キツネの世界
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
先輩は、異世界の存在をどれだけ信じていますか?
――異世界の定義をはっきりさせろ? ぶっちゃけ昼と夜も異世界だ?
はは、なんとも先輩らしいですね。ややもするとうがった見方で、どこか真理以外受けつけたくない、頑なさも感じますよ。
おっしゃる通り、時間で同じ場所の「顔」が違うだけでも、異世界と呼ぶには足るでしょう。ぶっちゃけ私、「ルール」さえ違うなら、そこはすでに異世界だと思います。
私たちがメインに据えている、世界の決まりごとが通用しない。その一事さえ達成しているのなら、たとえ宇宙の果てから壁一枚隔てたお隣さんまでだって、全部異世界だと思うんですよ。
そう考えたら、私たちも常日頃、とんでもない頻度で異なる世界を訪れているわけです。慣れすぎたか、長年、教え込まれてきたか。そのせいでそこを異世界と認識していないだけで。
私の地元にも、後者の教え込まれた異世界ってものが存在するんです。先輩、ネタを探していたと思うんで、この話が参考になればいいですけど。
私の住む地元は、いまだ「キツネ」が存在するとうわさされています。
もちろん、野山に住むキツネとは違いますよ。人をばかす存在の総称を、私たちはそう呼んでいるってことです。
キツネに化かされたときの対処法、先輩はどれくらい把握していますか?
紫煙をくゆらせる。キツネの窓を作ってのぞき込む。犬をけしかける……地域によって差はあれど、追っ払う方向というのがほとんどですよね?
ところが、私の地元だと化かされるのはむしろ歓迎という風潮なんです。というのも、キツネに化かされるというのは、キツネに護られているという解釈があるからなんですね。
――うーん、やっぱり首を傾げちゃいますか。
私も初めて聞いたときには、疑問に思いましたよ。
でも私の父は真剣な表情で、こう語ってくれたんですね。
父が子供だったころ、自転車を駆って友達と一緒に、海へ繰り出したそうなんです。
当時は空き地にどんどんビルや駐車場ができていく時期で、かつて父たちがお世話になっていた町中の遊び場は、急速に姿を失いつつありました。
その中でも、海岸はまだ比較的人の手が入っていなかったとか。テトラポッドこそたくさん積まれていますが、まだゴミを捨てる人も多くなく、波に気をつければ格好の遊び場だったとか。
このような場所へ遊びにいくとき、父は決まってある道具を持たされていました。
それは竿。釣りどころか、トリモチをくっつけて鳥を捕まえるのにも使えそうな長い一品を携えて、父たちは遊び場へ集合していったそうです。
その竿は各家庭であらかじめ準備がされているもので、先端は甘めのめんつゆにつけて、何日も置いておくのだとか。そして遊び場につくと、その周囲の地面にめいめいで竿を突き立て、帰る際には回収していくんです。
大人たちいわく、身を護るためのおまじないとのこと。これをしっかり守ると約束しないうちは、絶対に外へ遊びに行けなかったといいます。
その日の父たちは、海岸でボール遊びをしていました。サッカーボールを使った、ふっとベースですね。テトラポッドの山に挟まれ、そこより外側の浜には無人船が何隻か停まっていました。
当然、海側には壁がありません。海岸でホームランなんぞした日には、海水浴の危険もありました。しかし、街中の空き地で誰かの家の窓や家具を壊すより、被害はずっと小さく、他の遊び場が追われていることもあって、ここがちょうどよいスポットだったとか。
やがて守備側を迎えた時。センター担当で、たまたま盛大なトンネルをやらかした父は、安定しない砂浜の上、一向に速さを落とそうとしないボールを追いかける羽目になります。
勢いよく弾みながら遠ざかっていくボールは、やがて積まれたテトラポッドの間に飛び込み、がっちりはまってしまいます。父はポッドを足掛かりにボールを引き抜こうと、手をすき間に差し入れて、首をかしげました。
ボールの側面から、ふと生温かい風が漏れ出て、手をなでてくるんです。それはボールそのものではなく、ポッド同士の奥まったすき間から漂ってくるようでした。
