君が淹れれば魔法の紅茶
世の中には、自分の思い通りに事を運ぶ者がいる。
そんな者に翻弄されるなど、できれば遠慮したい。
けれど、抗う術もなく巻き込まれた結果、自分が幸福を掴んでいるとしたら?
私の名はライムンド・ナパスクエス。
侯爵家の次男として生まれたので当然、跡継ぎの兄上のスペアだ。
万一のことに備えつつも、うっすらとは自分の将来像を持っていないと、いざという時困る、という中途半端な立場。
まあ無事にスペア期間が終わり、何も特技を持てないとしても、幸いにも侯爵家の息子。
贅沢を言わなければ、小さな領地付きの子爵位ぐらいならもらえる。
いざとなったら、それでもいいか、と開き直る気持ちを心の隅に持っていた。
そう、私は大志を抱くタイプではないのだ。
そんな私には、幼い頃からの側近のような存在がいる。
彼の名はテルセロ。遠縁の子爵家の次男だ。
同い年だったので、最初は遊び相手として、たまに招かれるくらいだった。
ところが、私のことを気に入ったのか、いつの間にやら侯爵家に住み込んで、従者のごとく世話をやくようになった。
後から考えるに、いくら跡継ぎのスペアと言えど、あまりにも野心の無い私を放っておけなくなったのではないだろうか?
問うてみたことはないが。
やがて、家庭教師が来るようになると、ちゃっかり部屋の隅に陣取り、一緒に話を聞いていた。
直接教わっているわけではなかったのに、貴族学園の入学試験で私に次ぐ二番の成績をあげた。
涼しい顔をしているが、本気を出せば、一番も狙えたのではないか。
もしかすると、わざと二番になったのかもしれない。
子供の頃からそつがない彼は、少々生意気にも見えたのだろう。
先輩となる使用人に絡まれることもあった。
そんな時は、どこかから仕入れた情報を基に相手に恩を売り、態度を和らげさせたのである。
大人になったら王城に上がって外交官にでもなり、スパイとして活躍するのかと思ったくらいだ。
やがて、私たちは十五歳になり、王立学園に入学した。
さらには翌年、揃って生徒会役員に就任したのである。
任期は二年生の一年間で、役員は一年生の学年末試験で一番から四番までの生徒に加えて会長推薦の二名と決まっていた。
成績一番の者が自動的に会長となり、他の役職を決める権限を得る。
一年生の学年末。試験結果が廊下に張り出された。
一位は私、僅差で二位にテルセロ。
三位は我が家も懇意にしている商会の息子サムエルだ。
その次に書かれた名前に驚いた。
四位に入ったのは、なんと女子生徒だったのだ。
女性を蔑視するつもりもないし、勉強の成果に男女の別はない。
だが、その一年間、総合成績で女子が五位内に入ることはなかったので、なんとなく生徒会役員は全員男子になるだろうと思い込んでいたのだった。
四位になったのはコロナード伯爵家の一人娘フロレンティナ嬢。
特別な交流はないものの、一年間同じ教室で学んだ仲だ。
わき目もふらず一途に勉強するガリ勉というタイプでもないが、それまでの試験でも十位以内には必ず入っていた。
派手さは無く、穏やかで柔らかい雰囲気の女子だ。
人付き合いも良く、張り出された成績結果の前で友人女子たちに祝われ、微笑んでいた。
さて、生徒会役員は会長、副会長、会計、書記が各一名、そして庶務の二名からなる。
活動初日、私は生徒会室に集まってくれた皆に役職を振り分けた。
副会長には何かと頼れるテルセロを充てた。
会計には三位の商会の息子サムエルを。
庶務には機動力と素早い判断および対処が求められる。
なにせ学生同士の揉め事に、真っ先に首を突っ込まなければならないのが庶務係なのだ。
ちょっとした喧嘩なら、仲裁できるくらいでないと務まらない。
というわけで、テルセロが推薦してくれた二人の男子生徒、ビダルとドナトを充てることにした。
彼らは高給取りの護衛を目指して、鍛錬を欠かさないと聞く。
必然的に書記はフロレンティナ嬢となる。
紅一点の状況に緊張するかと思いきや、彼女は友人の令嬢たちと過ごす時と変わらないように見える。
何か尋ねてもはっきりと返事をしてくれるし、話が早い。
初日は挨拶と役職の割り振り、仕事の進め方の打ち合わせだけだ。
一通り話し終わり雑談に入った頃合いで、学園内のティールームに頼んであった紅茶と焼き菓子のセットが届いた。
