暁と苑
あの後、加瀬には簡単に事情を告げ4人は急遽空の家へ向かうことになったのだが、前をトボトボ歩きながら時折青い顔で溜息を吐く空を、メンバーは後ろから心配の表情で見つめていた。
「——なあ……、何か、あいつの‘保護者’完全にキレてたよな? 俺らが付いて行って本当に大丈夫か?」
「でも、連れて来いって言われている空ちゃんの為にも、ここは行っておいた方がいいかもしれないよ」
「……それにしても、空ちゃんの保護者さんの声若くなかった? 最初に電話に出た人も若い男の声だったし。もしかしてさ、空ちゃんの保護者って言う人……俺らが想像しているより結構若いのかもね?」
「……知るか」
紫が何か言いたげな目で言って来たので、これを最後に話すのをやめ、望夢は周囲を見渡した。
今歩いている道は望夢達の帰宅路とは真逆で、建物から全て、初めて見るものばかりだった。
ふと、歩き進めているうち、目の前に緑に囲まれた温かい雰囲気のカフェが見えて来た。こんなところにカフェなんてあるのか。そんなことを思ったタイミングで、立ち止まった空がこちらを振り返った。
「あそこが、私を育ててくれた人のお店です」
思いもよらなかったことに、4人は店を見ながら驚きの表情を並べる。
「え……!?」
「お前の親、店やってんの?」
「お洒落だね」
「コーヒーのいい匂いがする」
「ありがとう。この時間はお店に居るから、こっちに案内するね」
詞とは裏腹に空の表情が曇るのが気になったが、4人は空に続いて店の中に恐る恐る足を踏み入れた。
「おかえり空ちゃん」
声がしたと思ったら、待ち構えていたようなタイミングで金髪の日本人離れした綺麗な若い男が出迎えた。
4人が思わず言葉を失う隣で、その様子に気が付いていない空が男に挨拶をする。
「苑ちゃん……た、ただいま」
「ごめんね。電話くれた時、実は側に暁が居て……」
「うーうん……こっちこそ。気まずかったよね……、ごめんなさい!」
様子を見守っていた4人だったが、空が口にした‘苑’という名にハッとし、お互いに顔を見合わせた。
≪空ちゃん≫
それにこの声、入店時にどこかで聞いた覚えがあると思ったが、さっき電話でやりとりしていた男の声と同じだった。
望夢はじっと男を観察した。背が高いし大人ぽいが明らかに若い。歳は20代だろう。しかも、同性から見ても、其処らには居ないレベルの男前だ。
「——君がもしかして、‘高羽君’かな?」
急に男の視線が望夢に移り身構える。
「……はい」
何故、名前を知っている?と、少し緊張しながら応じると、男がクスリと笑った。
「へえ。やっぱり君か。一度見てみたくてね。あの時は、わざわざ電話ありがとう。優しいんだね」
「あの時……? あ……!」
何のことだと思った直後、入学式の日に空に一度だけ電話を掛けたことがあることを思い出した。
あの時、この人も一緒だったのか。じゃあ、この男が小鳥の保護者か? そう考えを巡らせていた時、男の方からこちらの考えを読んだかのように名乗ってきた。
「俺はね、苑っていうの。空ちゃんと彼女の養父とは長い付き合いだから、俺のこともよろしく」
保護者ではなかったものの、空と深い関わりがある人物ならば、こちらもちゃんとしないといけない。望夢たちは再び顔を見合わせると順番に挨拶をした。
「初めまして。高羽望夢です。4人とも、空さんとは同じクラスで席も近くて、仲良くさせてもらっています」
「初めまして、久遠紫です」
「どうも。……立谷飛鳥です」
「鳴瀬海です」
4人が挨拶を終えると、全員の顔を眺めるなり、苑が意味ありげに「ふ~ん」と笑った。
「……顔写真を見せて貰ったことあったけど、みんな実物の方がイケメンだねえ」
それを聞いた4人が、いやいやあなたが言いますか!と心の中で返した時、店の奥からまた1人姿を現し、急に空気が一変した。
