母の話
「……西園寺様が、この子と知り合いだったなんて……っ」
この国きっての財閥・西園寺を敵に回せば大問題となることがわかっている美晴は震えあがった。
「ウチの者が大変申し訳ありません。……西園寺会長、ここはワシの顔に免じて、どうか納めて頂けないでしょうか」
栄吉の前に深く頭を下げたのは、美晴でも清晴でもなく、清次郎だった。
「ほほう……上原殿が直々に頭を下げてくれるのなら、そうですな……この子が良しと言えば、ワシは折れましょう。どうかな?」
その様子を眺め、暫し思案する顔を見せた栄吉は空に目配せをしてきた。そのパスがとてもありがたかった。
「ええ。私は、構いません」
「本当かい……? ああ……ありがとう」
自分に深く頭を下げる清次郎には笑顔をみせるも、空は、美晴をみると真剣な顔で告げた。
「仰る通り、周りから見れば凸凹な親子です。でも、この6年間、私達は一緒に苦しいこと楽しい事を経験しながら、確かに絆を育んできました。あなたのことを許すことが出来るのも、養父がそうあるように、私を真っすぐ育ててくれたからです。そんな養父を、私は心の底から尊敬しています。なので、二度目はないです。そのことだけは忘れないで下さい」
「はっ、はい。ごめんなさい……っ!!」
たった15歳の少女の迫力に、美晴は圧し負けその場に伏して謝罪をした。
そんな光景に、見守っていた栄吉は感嘆し、清次郎や清晴は息を呑んだ。
・・・・・・
「知らなかったのでびっくりしました。お爺様も来ていたんですね!」
【お爺様】空がそう呼んだのは、もちろん清次郎ではなく、栄吉だった。
言葉通り、苑を始め西園寺家と空達親子は長い間懇意にしているため、栄吉には「お爺ちゃん」と呼んでほしいと言われているのだ。それでも流石に、有名な財閥の会長を人前でそう呼ぶのは憚られるので「お爺様」と呼ぶようにしている。
「ワシも空ちゃんを見付けて驚いたぞ。苑の奴、何も言ってこんからな!」
「すみません。苑ちゃんはきっと、私達のことを気遣って黙っていてくれたんだと思います」
「そうだろうな。あいつは、君ら親子が大好きだから。時折、悔しい程にな」
「ふふ。苑ちゃんは本当に、お爺様に愛されていますよね」
「小憎らしいクソガキよ。ろくに家にも帰って来やしない。今度顔を見せる様に言っておいてくれるか?苑は、空ちゃんの言うことなら訊くからな」
「ええ。もちろんです」
空がくすくすと笑いながら見送る横で、紫が目を丸くして驚いていた。
「あの人が、西園寺会長か……。初めて生で見たけど、オーラがやばいね。でも、えっと……苑さんのお父さん?」
「あ、うん。……実は、苑ちゃんの所も養子なの。本当は、実のお爺さんと孫の間柄だけど、苑ちゃんのお家もちょっと複雑で。でも、とってもいい親子なの」
「そっか。それで苑さんって、空ちゃんたちへの愛情が深いのかもね」
「うん。一番の理解者で居てくれてる」
そんな会話をしていると、清次郎がこちらへ向かって歩いて来た。
「先ほどは本当に申し訳ない。嫌な思いをさせてしまったね……。こんなつもりじゃなかったんだが……私の責任だ」
「いえ、もう大丈夫です。云いたいことを言わせていただいて、スッキリしましたから。ちゃんと謝ってもいただきましたし」
「そうかい? ……君を見ていると、見た目は確かに娘だが、大地君を思い出すよ」
「だい……? え、父ですか?」
思わぬ言葉に空は驚きを隠せなかった。
とても小さなころに母が亡くなり、母のことはあまり憶えていないが、父を思い出す限り、自分が重なる部分は無いように思っていた。
明るくて快活で、器が大きくて、誰にでも臆さず真っ直ぐ接する愛情深い人。
「さっきの毅然とした態度を見ていた時にそう感じたよ。これは、美羽より彼だろうとね」
「父は上原家のみなさんと会ったことが?」
「数は少ないけど、あるさ。……まるで太陽のように明るくて、眩しいくらい真っ直ぐな男だったな。一度口論にもなったよ。美羽が家を出る日、口を吐いて酷い言葉を言ってしまってね。そうしたら『親だろうが何だろうが、美羽のこと悪く言う奴、俺は許しません』てね」
「そうですか……」
「さっきの話の続きをしたいと思うのだが、いいだろうか?」
「はい、ぜひ」
空は、返事をすると紫に席を外れると言い置き、清次郎と共に会場を離れた。
・・・・・・
「ここは?」
清次郎に連れられて行った先は、上原邸のとある一部屋。
ゆっくりドアノブに手を掛け開くと、清次郎は懐かしそうな目をしながら言った。
「昔、美羽が使っていた部屋だ。亡き妻に無理を言い、私が手入れをする代わりに空けて貰っていた」
「お母さんが使っていた部屋……」
「話をするのなら、やはりここが良いと思ってね」
「失礼します」
ドキドキしながら足を踏み入れる。可愛い装飾などが特別あるわけではないが、母親が使っていたと言われると、なんだか空気を肌で感じられるようで嬉しかった。
「シンプルだろう? 実はあの子が使っていたころからこんな感じだよ。美羽は実に欲が無くてね。美晴なんかは、部屋にあれが欲しいコレを置きたいなんて注文が多かったものたが、美羽は部屋と布団さえあれば、もう充分だと言ってね」