それに気付いたフロレンティナ嬢がさっと立ち上がり、ワゴンを受け取って押して来る。
「すまない、フロレンティナ嬢。手を煩わせて」
「いえ、会長、わたしも少しは慣れていますから」
彼女は穏やかに微笑むと、紅茶を注ぎ、皆に配って行った。
鮮やかで危なげない手付きだ。
「給湯室が使えれば、経費削減にもなるんですけれど」
会計のサムエルが、ポツリと言う。
生徒会室にも立派な給湯室があり、本来はお茶くらいなら用意できる。
だが、以前にちょっとした事件があって使用に制限があるのだ。
手を洗うとか、掃除用の水汲みくらいにしか使えない。
それもこれも、さる王子殿下が生徒会長だった時に、紅茶に媚薬を盛った令嬢がいたせいである。
それで万一のことを考えて、生徒が職員の監督なく飲食物を用意することは禁止された。
「まったく、油断も隙も無いですね」
そいつのせいで経費が掛かるとばかり、会計は渋い顔だ。
「残念ですけど、決まりなら仕方ありませんわね。
皆で疑心暗鬼になっては、落ち着きませんもの」
疑ったり、疑われたりするのは実に時間の無駄だろう。
フロレンティナ嬢の言葉に皆、頷いた。
打ち合わせが終わり、皆で馬車寄せに向かった。
なんとなく、フロレンティナ嬢の隣りを歩くことになったので、気になったことを訊いてみる。
「君はお茶を淹れるのが手間ではないのか?」
「家族だけで寛ぐときは、わたしがお茶を淹れることにしているのです。
得意だと胸を張れるほどではありませんが、嫌いな作業ではないので」
フロレンティナ嬢は少しはにかんだような、可愛らしい笑顔で応えてくれた。
もう一言、何か気の利いたことでも言えればいいのに、と考え出したところで水を差す声がした。
「……会長」
庶務のビダルが、渡り廊下の先を指差している。
そこには、一人の男子生徒が待ち伏せしていた。
彼は一年生最後の成績発表で五位だった男だ。
成績が貼り出された掲示板の前で、ちょっとした騒ぎを起こしている。
『馬鹿な、私が女子に負けるなんてありえない!
何か、採点に不正があったはずだ!』
彼は愚かにも、そう叫んでいた。
その時『学園の成績に不正の入る余地はない』と居合わせたテルセロが諭したのだ。
彼はまだ、納得していなかったようで、私たちの前に立ちふさがる。
「会長! 私は本当は成績四位だったはずのモデスト・トルタハーダです!
あの結果発表には不正があります。そうでなければ女子が……」
私は聞く耳を持たず、そのままフロレンティナ嬢を促して進んだ。
後はまあ、残った彼等がなんとかするだろう。
「会長?」
さっきまでは一緒に歩いていただけだったのに、肩を抱くようにグイグイとエスコートしてしまった。
「済まない。不快だったか?」
「いいえ。少し驚きましたけれど」
「彼は何か勘違いをしているようだ。学園の成績に不正があるはずが無いのに」
勘違いをしているからと言って、罰するほどでもない。
念のため生徒会活動の後、誰かが彼女を馬車寄せまで必ず送ることにはしたが。
一週間ほど後のこと、昼食をとるため食堂に出向いた私は、思ってもいなかった光景を目にした。
モデストがフロレンティナ嬢の向かいに立ち、何事かを熱心に話しかけていた。
他にもたくさんの人間がいる食堂だ。差し当って身の危険はなさそうだが、会話の内容が気になった。
気取られないよう、観葉植物の陰に移動した私がどうしたものかと思っていると。
『今からでも遅くない。
不正を認めて生徒会役員の席を空けろ。
悪いようにはしないから』
会計のサムエルが小声で私に告げた。
彼の家では繊細な商談のために読唇術を会得するのが必須だったらしい。
学園にもフロレンティナ嬢にも失礼極まりない、許しがたい発言である。
彼を放置したのは間違いだったか。
だが、あまり騒ぎを大きくすれば彼女の名誉にも関わりかねない。
とりあえず、私たちは物陰から出た。
すると、それに気付いたモデストはそそくさと離れて行く。
彼は伯爵家の次男だ。
自分の将来を底上げするための肩書を得る事には熱心でも、私たちに見とがめられるのはまずい、という自覚はあるらしい。
「大丈夫だったか、フロレンティナ嬢」
「まあ、会長。ご心配くださったのですか?
