西園寺栄吉
どうやら上原邸は、住まいと店が繋がっているようだった。
指定されたお店の方の入口の暖簾を潜ると、待っていたように店の人間が側へやって来た。
「ようこそお越しくださいました。本日の上原名前の席でお取りしているお客様ですね」
「はい。久遠、小鳥遊の3名です」
「お待ちしておりました。ご案内致します」
言われるまま着いて行き、通された畳の広い間には既に他の参席者も集まっていた。
招待人数は定かじゃないが、ざっと見た限り15名は居る。
「旦那様、お客様です」
案内してくれた店の人間が奥の席で他の参席者と会話していた老人に声を掛け出て行く。それが、上原清次郎なのだと直ぐに察した。
漸く対面となった清次郎は、昔の時代の人間としては背が高く、背筋も丸まらず比較的伸びていて、洋装がとても似合っていた。それに、皺と白髭を蓄えはしているものの、若い頃はさぞモテただろうと思える、キリッとした眉の男性だった。
彼がこちらに気付き、話していた相手に断りを入れて向かって来る。それを見て、最初に橙がにこやかな笑みを浮かべながら口を開いた。
「上原さん、本日はお招き頂きありがとうございます。電話でお話ししたように来られなくなった長男の代わりに三男坊を同行させましたのでご挨拶と、……あなたのお孫さんがウチの息子と偶然にも親しいので、どうせならと一緒にお連れしたのですが……」
「何ですと……?」
驚く清次郎の前に、二人は並び立った。
「初めまして、三男の久遠紫です」
「あの、お招きいただき、ありがとうございます。初めまして、美羽の娘の小鳥遊空です」
祖父といえど、会った時決して「お爺ちゃん」と呼べる感じではないのは解りきっていた。他人同然できた仲で、あくまでも自分は客人だ。
出来る限り失礼のないように心掛けてお辞儀をした空だが、冷静さを欠いたのはどちらかというと清次郎の方だった。
「小鳥遊……じゃあ、そうか、君がっ、空か……!?」
「え、あ、はいっ」
ずいっと距離を詰め、空の肩をガシッと掴み、じっと穴が開きそうな程見て来る清次郎に、空も久遠親子も驚く。
「…そうか。……顔を、顔をもっとよく見せておくれ」
そう言いながら、清次郎に空は顔が見える様に上を向かされた。
「なんてことだ……っ。あの子に、美羽に、本当によく似ている……!」
「やはりそうなんでしょうか? 父……実父の方にも、昔よく、私はお母さん似だと言われていました」
自分で言いながら、空は昔を思い懐かしくなった。
「……養父の、仁倉さんとはうまくやれているのかい?」
「はい。とても大事に、愛情を注いで育ててもらいました。私が今こうしていられるのは、養父のお陰です」
「……そうか。今更何と言おうと無意味なのは分っているが、引き取って育ててやれなかったこと、申し訳なかった。……この家を憎んでいるだろうか?」
申し訳なさそうに空の肩に手を置いて頭を下げる清次郎に、空は慌てて首を横へ振ってみせた。
「いえ、憎んでなんていません……っ。というより、私は今日まで母の家族のことを全く知らずに育ちましたから、正直……招待して頂き、こうしてお会いすることに、戸惑いすら感じています。……あの、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「何だね?」
「……どうして、招待されたのが私一人だけだったんでしょうか?」
会ったら必ず確かめようと思っていたことを、とうとう言葉にした。緊張で強張る顔で見ると、清次郎の顔に影が落ちた。
「それは……ここで話すのは少し憚られる。後で、別室で話すとしようか」
「分りました」
清次郎の提案に空は頷いた。
「……では、私は少し、他の客人の方々に挨拶をしてこよう。まだこれで全員ではないのだが、料理がもう直ぐ運ばれてくるはずだから、君らは楽にして、楽しんでいてくれ。……そうだな、久遠先生は、良ければ一緒に来ていただこうか。紹介したい方もいてね」
