退学!?
「家庭訪問?」
帰宅すると、空は直ぐに今日受け取ったプリントを暁に全て渡した。
その中に、今言ったとおり、家庭訪問の案内も入っている。
「暁君……大丈夫?」
「ああ。この15日で頼んでくれ」
「本当? 忙しくない?」
「15日なら平日だから店休んでも大丈夫だ」
暁は空の学費を稼ぐために自営のカフェに加えて、最近副業をしている。本当はこれ以上暁を困らせたくなくて、家庭訪問の予定を勝手にカットしようかと考えていたが、そんな考えは直ぐに塵となった。
終わりのHRの時に『親に見せていなかったり逃げた奴は、後々後悔させてやるからそのつもりで』と、あの加瀬に宣戦布告されてしまったのだ。まさか、加瀬は空がその奴の中に入っているとは思ってもいなかっただろうが、空にはその脅し文句は充分だった。
「……私、バイトしようかな」
最上の策は空が高校を辞めることだが、それは是が非でも暁は許さないだろうから、せめて、自分も働いて少しは稼ごうと思いついた。
しかし、それを聞いた暁の顔がみるみる険しくなった。
「止めろ余計なこと考えるな。お前は勉教して、食って、寝て、大きくなれ」
「……太りたくはないよ」
「大人になれよってこと。じゃあ、行ってくるな」
暁は可笑しそうに笑いながら空の頭を撫でたあと仕事へ向かった。
空は、ただ見送るしか出来ない自分が歯痒かった。
・・・・・・
「お前ら、小遊鳥見なかったか?」
家庭訪問のお知らせが配られた日から暫く経った日の放課後のこと。残っていた望夢達4人が話していたところに担任の加瀬が現れた。
望夢は、その名前に内心動揺する。
紫に言われてからというもの、実は彼女の接し方に考えあぐねていたのだ。
幸い、あの日からどういうわけか空は飛鳥と距離が縮まって一緒なことが増えたので、自分の出る幕が少なくて助かっている。でも、それが逃げなのは自覚済みだった。
いい加減行動を起こさないと、10年連れ添った親友に本気で愛想をつかされかねない。
「……小鳥がどうかしたのかよ?」
こんな時に限って誰も口を開かないので訊ねてみると、加瀬から思いもよらない言葉が返ってきた。
「あー……あいつ、学校辞めるかもしれねえ」
「「「「は……っ!?」」」」
何がどうしてそうなった?4人は耳を疑った。
「実は、あいつからちょっと前に就労申請を受けていたが、小遊鳥は真面目で優秀な生徒だから、校長が学業に専念して欲しいって許可しなかったんだ。そうしたら、今朝早く俺の所来て、『私にはとても大事なことなので、承諾してもらえないなら学校を辞めることも考えています』って言いやがってよ」
「何だよそれ……っ」
辞めたそうな素振りや、話も何も、初めて聞くことばかりで、望夢は冷静にあろうとする反面、激しく動揺していた。
何で突然と思って、近頃まともに空の顔を見ていないことを思い出した。
本当は、サインは出ていたかもしれない。けれど、自分が自身の事にかまけていたのだ。もし傍にいたら、小さな変化でも見逃さなかったかもしれないのに。
「——でも、どうして空ちゃん働きたかったのかな?」
「あいつの親父がリストラ……とか? じゃねえと、あいつの親が働かせるなんてさせそうにないよな」
「うーん……お小遣いが欲しかったからとか」
思いつく要因を紫と飛鳥と海の3人が口にする中、加瀬が難しい表情で切り出した。
「……人によって幸せの感じ方は違うが、少なくとも、小遊鳥はお前らが思っている以上に複雑な環境で育ってきた」
「え……それって……?」
「……あいつの両親は既に他界している。母親は小遊鳥が幼少期に病で、父親は小遊鳥が小学生の時に不慮の事故で。以来、小遊鳥は父親の知人男性に引き取られ生活している」
全く考えもしなかった壮絶な生い立ちに、全員言葉を失う。
「そんな……っ」
「マジかよ……」
「空ちゃん……」
「……あいつ……っ、何で……笑って」
「それが強さなのかもしれないし、さっきも言ったが、人によって幸せの感じ方は違う。あいつは、育ての親と良い関係を築いて幸せに生きているのかもしれない。……ま、学校を辞めると言っている今そうも言い切れないが」
加瀬は話し終えると、見つけたら知らせてくれと言い残し教室を去った。
「空ちゃん……本当に学校辞めるつもりかな」
「もし生活に困っているなら確かに授業料だって払い続けるのは大変だし……」
「俺らが何を言っても気休め程度だろ」
3人が諦めモードななか、望夢だけは全く違うことを思っていた。
『私、みんなと出会えてよかったと、まだたった数日だけど思ってます……っ。私にとって、みんなはかけがえのない大事な存在です……っ。だから、もっと仲良くなれたらと思うし……っ! みんなと居るために、私は自分で出来る努力をして……っ、これから近づいていけるよう頑張ります!!』
あの言葉は、嘘じゃなかっただろう。
何で簡単に諦めようとしているのか納得がいかなかった。
「望夢……っ? ちょっと、何処行くんだよ!?」
呼声にも振り返らず、望夢は空を探すため走り出した。
・・・・・・
その頃、空は屋上にて電話中だった。
≪もしもし?≫
「もしもし……苑ちゃん?」
相手は、暁の親友、苑。
≪え? 空ちゃん……今ドコ? 学校?≫