一瞬手を引っ込めかけるも、父はあらためてボールに手をかけ、一気に引き抜きます。力を込めすぎて、ボールを抱えたまま砂浜へごろんと仰向けに転がりましたが、先ほどの音がより鮮明に聞こえてきます。
起き上がって、先ほどまでボールがはまっていたすき間をよく見ようとしましたが、あいにくゲームは続いています。すぐにボールを戻すようにいわれ、引き返すまでのわずかな時間で見られたのは、ボールのはまっていたすき間から漏れ出す、いくつもの気泡。
それはちょうど大きめのイクラを、イカスミで染め上げたかのような、真っ黒いものだったとか。
父たちが遊ぶ場からは何十メートルも離れ、外野の後ろとあっては、父以外にあの気泡を感づく者はいませんでした。
攻守が交代し、打順を待つ間で父は見たもののことを報告しますが、様子を見に行こうと乗り気なのはひとりだけ。他の面子は真っ黒いイクラと聞いて顔をしかめ、遠慮する旨を伝えてきました。
やがて試合も一区切りし、日も傾きかけているのを見てお開きの空気となります。友達は浜に差してあった竿を、次々と抜いては去っていき、全員を見送った父と友達は、件のテトラポッドに近寄ります。
先ほど見たときより、イクラのはみ出しは大きくなっていました。
いや、もはやイクラとは呼べないサイズです。父たちのこぶし大から顔の大きさ、あるいはそれ以上にまで膨らんだ粒たちは、互いに身を寄せ合ってテトラポッドたちの身体を、覆い始めていたんです。そしていまなお粒を吐き出し続ける、ボールのはまっていたすき間からは、灯油を思わせる、鼻の曲がりそうな臭いが漂っていました。
――これ、近寄ったらやばい奴じゃね?
どちらからともなく、顔を見合わせた父と友達はその場を離れようとします。けれど、何かが変なのです。
自分たちが遊び場の近くへ突き立てた竿。そこを目指して歩いているのに、一向に距離が縮まらないのです。もしやと後ろを振り返ると、やはりあぶくをたくさんつけた、テトラポッドがすぐ近くにありました。
歩いても走っても、跳びはねていこうとも同じ。後ろとの距離は開かず、前との距離は縮まらず。なのに、蹴散らした砂の上には、まごうことなき自分たちの足跡が、真新しく残っていくばかり。
――キツネの仕業だ!
父と友達はすっかり混乱しちゃって、しゃにむにその場を離れようとします。
竿どころか、海やテトラポッドへ向きを変えることはできても、距離感は変わらない。360度のどこを向いても先へ進むことはできず、二人して泣きそうになってしまったとか。
ですが、さほど間を置かず。
耳をつんざく轟音が、二人のすぐそばで起こりました。運動会の号砲に、数倍する大音声。
耳を塞いで、なお鼓膜の奥を痛いほどに震わせる揺れに、さすがの二人も足を止め、目をつむってその場にうずくまってしまったそうです。
耳鳴りが消え、ようやく目を開けた二人ですが、待っていたのは陽がすっかり沈んだ夜の海岸でした。でも、二人がもっと驚いたのは、自分の足元です。
真っ黒に焦げた砂が、自分たちの周囲に広がっていました。踏み消せそうなくらいに小さい火の塊があちらこちらでちらついています。
振り返ると、先ほどまで自分たちがのぞき込んでいたテトラポッドの山は、木っ端みじんになっていました。山は完全に崩れ、原形をとどめないものの数は知れず。その背後にあった数隻の船も、大いに焦げたり、吹き飛ばされたのか、水面でひっくり返ったりしているものが見受けられたとか。
明らかに何かが爆発した後。おそらくはあのテトラポッドを中心に起こったのだろうけど、船よりもずっと近い位置にいる自分たちは、なぜこんなにも無事でいる?
それはあの竿たちも同じでした。竿のそばの砂たちも大いに焦げていましたが、刺した場所の半径50センチあたりは、不自然に白い砂が残っていたそうなんですよ。
結局犯人は見つからない爆破事故と相成りましたが、父と友達は、事情を聞いたそれぞれの親から、キツネに化かされたこと。それによって身を護ってもらえたのだと、教えられました。
現世のどのような干渉も受けない、化かされた空間。父はそれを「キツネの世界」だと教えてくれたんですよ。