茶髪で背が高く、日本人離れした苑とはまた違った雰囲気の、これまた整った男だった。
「暁君」
それが名前なのか、空が男を呼ぶと、男の目がサッと空に向いた。
意外なのが、一見人でも殺しそうなほど鋭い眼をしているのに、空を見た時の目が同じ人間とは思えないほど、温かく優しいものだった。
これで、4人は直ぐ理解した。空を育てた人物と言うのは、間違いなくこの暁という男だと。
「——空、お帰り」
一番に口にしたのは、出迎えの言葉。
その手が、そっと空の頭に伸びる。
これまた見た目に反して優しい動作で、空の頭を撫でている。
驚きだが、何よりも、あの空が普通にそれを受け入れていることに驚きを隠せなかった。
「ビックリした? あの2人はいつもあんな感じだよ」
茶化すような声の主苑に思わず振り返るが、あの2人の様子を何とも優しい目で見つめていたので、返す言葉が出なかった。
・・・・・・
「俺が空の養父、仁倉暁だ。今日は突然呼んで悪かったな」
煙草の吸殻を目の前の灰皿に押し付けた後、重く息を吐きながら暁が言った。
今、望夢達は店のソファー席に座り、アンバランスな小鳥遊親子と、その縁者の日本人離れした男の3人と向かい合っている状態だ。
正直、2人とも、空からイメージする親とその友人像からは大きくかけ離れている。そのうえ、『自分を育ててくれた人』と、空がずっと言っていた人物は、最初に怪しんだ通り、想像以上に若い男だった。
「あの……、失礼かもしれませんが、暁さんは何歳ですか?」
「来月で28」
じゃあ、今は27歳ということで、やっぱり若い。若すぎる。普通、こんな親子関係成立しない。
何故引き取ったのだろう。一体、彼女の父親とどういう関係だ?
多分他の3人も気になって仕方がない筈だが、黙っているのは望夢が口を開くのを待っているのだろう。静かに2人のやり取りを聞いている。だからといって、他人である自分達がどの程度聞いてもいいものか考えあぐねていると、様子を察した暁の方から声を掛けて来た。
「気になるか? 何で俺と空が一緒に住んでいるのか。親子になったか」
「……はい。でも、事情は……担任から少し聞きました。コト……空さんの父親とは知り合いなんですよね?」
「ああ、空の父親大地さんとは、あの人が28、俺が18の学生の頃に知り合ってな。大地さんは、当時どうしようもなかった俺のことを唯一、気にかけて、可愛がってくれた大人だった。大地さんと、そしてその娘である空と出逢って、俺の人生は劇的に変わった。一緒に過ごした日々は今でも俺にとって幸せな、かけがえのない思い出だ」
暁がそう話すと、隣に座る空が暁の腕をそっと掴んだ。
望夢が見た空の目にはうっすら涙が浮かんでいたが、口元には笑みが見えた。きっと聞いているうちに懐かしい記憶と、当時の父親の姿が蘇ったのだろう。
暁も何を言うこともなく、ただ空に優しい笑みを向け返す。その光景は、何だか美しく思えた。
親子には決して見えないのに、確かに、強い繋がりが見える。
「昔大地さんから、空は自分以外に身寄りがないって聞いたことがあった。大地さんと、奥さんの美羽さんは駆け落ち同然だったらしい。それで、……生前に、自分にもしものことがあった時には空のことを宜しく頼まれたこともあった。……でも、そんなこと抜きにして、俺が空を引き取るって決めた。そりゃ若かったし、親子になんて見えないのは分かっていた。それでも、あの日……、大地さんの遺影を前にしたとき、この人の想いを一番汲み取って空のことをこの先護ってやれるのは、思い上がりかもしれねえけど、多分、俺以外に居ないんじゃねえかって思ったんだよ」
「暁君……」
きっと、彼女も初めて暁の想いを知ったのだろう。この中の誰より驚いていた。
そんな彼女の目を見ながら、暁は言葉を重ねる。
