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亜里沙

 翌朝、何故かおいしそうな匂いがして目覚める。はて、ここはどこなのだろうか。和也は布団から顔を出す。なんのことはない、いつもの居間にいる。ここは和也のいつもの寝場所だ。

 寝ぼけ眼で台所を見ると誰かが料理をしている。まだ頭がはっきりしない。え、誰だ?

 和也は起きて台所にいる人間を確認する。

 そこにいたのは女の子だった。歳は和也よりも若い。おそらく小学校高学年だろう、おかっぱ頭、良いように言うとボブカットだ。

 その女の子が振り返って言う。「おはよ、カズ」

 え、和也のことを知っているのか、「誰?」

 女の子は怪訝そうな顔で言う。「からかってるの、亜里沙だよ」

 その瞬間、霧が晴れるように思い出す。そうだ。この子は妹の亜里沙だ。11歳の小学5年生。どうして忘れたのだろう。

「朝飯できたよ。親父ももうすぐ帰ってくる」

 居間にあるどこかで拾ってきたような時計を見ると、確かに7時過ぎだ。父はいつもその時間に帰宅する。和也は布団を上げてコタツテーブルを部屋の真ん中に置く。このテーブルは食卓にもなるし、勉強机にもなる。さらに冬場はこのコタツで寝ることもある。

 亜里沙はそこに朝食を置く。目玉焼きとトースト、ポタージュスープもある。

 ちょうど玄関の扉が開いて父が帰って来る。

 やはり雨はまだ止んでないようだ。合羽はびしょ濡れだ。亜里沙が父に叫ぶ。「ちょっと待って」

 父は一瞬びっくりしたように見えた。そして亜里沙に素直に従って玄関で佇む。

 亜里沙はタンスからタオルを取り出すと父に渡す。「これで拭いて」

 父はタオルで体を拭く。

 和也が聞く。「雨まだ降ってるの?」

「ああ、少し小降りになったけど、降ってる」

 亜里沙が言う。「朝ごはんにしよう」

 父がうなずいて家族3人でいつもの朝食となる。

 和也は何故かほっとする。そうなのだ。これがいつもの朝食だ。

 食事が終わって、食器を片づけると父は4畳半で寝る。4畳半は父が夜勤明けで寝るので基本、父専用の部屋になっている。そしてその時間になると和也たちは学校に行く。

 亜里沙と二人でビニール傘を差して出かけていく。雨は小降りになったとはいえ、依然として降り続いていた。

 多摩川の河原沿いに出て驚く。なんと川が増水しており、土手の半分近くまでも水位が上昇しているではないか。

「すごい水量だな」ここではっとする。あの浮浪者はどうなったんだ。ちゃんと逃げられたのだろうか、当然、昨日あったあの小屋などは流されているはずだ。

「あそこに浮浪者がいたんだ」和也が小屋のあった場所を指さす。

「あそこだったら流されてるよ」

「ちゃんと逃げられたかな」

「大丈夫じゃないの、あれだけ降れば気が付くでしょ。避難命令も出てたんじゃないの。ここら辺には他にもけっこう浮浪者がいたし」和也は心配そうに川を見つめる。「そんなことより、カズ、いじめっ子は大丈夫なの?」

 とたんに憂鬱になる。そうだった、浮浪者の心配をしてる場合じゃなかった。

「大丈夫だよ」とまったく当てにならないことを言う。

「いい、いつも言ってるようにぶちのめせばいいんだからね」

 まったくこの妹は、そんなことが出来れば苦労はないのだ。増々憂鬱で足が重くなる。

 大橋を渡り終えると、亜里沙とは別行動となる。小学校は反対側だ。

「じゃあね。ぶちのめせ」そういって亜里沙はパンチを撃つふりをする。

 和也は一人になって学校までの道を歩く。雨は和也の憂鬱さを増加させるように降り続いている。

 学校が近づいて来る。すると行きたくない気持ちがさらに高まる。このまま家に帰りたい。不登校できたらどんなにいいだろう。

 すると後ろから近づく足音を感じる。これはでぶの番場の足音だ。いつものように蹴りでもいれようというのか。

 しかし今日は何故かその姿が見える。なぜだ。後ろなのに。

 そして足蹴りが来る寸前に素早く右に避ける。案の定、デブの番場が行き場を無くして前方に転げていく。挙句、水たまりにはまり、びしょ濡れになっている。

 和也は知ったことじゃないとその場を急ぎ足で去る。番場は何が起こったかわからず、きょろきょろしている。番場にすれば一瞬にして目の前にいたはずの標的がいなくなったのだ。

