(8)
春休みも終わり、春彦や佳奈は2年生に進級する。
春彦と佳奈は別のクラスで、佳奈はひどく落胆していたが、相変らず木乃美と同じクラスだったので半分喜んで半分がっかりな様子だった。
「佳奈、私と同じクラスじゃ不満?」
「え?
そんなことないよ、すごく嬉しい。」
「でも、顔は春彦と一緒じゃないからつまらないって顔に描いてあるわよ。」
「もう、木乃美ったら。」
木乃美にからかわれて、佳奈は苦笑いしていた。
「今回は、結構、ばらばらになっちゃったね。」
「なに?
私がいるといけない?」
そういって、京子が近づいてきた。
「そっ、そんなことないよ。」
きゃー、助けてー。」
京子は、木乃美の頭を抱え込んで絞り上げるふりをした。
「もう、二人とも。」
佳奈は、じゃれ合ってる二人を見て笑い出した。
「今回は、木乃美と京子と同じクラス。
慶子と久美が同じで隣のクラスか。
ちょっと残念ね。」
「え?
隣のクラス?
じゃあ、春と一緒なんだ!」
佳奈は初めて知った。
「あらま、春彦の名前だけ捜して、大事な友人の名前を探してなかったの?」
木乃美は、ここぞとばかりに佳奈をからかった。
「そっ、そんなことないって。
ただ、クラス分けが張り出してある所ってすごく混んでいたじゃない。
だから、自分のクラスと、春のクラスしかわからなかったのよ。」
佳奈は、慌てて弁解した。
「おお、おお、薄情なこと。」
木乃美は、追い打ちをかけるようにからかった。
「でも、久美と慶子と別れるのは寂しいな。」
佳奈は、一生懸命話を逸らそうとした。
木乃美も京子もそんな狼狽えた佳奈の仕草に笑い、それ以上はからかうのを止め、佳奈の話に乗ってあげることにした。
「まあ、お隣さんだし、慶子とは部活であえるじゃん。」
「久美は、何かにつけていつも寄って来るし。」
「なに、その言い方。
なんか近づいちゃいけないの。」
その声に京子は背筋を伸ばし、恐る恐る振り返ると、そこには、指をバキバキと鳴らすふりをしている久美が立っていた。
久美は、おかっぱのような短い髪で、前髪をゴムで結んでおでこを出し、元気そうな女の子だった。
背丈は、5人の中では木乃美と同じくらい小柄(一番高いのは京子で、慶子と佳奈が真ん中位だった)だが、快活で、明るく、笑顔の絶えないタイプだった。
また、5人の中では一番早い4月生まれで、リーダーシップもあり皆から久美姐さんと慕われていた。
「いやいや、滅相もない。
お姉さま、いつもお綺麗で。」
「まったく、京子ったら、調子がいいんだから。」
そう言って、久美は笑いながら京子の脇腹をつかんだ。
「きゃ、くすぐったい。」
そういいながら京子は身をよじっていた。
「まったく、もう。」
佳奈はそんなじゃれ合っている姿を楽しそうに見ていた。
一方、春彦は俊介と同じクラスだった。
俊介とは、五商の件のあと、春彦は小さな頃、危ない道場に通っていて、たまに自分を見失って危険な技を無意識に出すことあることを、隠さずに説明した。
俊介は、その説明で納得し、しかも、無視していたのに自分を庇って怪我までした春彦に、感激し、より親近感を覚えていた。
但し、道場通いは、いつまた我を忘れてしまうかわからなかったので、佳奈が傍にいる時に限定し、1月に2,3回にすることにしていた。
「えー、なんで私が、春たちの稽古に付き合わなくちゃいけないのよ。」
佳奈は、最初は口を曲げて文句を言っていたが、春彦がおかしくなるのを一番良く感じるのは佳奈だからと説明すると、しぶしぶと了承した。
内心では、逆に自分しか春彦のことがわからないのだという優越感に酔いしれていた。
「来週の火曜か木曜日、どうかな。
菅井に聞いておいてくれよな。」
俊介は、そういって春彦の肩をポンと叩いた。
「わかった、あとで聞いてみる。」
春彦は、また俊介と以前のように付き合えるのが嬉しくて笑顔で応えた。
そして、瞬く間に1月が立ったある日、春彦は同じクラスの男子学生からバンドに入らないかと声を掛けられた。
声をかけてきたのは、矢田部詩音という同級生で、軽音部の部員だった。
詩音は、一世代前に流行ったロックが好きで、同じ好みのメンバーを集めていた。
また、両親がそういった音楽関係だったのか、男子にしては高音域でも伸びのある声の持ち主で、スリムな体系と見た目、日本人離れしたなかなかの美形で、さも、音楽やっていると言わんばかりの風貌だった。
当然、女子に人気で、クラスの女子もほとんどが憧れの眼で見ていた。
そういう外見とは異なり、心底、音楽、特にロックミュージックが好きで、自分と同じ嗜好のメンバーを高校1年の時、地道に探していた。
そして、その努力の甲斐があってか、ドラムやギター、キーボードは集まったが、ベースは地味だという印象なのか、なかなか気の合うメンバーが見つからなかった。
春彦は、詩音のバンドのエレキギターを担当している小久保隆という男子生徒と高校1年の時同じクラスだった。
そして、ある時、春彦は些細な会話から小久保と馬が合い、小久保の勧めで昔のハードロックのCDを借り、のめり込んでいた。
詩音は、小久保から春彦もロックをよく聴くと聞いていたので、声をかけてきたのだった。
「なあ、立花。
お前、パープルやツェップとか好きなんだって?」
「ああ、小久保のせいで聞いてるよ。」
「じゃあさ、俺達のバンドで、ベースやらないか?」
いきなりベースをと言われ春彦は戸惑う。
「ちょっ、ちょっと待て。
聴くのは好きだけど、楽器は小学校で笛吹いたくらいだよ。」
「大丈夫、大丈夫。
最初から楽器抱えて生まれてくる奴はいないって。
