亜里沙のたくらみ
翌日になっても和也のデコピン能力は健在だった。相変わらずとんでもない速さで走れるし、3m以上もジャンプできる。それが出来たところで特段いいことは無かったが、それを見た近所のばあちゃんはびっくりしていた。
多摩川の水位は下がってきているが、依然として浮浪者の無事は確認できていない。能力も気になるが浮浪者のその後も気になる。
学校へ行く道すがら、亜里沙といつもの分かれ道に来る。
「じゃあ、カズ、またね」
亜里沙は珍しいことを言う。いつもはまたねなどと言ったことは無い。どういう意味なのだろうか。しかし、今はそれどころではない。昨日のこともあって阿部たちの反応が気になる。はたして今日はどんなことをしてくるのだろう。あれに懲りてもうほおっておいてほしいと思う。
教室に入る。他の生徒たちが和也を見る目が変わっている気がする。何人かは昨日の出来事を話しているようだ。どこまで知られたのかはわからないが、それなりに和也の行動が噂になっているようだ。
自席に着く。さすがに今日は和也にちょっかいを出すやつはいない。いつもなら、くさいだの、汚すな、近寄るなとか言われるのだが、今日は遠巻きに見ているだけだ。
そして3人組が揃って登校してくる。阿部がこっちを見ている。何か動物園の珍獣でも見ているような眼をしている。恐らく加藤と番場から報告を受けているだろうから、それが本当なのか確認したがっている気がする。しかし、いつもとは違い、そのまま何もせずに席に着く。ひとまず安心だ。
そして授業が始まる。デコピン効果は運動能力のみのようで、授業の内容はいつもと変わらずちんぷんかんぷんだった。勉強にも効果があればよかったな。さすがにそれは高望みというものか。
しばらくすると背中に気配を感じる。なるほど、これは遠距離攻撃を仕掛けようとしているのか。最初は消しゴムのかけらを和也に向けて投げつけている。和也は後ろに目があるかのようにそれを簡単に避けていく。まったく振り向かずに避けていける。初めて見る和也の能力に阿部は驚く。それでも懲りずに色々なものを投げつけてくる。消しゴムから始まり、段々と固いものに移行していく。ついには硬貨を投げつけてくるではないか。これはありがたくいただく。後ろも見ずに手で受けとっていく。あたかもどこに飛んでくるのかわかっているかのように見える。それでも投げる方の実力が伴わない。数回は違う場所に飛んでいき、そのたびに別の生徒が悲鳴をあげる事態になっていた。
そして休み時間になる。奴らはちょっかいを出してくるかと思ったが、何もしてこない。さすがに和也の実力に恐れをなしたのか、少しほっとする。これでもう何も恐れるものは無くなったのか。和也に永遠の安息が訪れたかもしれない。阿部たちは何やら相談しているようだが、和也に近づこうともしなかった。
そして給食も終わり、昼休みになる。昨日と同様に何かされるかと思うが、誰も寄ってこない。和也は心底ほっとする。これで和也の中学生活は安泰となるのかもしれない。
午後の授業前にトイレに行く。中学校生活では鬼門の大のほうだ。人に見つからないようにしながら、別の階の個室に入る。ただ、ここに入る前に付けられていることはわかっていた。やはり阿部たちだ。なるほど、懲りずにまた何か悪さをしようとしているのか、まったく面倒なやつらだ。
便器に座ることはやめて相手の動きを探る。そんなことをするまでもなく、外の様子がわかる。バケツに水を貯めている。なるほど、上からそれをかけようというのか、いつもの定番のいじめだ。和也は室内を静かに飛び上がると、個室の壁面にあたかもつっかえ棒のように両足を広げる。そして顔が出ない上面すれすれの位置で待機する。すると阿部はバケツをトイレ個室の上面にまで持ち上げて、中に投げようとしている。