 番場以上に和也が不思議に思っている。確かに後ろから襲われる姿が見えたのだ。そしてそれをあっさりと避けることが出来た。たまたまだとは思うが、こんなことは初めてだった。いったい何が起きたのだろうか。

 学校の入り口で上履きに履き替える。自分が見ても汚い上履きだ。何度も落書きされて原型がないほどだ。それを見ると憂鬱になる。他の生徒はどうなのかわからないが、和也にとってはどこかの監獄にでも入る気分なのだ。とにかく滅入る。ああ、これから地獄が始まる。

 そして教室に入る。数名の生徒たちは和也を見るが、あいさつはしない。いつもの冷めた目だ。そしてすぐに無視する。

 和也が自席に着く。窓際の後ろから3番目だ。机もいたずら書きだらけだ。和也をののしる文字が並べられている。汚い、不潔、汚物、そういったものばかりだ。何度か消したが、繰り返し書かれていてもうあきらめた。3人組以外にも奴らから指示されて、書いてる連中もいるようだ。とにかく切りがないのだ。教師もいたずら書きはやめなさいと気のないセリフをロボットのように繰り返すだけだ。

 そしていつものように奴らがちょっかいを仕掛けてくる。これが朝の営みとでもいうのだろうか、番場は先程の事件で遅れてくるはずだから、まずはのっぽの加藤允紀の登場だ。和也は見ないふりをするが、その加藤が迫って来る。やはり先程と同じで見ていないのにその姿をはっきりと認識できる。

 後ろからラリアットを後頭部にかまそうとしている。和也はまたしてもその寸前に頭を下げてかわす。当てが外れた加藤はそのまま前席の生徒にラリアットをかましている。びっくりしたその生徒が叫ぶ。「何すんだよ」

 加藤が驚いて謝る。「わりぃわりぃ、あれ?」

 加藤が和也に言う。「今、避けた?」

 和也は何も言わずに加藤を睨む。懲りない加藤が再び和也にちょっかいを出そうと、手で頭をはたくようにつっかかってくる。さすがにこれは避けられないと思った和也はその手を払う。そのつもりだった。

 ところがその力がありえなかったのだ。加藤は和也が手を払っただけなのだが、後方に吹っ飛んでいく。そして凄まじい音とともにそこいら辺の机や椅子を根こそぎなぎ倒す。

 加藤は何が起きたのか理解できないぐらい驚いている。しかしもっと驚いているのが和也である。いったい何が起きたのか、ただ、手を払っただけなのにこのありさまは何だ。夢でも見ているのだろうか。

 加藤はようやくむっくりと起きて和也に毒づく。「何、すんだよ」

 和也も答える。「そっちが勝手に転んだんだろう」

「何だと」怒りに狂った加藤が和也に掴みかかろうとする。

 するとちょうど教室の入り口が開いて、教師が入って来る。担任の米田美沙都だ。この27歳の女性教師が情けないのだ。二人の様子を見てぎょっとしている。「何してるの?」注意してるとは思えないような弱弱しい声だ。それでも加藤はそれを聞いて留まる。教師の前で暴行するのはまずいと思ったようだ。

 教室にいた生徒も一部始終を見ていたわけではない。むしろいつもの光景のため、またいじめられてるな程度の関心だったはずである。ところがことのほか、いつもと状況が違っている。加藤は転倒したが和也には何も起きていないのである。いったい何が起きたのか興味津々で、みんなが情報収集しようとしている。