練習すればいいんだよ。
なあ、今年の文化祭で軽音部、ステージやるんだよ。
今さ、ベースがいなくて困っているんだよ。
なあ、やろうぜ。」
「ちょっと、待ってくれよ。
本当に、ベースなんて弾いたことないし、持ってもいないよ。
それに、ベースって買うのも高いんだろう?」
「ああ、それなら、部室に誰か卒業生が置いていったベースがあるから大丈夫だよ。」
「でも、おれ、音楽は……。」
そう言いながら、春彦は父がベースを弾いていたという話を思い出し、心が揺れていた。
「じゃあさ、ともかく一度部室に来ないか。
ちょっと、触ってみるだけでもさ。」
「うーん、ちょっと考えさせてくれ。
聴くのはいいんだが…。」
「わかった、じゃあ、いい返事を待ってるから。」
それから、毎日のように詩音は春彦にベースをやる気になったかと聞いてきた。
そして、そんな調子で1週間たっても、相変らず、詩音は春彦を勧誘し続けた。
「なあ、立花。
気い変わった?」
「でもさ、俺、今部活入ってるんだよ。」
「知ってる、社会部だろ?
そんなの辞めて、こっちやろうぜ。」
そんな詩音の会話を聞いて、慶子が春彦たちのところに飛んできた。
慶子としても、軽音部に春彦を取られるのではないかと、二人の会話をはらはらしながら聞き耳を立てていた。
「ちょっと、矢田部君!
そんなのって何?
失礼な言い方しないでよ。」
「あっ、倉田。
ごめん、ごめん。
社会部を馬鹿にしたわけじゃないから。
ただ、春彦がベースをやらないかなって、さ。」
詩音は、おとなしい慶子がまさか食って掛かって来るとは思わなかったので、這う這うの体で逃げて行った。
ただ、逃げて行く際に一言春彦に声をかけていった。
「今日とかさ、時間あったら、顔だけ出しにこいよ。
ベース、触らせてやるから。
それでも、興味がわかなかったら、あきらめるからさ。」
「もう、あんなこと言って。」
慶子はそう言ってしかめっ面をした。
ただ、周りの詩音に憧れている女子の冷たい視線が気になっていた。
「慶子、あんまり言いすぎると、後が怖いよ~!」
手を前に下げ、お化けのふりをして、久美が笑って傍に来る。
「だって、立花君、取られたら大変だもん。」
「慶子、本人、目の前。」
久美は、たまらず笑い出した。
慶子も目の前に春彦がいるのを忘れていて、我に返って顔を真っ赤にして俯いてしまう。
「まあまあ。
大丈夫だよ、俺、社会部結構気に入っているから、やめるつもりはないよ。」
春彦がそういうと、慶子は顔を輝かせ、顔を上げた。
「本当?」
春彦が頷くと、ほっとした顔をする。
「よかったねぇ~。」
久美がからかいながら横から口を挟んだ。
慶子は、そんな久美の言葉が聞えないのか、鼻歌を歌いだしそうになる位、上機嫌になっていた。
「だめだ、こりゃ。」
そういうと、久美は、両手を横に広げ、呆れた仕草をして自分の席に戻っていった。
放課後、春彦は詩音に言われたように軽音部を尋ねる。
部室のドアをノックし、おそるおそる中を窺うと、詩音が手招きしていた。
「立花!
こっち、こっち。」
春彦は、他の部員に挨拶し、部室の中に入ると、詩音の周りには、小久保や他のメンバーが屯していた。
「立花、まずは、紹介するよ。
隆は知ってるからいいだろう。
これ、夏美。
ボーカルとコーラス担当。
こっちは助清。
ドラム担当。
あと、こいつ、成美。
キーボード担当。」
そう言って詩音は一人ずつメンバーを春彦に紹介した。
メンバーの一人一人は、紹介されるたびに、春彦にお辞儀したり、手を振ったりで個性がばらばらだが、楽しそうに春彦には見えた。
「で、こっちが、ベース担当の候補。
立花春彦。
可愛い彼女に『春』って呼ばれているんだよ。」
詩音はそう言って春彦をメンバーに紹介した。
「あっ、知っている。
あの感じのいい娘でしょ。
よく一緒に帰っているじゃない。
いいわね~。」
夏美は、何とも言えない顔をして言った。
「いや、佳奈は幼馴染だから。」
「でも、幼馴染でも、はたから見ていて、あんなに自然で羨ましいわ。」
「そうかな。」
春彦は頭をかきながら照れるようにいった。
佳奈とのことは、いろいろと言われることがあり聞き流してきたが、面と向かって、自然体で羨ましいと言われたのは初めてだった。
「さ、そんなことより、さっそく、ベースに触ってみ。」
そう言いながら、詩音は先程まで触っていたベースを春彦に差し出す。
詩音は、春彦のためにベースを綺麗に掃除し、かつ、弦を張り替え、チューニングまでしていた。
「うん。」
そう言って春彦は詩音からベースを受け取る。
初めて持ったベースは、ずっしりとした重さを感じた。
そして、その重さを感じた瞬間に春彦は昔の光景を思い出していた。
それは、春彦がまだ、幼稚園児だったころ、春繁の部屋で、籐の椅子でベースを弾いている春繁に呼ばれ、ちょこんとその膝に座ったところ、目の前にベースが見えた。
春繁はベースと自分の身体の間に春彦を座らせ、春彦越しにベースを弾き始めた。
暫くしてベースの演奏を止め、春繁は春彦を覗き込んだ。
「つまんなかったか?」
春彦は、ベースの低く重い音に興味を抱いていた。
「ううん。
かっこいいね。」
そう言うと、春繁は笑い出した。
「かっこいいか。
よかった。」
「僕も、それ弾いてみたい。」
「うーん、もっと大きくなったらな。
ベースって結構重いんだよ。」
そういって、春繁はベースをそっと春彦の脚の上に下ろした。
「うわっ、重いよ~。」
春彦は、そのベースの重さにびっくりして、声を上げた。
その他愛のない記憶が、いきなりフラッシュバックしてきた。
「ん?
