桜の咲く頃に
あれから何年が経ったのだろうか。
最後に会ったのは、卒業式の日。「いつか開けようね」とタイムカプセルを埋めて、いつものように「さよなら」と手を振った。普段は泣かない彼女があの日だけは泣いていて、永遠の別れではないと分かっていても、「さよなら」という言葉がどうしようもなく悲しかった。
私の中の彼女は、その時の姿のまま残っている。
一度も会わないつもりはなかったのに、なかなか予定が合わなくて、次第に連絡も取らなくなった。毎日のように話していたLINEは、1ヶ月、2か月と間隔が空いていった。それでも毎年誕生日に送り合っていたけれど、それも数年前にはなくなってしまった。
彼女は私のことを覚えているのだろうか。卒業式の日、思い出と共に私の記憶も埋めてしまったのだろうか。
連絡を取らないだけで、彼女はずっと私の中にいた。
彼女は私に生きる意味をくれた人だったから。
「また会おうよ」
それだけ、その一言だけを送ればいいのに、勇気が出ない。
「いつかまた桜の咲く頃に」
卒業式の日に交わした、そのあやふやな約束だけが、私が彼女に会える唯一の希望だった。
ここに来るようになって、もう5年になる。連絡を取れなくなってから、突然会いたい気持ちが増してきて、ふとこの場所に来たのが始まりだった。
毎年来ているけれど、会えることはなかった。何年後と決めていたわけではないのだから、当然だろう。
彼女に会えないと分かっていても、毎年来るのは、この場所に来るだけで彼女との繋がりを感じられる気がするからだ。
毎回桜の木に「久しぶり」と話しかけて、最後には「また来るね」と別れを告げて帰っていた。
でも、今年は違う。もう来れなくなるのだ。転勤で引越しが決まって県外に行くことになってしまったから。
「また」はもう来ない。今までのように気軽にこの場所に来ることは出来ない。
「さよなら」
「また」が言えないのなら、そう別れを告げるしかない。
もう会えなくなるから、ごめんね。
心の中でそう呟いて別れを告げた。
この場所から離れた時、私は彼女を覚えていられるのだろうか。その不安だけが心に残っていた。
背を向けて帰ろうとした時、後ろから声が聞こえた気がした。忘れもしない彼女の声。
「もう、来ないの?」
振り向くと、彼女がそこにいた。
「ごめん、もう来れないんだ。」
久しぶりに会うと、何を話せばいいか分からない。そんな私を余所に彼女はあの頃と同じように私に話しかける。
「それならタイムカプセルちゃんと開けてよ。私たちの思い出も連れて行って。」
毎年来ていたのに忘れかけていた。ここはタイムカプセルがあるから思い出の地なのだ。
「開けるなら、一緒がいい。」
「大丈夫、私はここにいるよ。」
私の迷いを解くかのように、彼女は私を見つめて微笑んだ。
タイムカプセルを開けると、そこには2通、私に宛てた手紙があった。1つは私から未来の私に宛てた手紙。そしてもう1つは、彼女から未来の私に宛てた手紙だ。
「なんで自分宛じゃないのよ。普通こういうのは、未来の自分へ書くでしょ。」
思わず笑って、ツッコミを入れてしまう。
彼女もきっと笑っているだろう。そう思ったのに、予想に反して、彼女は寂しそうな顔をしていた。
「……どうして私に手紙を書いたの?」
「未来の君に手紙を送りたかったから。」
「どういうこと?」
「ううん、なんでもない。ただの気まぐれだよ。気にしないで。」
彼女は私から目を逸らすように桜を見上げた。
「今年も綺麗に咲いたね。」
彼女はそう言って、微かに笑った。その笑顔はどこか遠い場所を見つめているようで、桜の花びらと共に散ってしまいそうな儚さがあった。
「……気にしない、なんて出来ないよ。」
聞きたいことなら山ほどある。
連絡をくれていた時は元気だったの?何故、今になってそんなことを言うの?
……何故、あなたはあの頃と同じ、制服を着たままなの?