ありがとうございます。
あの方の勘違いだとわかっておりますから、気にしてはおりません」
「行き届かなくて済まんな」
「会長のせいではありませんわ。
それより、早く食事なさらないと昼休みが終わってしまいます。
今日はビーフシチューがお勧めです。まだ残っているかしら?」
「君のお勧めなら是非、頂きたい」
彼女の笑顔に送られて、私はカウンターに向かった。
無事、シチューを得て戻ると、食事を終えた彼女が友人の令嬢たちと戻ろうとしていた。
教室まで送り届けたくはあるが、モデストも生徒の身だ。
まさか、授業に障るような振る舞いはしないだろうと、そのまま見送った。
「会長、お話があります」
数日後、庶務の二人が揃ってやって来た。
「実は、トルタハーダ伯爵家子息のことなんですが、食堂でのことが気になって、情報を集めてみたのです」
彼らは独自に聞き込みをしてくれたようだ。
「彼は、顔を合わせたが最後とばかり、フロレンティナ嬢に何かと文句を言っているようです」
「そうなのか……」
学生の身で、学園内ということもあるだろう。
さすがに待ち伏せするほど暇ではないため、そこまで目立ってはいなかったが、問題行動は続いていたらしい。
「彼は自分が正当な生徒会役員であると公言してはばからず、中にはそれを信じてしまった生徒もいるようです」
「それは、まずいな……」
落ち着いた様子が好もしく、勉学にも努力を怠らないフロレンティナ嬢。
おそらく、領地経営をも着実に身に着けていくだろう。
婿入りする奴が羨ましい。
あれ? 彼女は婚約者がいるのだろうか?
「会長、会長?」
「あ、ああ、すまない。考え事をしていた」
なぜか、私の思考は脱線していた。
翌日の放課後、フロレンティナ嬢を除く生徒会役員に集まってもらった。
彼女が女性同士の茶会に呼ばれている日を選んだのだ。
議題は彼女に付きまとうモデストの対処について。
「彼を思いとどまらせるには、どうしたらいいのだろうか?」
「プライドの高い男ですから、皆の前で恥をかかせれば、さすがに思い直すのでは?」
副会長テルセロは容赦ない。
「彼女が逆恨みされて、困ったことにならないよう配慮しないと」
「そんな気持ちも起きないほど、コテンパンにやりましょう!」
私の心配をよそに、脳筋寄りの庶務二人は、楽しそうに言う。
しかし、具体的な作戦を立てるのはこれからだ。
慌てて失敗したら、大変なのだ。
チャンスは、フロレンティナ嬢がもたらした。
「来月、うちの王都屋敷でお茶会があるのですが、皆様、よろしければいらっしゃいませんか?」
「お茶会?」
「ええ。領の産物を活かした料理など、物産を紹介するのが主な目的ですの。
美味しいものがたくさん出ますわ」
「それは是非、お邪魔させていただきましょう」
副会長のテルセロが、いい笑顔で私を見る。
どうやら、何か思いついたようだ。
さて、お茶会当日。
晴天に恵まれたコロナード伯爵家の王都屋敷の庭は、非常に賑わっていた。
私も主催者の伯爵夫妻に挨拶し、たまたま出くわした知り合いに挨拶し、少々歩き回るうちに、生徒会の面々と合流する。
「ほんと、旨いですね!」
「絶品です!」
庶務の二人は呆れるほどの食欲を見せている。
しかし、給仕の者たちは笑顔で料理を運び、客に引け目など感じさせない。
よく教育されている。
「皆様、ようこそお越しくださいました」
やがて、フロレンティナ嬢が挨拶に現れた。