立花、どうした?」
詩音はベースを持ったまま身動きしない春彦を見て、怪訝そうな顔をする。
春彦は一呼吸おいてから、顔を上げ、詩音に尋ねた。
「なあ、これって、どう弾くの?」
その春彦の顔は、興味で輝いていた。
詩音はニヤリと笑い、簡単な操作と、ドレミくらいを春彦に教え、春彦は、教えられたように弦をつま弾いてみた。
弦は、ビィ~ンビィ~ンと音を上げる。
詩音は、そっとベースのソケットをアンプに差し込んだ。
ぶっという音がして、詩音が春彦に声をかけた。
「立花、もう一度、鳴らしてみ。」
そう言われ春彦は、さっきと同じように弦をつま弾いてみた。
すると先程の弦だけの音ではなく、重低音の痺れるような音がアンプから流れた。
(この音…。
父さんの奏でた音と似ている。)
春彦は、そう心の中で思うと同時に、楽しさがこみ上げてきた。
「なあ、矢田部。
俺も弾けるようになるかな?」
「みんなと同じように詩音でいいよ。
な、春彦。
いいだろう?
練習すれば弾けるようになるよ。」
「本当か?
詩音。」
春彦は、もうベースに夢中になっていた。
詩音は、そんな春彦を見てクスッと笑い、他のメンバーに目配せした。
他のメンバーも皆、笑顔でうなずいていた。
「でも、俺、社会部も続けたいんだよな。」
「社会部の活動って、何曜日?」
「月水金。」
以前は火木と俊介の道場に通っていたが、佳奈の都合で毎日ではないが日曜日に顔を出すことしなっていた。
「じゃあ、火木土でいいよ。
来れなくても、家で練習できるだろう。」
「いいのか?」
「ああ、これで決まり。
やっとベースも決まったぞっと。」
詩音は万遍の笑顔を浮かべた。
その日から春彦は人が変わったように生き生きとして見えた。
最初は、ベースの基本からで、弦の押さえ方、弾き方を詩音や小久保から教わり、黙々と練習をしていた。
他のメンバーはベースなしで、キーボードの低音を頼りにセッションしていた。
春彦は、軽音の部活の日は、授業が終わるといそいそと部室に出向き、部室の隅で黙々と練習し、そうでない日は、自宅にベースを持ち帰り、家で夜遅くまで練習をしていた。
舞は、春彦がベースを担いで帰ってきた時はびっくりした顔をした。
「なに、それ?」
「え?
ああ、軽音部で借りているベースだよ。
詩音に誘われて、軽音部に入ったんだよ。」
「それで、ベースをやるの?
あんた、弾けるんだっけ?」
「弾けるわけないじゃん。
だから、練習して弾けるようにならないと、バンドのメンバーに悪くって。」
「そうなんだ。
じゃあ、頑張りなさいよ。」
それから、舞は家で一生懸命練習している春彦を、目を細めて見守っていた。
仲良しの集まりに思えた軽音部は、思っているほどアットホームな雰囲気ではなかった。
詩音の率いるバンドは、どちらかというと昔からの王道のロック系で、もう一つのバンドはJ-POP系で馬が合わずに対立していた。
そんなある日、春彦がいつものように部室の隅で詩音にベースの手ほどきを受けている時に、ピックが飛んできて春彦の頬に当たった。
詩音はすぐに気が付き、ピックを飛ばした方、対立するバンドのメンバーを睨みつけた。
「誰が、ピックを投げたんだよ。
眼にでも入ったらどうするんだ。」
すると対立するバンドのギターを弾いていた恩田という生徒が謝ろうとした時、ボーカルの青田が割り込みいきり立った。
「なんだよ、ワザとやったと言うのかよ。」
「違うのか?
違うんだったら、すぐに謝るだろう?
