もしかしたら、その光景を見た者の中には、「綺麗だ」と零す者もあったのかもしれない。一見して、舞い散る花弁は美しいからだ。キラキラと光を受けて静かに花びらが舞うそこは、まさに幻想のただ中。
しかし、一度でもそこから目を逸らし、地面に目を向けたならば、そのおぞましさに誰もが慄いただろう。
肉の山々とその周りに広がる血の海でまともな足の踏み場もなくなっていたそこは、既に並みの人間がいられる場所ではなくなっていた。かろうじて顔面が残っている死体があれば、その顔面は残らず己の最期がどれだけの絶望にまみれたものだったかを雄弁に語っている。
そんな惨劇の中に、一人の娘が立っていた。まだ幼く見える娘が目の前の惨状に泣き出すことは容易だったが、娘は鼻を突く異臭にピクリと眉を震わせるだけで、心は驚くほど凪いでいた。一度でも思考を揺らせば、娘はきっと目的を果たせない。だから娘は恐怖に類する感情の全てに封をして、一歩踏み出す。
舞い散る花弁の中心にいる『何か』が、それに反応する。とうに理性は失って、本能的に娘が最大の脅威であると悟ったらしい。自己防衛機能が働いたことで、ひらひらと舞うばかりだった花弁は突如動きを変え、娘の方へ鋭く飛びかかる。
目も開けられないほどの密度で向かって来る花弁たちは、その一枚一枚が人に死をもたらす無慈悲な刃だ。表面をかすめるだけで、その中の肉まで全て持っていかれる。四肢を余すことなく斬られながら、娘はその『何か』から目を逸らさずにいた。
(………あぁ)
こんな有様でも、己の首が未だ断たれていないことに、娘は思わず足を止めそうになってしまう。しかし決意を新たに、更に一歩、前へ。
『何か』に触れられる距離まで来た娘は、ようやくその構造を確認できた。遠目には立派な桜の大木にしか見えなかったそれだが、洞のような部分の奥に、規則正しく蠢く肉塊が見えた。今も熱く脈を刻むそれは、この『何か』が決して単なる植物でなかったことの証左に他ならない。
木の幹に埋め込まれた心臓。なんとも不気味な生物の形であったが、娘は「分かりやすくていい」と思う。正直、これを見るまでは、どこをどうしたら『これ』を殺せるものか、判断に迷っていたのである。
娘は、手の中に固く握りしめていた金属片の形を強く意識する。きちんとした刃物なんて用意する余裕はなく、不格好な凶器をその心臓の上にかざす。
躊躇はなかった。数瞬の迷いもなく下ろされた刃は、柔らかい肉を引き裂きながら沈む。
それだけで成すべきことは果たされた。元々音なんてなかった空間だったが、より一層重たい沈黙が場を包む。
消え損なった花弁だけが、静かに娘の頬を撫でては落ちていった。