「うん。学校の屋上からかけているんだ。突然ごめんね。……苑ちゃんにお願いがあって」
≪何? 俺にできる事なら何でもするよ。でも……暁に言えないこと?≫
苑を巻き込むのはよくないと思って最後まで迷っていた。でも、空は決めたのだ。
「あのね、仕事……紹介してください。それか、苑ちゃんの働いている写真屋さんで働かせてもらえないかなって」
≪……空ちゃん、働きたいの? でも、どうして?≫
「……それは、」
「小鳥!!」
空が返事をしようとしていた時、怒号と共に勢いよく屋上の戸が開いた。
「……た、高羽君……っ?」
何故彼が現れたのか、何より怒っているのか、事態が把握できないまま固まっていると、大股で歩いて来た望夢に両肩を掴まれた。
「——お前……、学校辞めるってどういうことだ? 本気か?」
もう耳に入っているとは思わなかった空は、急に訊かれたことで動揺を隠せなかった。
「え、えっと……っ」
「理由を知りたいわけじゃねえ。お前の事情は加瀬から聞いた」
「え……っ」
「けど、俺は納得がいかない。お前『みんなと居るために、私は自分で出来る努力をして……っ、頑張ります!!』って、俺達に言っただろ」
「……はい。忘れていません」
空が確り自分を見て答えたことは意外だったが、それを見た望夢は更に怒りが込み上げる。
「だったら、簡単に辞めるとか言うな! ギリギリまで考えてから言え! 俺が諦めてないのに、お前が勝手に諦めるな……!!」
「高羽君……」
こんな風に感情的になる望夢を空は初めて見た気がした。
どう返したらいいだろう。一瞬の迷いの後に、決めた。
自分も、ちゃんと思っていることを彼へ、みんなへ伝えるべきだと。
「空ちゃん、望夢……っ!!」
息を切らして現れたのは、紫と飛鳥と海だった。
「みんな……」
探してくれていたのか。驚きと感動したのも束の間。空と望夢を見る3人の顔つきがみるみる変わった。
「お前……探し回った俺らの身になれ馬鹿!!」
「望夢も……っ、勝手に黙って行くなよ!!」
「心配なのはお前だけじゃないんだぞ?!」
「「……すいません」」
2人は未だ深く話していない状態だったが、顔を見合わせると、揃って頭を下げて大人しく叱られた。
でも、可笑しいかもしれないけれど、空は怒られたことが嬉しかった。
「……おい、何笑ってやがる」
「あ、ご、ごめんね。心配して貰えたことが嬉しくて、つい」
そう、申し訳ないと思う反面、彼らがこんなに一生懸命息を切らしてまで、自分を心配し探し回ってくれていたことを知って嬉しかったのだ。
「アホか!」
だからと言って納得されるわけもなく、空は望夢に力いっぱいデコピンされた。
「痛い!」
「こんなん甘いわ! 俺達がどれだけ心配したか、お前分ってんのか!?」
「……ごめんなさい。まさか私のことでここまで心配をかけると思わなくて。でも、気持ちが固まったら、ちゃんと自分の言葉で伝えようと考えてはいたんです」
「辞めることか? それって……遅くね? 俺らは結果だけ聞かされて何も出来ねえってことじゃねえか。マジでキレるぞ」
冷たい目で見降ろされてつい竦みそうになってしまった。
「ごめんなさい……でも、私、退学だけはしません。悩んだけど再確認したんです。やっぱりみんなが大好きだから、一緒に居たいって」
「小鳥……」
「空ちゃん、じゃあ学校は続けるんだね?」
「良かった」
「でも、それで問題は解決すんのか? 金が必要なんだろ?」
飛鳥の言葉を受けて、空はこの時漸く電話が通話中のままだったことを思い出した。
確認すれば、やはりスマホ画面は繋がったままの状態だった。
「ど、どうしよ……っ」
≪もしもし、空ちゃん?≫
「苑ちゃん……っ! あのね、これはその……っ」
動揺していた空がスマホを思わず切ろうとしたタイミングで声が聴こえた。
≪空ちゃん、ちょっとスピーカーにしてくれる?≫
「え、す、スピーカー……?」
「貸せ」
会話から何となく状況を察した望夢が、すかさず空の手からマホを奪って操作する。
≪あ、出来たみたいだね。空ちゃん、聴こえる?≫
優しい響きを持った苑の声がスピーカーを通して空と4人の耳に届いた。
「聞こえてるよ! ……あの、苑ちゃん……っ」
≪……空ちゃん、悪いけど今の会話全部聴こえちゃったんだよね。……仕事紹介して欲しいって頼んだ理由がわかったよ。でも、解かるよね? 俺は空ちゃんに関することで暁には隠し事は出来ない≫
「……はい。ごめんなさい」
≪……でね、もっと残念な報せがあるんだけど……≫
苑の声がスピーカー越しに重くなったのを感じ、嫌な予感が過った。
≪——空、今すぐ帰って来い≫
予感は的中した。短くも重い響きのある訊き慣れた声に空の表情は強張った。
「あ……暁君……っ!?」
≪話がある。お前も、俺に話があるよな?≫
「……はい」
観念し重く返事をすると、暁は電話の向こうからそれと、と付け足した。
≪今一緒に居るお前の‘オトモダチ’も予定が無かったら連れて来い≫
「え……っ? あ、暁君……それは」
激しく動揺する空は実体の無い暁と望夢達4人を何度も見比べる。
しかし、電話の向こうの暁はいいな?とだけ言い残し電話を切ってしまい、放課後の屋上に、重苦しい空気が充満したのは言うまでもない。