まさに今投げようという瞬間に和也がそのバケツを軽く押し返す。阿部はあっと言う声を上げると、その水を顔面にもろに受けてしまう。和也はそのタイミングで扉を思い切り開け、阿部はもんどりうってトイレに転がった。
バケツの水を浴び、挙句にトイレの床に転がっている。
和也は素早くトイレから出て行く。阿部たちはあまりの出来事に何もできずに狼狽えるだけだ。和也は何も悪くない。これは不可抗力だと自分に言い聞かせる。ただ、やはり能力は間違いがない事が分かる。すべてがお見通しなのだ。
和也がすたすたと教室に戻ろうとして気づく。さらに後ろから何やら付けられている。はて3人組はまだトイレのはずだが、尾行している人間がすぐ背中に迫ってくる。そしてまさに真後ろに来た瞬間に和也が振り返る。
「わああ」尾行者がびっくりしてその場にひっくり返る。そこにいたのは同じクラスの太田だった。
「太田君?」
「ああ、びっくりした」
むっくりと起き上がったのは太田忠弘。同じクラスで和也と同じで目立たない生徒である。今は和也がその役目を担っているが、おそらく彼もいじめられっこだったはずだ。太田は眼鏡をかけて小太りでずんぐりむっくり、さらには運動音痴で勉強もいまいちだ。今は顔いっぱいにニキビが出来ている。
「ごめん、驚ろかした?」和也が謝る。
太田は和也を不思議そうに見る。
「藤本君、いったい何があったの?」
「何があったって?」
「急に強くなったよね。いや、強くなったとか言う次元じゃないな。まるで超人だよ。いったい何が起きたの?」
やはり他の生徒も気が付く話か、まあ、あれだけの動きをすればそうなるか。
「今もトイレの近くで見ていたんだよ。てっきりバケツの水でも浴びせられるのかと思ったら、びっくりだよ」
「そうか、見てたのか」和也は少し考え込む。「言っても信じないかもしれないけど」
「いや、信じるよ、信じる。聞かせてよ」
和也は昨日の出来事を話す。太田は目を白黒させて聞いていた。聞き終わってもそのまま考え込んでいる。
「変な話だろ」
「いや、僕は信じるよ。きっとその浮浪者は神様だったんだよ」
「えー神様って、いやいやそんな感じじゃないよ。ほんとの汚い浮浪者だったよ」
「でもさ、そのデコピンのせいなんだろ、その能力が付いたのって。他に何か考えられる?」
「確かに他に思いつくことは無いんだけど」
「絶対、神様だよ。いいな。僕もそんな力が欲しいよ」
和也は太田の気持ちがわかる。彼も同じように力を持てばいじめっこに対抗できる。
「もう誰も藤本君をいじめようなんて思わなくなったと思うよ」
「そうかな。だったらいいけど」
「今度は僕がいじめられそうだよ」
「そうかな」
「そうだよ。あいつらは弱い奴を見つけては憂さ晴らししてるんだよ」
「でも阿部たちは僕をいじめるのは汚いからだって言ってたよ。無性に腹が立つんだって、存在自体が気持ち悪いって言われた」
「うん、僕も同じこと言われたことある。こっちにすればいじめるやつらのほうが気持ち悪いよ」
和也はうなずく。まったく同じ思いだ。「もし太田君をいじめるようなやつがいたら、僕が助けるよ」
太田の目が輝く。「まじ?」
「まじ。他にもいじめられてるやつがいたら助けるよ。あんな理不尽な扱いは無いと思う」
「うん、なんか期待できるな。そうだ。藤本くんの連絡先を教えてよ」
「連絡先?ひょっとして携帯番号とかのこと?」
太田はすでに自分のスマホを取り出して通信モードにしている。
「いや、スマホとか持ってないんだ」
