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本選

 日曜日、本選の朝になる。

 父は昨晩から夜勤で今朝帰ってきた。

 そしていつもの朝食である。和也たちは大会のことを父には全く話してない。余計な心配をさせたくないというのが本音だ。

 父は黙々とトーストをかじっている。

 するとその父が珍しく和也を見る。和也も何事かと少し身構える。

「カズは空手をやってるのか?」

 上田道場に行ってることは少しだけ話をした。

「うん、近所の上田道場に通ってる」

 するとなぜかポケットからスマホを取り出す。

「これはカズか?」

 父が再生したのは昨日の大会の映像だった。ネット配信されていたのだ。それを何故か父が見てしまったようだ。

 観念したカズが言う。「そうだよ」

「そうか」父は画面をじっとみている。「職場の人から言われて見てみたんだ。すごい中学生がいるって」父は顔を上げて和也を見る。「カズはすごいな」

 そういう父の笑顔を久しぶりに見た。

 亜里沙が嬉しそうに言う。「そうなんだよ。優勝候補だよ」

「そうか、俺も試合を見に行っていいか?」

「もちろんだよ」亜里沙が代わりに言う。和也が言いたかったのに。

「少し寝たら見に行くよ」

「うん、待ってる」

 和也は涙が出そうなくらいうれしかった。


 そして本選の会場に来る。

 和也はその雰囲気に驚く。どこかの有名タレントのコンサート並みの賑わいではないか。会場前には屋台も出ているし、とにかく人が多い。昨日とは観客数も桁違いだ。会場はほぼ満席となっていた。これはイーゴリの参加が寄与しているのは間違いがない。さらに中学生の身でありながら、本選出場を果たした和也についても大きな話題となっていた。

 上田が言う。「藤本君、平常心だぞ。観客に飲まれないようにな」

 和也はその言葉が耳に入ってこないぐらい緊張している。

 それを見た亜里沙が言う。「カズ、賞金の事だけ考えるんだ。300万、300万と繰り返せ」

 ああ、いつもの亜里沙だ。そうして和也がここに戻って来る。そしてうなずく。「そうだった。愛奈ちゃんのためだな」

「そのとおり!」亜里沙と和也がグータッチをかわす。

 選手入場口近くまで来る。そこで待っていたのは愛奈と、後ろにいるのは母親のようだ。愛奈が亜里沙に駆け寄ってくる。

「亜里沙ちゃんすごい人だよ」

「うん、みんなカズを見に来たんだ」相変わらずいい加減なことを言っている。

 愛奈のお母さんが和也たちの所に来る。

「こんにちは」

 やはり疲れが顔に出ている。愛奈の母親だから30歳ぐらいのはずだが、40歳と言われてもそうかなと思うほどだ。

 亜里沙が言う。「マミー、カズが賞金をプレゼントするよ」

 母親は少し戸惑って、そして話す。

「昨日の試合を後から見ました。和也さんは本当に強いんですね」

「そうだよ。世界で一番強いんだ」亜里沙の話は止めどがない。

「でも無理しないでね」母親が和也を心配そうに見る。

「マミー全然大丈夫だよ。昨日もまったく本気を出してないから」

 亜里沙のあまりの勢いに母親も思わず笑う。その顔を見た愛奈は本当にうれしそうだった。


 そして本選が始まる。全32選手がトーナメント形式で争う。

 試合はベスト8からは1試合のみ行われるが、それまでは4試合同時進行となる。

 試合時間は2分で、決着が付かない場合は延長戦となる。

 やはりイーゴリは圧倒的に強かった。それこそ草野球にメジャーリーガーが参加してるようなものだ。ほぼ秒殺で進んでいく。

 一方、和也もそれなりの戦い方で順当に勝ち進んでいた。


 昼休みになる。午後からはいよいよベスト8が始まる。上田から食事は食べ過ぎないようにと言われている。満腹だと動きが悪くなるそうだ。すぐにエネルギーに変換可能な食べ物を中心に軽めの昼食にした。