何をニヤニヤしてるんだよ。」
恩田は、悪気はなく、ただ、弾みでピックが飛んでしまい、春彦の頬に当たったので、ついおかしく笑いそうになっただけだった。
「すげー、そんなに離れたところから飛んできたんだ。
ピックって、よく飛ぶんだな?」
詩音と青田の一発触発の雰囲気の中、春彦は意に返さないように言った。
「そうだ、昔見たビデオでピックを良く飛ばしているグループいたよな。
マイクスタンドにくっ付けて、何かにつけて、ピンピンて飛ばしていたの。
あれなんてグループだっけな。」
そういうと成美が興味ありそうな顔をした。
「そんなバンド、あったんだ。」
「ああ、この前、MUSIC ON TVって番組で昔のバンド特集やってたんだよ。
で、そのグループが出て、曲もいいんだけれど、パフォーマンスが面白くてさ。」
「それって、チープトリックじゃない?」
そう言って、恩田が春彦に近づきながら言った。
「そうそう、それ!」
「俺、サレンダーが好きだったんだ。」
そう言うと、ニコニコ笑いながら春彦と成美の傍に腰を下ろした。
「おい、恩田!
なにやってんだよ。
そんな奴らのところで、話し込んでんじゃねえよ。」
青田が吠えた。
「オタちゃん、いいじゃん。
同じ部活なんだから、趣味の話とかしたって。」
「何言ってるんだよ。」
「俺も、恩田に賛成だ。」
そう言いながら対立しているバンドのベーシストの岸田が口を開いた。
「岸やんまで…。」
「だって、立花、すごく楽しそうに練習しているじゃん。
俺らだって、楽しく音楽をやりてーよ。
詩音も同じだぜ。」
岸田に言われ、詩音はすまなそうに頭をかいた。
「立花。
そのベースじゃ、上達しないよ。」
「え?」
岸田のセリフに詩音と春彦は顔を見合わせた。
「そのベース、俺も触ったことあるんだけど、ネックが反り曲がっているのと、元の持ち主の癖がすごくて、とてもじゃないけど、上達できない。
というか、それで上達しても、他のベース、弾けないんじゃないか?」
「そんなにひどいのか?」
詩音がびっくりして聞いた。
「詩音は、ベースのことあんまり知らないだろう。
ベースって、バンドの演奏の良し悪しを左右するんだぜ。
それだけに、自慢じゃないけど、プライドがあってさ、個性が弾き方に出てくるんだよ。」
「そうなんだ。」
春彦も感心した様に呟いた。
「俺も、そのベースのこと聞いたことがある。」
いつの間にか、青田も近づいてきて口を開いた。
「なんかスゲー上手いんだか下手何だかわからない奴ので、テクニックはすごかったらしいけど、誰とも音を合わせることが出来なかったって。」
「オタ?」
詩音が、不思議そうな顔をして青田を見つめた。
青田は、頭をかきながら、恥かしそうな顔をした。
「詩音、悪い。
俺もさ、本当は、楽しく音楽をやりたくてさ。
それが、お前の人気や腕にいつしか嫉妬してた。
悪い。」
そういうと、詩音は青田の首に腕を回した。
「いいんだよ。
俺もつっけんどんにしていたしさ。
ごめんな。」
「詩音」
「これから、楽しく、競い合おうぜ。」
詩音の笑顔に青田も自然と頷いた。
「よかった、これで夏美と部活で話せるし。」
そう言って、もう一つのバンドのキーボード担当の秀美が割り込んできた。
「夏美とは気が合うし、部活以外じゃ仲いいんだけど、部活の時に気軽に離しかけられずに嫌だったんだ。」
「そうよ、私も。」
女性二人に文句を言われ、詩音と青田は、頭をかきながら、二人に頭を下げていた。
「立花、だから悪いこと言わないから、違うベースにしなよ。」
岸田が心配そうに春彦に言った。
「でもさ、ベースって結構高いんだろ?」
春彦は心配げな顔で聞いた。
「そうだな、ピンキリだけど、あんまり安いんじゃな。」
「じゃあ、いくらくらいのがいいの?」
「俺のは、この位。」
そう言って岸田は、両手を開いて見せた。
「げっ、十万……。
岸田って、本当に高校生?」
金額を聞いて春彦はあ然としていた。
「何言ってんだよ。
うち、親父の方も、お袋の方も親戚が多くてさ。
正月に、じいちゃんばあちゃんのところに集まったりしてさ、お年玉で十分買えるんだぜ。」
「そうなんだ。
うちは、じいちゃんばあちゃんだけだからな。
良くてこの位だよ。」
そういって春彦は指を2本立てて見せた。
「少な!」
岸田や傍にいた恩田たちもおどけて見せた。
「でも、音を考えると、この位のが欲しいよな。
それにチューニングやいろいろと小物もいるだろうしな。」
そう言って岸田は片手を開いて見せた。
「そうか……。」
春彦は、思わず考えこんでいた。
(母さんに頼むわけにはいかないしな。
困ったなぁ。)
春彦の家は、春繁の遺産と舞の翻訳の仕事で得ている収入で切り盛りしていた。
舞は、お金のことに関しては一切春彦に言わなかったが、学費や何かでかなりきつきつな状況であることは、うすうす感じていた。
(父さんがいればな…。
え?
あっ、父さんの)
春彦は、春繁がエレキベースを持っていたことを思いだした。
家に帰ると、春彦は舞に尋ねた。
「ねえ、母さん。
父さんのエレキベース、おばあちゃんが出しておいてくれるって言ってたんだ。
それ、俺使っていい?」
「え?」
「だからさ、バンドで使っていたベースじゃダメなんだってさ。
ちゃんとしたベースじゃなくちゃ、上達しないんだって。」
珍しく春彦は興奮していた。
「……。」
舞はすこし考え込んでから、口を開いた。
「それは、いいけど。
じゃあさ、フォークギターもあるはずよ。
それも弾けるようになればいいよ。
両方ともお前にあげるよ。」
「え?