「まじ、親がダメだって言うの?」
「そう、そんなところ」本当は貧乏だからなんだけど。
「じゃあ、どうしよう」
「太田君さえよければ、僕の近くにいれば?そうすれば誰もいじらないと思うよ」
「え、いいの。わかった。学校では近くにいるようにするよ」
結局、その後太田は和也の近くでうろちょろすることになる。午後になっても阿部たちは和也にちょっかいをだすことはなかった。
これは和也にとっては拍子抜けだった。はたしてこれでいじめの脅威は去ったのだろうか、いや、これまでの阿部たちの習慣からしてもやめるとは思えなかった。いじめる側はそれこそ自身のカタルシスからいじめをおこなっている。つまりはいじめ欲求が果たされ無いと精神バランスが崩れる気がするのだ。間違いなく何かやってくるはずだ。
学校が終わり帰途につく。太田とは正門の所で別れる。太田は和也に感謝していた。ただ和也にとってもそういった仲間がいることは心のよりどころになる。友達というのではまだないが、そうなる可能性もある。
少し歩くと道路沿いの敷石に赤いランドセルをしょった亜里沙が座っていた。和也を見て手を上げる。
「亜里沙、何してるんだ?」
「カズを待ってたんだ」そう言うとむっくりと立ち上がる。
「待ってた?」
「じゃあ、行こうか」
「え、どこ行くんだ?」
亜里沙はどんどん歩いて行く。和也は訳も分からず付いていく。
「亜里沙、待ってよ。どこに行くんだよ」
すると亜里沙が振り返って言う。「決着をつけるんだよ」
「なんだ、決着って?」
亜里沙は立ち止まって和也に向かって言う。
「阿部たちは何もしてこなかっただろ?」
「阿部?いじめっこのことか?」
「他に誰がいるんだ?」
「そうだな。トイレでちょっかいをだそうとしたぐらいだな」
亜里沙がほくそ笑む。「実は亜里沙が根回ししたんだ」
「根回し?」
「一気に決着をつけられるように決闘を申し込んだんだ」
和也は青くなる。「なんだよ、決闘って」
「学校で乱闘騒ぎなんか起こしたら問題になるだろう、だから外で決着をつけるんだよ」
「外でって僕はそんなことしたくないよ」
亜里沙は和也に人差し指を立てながら言う。「そんなことだから舐められるんだ。ぶちのめせ、そうして二度と歯向かえないようにするんだ」わが妹ながらとんでもないことを言う。どこかの半グレみたいだ。「カズ、いいか、もうこいつにはかなわないと思ったら二度といじめられないだろ」
和也は考える。亜里沙の言うことにも一理ある。もうこれでいじめられないなら、それもいいかもしれない。
「それで決闘って亜里沙はどうやったんだ?」
「阿部に直接電話したんだ。和也の身内だけど、決闘を申し込むって言ったんだ」
何という悪知恵だ。いったいどこでそんなことを思いついたのやら。
「それで決闘場所はどこなんだ?」
「ちょっと行った先の河原沿いに工場があるじゃん。今はやってないみたいだけど」
「ああ、コンクリート材かなんか作ってたとこか」
「そう、その工場跡だよ。時間は午後4時ちょうどだな。今から行けば十分間に合う」
和也は少し考えて、「よしわかった」ついに和也はその気になる。確かに今の無敵状態なら勝てるかもしれない。いや、間違いなく勝てるだろう。
亜里沙を先頭にいざ、決闘場所に向かう。今は15時30分だ。工場跡まで30分あれば行ける。
「しかし、亜里沙は行動力があるな。妹とは思えないぐらいだ」
「いや、カズがなさすぎだな。もっと積極的になればいいと思うよ」
「うん、そうは思うんだけどね」妹に説教されてる兄もどうかとおもうがその通りで言い返せない。
「すぐには無理かもしれないけど、少しずつ積極的になればいいと思うよ」