学園の制服と違い、今日は明るい色のドレスを着用している。
光の女神が現れたのかと思った……と口走りそうになって慌てた。
なんだか、彼女の近くにいると思考が持っていかれるような気がする。
……たぶん、気のせいではない。
「フロレンティナ嬢、いつもの制服姿も素敵ですが、ドレス姿は一段と美しいですね」
「まあ、ありがとうございます。テルセロ様」
ヤツが如才なく褒めるのは、やや癇に障る。
しかし、フロレンティナ嬢はさらっと流した。
いいぞ、フロレンティナ嬢。
私もどうにか褒めたいが、言葉が見つからない。情けない。
「会長も、楽しんでらっしゃいますか?」
「……ああ、とても」
ヘタレ男子か? 私は。
そんな時、周囲が少しざわついた。
割れた人垣から現れた人物は、件の問題令息モデストだ。
「フロレンティナ嬢、こんなところにお出ででしたか」
「……まあ、モデスト様、ようこそお越しくださいました」
ほんの一瞬、彼女の顔に戸惑いが浮かんだように見えたが、すぐに必要最低限の笑顔が浮かべられた。
すごいな、フロレンティナ嬢の表情筋。
呼ばれていないはずの人間が来たのだ、主催者の娘としては盛大に戸惑っていいところだ。
しかも、彼は人垣を割るほどに大仰な出で立ちだった。
王城の夜会に出ても問題ない一張羅を着て、髪はオールバックに撫で付けている。
ハッキリ言って、場違いなことこの上ない。
もう一つ付け加えるならば、彼はけして不細工ではないのだが、残念なことにオールバックは全く似合わない。
「フロレンティナ嬢、この良き日に、貴女を婚約者とする名誉を頂きたい」
ブワサっと音がしそうな薔薇の花束を差し出して跪くモデスト。
驚愕に目を見開き、固まってしまったフロレンティナ嬢。
更に大きくざわつく会場。
流石に、主催者夫妻が気付いて、駆け付けた。
「これは、どういうことでしょうかな?」
「コロナード伯爵でいらっしゃいますか?
本日は、お嬢様の婚約者探しのお茶会と伺っております。
素晴らしいお嬢様の隣りを勝ち取るべく、こうして駆けつけてまいりました」
「フロレンティナの婚約者探し? はて?
本日は、我が領の物産を紹介するために皆様にお集まりいただいたのですが」
「え? 僕は学園で、生徒会副会長のテルセロ君に、そう聞いたのですが?」
その場の視線が、テルセロに集まった。
「ああ、少しわかりにくい説明をしてしまったようですね。
誤解を生じさせたようで、申し訳ない」
しれっと、そっちの勘違いでしょうと話を逸らすテルセロ。
「き、君は早い者勝ちだから気合を入れた方がいいと、僕を焚きつけたじゃないか!」
「早い者勝ちは本当ですよ。
話が進むにしろ、断るにしろ、先に申し込んだ者から検討されるのが常ですから」
テルセロの話の続きを、コロナード伯爵が継いだ。
「確かにそうですな。
こんな大勢の注目が集まる場で、うちの娘に婚約を申し込んでくださるほど、情熱を持っていただけたのは有難いことですが」
モデストはハッと気づいたように、周囲を見回して青くなる。
これはもう、テルセロにうまく誘導されてしまったのだ。
気の毒に。
「せっかくですから、うちの娘のどこが気に入ったのか、教えていただければ」
コロナード伯爵が助け舟のごとく水を向ける。
「え? 気に入った? いえ、別に特に気に入ったというわけでは」
ところが、それを泥船に変えるモデスト。
「おや? 気に入らない娘に婚約を申し込もうとなされた?