フォークギター?
なんで?」
「なんでも、良いでしょ。
やるの?
やらないの?」
舞の問いかけに春彦は二つ返事で相槌を打った。
「わかった、やります、やります。
じゃさ、早速、おばあちゃんのところに電話していいかな?」
目を輝かせて話す春彦をみて、舞は呆れたように笑って頷いた。
それから、直ぐに春彦はキクに電話を掛けた。
「あら、春彦ちゃん。
電話なんて珍しいわね。
どうかしたの?」
電話口にキクが出て尋ねた。
春彦は挨拶も漫ろに早速本題に入った。
「この前、遊びに行ったとき、おばあちゃん、父さんのベース出しておいてくれるっていったでしょ?
あれ、あった?」
キクが言うには、春彦が次に来るのが夏休みだろうと思って、まだ、出していなかった。
ただ、場所の検討はついているとのことで、フォークギターもたぶん同じところにあるはずだとのことだった。
春彦は、ベースが必要になったので、今度の土曜日に学校帰りに家によって一緒に探す約束をして電話を切った。
「まあ、急なことでお義母さん驚いていなかった?」
「うん。
でも待っているってさ。」
「そうだろうね。」
(二人にとって春彦は可愛くてしかたない存在だろうからね。)
そう思い舞は目を細めて興奮している春彦の顔を眺めていた。
「ねえ、今日は軽音部ないんでしょ?
一緒に帰ろうよ。」
佳奈は、たまには春彦と例の鯛焼きを食べたくて、授業が終わった後、教室の前で待っていた。
「ああ、佳奈。
悪い。
今日は、ダッシュで帰って、じいちゃん、ばあちゃんのところに行かなくちゃいけないんだ。」
「おじいさんて、立花のおじいさん?」
「うん。
今日行くって約束してるんだ。」
「へえ、珍しいわね。」
いつしか春彦と佳奈は速足で校舎の玄関に向かっていた。
「立花のおじいさんのところって、電車で結構行くんじゃなかった?」
「ああ、電車で、2時間くらいの田舎だよ。」
春彦は、靴を履き替え、さっさと校舎を出た。
「ちょっと、待ってよ。
私、まだ靴が…。」
「誰も一緒に帰るなんて言ってないじゃん。」
「いいでしょ。」
そういって佳奈は小走りで、春彦に追い付いた。
「で、おじいさんのところに行ってなにするの?」
佳奈は興味あり気に春彦に尋ねる。
「昔、父さんが使っていたエレキベースがあるんだって。
軽音部のベースじゃ駄目だって皆に言われたので、それを使わせてもらおうと思って。」
「そうなんだ。
じゃあ、お父さんからOKもらったんだ。」
「!」
春彦は一瞬何とも言えない顔をした。
「ああ、この前連絡があって、ついでに聞いたんだよ。
そうしたら、いいってさ。」
「へえ、良かったじゃない。」
佳奈は悪気なく答える。
「ねえ、今度、一緒に行っていい?
どんな所か見てみたいし、おじいさんやおばあさんにも会ってみたい。」
「それは、難しいな。
うちのおじいちゃん、頑固者だから知らない者を家には絶対に入れないんだよ。
お弟子さんも滅多に入らないだって。
特に、佳奈みたいな若い女の子は駄目じゃないか?」
「ええ、そうなの?
でも、今度聞いてみてよ。」
佳奈は、春彦の実家を見て見たくて仕方なかった。
佳奈の知り合いは、この近辺に集まっていて、田舎の方には知り合いがなく、憧れみたいなところがあった。
「うーん、わかった。
今度聞いておくな。」
春彦の実家は、家に帰る方と逆の方向の電車だったので、二人は、駅で別れた。
「最近の春ったら、すごく生き生きしていて。
よっぽど、ベースが気に入っているのね。
でも、そんな春って素敵だな。」
佳奈はそう思いながら、春彦の乗った電車を見送った。
「おじいちゃん、おばあちゃん、こんにちは!」
春彦はそう言いながら玄関の中に足を踏み入れた。
すぐに、キクが奥から出てきて、春彦を出迎えた。
「まあ、春彦ちゃんの制服姿、初めて見たわ。
凛々しいわね。」
キクは、春彦の制服姿を見て、感激していた。
「おじいさん、おじいさん。
春彦ちゃんが来たわよ。
それも、学生服姿で!」
昂奮したような声で春吉を呼ぶと、春吉も奥からいそいそと出てきた。
「おう、春彦、よく来たな。
学生服姿、良く見せてくれ。」
春吉も破顔した。
「ともかく、あがれ。
お前の捜していたベース、あったよ。」
「え?
探して、出しておいてくれたの?」
春彦の嬉しそうな顔を見て、二人は楽しそうに笑った。
そして、家に上がり込み、春繁の部屋に出してあるというので、春彦はいそいそと2階の春繁の部屋に上がっていった。
部屋に入ると、ケースに入ったベース一式とフォークギターが所狭しと、置いてあった。
「ベースのアンプは、ステレオの横な。
ほら、あのスピーカーの横だよ。」
春彦についてきた春吉がステレオの方を指さした。
その先には、大きなスピーカーに引けも取らない大きさのアンプがあった。
「うわ、大きいね。」
春彦は、感心した声を出した。
「何かわからないことがあれば、声を掛けなさい。」
「え?