「俺は、お前には幸せになってもらいたい。……つーか、俺の限界を超えてでも、幸せにしてやりたいと思ってる。金とか、俺の身体を心配して、折角仲間も出来て楽しみになった学校を辞めて欲しくないし、グダグダだった俺とは違って、普通に学生生活を送って欲しい」
「……私は、忙しくしている暁君を見ていたら、なんだか……っ、いつか突然、お父さんみたいに私の元からいなくなってしまうような気がしていたの……。もう大切な人が目の前から居なくなるのは嫌だった……っ。だから、身体を壊したりしてほしくなくて……、暁君を怒らせるのは解かっていたけど、何か自分も手伝いたくて……っ。勝手なことをしてしまって、本当にごめんなさい……っ!」
「いや、空に怒ったわけじゃない。……さっきのは、空に気を遣わせている不甲斐ない俺自身へのことだった……。誤解させて悪かったな。空、もう気にするな。退学も、バイトも考える必要ねえから」
「でも、それじゃあお金が……っ」
「話があるって言っただろう」
不安が拭えない空に、暁はそう言うなり席を立ち何かを持ってきた。
「暁君、これ何……?」
「お前の貯金通帳」
「え……っ?」
暁が手渡してきた通帳には、確かに空の名前が記載されていた。
一体何故こんなものが?驚く空に、暁が今度はそれを開けてみてみろと言う。戸惑いつつ声に従いそっと開いてみてみた瞬間、飛び込んで来た額の恐ろしさに目を疑った。
「ちょ、え、あ、ああああ暁君!? 0が……おかしいよ……っ!?」
「うォっと……っ!」
空が危うく落としそうになった通帳を咄嗟に望夢が受け止めたとき、偶然その額が彼の目にも入ってしまった。
「ま、マジか……っ」
バッと閉じて、裏を向けて静かに空へ返す望夢の目は泳いでいた。
その様子に、紫・飛鳥・海の3人も動揺が移ったように落ち着かなくなる。
「望夢……?」
「え、何? そんな、やべーの……っ?」
「望夢があまりの衝撃でフリーズしかけている……」
「―あーあ。今見たのは高羽君だけだし、何かあったら、まずキミから疑うようになるのかな?」
「そうだな」
サラッと笑顔で恐い事をいう苑と、同じく腹黒い笑顔で頷く暁に望夢は悪寒を覚え、苦笑いを浮かべるしかなかった。
絶対今日中に忘れてやる……!!!
「……それにしても、何でこんなお金が?」
疑問を口にする紫に、暁は空を見ながら懐かしむ表情で答えた。
「大地さんと美羽さんから、空への贈り物だよ」
「え……、お父さんとお母さん……?」
「「「「え……っ?」」」」
空だけでなく、望夢達も驚いて声をあげた。
「大地さんと美羽さんの二人が生まれてくる空の為に、若い頃からこつこつ貯めていた金だ。特に大地さんは高校中退してからずっとバイト生活して、使わなかった分の金を全部こっちに入れてっから、そりゃすげえと思うぜ。俺が持っているのは、大地さんが事故で病院へ運ばれたって聞いて駆け付けた時に、仕舞っている場所を教えてもらったからなんだ。思えば、あの人は……俺が空を引き取ることを見込んでいたのかもしれない」
「知らなかった……っ。どうして、このお金を今まで使わなかったの……っ? 使ったら、暁君はもっと楽になる筈なのに!!」
「あくまでも、これはお前の為に両親が遺したものだから、俺はどうしても手が付けられなかった。それに何となく、大地さんに負けたくなかった。引き取ると決めた以上、俺が自分の力でちゃんと養いたかった。でも、お前が俺のことを心配して学校を辞めたら何の意味もない。……だから、今まで通り出来る限りは俺が払うけど、お前に関する必要経費で足りない分は、今度からこっちも使わせてもらうことにするよ」
「本当に? よかった!!」
空は、暁が決心してくれたことを心の底から喜んだ。そして、天国にいる両親に切に感謝を伝えた。
お父さん、お母さん、本当にありがとう!!