 米田はどう対処していいか、よくわからないがとにかく事を収拾したいだけである。「はい、席に付いて授業を始めます」見て見ぬふりである。

 生徒たちは仕方なく席に付く。

 ちょうどそこに番場が登校してくる。番場はぬかるみにはまったせいで制服が泥だらけだ。少しは拭いたのだろうが、それでも汚れているのがわかる。さらに和也を睨むようにして自席に着く。おいおいそれは逆恨みだろう。ただ、その様子を見ても米田は何も言わない。まさに事なかれ主義そのものだ。

 和也はここまでに起きたことを考えている。今朝から何かがおかしいのだ。とにかくいつもの日常ではないことが起きている。いったい何がどうしたというのだろうか、そして思い起こすと、それは昨日の浮浪者との一件から始まったように思う。

 あの浮浪者が和也にデコピンを食らわしたのは、本当にそういった力を与えたとでもいうのだろうか、どう考えてもそんなことはありえない。じゃあどうして色んな攻撃から逃れられたのだろうか、そして軽くあしらっただけなのにあのパワーは何なのだろうか。

 和也はそれ以降、授業にならなかった。もっともいつもそうだとも言えるが。

 昼休みになり、案の定、番場と加藤から呼び出しがかかる。今日はボスの阿部大翔はお休みのようだ。加藤がにやつきながら近づいてきて小声で言う。「体育館の裏で待ってるぞ」

 いつもであれば仕方なく行くしかないのだが、今日は少し勝手が違う。和也としても力の正体を見極めたいのだ。はたしてデコピンパワーは本物なのか。

 

 雨は小雨にはなったが、相変わらず降り続いていた。加藤らにすれば雨のせいでお誂え向きに人がいないということになる。言い換えれば体育館の裏などは格好のいじめ場所になる。そしていつもなら、ぼこぼこにされるはずだ。トイレで便器に顔を押し付けられたこともある。怪我などのいじめの証拠が残らないほうが奴らには好都合なのだ。しかしあの屈辱感たるや死んだほうがましにおぼえた。

 体育館の裏に来る。

 ここは体育館と倉庫の間になり、幅は5m程度でひとけがない。さらに雨だと体育館裏どころか、グラウンドにも生徒はいない。

 加藤と番場は差した傘の陰から、獲物の和也を捉えるとほくそ笑む。

「おめえ、何したか、わかってるのか」加藤は傘を捨てると、グーパンを腹に決めようと殴りかかって来る。

 和也はこれでわかった。奴らの動きがまるでスローモーションのように見えている。そういえば昨日から雨粒がはっきりと見えていた。あれはものの動き自体がゆっくりと捉えられていたということなのか。

 その加藤のパンチを軽くいなす。身体を横にずらすだけでいいのだ。加藤のパンチは空を切る。和也はこれまでこの光景を何回、夢見ただろうか、実際は夢でしか見たことはなかったのだが、今日はそれをやる。

 バランスを崩した加藤のけつに蹴りを食らわす。

 その結果は和也が驚くものだった。加藤は実に7、8mはすっ飛んでいく。そして頭からグラウンドに叩きつけられ、泥まみれになる。そしてその威力は強力で立ち上がることもできない。

 呆気にとられたのは番場だ。この状況を理解することが出来ない。これは悪夢なのか。はたまた見間違いなのか、懲りないやつが向かって来る。

 和也は自分の力を確信しだした。番場は重戦車のようなパワーを持っている。将来は関取にでもなれると噂されるほどだ。その番場が唸り声を上げながら和也に掴みかかって来る。

 見える。番場の動きはまるで止まっているかのようだ。突進を軽く避けて、同じようにけつに回し蹴りを食らわす。重量物の勢いと蹴りの速度が掛け算されるのか、番場はさらにもっと遠くに飛んでいく。今度は10mは飛んだ。そして同じく地面に叩きつけられる。番場はピクリとも動かなくなる。