おじいちゃんも演奏していたの?」
春彦はびっくりした声をだした。
「違うわよ。
昔、春繁が買ったばかりのころ自慢したくって、私達に耳にタコができるほどいろいろと教えてくれたのよ。
だから、ある程度の使い方かたくらいわね、おじいさん。」
「うむ。」
キクが横から説明した。
「ともかく、ベースをっと。」
そう言って、春彦はケースを開けてベースを出してみた。
「……。」
それは、白木のネックに重厚感がある焦げ茶色のボディ、ピックガードは黒に近い何とも形容しがたい色で、ネックのペグはまるで新品の様に銀色に光っていた。
「すご……。」
春彦は、一目見て、父の使っていたベースに圧倒されていた。
「まるで新品みたい。」
そう春彦がつぶやくと春吉とキクが笑いながら教えてくれた。
「そうだろう。
春繁は、そのベース、大事にしていたからな。」
「そうよ、いつも、いつも、磨いていたわよ。」
「そうなんだ。」
そう言って春彦はベースをつかみ、自分の方に手繰り寄せた。
ベースはずしっとした重量感があった。
「そうだ、これだ」
昔、春繁が弾いていたベース、朧気ながら覚えていたが、目の前にしてはっきりと思い出した。
そして、弾くポジションを取ってみた。
その瞬間、ベースが今まで使っていた軽音部のベースと全く違って、手に馴染む、それどころか体の一部になり、どんな音でもだせるような、どんな演奏でもできるような気がした。
「す、すごい。
このベース、絶対に凄いよ。」
春彦は初めての感覚で興奮し、眼を輝かせていた。
春吉とキクは、そんな春彦を見て笑いながら目配せをした。
「じゃあ、春彦。
うちらは下の居間にいるから、好きなようにしていいからな。
何かあれば、声掛けなさい。
それと、ベースの弦だけど、春繁が良く使っていたのがあったから新しいのを買っておいたよ。」
「え?」
春吉の指さす方を見ると楽器屋の袋に入った新品の弦があった。
「おじいちゃん、ありがとう。」
さすがにいくら手入れが良くても、何年も押し入れの中だったので、弦は張り替えないとダメなことが見て取れた。
春吉とキクは頷いて居間に下りていった。
春彦は、新しい弦に張替え、チューナーでチューニングしてみた。
チューナーは長く眠っていたが、狂いなく正確な音階を春彦に教えてくれた。
そして、弦をつま弾いてみると、弾きやすさが軽音部のベースとは天と地の差があった。
春繁のベースは、まるで春彦の手にあつらえたように、しっくり納まり、嬉しそうな音を醸し出す。
春彦は、実際に見たことはなかったが、楽しそうにこのベースを弾いている春繁の姿を思い描き、思わず目頭が熱くなるのを感じた。
「父さん。
このベース、貸してくださいね。」
小さな声でそう言うと、まるで春繁が傍にいて笑顔でうなずいている気がした。
それからしばらくは、アンプに繋げずに弾いていたが、慣れてきたのでアンプにつなげ弾き始める。
アンプから聞こえる音も、ベース独特の重低音で音質も学校のアンプとは比較にならなかった。
春彦は時間を忘れて、ベースを弾きまくっていた。
「春彦ちゃん……。」
キクの呼ぶ声に、春彦は初めて外が夕方で暗くなっていることに気が付いた。
「春彦ちゃん、少し休憩して、夕飯にしましょう。」
「はーい。」
夕飯と言われ、春彦はお腹が空いていることに気が付いた。
「そう言えば、昼ご飯も食べていなかったっけ。」
そう思いながら、春吉たちの待つ居間に下りていった。
居間のテーブルは、豪華なおかずがこれでもかといわんばかりに盛り付けてあった。
春彦は、キクが作る料理が好きなのと空腹とで、二人が感心し、笑い転げるほど夢中で食べていた。
「ねえ、あのベース、持って帰っていいですか?」
大分、お腹も膨れ、人心地着いたころ春彦は春吉とキクに尋ねた。
「ああ、いいよ。
そのつもりだったし、春繁も喜んでいるよ。」
「ありがとうございます。
あと、もう一つ、お願いがあるんですが。」
「フォークギターも持って行っていいわよ。」
「いえ、違うんです。
これから、ちょくちょく、この家にベースを弾きに来ていいですか?」
「だって、ベース持って帰るんでしょ?」
キクは怪訝そうな顔をして春彦を見つめた。
「そうなんですかど、父さんの部屋にあるアンプなんですが、大きいし、音が大きいのでここに置いたままにしようかと思うんです。
家では小さなアンプを買おうと思うんですけど、このアンプでも練習したいんです。
いいですか?」
「まっ!」
二人は思いがけない春彦からのお願いに顔を見合わせた。
「いいですか?」
「え?
悪いわけないじゃないの。
ねえ、おじいさん。
「ああ、いいとも。
いつでも、そうだとも。
この家、お前の家だと思っていつでも来なさい。」
「そうよ。
ご飯もつくってあげるわ。
それに、舞さんが許してくれれば、泊って行ってもいいのよ。」
春吉とキクは顔を上気させて喜んだ。
「やった!」
春彦は思わず拳を固めて喜んだ。
家に帰ると、早速、舞に持って帰ってきたベースを見せた。
「おお、おお、きれいなこと。
あの人、いつも暇があるときれいに磨いていたからね。
何でも、フェンダーの特別仕様で、日本では数台しかないって言ってたからね。
それも、お店の人と知り合いだったから、結構、安くしてもらったって。」
舞は、春繁のベースを懐かしそうに撫でていた。
「お前も、父さんのなんだから、大事にしなさいよ。」
「ああ、わかっている。
でも、すごいんだよ、このベース。
持っただけで手に馴染んで、何でも出来そうなんだよ。」
「当たり前よ。
お前の父さんのなんだから。
で、フォークギターは?」
「ん?