頭の中に溢れ出る疑問が止まらない。
「それ、今の君に宛てた手紙だよ。」
彼女は、私の手の中にある手紙を指さして言う。
「君の知りたいことは全部書いてある。だから、家に帰ったらちゃんと読んでね。」
「……分かった。また来るね。」
「もう来れないんじゃなかったの?」
彼女はくすりと笑って言う。
でも、私はまた来ることになるだろうと確信していた。あなたが遺してくれた想いを、私は受け取らなければならないから。
「まだ引越しまでは時間があるから、絶対帰ってくる。それまで待ってて。」
そう言い残し、桜の木に背を向けて走り出す。
「さよなら」を永遠の別れにはさせない。そう心に誓いながら。
彼女からの手紙は、もう会えないことへの謝罪と、未来の私の幸せを願う内容だった。
彼女の言う通り、私の知りたいことは全て書いてあった。
彼女は、不思議な病に侵されていたらしい。前例が無く現代の医学でも治せない、そんな病気。それは呪いとも言えるもので、未来を見ることが出来る力を手に入れる代わりに、寿命が短くなるというものだった。
歳は取らないけれど、生きていく力は衰退していく。
しかし、不思議なことに桜の咲くときだけ、彼女は昔のように過ごすことができるのだった。私たちの誕生日はちょうど桜の咲く頃だ。だから、彼女は誕生日には連絡をくれてたのだろう。
それでも、確実に彼女の人生は終わりに近づいていた。
歳を取らないせいで見た目も若いままで、この手紙を書いた時点で、昔の友達には会えないことを分かっていたらしい。
だから、「さよなら」だったのだ。
「さよなら」は、彼女にとって「もう会えない別れ」を意味する言葉だった。
そして、私がこの場所に「さよなら」を言う時、つまりタイムカプセルを開けてこの場所が思い出の地ではなくなった時、彼女は私にこの手紙を読んで貰って全てを知ってもらうつもりだったのだ。
彼女は、連絡を取れなくなった時に私がここに来ることを知っていたのだ。そして、いつか来れなくなることも。
全てを知った上で掌の上で転がされていたとわかっても、不思議と嫌な気持ちはしなかった。むしろ、彼女が私のために手紙に残してくれたことが何よりも嬉しかった。
手紙を読み終えると、すぐに返事を書き始めた。
古い段ボールから便箋を取り出し、ペンを走らせる。
しかし、その手は「お手紙ありがとう。」の一文を書いただけで止まってしまった。
何を書けばいいか分からない。色々思うことはあるはずなのに、言葉が出てこない。
正直、彼女の話は現実離れしていて信じられなかった。
けれど、彼女が言うことを信じるなら辻妻は合う。
それに、彼女はこのような冗談を言う人間ではない。
きっと、この話は作り話なんかではなく、真実なのだろう。
できれば卒業式の日に言って欲しかったと言うのは私の願望でしかない。
未来を見る力を手に入れて見てみたら、その未来に自分はいない。
昔の友達にも会えず、ただただ死を待つだけの人生。
未来がないという現実を突きつけられて冷静でいられる人はきっといない。
私もきっと、彼女と同じ状況になったら耐えられないだろう。
返事を書くついでに、彼女への感謝も書いておくことにした。
彼女が特別何かをしてくれたわけではないけれど、私が生きていられるのはきっと彼女のおかげだから。
私たちの関係は不思議で、友達と呼べるほどのものでもなかった。
ただのクラスメイト、それが一番しっくり来る呼び方だった。
それでも私にとって彼女は特別で、クラスの中心で明るく振る舞う彼女が時折私に見せる寂しい笑顔に安心した。
「タイムカプセル埋めようよ。」
そう言ってくれたのも彼女の方からだった。
思い出になるし一度はやってみたいと思って彼女の提案に乗った。
きっと彼女はあの時にはもうこの未来を見ていたのだろう。
思いつくままに言葉を書いていった手紙は、書き終わる頃には涙で濡れていた。
彼女がくれた手紙への返事といっても、彼女がこの手紙を読むことはない。
私が書いた言葉が彼女に届くことはない。
それが少しだけ悲しかった。
「ただいま。」
もう一度桜の木の下に帰ってきた。
「おかえり。本当にまた来てくれたんだ。」
あの手紙への返事を、彼女の思い出を、タイムカプセルがあった場所に埋める。
「ありがとう。」
顔を上げると、彼女は泣きながら微笑んでいた。
「また来るよ。いつになるか分からないけど、絶対に来る。だから、それまで、“さよなら”だね。」
そう言うと、彼女はもう一度、今度は笑顔で「ありがとう」と呟いた。
きっとこれから先も、私はここに来るだろう。
「さよなら」は永遠の別れじゃない。もし、彼女がいなくなったとしても、約束は消えない。
いつか桜が咲く頃に、また2人で笑いあえますように。
そう願いを込めて彼女に手を振り、桜の木に背を向ける。
振り返ると、彼女はもうそこにはいなかった。
ただ、舞い散る桜の花びらが、彼女の代わりに「さよなら」を告げているようだった。