 和也は少し待つが、二人ともまったく動かない。結局のびた二人をそのままにして悠々と教室に戻る。

 和也はすさまじいデコピンパワーを身に付けたのだ。もうこれでいじめに悩むことは無くなった。

 教室では和也が一人で戻ったことを不思議そうに見る生徒もいたが、ほとんどの生徒は基本無関心である。結局、午後になって加藤と番場が戻って来るが、事態の異常さに何もできないままである。奴らにとってはボスの阿部待ちというところだろう、対処方法がわからないのだ。


 放課後になって和也は一目散に帰宅する。雨はようやく止みつつあった。とにかくあの浮浪者に会って確かめないとならない。いったい、これはどういうことなのか。

 多摩川の水位は相変わらず高いままだ。土手の半分を超えてさらに水嵩が増している。護岸工事のせいで氾濫とまではいかないのだが、それでもここまでの水位は初めてだと思う。昨日あったビニールハウスは跡形もなく濁流の下だ。和也が首を吊ろうとした樹はかろうじて濁流の上に顔を出している。

 和也は茫然とその流れを見つめる。さてどうしたらいいのだろうか、あの浮浪者はどうなったのだろうか。あの力の正体を知りたい。

「カズ」

 振り返ると亜里沙がいた。

 和也が小屋のあった場所を指さす。「昨日、あそこに浮浪者がいたんだ」

「朝も言ってたよね。いたら流されてるよ」

「ちゃんと逃げられたのかな」

「交番で聞いてみたら?」

 和也ははっとする。確かにそうだ。この地域の浮浪者だったら、警察も気にはしてるだろう。「そうだな。ちょっと聞いて来る」そう言うと和也は近くの交番に走る。

 交番は駅近くにある。

 和也は走ってそこまで来たのだが、なるほど、脚力も桁違いに上がっているのがわかる。自転車などはどんどん追い抜いていく。河原を走っていたロードレーサーもびっくりするほどだった。

 交番には年配の警察官がいた。血相を変えた和也が飛び込んできて驚く。「君!どうした?」

 和也は勢いよく聞く。「河原にいた浮浪者を知りませんか?」

 警官はほっとする。「ああ、そういうことか、何か事件でも起こったかと思った。えーと君が言ってるのは、多摩川にいた浮浪者のことかい?」

「そうです。大橋脇にいたおじさんです」

「大橋脇か、うーん個別に浮浪者の管理はやってないけど、大雨特別警報が出た時点で、河原にいることがわかる人には拡声器で連絡したんだ。一応、警報も鳴らしたよ。だから大方逃げてくれたと思うよ」

「そうですか」

「今、多摩川にホームレスは300人ぐらいいるんだよ。施設に誘導しようとはしてるんだけどね。そうか、大橋脇にもいたんだね。悪いけどその人がどうなったかはわからないな」

「そうですか」

「その人と何かあったのかい?」

「はい、僕の命の恩人なんです」

 警察官は目を丸くする。「どういうこと?」

「ああ、いえ、大丈夫です。ありがとうございました」

 細かい話をすると自殺のことを言わないとならない。それは藪蛇なので和也はここまでとする。


 アパートに戻ると亜里沙が心配そうな顔で待っていた。

「見つかった?」

「いや、よくわからない」

「そう、でもカズはどうしてその人を気にするの?」

「それがさ、信じられないような話なんだけど」そう言って和也はこれまでのことを話す。

 小学生なのでよくわからないと思ったが、ひととおり聞き終えた亜里沙が言う。「超能力だ」

 言われて確かにそうだと思う。あれはそういう力なのだ。でもその力はいつまで続くのだろうか、それにこれは本当のことなのだろうか、何か夢の世界にいるような気がする。実際、訳が分からない。

「明日になったらなくなっちゃうのかな」

「その力のこと?どうかな。まあそうなったらそうなったで仕方ないでしょ」

 亜里沙にそう言われるとそんな気もする。なるようにしかならないのだ。

「でもさ、カズ、明日が勝負だよね。ボスの阿部が学校に来るだろうし、なんとかしないとね」

「うん、そうだね」

 言いながら、亜里沙は何故かほくそ笑んでいた。



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