!!!!!」
奇声、嗚咽、土下寝、感謝、拝み、土下寝、拍手。
感情の洪水で箱庭がバグるレベルのオタクムーブを披露したあと――
「……はい、すみませんでした。落ち着きました。」
秒で正座して深呼吸。冷静。無表情。
「推しが尊い、それは当然。でも私には使命がある。
原作を守り、推しを正しく苦しませ、正しく死なせること。尊いまま、歪ませること。」
「じゃ、戻るか。現実に。」
と、言ったは言いものの。
口では勢いよく言ってみたけど、心の中ではすでにフリーズ状態。
……どうやって戻るべきか。
いやほんと、マジでどうしよ?
私の“死体”はすでにフィールドに転がってる。
あれが本物として認識されてる以上、今さら私がひょっこり「やっほー☆」って登場したら――
矛盾。完全なるバグ。
原作どころか世界観が崩壊する!!
絶対にダメ。推しのいる世界で、そんな愚行はできん。
一歩間違えば、ルーズベルの目の前で設定崩壊して、即エンドよ?そんなのだけは絶対に避けたい……!
アユミは箱庭の中心で立ち尽くし、必死に頭を働かせた。
血まみれの服のまま、ぐるぐるとその場を歩き回り、ぶつぶつと独り言を呟きながら思考を巡らせる。
眉間に深く刻まれるシワ。
その顔は深刻なのに、思考回路はどこかズレている。
生前のアニメ知識。
薄い本の展開。
都市伝説めいたネットの情報。
そして、ズルくてちょっとアホな私の脳みそが、出した答えは――
私の意識を人形に移せばいいんだ!
……あっ、これヤバいやつでは?
#この女、無鉄砲すぎる。
#薄い本の展開とは。
#幽体離脱で解決しようとする発想が平成。
でも私はもう止まらない。だってこれしかないんだもん!
「移れ〜移れ〜幽体離脱的な……移れ〜!!」
両手を胸に当て、念を込めるように目を閉じる。
精神を集中させ、箱庭の気配を遮断して、ただただ“意識”を手放す感覚を追いかける。
すると――
私の視界は、一瞬にして完全な闇に包まれた。
まばたきもできない。瞼も開かない。目そのものが存在していないような感覚。
けれど、皮膚の感覚だけが異常に鋭く、空気の流れ、音の震え、気配の動きまでが鮮明に伝わってくる。
……え、うそでしょ?
まさか……ガチで成功するとは……。
動けない。けど、いる。
重力を感じる。けど、肉体の感触はない。
これは……マジで人形視点?
スキル【創造】、思ってたよりやばい。
もしかして、インフレしてない?これ完全に“神”の領域では??
セラが序盤で死ぬのも……なんか納得!!
でもね、それどころじゃないの!!
だって、すぐ近くに――ルーズベルが居る。
それに感じる…!!!ルーズベルの体温ッ!!
それは近くでゆっくりと熱を帯び、まるで焼印のように肌へ染み込んでくる。
アーベルの息遣いッ!!
一瞬一瞬が繊細なリズムで、耳の奥へ直に刺さってくる……!!
声は出ない。喉は潰れてる。
なのに頭の中が推し尊過敏症でパニックを起こす。
内心は絶叫。理性が鼻血を吹く。
どうしようどうしようどうしよう!!推しがッ!推しが近くにいるってだけで全神経がギャン鳴りしてるッ!!
心拍はゼロのまま。けれど魂のテンションが140%で絶叫中。
視界は見えないのに、脳内にはハッキリと浮かんでいる。
「ルーズベル」という神の輪郭。
「アーベル」という聖域の吐息。
ッ、む、無理だこれ……!再び離脱します!!
0.001秒で耐久不能。
魂、再び箱庭へ逃亡。
その瞬間、その場にいる全てのキャラクターが感じ取った。
死んだはずの肉体からほんの一瞬だけ、真っ赤なオーラがブワッと吹き出して、またすぐに消えた瞬間を。
マユは「……?一瞬またオーラが…」と不安げに呟き、
ルーズベルは「虫でも這ったか」と一歩引いた。
――でも大丈夫。
悟られなければ、全部セーフ。
そう、これはただの死体。
推しの存在感に魂を焼かれて勝手に感極まった、ただの……死体。
だが、私が何回も挑戦する度にオーラが溢れては消え、溢れては消え…。
5回目、6回目……10回目…、
さすがに何回も溢れると勘違いでは済まされない。ルーズベルもセラの死体に近づき顔を掴む。
そして、銃声の音と同時にセラの頭は肉塊へと変わっていた。
「はぁ、死にかけの人間はこうやって強いオーラが出たり消えたりするんだ。死に際が1番辛いだろうし…とても可哀想。痛くないように殺してあげたんだ。……だから、そう怖がらないでくれよ。」
ルーズベルはナズナに向かって優しく微笑む。
その笑みは氷のように整っていて、崩れる気配は一切ない。
まるで彼にとって、ナズナの存在がこの世界にたった一つ残された「価値」そのものであるかのように――慈しむような視線を注ぐ。
その声色は静かで、透き通っていて、
まるで天上から降り注ぐ祈りの旋律。
神聖さすら感じさせるその響きに、ほんの一瞬、見惚れてしまいそうになる。
けれど、その言葉の端々には、ひと欠片の反論も許さない“確信”と、命というものを軽んじる“冷たさ”が滲んでいた。
“慈悲”という名の皮をかぶった“独善”。
あまりにも完成されすぎていて、どこか異様だった。
……そう。
これこそが、原作で私が最も震えたルーズベル。
あの残酷なまでの美しさと、静かな狂気。
私が惚れた理由、そのもの。
だが、ルーズベルが放った一言に、私とマユはごくりと喉を鳴らし、反射的に身を強張らせた。
今……アドリブ?
もしかしてまた原作から逸れた……?
ほんの少しでもセリフのニュアンスが違うと、世界が微妙に軋む音がする。
いや、そう感じてしまうくらいには、私たちはこの原作を熟知していた。
「セラの死体」は今、私の創った人形が代わりに演じている。
完璧ではない。けれど、演出として“違和感のない死”をそれなりに再現しているはず。
目立たないように、物語に溶け込むように、細部まで細かく“空気”を整えてきた。
大丈夫、大丈夫。きっと大丈夫。
でも、もし彼が“違和感”に気づいていたら?
次に来るセリフが原作と違っていたら――
この世界は、また一からやり直しになる。
私は強く祈る。
心臓がうるさくて、自分の耳の鼓膜が破れるかと思うほどだった。
マユも同じだった。彼女の指先が震えている。
私とマユは同時に願う。
――ルーズベル、お願い……!
「と、言うかお兄様。僕、"ナズナから離れろ"って、言ったんだけどなぁ。」
その瞬間、凍りついていた空気がわずかに溶けた。
ルーズベルの口から発せられた、その淡々とした一言。
それは、私たちが待ち望んでいた“正しい原作”の続きだった。
少しだけ抑揚に違いはあった。それに、ほんのわずかにアドリブも含まれていた。
けれど、それでも。
それでもこれは間違いなく――物語の正道。
私は小さく息を吐く。
マユも、それに呼応するようにそっと肩を落とした。
よかった。
世界はまだ、繋がってる。
そして――
アユミの望んでいた原作が、再び静かに幕を上げた。
だがその刹那、箱庭で“何か”が蠢いた気がした。
すぐさま意識を移動させたが、そこには誰もいない。
アユミは勘違いだったかな?と思いながら、意識を人形へと移したのだ。