 控室で和也の隣では亜里沙がサンドイッチを食べている。

 和也が亜里沙にぽつりぽつりと話しだす。

「亜里沙、なんか今闘ってる自分がほんとに自分なのかって思うんだ」

 亜里沙はきょとんとして和也を見る。

「どこかの映画で見たことがあるけど、冒険していた主人公が気が付いたらそれは夢だったっていう、それと同じような感じなんだ。僕はほんとに大会に出てるのかな」

 亜里沙は和也をじっと見てから言う。「ここでカズが闘ってるのは現実だよ」

「でもさ、浮浪者からデコピンされてからの僕は僕じゃない気がする」

「じゃあ誰なの?」

「誰なんだろう」

 亜里沙はゆっくりと話す。「つまりはこれまでいじめられていたカズが存在しなくなったということね」

 和也はその言葉を反芻する。「ああ、うん、そういうことかな」

「でもそれはカズが望んだことでしょ。強くなりたいって浮浪者に言ったんだよね」

「言った」

「だから今ここにいるってことだよ」

「そうなのか」

 亜里沙は母親のように和也に向かう。「いい、余計な事は考えない。カズは優勝することだけを考えればいいから」

 和也はうなずく。

 どこか腑に落ちない和也だったが、それでも午後の闘いが始まっていく。


 ベスト8になると1戦ずつの対戦のため、これから闘う選手を見ることが出来る。上田と和也は会場のそででイーゴリの戦いぶりを見学する。

 まさに生の打撃音が炸裂する環境である。そしてそれはイーゴリの圧倒的な強さを目の当たりにすることになる。

 相手選手が気の毒になるような試合だ。

 完全に逃げ腰で打撃をかわすことのみを基本としている相手に、容赦のない攻撃が続く。

 上田がうめくように言う。「すごいな」

 イーゴリは蹴りが多いのがわかる。回し蹴りから相手を崩していき、最後は前蹴りを腹部に当てる。ただ、蹴りにばかり目が行くといきなり正拳突きや投げ技、さらにボクシングに近いフックなどが飛んでくる。ベスト8になっても秒殺である。

 上田が和也に話す。「イーゴリの闘い方は蹴り中心だ。そこに注意しないとならない」

「はい、わかります」

「それにしても強烈だな。防ぎようがない」

 確かにガードをしても、それを吹き飛ばすかのような蹴りがくる。

「藤本君の場合は受けないほうがいいかもしれない。体重が軽いから、身体ごと飛ばされる可能性が高い」

「はい」

 和也もそう思っていた。決勝で当たるイーゴリにはこれまでの手の内を隠したような闘い方では勝負にならないだろう。いよいよ本気を出すしかない。

 和也が観客席を見ると亜里沙の隣には父がいた。

 和也と目が合うと手を挙げた。和也も手で答える。病気になってから初めて見る父の生きている顔だ。そしてその横には愛奈と母親もいる。和也は頑張るしかないと思う。

 イーゴリの試合が終わる。相手は泡を吹いて失神していた。


 ベスト8、準決勝と順当にイーゴリ、和也両者が勝ち上がる。

 観客はイーゴリの試合にも熱狂しているが、和也の試合にも勝るとも劣らない歓声があがる。見た目は貧弱な中学生が大の大人を破っていくのだ。それも牛若丸を思わせるような素早い動きで。大会は令和の平家物語の様相を呈していく。

 

 そしていよいよ決勝戦である。5千人近い観客が凄まじい歓声で二人を迎える。

 緊張気味の和也に対してイーゴリは余裕の表情だ。まあ、中学生にUFCチャンプが負けることは無いだろう。本人もそうだが、大方の観客もそう思っている。

 サイバーダンクの配信も参加者数がうなぎ上りになっている。

 その中で和也は自分がここにいることが信じられないのだ。さらに周囲の歓声に完全に舞い上がっていた。元々、こういった場面に接したこともない、いじめられっこである。これまではとにかく目立たないように生きてきたのだ。それがこのような真逆の環境に耐えられるわけがない。頭にはいろいろな思いが去来する。亜里沙や父の期待、愛奈と母親の期待、さらにいじめられっこ隊の応援、上田道場からのこれまでの支援、そういった事柄が和也をどんどん追い込んでいく。

 緊張気味の和也に対し、イーゴリは余裕の表情だ。和也が手の内を隠していたとしても、自身の圧倒的な力を信じているようだ。

 今や観客は総立ちになり、歓声で何も聞こえない。

 主審がはじめの掛け声を上げる。ただ、和也たちには歓声で声が聞こえない。合図の手を見て試合を始める。

 イーゴリはこれまでの試合とは違う対応を取る。いきなり攻め込む事はしないで徐々に間合いを詰めてくる。和也はこれまでとどこか違うと、感覚ではわかっているが体が付いていかない。

 そんな様子を見ていた上田がうめく。「藤本は舞い上がってる」所詮は中学生だ。この環境で平常心で居れと言う方が無理なのだ。一方、相手のイーゴリは百戦錬磨の猛者だ。あきらかに和也は不利だ。