暁と自分、そして家族同然の苑を、いつまでも見守っていてね、と。
「―—小鳥、良かったな。これで、退学問題は解決だろ?」
ニッと笑いながら言って来た飛鳥に、空も笑顔で頷く。
「うん! 嬉しい!」
「俺達もだよ。空ちゃん、これからもよろしく」
「明日も学校で会おうね」
優しい言葉を掛けてくれる紫と海にも笑顔で頷く。
「うん! 紫君、海君ありがとう!」
けれど、唯一、彼の顔を見た途端何故だか涙が溢れた。
「——……高羽君……っ」
それを見た望夢はため息交じりに苦笑した。
「……おい、何で俺の時だけ泣き顔なわけ……?」
「嬉しくて……っ。結局私、何も努力していないのだけど……っ、高羽君があんなに必死に訴えてくれていたのを思い出したら、安心して……良かったなって……っ!」
「ったく……。だったらもっと、そういう、嬉しそうな顔しろよな。笑えよ。お前は、絶対笑顔の方がいいから!」
「……!」
漸く涙を拭って笑うと、望夢にも安堵の笑みが零れた。
「本当に、良かったな。いや、良かったよ。明日も学校で待ってるからな」
「はい!」
「——……あーあ、青春って目に毒だよねえ」
突然重い声が聴こえてハッと振り向けば、ソファーの背もたれに身体を預けながら煙草を吹かす暁と苑が、眩しそうに顔を歪めて空や望夢たちを眺めていた。
この時漸く、空はこの2人も一緒だったことを思い出した。
「あ、ご、ごめんね……っ? 私、嬉しくてつい舞い上がっちゃって……!」
慌てる空だったが、2人は空の慌てふためく様子を見るなり一転、笑顔を浮かべて言った。
「舞い上がっていいんだよ。空、良かったな。良い仲間が出来て。これから学校、思い切り楽しめよ」
「空ちゃんのその笑顔見られたら、俺達はそれで十分だから」
「暁君、苑ちゃんありがとう……っ。2人とも大好き!」
空は2人の言葉に感極まり、駆け出すと、飛び込む形で暁と苑に抱き付いた。
望夢達からすると衝撃的な場面だったが、2人は至って落ち着いていて、大人の余裕のような笑みを浮かべながら、涙する空を慈しむように見つめている。
「泣くな」
「よしよし。俺達も空ちゃんが大好きだよ」
まさか、このスキンシップも、このファミリーは普通なのか?
最初はただ見ていた望夢だったが、次第にその光景に何故だかモヤモヤしてきて、気が付いた時には自分でも信じられない行動に出ていた。
「……ちょっと、離れません?」
べりッと、剥がす音が聞えたかと思うほど、勢い付いて空を2人から引き離した。
「わわ……っ」
反動で後ろに倒れそうになる空を望夢が支える。
「お前、高校生だろ? いくら親父さんとその親友の人っつても、12歳しか離れていない男に簡単に抱き付くな。もうちょっと自覚しろ!」
「え……っ、あ……そうだよね」
「あー残念。もっと空ちゃんとくっついていたかったのになー。……高羽君、君って――空気読めないの? 読まないの?」
いきなりブラックな苑が出現し、望夢は内心激しく動揺した。
いや、通帳のことといい、さっきから垣間見えてはいた気がするが。
日本人離れした容姿は、一睨みだけでも十分な迫力だった。
「……苑、もうその辺にしとけ」
何かしら覚悟をして身構える望夢だったが、暁によって苑が遠ざけられた。
「悪いな」
「いいえ……っ」
「苑は何つーか、あの通り、空のことをすげえ溺愛していてな、たまに空のことになると手が負えなくなる。悪く思わないでくれよ。俺も距離感とか……、その辺考えたことが無かったわけじゃないが、つい気が緩むと甘やかしたくなっちまう。もっと自分に言い聞かせるよう気を付けるわ」
「いや、その…っ、俺の方こそ、偉そうにすみません……っ!」
「気にするなよ。それより、折角来たんだ、良かったら全員晩飯食って行けよ。学校での空の様子とか聞きたいし」
「え、でも……迷惑じゃないですか?」
そう言うと、暁は笑いながら望夢の頭に手を乗せた。
「ガキのくせに変な気を遣うな」
何だか急に自分が幼く思えた。それに、大人にこんなふうに扱われたのはいつ振りだろう。
「……ありがとうございます。じゃあ……お言葉に甘えさせていただきます」
「よし。すぐ作るから、待っていろよ」
「え? みんなも一緒にご飯食べるの!?」
声の方を見れば、それは嬉しそうに笑って喜んでいる空の姿があった。
ああ、敵わない気がする。空の表情をみながら、咄嗟にそう痛感した。この暁という男の行動は、空気を読んでのものに見えて、その実は全て、空の為。彼女へ繋がっている。
込みあげるこの気持ちは、何だろう。……すごく、羨ましくもあり、悔しい。
自分には、彼女に出来ることがあるのだろうか。この完璧な人以上に何か。それはとても難しい事の様に思えた。それでも……
「——高羽君!」
望夢は、目の前で幸せそうに笑う少女の笑顔を見て思った。
自分は、この笑顔を見続けられるならどんなことだってやってやろうと。