悪役令嬢:ダムネーション②
「ふぇ?」
「いや……正直言うと、あんたにちょっと興味が湧いた。もっとあんたの話を聞かせてくれよ、俺の知らない南の領地や、家族の話をさ」
――なんだこれ。
私は百回ぐらい『なんだこれ』を頭の中に繰り返した。
この世で一番尊い推しと、こうして会話していること自体――否、同じ空間にいることさえ喜ばしいのに、この上二人きりでお話ができる? それは一体どんな幸福なのだ。何だそれ美味しいのか?
ポケーッとしたまま推しの顔に見惚れている私の表情から何を読み取ったのか、コンラッドは私の手をそっと握って引っ張った。
「行こうぜ。ホールの上にバルコニーがある。外の空気を吸いに行こう」
その誘いに思わず足を動かしかけた、その瞬間だった。
ザッ! という雷鳴のような轟音に世界が揺れ、コンラッドの顔が欠けた。
はっと周りを見ると、《バグ》が虫食い状に視界を冒している。
%や#の意味のわからないコードや数式が、まるで私を咎めるかのように見下ろしている。
私はコンラッドの手を鋭く振り払った。
「え――?」
コンラッドは呆気に取られて私を見た。
私は掴まれた右手を左手で抑え、俯いた。
そうだ。コンラッドはこのゲームの主要攻略キャラクターの一人なのだ。
恋すべきは私、悪役令嬢エレーナではなく、主人公であるアンリエッタなのだ。
私がこの手に引かれるまま階段を登ってしまえば――。
この世界は《バグ》に飲み込まれて消えてしまう。
これが私の運命――。
推しを前にしてのこの仕打ちはあまりにもつらすぎた。
「私は――」
声が震えた。
でも言わなければならない。
彼の隣にいるべきは私ではない、アンリエッタなのだと。
あまりの悲しさに涙が滲んだ。
それでも――彼がいる世界が消えてしまう恐怖のほうが大きかった。
浮かんでくる悲しさをぐっとこらえ、私は顔を上げた。
「私は――私は貴方とは……!」
そう、言いかけた瞬間だった。
ガシャン!! という音が響き渡り、今まで和気藹々としていた会場が静まり返った。
「なんだ?」
コンラッドが階段の上から降りてきて、私の隣に立った。
私も会場に目をやると、奇妙なものが目に入った。
まず目に入ったのは、ひとりの男子学生だった。
一体どういう経緯があったものか、その男子学生がドレスを着た女子に馬乗りになり、四つん這いになって覆いかぶさっている。
異様な光景だった。
学生たちはその光景を遠巻きに見ているばかりで、誰も近寄ったり、声をかけたりしない。
単純に、その男子学生がなにをしているのかわからなかったのだ。
なんだろう――こんなイベントあったかな?
プレイヤーの思考で私が考えたのと、それは同時だった。
ビチャッ! という音とともに、大理石に鮮血が飛び散った。
悲鳴を上げ、一斉に学生たちが後ずさる。
喧嘩だ――と、私は背筋が凍りついた。
それも男子が女子に馬乗りになり、したたかに痛めつけているのだ。
「お……おい君! やめたまえ! 何をしている!」
観衆の中から一人の金髪頭が飛び出した。
あの癖の強い金髪には――見覚えがあった。
南の島・アイスバイン島を治めるアイスバイン子爵の惣領息子、ギュンター・アイスバイン、十七歳(CV:△△)。
このゲームに五人いる攻略キャラクターの一人で、イメージカラーは黄色。
曲がったことが大嫌いな努力型の秀才で、将来は宰相になってこの国を背負って立つという大志を秘めたしっかり者だ。
無論、コンラッドほどではないものの、現在実装されているスチル絵・限定グラフィックはすべて回収している、私の推しの一人である。
「おい! 何をしているんだ! 離れろと言ってるだろう! 貴族の令息が淑女を殴るなんて、恥を――!!」
いかにも彼らしい鋭い叱責の声は、急にむくりと起き上がった男子学生の挙動にかき消された。
その時――私は人生で初めて、戦慄という感情を感じた。
振り返った男子学生の顔。
もうそれは人間ではなかった。
灰色にくすんだ肌。
左右バラバラの方向を見ている、白く濁った目。
真っ赤に濡れた口元からは、どす黒く変色した舌と一緒に、鮮血に染まったパステルカラーのドレスのキレが垂れ下がっていて、血混じりのよだれがそこから滴り落ちている。
組み敷かれていた令嬢のドレスは首元を中心に広範囲に引き裂かれ、そこから恐ろしげな音を立てて吹き出る血溜まりは、あっという間に面積を広げていく。
仰向けになったままピクリとも動かない彼女の目は――その時点で既に、何も写してはいなかっただろう。
女子生徒の数人が悲鳴を上げて顔を背け、男子学生たちも慄いて後退りする。
「な……!?」
二の句が告げずに凍りつくギュンターに向けて、『それ』はゆっくりと立ち上がった。
壊れた人形のように、明後日の方を向く足を引きずるように動かしながら……。
『それ』は、確実に近づいてくる。
「な、なんだ、アイツ……!?」
隣のコンラッドが声を上げた次の瞬間。
蛇を思わせる甲高い嘶きを上げ、『それ』はギュンターの首筋に思い切り齧りついた。
バキバキ……と首の骨が砕ける音がやけに甲高く聞こえ――。
ギュンターの首筋から信じられないような勢いで血が吹き出した。
「ああああああああああッッ!!」
ギュンターの悲鳴とともに、会場はパニックになった。
女子生徒たちは一斉に逃げ惑い、男子学生たちも我先にと会場を飛び出してゆく。
噴水のように噴き上がった血が天井のシャンデリアをまだらに濡らす。
それはやがてギュンターに降り注いで、その金髪をしとどに濡らし始めた。
ギュンターの身体が電撃を食らったかのように痙攣した。
だが、やがてギュンターの足から力が抜ける。
ギュンターは『それ』もろとも崩れ落ち――。
やがて逃げ惑う学生たちの影に隠れて見えなくなった。
「う……!」
ごぼごぼ……と、酸っぱいものが食道を駆け上がってくる。
思わず口に手をやった私を、急に隣りにいたコンラッドが抱きしめ、身体ごとその光景から覆い隠すようにした。
「ダメだ! 見るな!」
私はその逞しい胸板に鼻先を押し付けた。
必死に呼吸しようとしたが、全く肺に空気が入っていかない。
げほげほ、と涙目になりながら何とか二、三度息がつけただけで、酸素不足に頭の芯が灼熱する。
「どうしようコンラッド……! ギュンターが、ギュンターが死んじゃった……!!」
私はわけもわからず、そう繰り返すだけだった。
ギュンター、正義感の強い秀才。
彼が言うことはいつだって正しく、強かった。
人一倍の努力に裏打ちされた言葉は常に周りを励ましていた。
その痩せっぽちの体で、いつだってエレーナにいじめられるアンリエッタをかばっていてくれたギュンター。
いつか君に僕の生まれ育った海を見せたいよ――。
EDの中、アンリエッタの目を正面から見て、彼らしいストレートな言葉で思いを伝えたギュンター。
その彼が――私の見ている眼の前で、物言わぬ肉塊に分解されていった。
なんだ、これ。
私はまた繰り返した。
攻略対象が、死んだ――?!
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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こんなスプラッタでめちゃくちゃな小説を気に入っていただければ幸いです。
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