「そうなんですね。……あ、でも父も、母はあまりプレゼントとか欲しがらなかったって、生前言っていました」
「……そうか。慎ましやかと言えば聞こえはいいが、我慢を強いてしまったのかもしれないと、ワシは思っているよ」
「それはどういう?」
「——……美羽は、私の妻とは別の女性との間に生まれた子で、美晴や清晴とは異母兄妹なんだ」
「え……っ?」
思わず口元を覆う空に清次郎は苦笑した。
「美羽の母親とは元々幼馴染でね、将来結婚の約束をした仲でもあった。それを両親も知ってはいたが、家を繁栄させたかった両親は、今の妻の家、上原家と私に何の相談もなく婚約を結んでしまった。もちろん抵抗はしたが、どうにもならなくてね……。美羽の母親とは別れることになってしまうが、既にその頃にはお腹に美羽が居たというわけだよ」
「……そうでしたか。じゃあ、母はいつこの家へ……?」
「最初は母親と暮らしていたが、あるとき母親が病で倒れた。そして、もう長くはないと悟った母親は、私に後生だと、美羽のことを托した。それから、美羽は上原家で美晴や清晴と一緒にこの家で育ったんだ。清晴は、いつも笑顔で優しい美羽のことを心から実の姉として慕ったが、母親に色々刷り込まれて育ってしまった美晴は……頑なに美羽を受け入れようとしなくてね。……そんな環境が、彼女に色々我慢をさせてしまったのではないのかとね」
「……美晴さんの気持ちは、お母様を大事に想ってこそですね。それは、母の娘である私が聞いても、仕方が無い事だと思います……。私は母ではないので、全てにお答えすることは出来ませんが……母は、美晴さんを恨んではいなかったと思います。……むしろ、内心では受け入れられなくとも、家族として家に置いてくれたことに感謝しているような気がします。独りぼっちになるかもって不安だったときに、手を差し伸べてくれる存在の有り難さを、私も知っていますから」
空がそう言うと、聞いていた清次郎は目を大きく見開き驚いた。
「君は……本当にすごいな」
「え?」
「一度、美羽に聞いたことがあるんだ。私を恨んでいるか、美晴を嫌っているかと。そうしたら、君が言った全く同じことを答えたよ」
『もし、私が美晴の立場だったら同じように思うかもしれないもの。それに、私は、お父さんに迎えに来て貰って、温かい食事と寝床を貰えているだけで満足しているのに、兄弟というプレゼント付きで、幸せ以外の何でもないわ。恨むなんてとんでもない、とても感謝しています』
それでも、親に心配をかけまいとして嘘をついているんじゃないかと気にかかっていた。
本当にそんな言葉を心から思っているのだろうかと。―—でも、今美羽の娘のこの子は、まったく同じ言葉を言った。
「あの……?」
黙っているのを不思議そうに見つめる空の頭に手を乗せ清次郎は微笑む。
「ありがとう。……君のお陰で、私の心は本当に救われた」
「え?」
「君は、両親のいいところをどちらも受け継いでいるね。娘の子供がこんなにいい子だと知って、心から嬉しく思うよ」
「私こそ、母のお父さんが温かい方だと知れてよかったです。でも……だからこそ、どうしてか分りません」
「君の養父を今日の会に誘わなかったことだね?」
「はい……」
空が悲しそうに俯く姿に胸を痛めながら、清次郎は語った。
「勝手に思うだろうが、これは、私なりの自分へのケジメのつもりだった」
「けじめ……?」
「ずっと連絡を絶ってきた我々を、きっと養父……仁倉君は、娘の身内として認めていないだろう。——……だが、生い先が短いわが身を顧みた時、無性に美羽の娘である君に会いたくなってしまってね。迷った末に、清晴に動いてもらった。1人で招待することを君がどう思うかは気になったが……、我々が君らを揃って呼ぶのは、これまでの赦しを自ら乞う行為と変わらないと思った。我々は、赦しを乞うつもりは今後もない。清晴も同意だった。だから、それを示すためでもあった。恐らく、仁倉君にも感じて貰ったことだろう」
言い終えた清次郎を、空は、驚きと動揺で揺れる瞳で見つめた。
「そんな、それで……っ? 暁君は、特別私に何も言いませんでした。……ただ、堅苦しい場所が苦手だからと」
「そうか……。正直……、手紙を送った段階で、破り捨てられることを覚悟していた。まさか、きちんと伝えて、君が今日ここに来てくれると思わなくて、君を目の前にしたときはつい年甲斐もなく取り乱してしまった」
「暁君は、多分……自分だけじゃなく、父と母の分も頑なに拒否してくれているんだと思います。でも同時に、暁君は自分の想いよりもまず、どんな時も、私の気持ちを最優先に考えてくれるような人なんです。例え、自分が快く思っていない相手でも、私が会いたいと言えば背中を押して送り出してくれるような」
「そうだったのか……。今更ながら、君の養父は素晴らしい人だな。娘たちもきっと安心して見守っていることだろう」
「はい。私は、暁君の娘であることを誇りに思います」
清次郎の言葉に、暁の姿を想い浮かべながら、空は満面の笑でそう言った。