それは少々……詳しくお話をお聞きしませんと」
泥船は勝手に沈む。
コロナード伯爵は、近くにいた二人の給仕に目で合図した。
彼らは問答無用とばかりに、モデストを両側からガッシと持ち上げて連れ去る。
どう見ても、給仕ではなく騎士だろう。
伯爵家、油断できない。
「テルセロ、何と言って焚きつけたんだ?」
モデスト君大恥作戦は、繊細な仕込みが必要だからと、テルセロ一人で実行した。
詳しい内容は教えてもらえなかったのだ。
「なに、だんだんと就任期間が減っていく生徒会役員にこだわるより、妻にして傅かせれば一生かけて恨みを晴らせるんじゃないですか、というように聞こえるかもしれない話を少々持ち掛けただけですが」
「怖いなあ、お前は」
「お褒めに預かり光栄です」
などとコソコソ話していると、コロナード伯爵に話しかけられた。
「そういえば、あのご令息は娘に言いがかりをつけていたと聞きます。
生徒会の皆さんは、それを助けてくださったと。
こんな場で申し訳ないが、本当にありがとうございました」
「いえいえ、当然のことです。
フロレンティナ嬢のように穏やかで淑やかで努力家なご令嬢を貶める者など、許せませんからね」
モデストの求婚に憤っていたせいか、相手が令嬢本人ではないせいか、私の口はよく回った。
「おや、ライムンド様がうちの娘を、それほど買ってくださっているとは。
それは少々、詳しくお話をお聞きしませんと」
コロナード伯爵は再び、近くにいた使用人に目で合図した。
私も両側からガッシと持ち上げて連れ去られるのか、と思いきやそんなことはなく。
どう見ても上級な出で立ちの使用人に、丁重に応接室に案内された。
伯爵家は人材が豊富のようだ。本当に油断できない。
案内された部屋で待っていると、執事を伴った伯爵が入室した。
「実は今、うちの娘にはこれだけの申し込みが来ておりまして」
執事が山盛りの釣り書きが載せられたワゴンを、テーブル横につける。
「一応、学園の三年生になるまでは全てお断りする方針でおります。
しかし、何事にも例外はございます。
誠心誠意、娘を幸福にしようと仰ってくださるような方と、膝を突き合わせてしまっては、お断りすることも難しく……」
なぜだか、そう言われてドキドキした。
腹を決める時のようだ。
「……近々、父を伴いまして、ご挨拶に伺わせて頂きます。
日程につきましては、後ほど書面にて……」
そこまで言いかけて気が付く。
私はまだ、彼女の気持ちを確かめていなかった。
「あ、……申し訳ありませんが伯爵、先にお嬢様とお話をさせて頂きたく」
そこへ新たなワゴンを押して入って来るフロレンティナ嬢。
「お父様、いきなりライムンド様を連れ去ってお茶もお出ししないの?
それに、わたしを置き去りにして。
わたしがお招きしたのに、どうかと思いましてよ?」
「済まんな。彼がお前に話があるそうだぞ。
私の話は終わったので、退散しよう」
伯爵がいい笑顔で退出していく。
「やっと会長に、わたしの淹れたお茶を飲んでいただけますね」
「……出来れば、一生飲みたいのだが」
「喜んで」
彼女のお茶は、疲れた私の心身に染みわたった。
それにしても、私は今日がコロナード伯爵との初対面なのだ。
なのに既にいろいろ把握されてしまっている。
コロナード伯爵家は国内でも一目置かれる家ではあるし、情報収集も手抜かりが無いだろう。しかし、それだけではない。
どう考えたって、テルセロが情報を流しているに違いない。
いったい、どこまで噛んでいるのだ!?
家に帰ってから、テルセロを問い詰める。
しかし、やはり、腹が立つほどの涼しい顔で応えられた。
「がっちり噛んでいますよ。
ライムンド様はフロレンティナ嬢を気に入っているし、フロレンティナ嬢もまんざらではなさそうだったし。
俺としても、将来にわたりお仕えする貴方が、良い家にお婿に行かれた方が都合がいい」
が、テルセロがそこまで私のために働くだろうか?
この裏には何かある。考えていても分からない時は問い詰めるべし。
モデストほどではないが、私だって今日はそれなりに追い詰められたのだから。
「で、お前の目的は何だ?」
テルセロは目を瞠った。
わりといつも、素直に彼の意見を受け入れる私が、口答えのような質問をしたので驚いたのだろう。
「幼い頃、この方を主人と心に決めてから、俺の主は貴方です。
いつだって貴方の幸福のために働くんですよ」
「胡散臭い」
「ひどいなあ」
「私の先行きを決めようとするなんて、運命の神か悪魔のようなものだ」
「俺は、普通の人間に決まってるじゃないですか。
しかし、ライムンド様も成長なさいましたね。
頭はいいのに、素直過ぎるところが可愛いかったのに残念です。