ギターはまた今度。
今日はこれだけで大変だったんだから。」
そう言って、春彦は鼻歌を歌いながらベースを持って、部屋に戻っていく。
その後ろ姿を見つめながら、舞は肩をすくめ苦笑いをしていた。
次の週、軽音部の練習のある火曜日に、春彦はベースを背負って登校した。
「はる、それがお父さんから借りたベースなの?」
「そうだよ。
すごいんだよ。
音もいいし、チョーカッコいいんだぜ。」
後で見せてやるから。」
「うん。
見せてね。」
佳奈は、興奮して話している春彦を見て、うなずいた。
(本当に、そのベース気に入ったんだ。
良かったね、春。
これで、お父さんとつながっていられるのかな。)
佳奈は、何となくそう思った。
「うげえ、まさかと思ったが、超スゲーじゃん、そのベース。」
軽音部の部室で、春彦はケースからベースを出すと、詩音が早速見に来て、大げさに驚いた。
「なになに。」
詩音の声に皆が春彦の元に集まってきた。
「すごい、きれい。」
「それ、そんなに古いの?
ぜんぜん、新品に見えるし。」
「どうした?」
皆がベースを見て騒いでいる中に、岸田が混じって来て、ベースを見つめた。
その顔は、驚きを通り越して、感動した顔に変わった。
「それって、JAZZMASTERÐの60年モデルじゃない。
俺、実物、初めて見たわ。
すげえ、なあ、ちょっと触らせて。」
春彦は二つ返事で岸田にベースを貸すと、岸田は春彦のベースを持ちながら、涙ぐんでいるように見えた。
「すげえよ、すげえ、本物だ。」
そして弾く真似だけして、春彦に返した。
「いいよ、少し弾いても。
すごいんだよ、こいつ。
触っただけで指に馴染んでさ。」
「だろうな。
でも、そいつは、お前仕様、いや、お前のお父さんの仕様になっているから、そう思うんだよ。
俺が触っても、そうは思わないよ。
だから、見るだけで十分さ。」
「そんなもん?」
「そんなもん!」
春彦と岸田は、そういうと顔を突き合わせて笑った。
それからというもの、春彦は周りがおどろくほど、ぐんぐんと腕を上げていった。
「ほら、春彦。
ベースは、リズムを正確に刻まないと、他のメンバーの演奏がやりにくくなるんだよ。
メトロノーム、なかったか?」
「ああ、あった、あった。
そうか、そのためのものだったんだ。」
「そうだよ。
だからそれでいろいろなテンポを正確に奏でられるようにしなくっちゃ。」
「そうなんだ。」
岸田の的確なアドバイスを忠実に守り、春彦は更に腕を上げていった。
「なあ、春彦、そろそろ、セッションしようぜ。」
暫くして、詩音が春彦を誘った。
「え?
いいの?」
「当たり前だろ。
何時までも一人で練習するだけじゃ、つまらないだろう。」
「ほんとか?」
春彦は、子供のようにはしゃいでいた。
「じゃあさ、今度、smoke on the waterを演ってみようぜ。
知っているよな、パープルの。」
「ああ。」
「楽譜あるからさ、来週、やってみようぜ。」
「わかった。
弾けるようにしておく。」
週末の土曜日、春彦は軽音部の部活を休んで、春吉の家でひたすら練習していた。
あれから、2週間に一度くらいの割合で、土曜日か日曜日に春彦は春吉とキクの家にベースを持って練習に通っていた。
そのたびに、春吉とキクは、大喜びで春彦を迎え入れた。
春彦は、セッションの課題曲を春繁のステレオで掛けながら、それに合わせてベース部分を合わせていた。
そして、セッションの約束日、緊張気味の春彦に詩音は笑いかける。
「なに緊張しているんだよ。」
「だって、皆と音を合わせるの初めてだから緊張するよ。」
「まあ、初めてだから多少ずれてもいいからな。」
「ああ、わかった。」
「じゃあ、いくぞ。」
Smoke on the waterという楽曲は、初めはギターパートで直ぐにベースがリズムを刻み、ゆっくり目だが、ロックバンドのDeep Purpleの代表曲の一つだった。
他のメンバーも自分たちの最初の時を思い出し、期待しないで暖かく春彦の演奏を迎え入れようと考えていた。
そして、曲が始まり、ベースのパートに入った瞬間、メンバーの顔が一転する。
「なに、これ。」
「本当に、合わせるの初めてなのか?」
「いや、それより、本当に初心者なのか?」
とみんなが思うほど、春彦の演奏は上級者並みで、正確なリズムと重厚感のある音で皆を驚かせていた。
「すげえ、リズムが正確で演奏しやすい。」
「みんなの演奏にまとまりができちゃったよ。」
メンバー各人、そう思いながら、おのおのの演奏に没頭して言った。
詩音も、このメンバーでこんなにまとまった演奏の中、気持ちよさそうに歌っていた。
曲が終わると、一瞬、静寂があった。
その静寂を破ったのは詩音だった。
「春彦、すげえよ、すごすぎ!」
「え?