和也はうなずく。これではどっちが上かわからない。
工場跡へは河原の遊歩道を歩いていける。大雨の後でもあるのか、今はいい風が吹いて気持ちがいい。
ふと和也が近くの公園を見ると、何人かの子供たちが集まって何かしている。何事だろうとよく見ると、小学生の一団のようで、一人をみんなで囲んでいるみたいだ。
「亜里沙、あれは何やってるんだ?」
よく見ると、数人の男女の子供たちが一人の子を囲んで何かしているように見える。さらには手も出ている。
亜里沙が言う。「いじめだな」
和也が現場に走っていく。
近くで見ると確かにひとりの女の子を4、5人の子供たちがよってたかってこずいている
「何してるんだ」和也が駆け寄る。
すると子供達はやばい、と言って逃げていく。
いじめられていた女の子は、なかば呆然とそのまま立ちすくんでいる。
「大丈夫?」和也の声にも答えない。下を向いたままだ。
亜里沙がゆっくりとやってくる。「大丈夫?」
女の子が亜里沙に反応する。顔を見ると亜里沙とは同年代に見える。
「いじめられてたの?」亜里沙が優しく言うと、女の子は涙を流しだす。
和也と亜里沙で女の子を近くのベンチに座らせる。
隣に座った亜里沙が話を聞く。
「愛奈のこと、汚いって言うんだ。日本人じゃないって学校に来るなって」
言われてみると確かに日本人ではない顔をしている。ただ、よく見ないとわからないぐらいだ。ハーフなのかもしれない。
愛奈という少女は小学5年生で亜里沙とは同学年だった。学校も同じ小学校だそうだが、クラスは違う。亜里沙は3組で彼女は1組だそうだ。母親がフィリピン人だそうで、それでいじめられているらしい。
愛奈は話す。「しゃべり方も変だとか言っていつも仲間外れにされる」
「変なのかな、別に普通だと思うよ」
「そう?福島から転校してきたんだけど、なんか訛ってるって言われる」
和也が言う。「いじめるやつらはなんか自分たちと違う人間を排除したがるんだ。なぜなのかな」
亜里沙が言う。「みんな一緒がいいんじゃない、変にでっぱてる奴は嫌われる」
「そうなんだよな。わかるよ。でも愛奈ちゃんは変じゃないよ。ハーフってかっこいいと思うよ」
愛奈は和也を見る。
「芸能人もハーフや外国人が活躍してるよね。愛奈ちゃんももっときれいになるよ」
「今はブス?」
驚いて和也は手を振る。「そんなことないよ」
「そうだよ。カズをみてごらん、不細工な顔してるじゃん。それでも生きてるよ」亜里沙が関係ないこと言う。
愛奈が和也を見てうなずく。こら、うなずくな。
和也が亜里沙に聞く。「亜里沙、なんとかならないかな」
「クラスが違うけど、休み時間だったら一緒にいれると思う」
愛奈が亜里沙をじっと見る。「いいの?」
「うん、いいよ。あとね、カズはけんかが強いから何かあったらカズに頼ればいいよ」
和也がうなずく。「大丈夫だよ。頼っていいよ」
愛奈が不思議そうな顔をする。「けんか強いの?」
「そうなんだ。昨日から急に強くなったんだ」
へーと愛奈が感心する。
「あ、カズ、時間になってる」亜里沙が公園の時計を見て言う。
「ほんとだ。まずいな」
愛奈が聞く。「どっか行くの?」
それに亜里沙が答える。「これから決闘なんだ」
愛奈は目を丸くする。
「じゃあね。またね」手を振って呆然としている愛奈と別れる。
走りながら和也が亜里沙に話す。「あの娘と仲良くしてあげられるか?」
「大丈夫だよ」
「そんなことしたら亜里沙がいじめられないか?」
「はあ?大丈夫だよ。そんなことしやがったらぶちのめしてやる」
和也は亜里沙だったら大丈夫な気がした。わが妹なのに実に頼もしいと思う。