そんなに睨まないでください……わかりました。正直に言います。
俺は、みっちゃんと夫婦になることが目的です」
「みっちゃん?」
「フロレンティナ様の侍女になる予定の、ミレイア嬢ですよ。
言い方は悪いですが、フロレンティナ様の取り巻きの一人です。
生徒会室に送って来たり、食堂で同じテーブルにいたり、貴方も何度も目にしているはずですが」
「彼女の周囲の令嬢?」
まったく記憶にございません。
「……そんなことだろうと思っていました。
生徒会室以外の場所では、みっちゃんの他にも数人のご令嬢が常にいたんですよ。
だけど、ほら、一人も貴方の目に入ってない。
そこまで盲目に恋した主人の想いを叶えるついでに、自分の恋も叶えたって罰は当たらないと思いますね」
「確かにそうだな。
それで、みっちゃんとやらとは、どこまで行っているんだ?」
「教えたくないけどお教えしましょう。
全て根回し済みで、卒業したらすぐに婚姻する手はずです。
うまく行けば、みっちゃんがお二人のお子様の乳母になるかもですし、俺も頑張らないと!」
「………」
大人だった。テルセロもみっちゃんも、私より遥かに大人だった。
そして、本当に良かった。テルセロと、望むゴールの方向が同じで。
神でも悪魔でもいいから祟られないうちに、彼には感謝しておくべきかもしれない。
ちなみにテルセロに言われて初めて意識したみっちゃんことミレイア嬢は、裏表のないサバサバしたお嬢さんだった。
仕事はきっちりしていて、フロレンティナとの相性もいいようだ。
嘘の無い侍女が側にいてくれたら、彼女も心の拠り所に出来るだろう。
隠し事の多い、誰かとは全くタイプが違う。
見ていると、テルセロが一方的に惚れていて、みっちゃんは仕方ないなあと、受け入れてやっているように見える。
ともかく、二人とも大事な身内だ。幸せになって欲しい。
そんなこんなで無事に生徒会運営も終わり、三年生になり、やがて卒業。
生徒会の面々は卒業後、全員がテルセロの手腕によりコロナード家に就職した。
数字に強いサムエルも、護衛のビダルとドナトも、すっかりテルセロの手下となり、日々楽しそうに働いている。
将来、私が伯爵を継いだ時、私を主人として見てくれるのか心配なくらいだ。
もちろん、冗談だが。……冗談でいいはずだが?
かわいそうな悪役モデストは、あの後、監視付きの学園生活を送り、卒業後は実家の領地で書類仕事に忙殺されているらしい。
私は在学中にフロレンティナと婚約し、卒業から一年後に婚姻した。
そして、テルセロは私の専属秘書になった。
家宰や執事は目指さず、フットワークの軽さを重んじるそうだ。
彼だけに甘えるつもりは無いが、貴族社会は複雑だ。
彼の暗躍無しに、今後の私たちの幸福が守られるとは思い難い。
婚姻前の一年間、私は王都で常に、コロナード伯爵にくっついて歩いた。
「もうすぐ婿になります、よろしく」と社交をしたり、王都屋敷で執務を習ったり。
婚姻してからは伯爵領で、家宰の指導の下、執務についている。
フロレンティナは、いつも私のためにお茶を淹れてくれる。
紅茶だったり、ハーブティーだったり。
細かく体調に気を遣ってくれる、素晴らしい妻だ。
「君の淹れたお茶を飲むたびに、君に惚れ直すんだ。
毎日、君がお茶を淹れてくれるだろう?
そのおかげで愛が少しも冷めない」
「まあ、あなたったら……」
午後のお茶の時間は、しばらく執務室で二人だけ。
甘い囁きも許される。
彼女を抱き寄せて膝に乗せた。
「私に、魔法をかけ続けてくれ。
君を生涯守り切れる、強さを持っていると信じさせてくれ」
フロレンティナは微笑む。
「ずっと、側におりますわ。ずっと、側にいてください」
キスは肯定の返事に含まれるだろうか?
「もう……あまり羽目を外さないでくださいね」
少し長いキスの後、頬を赤らめた妻が小さく睨んでくる。可愛い。
現在、テルセロは有給休暇中だ。
テルセロとミレイア夫妻は一年前に無事婚姻した。
けれど、ずっと私たちの婚姻と新生活の準備に奔走していたので新婚気分に浸る暇などなかっただろう。
それで、遅まきながら新婚旅行に出したのだ。
だがテルセロのことだ。何かあったらすぐ帰れるようにと、周辺にある他の貴族の領地をのんびり回るらしい。
ビダルとドナトも護衛として同行したから、ついでに周辺を嗅ぎまわってくるつもりなのだろう。
テルセロは性分だから仕方ないが、ミレイアにはのんびりして欲しいと思っている。
それをフロレンティナに言うと笑われた。
「ミレイアはしっかりしているから、大丈夫よ」
そうだな。よその夫婦の心配をしてもしょうがない。
私は、私の妻を愛でればいいのだ。