俺、間違えていなかった?」
「パーフェクト。」
「完璧。」
メンバー全員が歓喜に満ち溢れていた。
青田たちも途中から自分たちの演奏を止めて聞き入っていた程だった。
「プロ並みだな。」
岸田が、呟く。
その日は、2,3回繰り返し、その度に、正確な春彦の演奏を目の当たりにし、皆、まぐれじゃないことを確信した。
「やったね、詩音。
これで、学際の時のステージ、100%でいけるじゃない。」
夏美が笑って詩音に話しかけた。
「100%なんてもんじゃないよ。
俺、さっき歌っていてさぶいぼが出たよ。」
「私も、鳥肌がたっちゃった。」
「本当に、ステージが楽しみだよな。
曲、なんにしよう。」
「これなら、何でも行けそうだよな」
小久保や町田、近田も皆楽しそうに話していた。
傍で、春彦は初めての演奏で、また、想像以上に楽しく、気もそぞろになっていた。
ただ、顔には万遍の笑みが張り付いていた。
「ほんと、そのベース、綺麗よね。」
いつもの公園のベンチで、佳奈は春彦が弾いているベースを見ていた。
「だろう?
かっこいいだろう。」
春彦は、ケースから出し、ベースをつま弾いていた。
「ねえねえ、ちょっと触らせて。」
「うーん。
佳奈ならいいか。」
そういって、春彦は佳奈の方にベースを渡した。
「けっこう重いから気を付けてな。」
「きゃっ。」
春彦が言う傍から佳奈はベースを落としそうになり、まるで自分の身を挺してベースを庇うように、ベースを抱え身体から地面に落ちそうになった。
「危ない!」
春彦は、慌てて佳奈をベースごと抱きしめ、ベンチに戻した。
「ご、ごめんなさい。
本当に、重くて……。」
「だから言ったろ?
ベースごと佳奈まで転がって怪我したら大変だから。
気を付けて。」
「うん。」
佳奈は、春彦にもっと怒られるかと思っていたが、逆に自分の心配をされて、顔を赤らめ、小さく頷いた。
「ほら、まず、ストラップを肩からかけて。」
「うん。」
「そうしたら、こうやってネックをつかんで、反対の手で弦をつま弾いてみてみ。」
「うん。」
佳奈は、春彦に言われるように弦をつま弾いてみて。
ベースはアンプにつながっていないが、ビーンという音がした。
「わ、すごい。
何か手が痺れちゃう。」
佳奈は、弦の振るえる振動と、ベースのボディからくる振動にびっくりしていた。
「なっ、すごいだろう。
これを掻き鳴らすと、音の波とズンズンくる重低音で、もう、笑いが止まらなくなるんだぜ。」
「え?
笑いが?」
「うん。
なんか変?」
「なんか変よ。
普通は、感激だとか、感動だとかじゃない?」
佳奈は、春彦の顔を見て笑い出した。
「えー、だって、本当に楽しくて、笑いが出るんだよ。
ほら、昔さ、小学校の時にドッチボールやってたじゃん。
一人だけ残って、集中砲火を受けてさ、それをことごとくキャッチした時も、思わず、楽しくてよだれが出ちゃったんだよ。」
「なに、それ。
へんなの。」
佳奈はベースをしっかり抱きしめて笑った。
「あっ、よだれで思い出した。
買ってきた、鯛焼き食べようよ。
お腹減っちゃった。」
「そうだね。」
そういって、佳奈はベースを春彦に返し、鯛焼きが入っている紙袋をゴソゴソと取り出した。
春彦は、佳奈からベースを返してもらうと、ストラップを肩に回し、ベースで曲を弾き始めていた。
ベースなので、単調なリズムを刻んでいくのだが、佳奈はそのリズムが好きだった。
「春、鯛焼き。」
「ああ、うん。」
春彦は、ベースを弾くのをやめて、手を出そうとした。
「待って、鯛焼きのついた手じゃ、ベース汚れない?」
「そっか。」
そう言って、春彦はしぶしぶ、ベースを仕舞おうとした。
「仕方ないな。
特別に食べさせてあげる。」
「え?
まじ?」
春彦は、まるでお預けを食った犬が「食べてよし」と言われたかのように満面の笑みを浮かべた。
「はい。」
「サンキュー。」
春彦は、佳奈から差し出された鯛焼きを一口パクつき、また、ベースを弾いていた。
「本当に、好きなんだから。
でも、かっこいいよ、春。」
佳奈は夢中になっている春彦を眩しそうに見ながら、最後は春彦に聞こえないくらい小さな声で言った。
「はい、鯛焼き。」
佳奈は、そうやって、また、春彦に鯛焼きを差し出した。
(あっ、間違えて、私の食べかけ、食べさせちゃった)
佳奈はうっかり自分の食べていた鯛焼きを春彦に食べさせてしまった。
春彦は大きな口で、差し出された鯛焼きを銜えて、佳奈の手元には、さっきまで春彦に食べさせていた鯛焼きが残っていた。
(大きさも同じくらいだから、まっ、いいか。
これ、食べちゃおう。
これも、間接キスかな?)
そう思いながら、佳奈はニコニコしながら手元の鯛焼きを頬張った。
父春繁の愛用したベースを手にした春彦。
音楽好きの春繁の血が、春彦をバンドに誘います。
演奏している時が、父を強く感じる春彦は、夢中になっていきます。
次回は、春彦たちの学校の学際で伝説となったステージが幕を開けます。