ある晴れた日に、空の中で少年が見たセカイ
地上数キロメートル。浮遊する鉄の塊から一人の少年が飛び降りた。
少年は大気の厚みを全身で感じながら、小さく見える物が徐々に大きく見えてくる変化を楽しんでいる。
飛び降りてからどれくらいの時間が経っただろう。彼はパラシュートを開くために紐を引っ張った。
しかし、それは開かない。
何度も試すがパラシュートは微塵も変化を見せない。
こわい、怖い、恐い、コワイ!
イヤダ! シニタクナイ!
真下に見える着陸地点。街の中にある少し開けたキレイな野原。
しかしそれはもう地獄の業火にしか見えていなくて、
遠くに見える美しい山も、もう死神にしか見えなくて、
少年はパラシュートの紐から手を離した。
僕は不幸だ、不幸だ、不幸だ……
不幸か?
本当に?
「人は生まれたその時から平等ではない」
かつてそんな話を誰かがしていた。生まれた家庭で人生の限界が決まるのだと、その人は言った。
貧しい家の子と豊かな家の子。
もっと言えば貧しい国の子、豊かな国の子。
一方ではご飯が食べれず餓死してしまい、一方では余る食べ物を廃棄している。
少年は思った。それでも人は平等なのだと。
全ての者は生まれたその時から確実に終焉に向かっている。
少年は山を見た。それは今でも死神の姿をしていて彼を手招いている。
不治の病の子、健康な子。違いはなんだろう。
彼は思った。違いがあるとするならば、それは死が見えているか見えていないかの差だけなのだと。
事故、急病、突発的な狂人による犯罪。あの山の死神のように、死は常に人の近くに潜んでいるのだ。
どんなに金持ちでも、どんなに貧乏でも死は平等に訪れる。
そう考えた少年には「死」が、先ほどまでの恐怖の対象が、とてもキレイなモノに思えた。
少年の眼にはもう地獄の業火も死神も映っていなくて、元の美しい光景が輝いていた。
少年は首を捻って上を見る。目に映るのは自分の通ってきたセカイ。蒼く果てのない空と、浮かぶ白く輝く雲。照り付ける暖かい日差し。
自分がこれまで通ってきた道はこんなにも暖かく、美しく、そして輝いている。
少年は次に大地を見つめる。これからの道はどうだろうか。
光る若々しい緑の野原。
ああ、このセカイはキレイだ。生きてきた道も、これからの道も。
こんな美しいセカイで迎える最期はキレイなモノでありたいと思った。
だから少年は唄った。全ての想いを詞に込めて。大切な人に向けて奏でる旋律を風に乗せて。
誰にも知られることが無くても良い。ただ自分がここに居た証を示したかった。
眼前に大地が広がる。時間はもう残されていなかった。
最期までキレイでありますように。
少年は涙を堪えて最高の笑顔を浮かべた。
完
普段とは違った書き方をしてみたのですが、いかがでしたでしょうか。
私は物書きとしては限りなく未熟者ですのでアドバイスや感想などがありましたら頂けると有難いです。