 和也はこれまでと同様に自分から仕掛けることはしない、というよりも手が出ない。

 イーゴリは足を小刻みに出しながらけん制する。

 そして和也からの攻撃は無いと判断し、イーゴリの回し蹴りが始まる。和也は寸前のところでそれをなんとかかわす。ただ和也の目をしてもこのイーゴリの蹴りがよく見えない。これまではどんな攻撃もスローに見えていた。緊張もあるが初めて味わう感覚である。つまりイーゴリの蹴りは通常の人間には全く見えないことになる。

 イーゴリは勝利を確信する。不敵に笑い、そして次の瞬間、思いもよらない攻撃が来る。イーゴリはハイキックを和也の頭部に炸裂させたのだ。歓声の中でも凄まじい打撃音である。和也はその足技がまったく見えなかった。

 近くで見ていた上田が唸る。「しまった。頭部のハイキックは想定外だ」

 フルコンタクトで頭部へのハイキックは反則ではない。ただ、あまり見ない技でもあり、めったに決まることもない。ただ、超一流選手のハイキックは別である。そしてそれが決まると試合は終わる。それぐらい強烈な技である。

 キックは和也の頭に当たった。和也はこんな攻撃を見たこともないし、食らったこともない。あまりのスピードに、ひょっとしてイーゴリもデコピンパワーを持っているのではと思うぐらいだ。当然、脳震盪を起こす。朦朧として視点も定まらなくなる。

 イーゴリはここぞとばかりに攻撃の手を緩めない。一気果敢に攻め込んでくる。

 和也は防戦一方になる。やっとのことで攻撃を避けることしかできない。このままだと間違いなく負ける。もうだめだ。ごめんなさい。

 すると大歓声の中でどこからか声が聞こえる。

 カズ!ぶちのめせ!

 ああ、亜里沙の声だ。亜里沙がいる。我に返った和也はイーゴリの攻撃をかわしだす。そうだ。これがデコピンパワーなのだ。

 見える。イーゴリの攻撃が手に取るように見えだす。

 イーゴリもそんな和也の状態に気付く。このまま優位に進めるためにも決定打が欲しいと思う。

 そして少し無謀ではあるが思い切った攻撃に出る。全体重をかけた飛び蹴りをした。

 和也はこのタイミングを逃さなかった。なんとイーゴリの蹴りをそのまま両手でがっちりと掴む。そうしてそのまま振り回していくではないか、いわゆるジャイアントスイングである。観客の大歓声が止む。それほどありえない光景なのだ。貧弱な中学生が熊のような巨人をぶんぶんと振り回している。

 数十回はそのまま回転すると、和也はそのまま手を離す。イーゴリはまるでボールのように会場の壁まで吹っ飛ばされ、大音響とともに壁に激突した。そしてそのまま息絶える。いや、失神した。

 会場は一瞬、静寂に包まれる。そして次の瞬間、壊れるかというほどの大歓声があがる。牛若丸の勝利である。

 観客席の亜里沙は席から転げ落ちそうなほど飛び上がって喜んでいる。愛奈や母親も涙を流して喜んでいた。そして父も心底うれしそうな顔をしていた。

 和也はこれまでこんなに大きな祝福を受けたことが無かった。いったいこれは現実なのろうか。


 表彰式が始まる。

 なんとイーゴリはそのまま病院送りになった。頭部打撃で検査が必要とのことだ。

 よって優勝者のみの表彰式となった。

 サーバーダンク社の若社長が満面の笑みで、和也に賞金とお食事券もくれた。さらに金メダルを和也の首に掛けてくれる。まるでオリンピックの優勝のようである。

 そして和也に言う。「おめでとう、これからもよろしくね」

 和也は首にかかった金メダルを見る。なるほどこれは現実か。


 セレモニーや報道陣による和也への取材が終わり、すべてが終了し会場を後にする。

 出口には亜里沙と父、それと愛奈と母親が待っていた。

 亜里沙が和也に飛びつく。「カズ、やったな」

 和也が言う。「亜里沙のおかげだ。声が聞こえたよ」

「そうか、よかった」亜里沙は満面の笑みだ。

 亜里沙が和也の金メダルを見て言う。「金メダルだ」

 和也は自分の首にかかった金メダルを外し、亜里沙の首に掛ける。

「これは亜里沙のメダルだ。ほんとにありがとう」

 亜里沙はへへへと笑う。

 そして和也は賞金を愛奈の母親に渡す。

「これもらってください」

 受け取った母親は驚く。「ほんとにいいんですか?」

「そのために出場したんですから」

「あ、ありがとうございます」

「小切手みたいですよ。僕はよくわかってません」

 母親は笑顔である。

 愛奈が話す。「カズさん、本当にありがとう」

 父はその状況がよくわかっていないようだ。まあ、細かい話をしても揉めるだけだな。和也はそう思った。

 亜里沙の胸に輝く金メダルがあればそれで充分だ。

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