「勿論です」
清次郎と橙が消えていくのをみつめながら、緊張の糸が切れた空は魂が抜けそうな程深い息を吐いて、側にあった壁に寄りかかった。
「は~あぁぁぁ……」
「空ちゃん、お疲れさま」
「紫君、ありがとう」
すかさず飲み物を手渡してくれる紫のスマートさに感激しながら、空はそれを受け取って一気に飲み干した。
喉を通るひんやりとした感覚が徐々に落ち着きを取り戻させてくれる。
「清次郎さん、空ちゃんに興味津々だったね。話し足りなさそうだったし」
「そうだったかな? 正直いっぱいいっぱいで。……でも、後でまた時間を作って話をしてくれるって。緊張するけど、やっぱり来て良かった……!」
「折角だから、この際聞きたかったこと色々聞いてみたらいいと思うよ。——あ、俺ちょっとお手洗いに行ってくるね」
「うん」
空は紫の背中を見送りながら心の中で何度もお礼を言った。本当に、紫が居なかったらどうなっていたかわからなかった。
・・・・・・
一息吐いて、席に座って待っていようかと思った時、不意に部屋に入って来た人物に声を掛けられた。
「——失礼、かわいいお嬢さん。一人でお暇なら話し相手になってくれないかね?」
「え?」
声の主を確認しようとして顔を上げた空は其処に立っていた人物に思わず驚くが、口を開きかけたタイミングで、他の女性からも突然呼び止められてしまった。
「ちょっとそこのあなた、失礼だけれど、そんな若いのにうちの父とどういう関係? 何故ここに?」
「え、あ……上原清次郎さんから招待していただきました。初めまして、私は小鳥遊空といいます」
ショートヘアで、ネイビーの綺麗なワンピースとアクセサリーで着飾ったその女性に自己紹介をすると、彼女は空の顔を見るなり、何故か恐ろしく顔を歪めた。
「まさかとは思ったけど……その顔に、その苗字……あなた、美羽の娘ね?」
「……あ、はい。母をご存知でしたか。でも、あなたは一体……?」
「私を知らなくせに、よくのこのことこの場に顔を出せたわね。私は上原美晴。あなたの母親の妹よ!!」
「えっ、あ……失礼しました!」
話では祖父と叔父のことしか聞いてなかったため、叔母が居たことに空はとても驚きながら、青い顔で慌てて頭を下げた。
しかし、美晴は気が収まらない様子で空を冷ややかに見降ろす。
「父が勝手に呼んだみたいだけど、私は、あなたがここに居ることは認めない! タクシーならこっちで手配してあげるから、さっさと帰って!!」
「……すみません」
清次郎の態度で安心してしまったせいもあって、音信不通だったことに何かある可能性に対しての警戒心が完全に薄れてしまっていた。思わぬところで受けた拒絶と言葉が防ぎようもなく突き刺さる。
「姉さん、何騒いでいる。 お客様の見ている前でみっともないぞ!!」
騒動を聴きつけ現れたのは、清次郎によく似た長身の男性。
彼は、空を視界にとらえると、ハッとしたような顔で立ち止まった。
その間に、同じく騒ぎを聞きつけ紫が戻ってきた。
「空ちゃん大丈夫……っ!?」
「紫君……うん、大丈夫だよ」
紫がそっと寄り添ってくれたことで、煩く鳴る心臓により早まっていた呼吸が少しずつ整っていく。
「空……そうか、君が美羽の娘か」
「はい。そうです」
こちらを見ている男性が何者か不思議に思いながら頷くと、深々と頭を下げて来られた。
「姉がいきなり済まなかった。……俺は、上原清晴。美羽の弟で、一応は、君にとっての叔父にあたる」
「……あ、お名前は事前に教えてもらっていました。初めまして……空です」
「こんな形で挨拶することになって、本当に申し訳ない……。君のことは、親父の為に、俺が招待させてもらった」
「なっ、やっぱりあんたとお父様の仕業だったのね!? お母様がもう居ないのをいいことに……っ!! 最低!!」
興奮した様子で怒鳴る美晴に、清晴は姉に対するものとは思えない鋭い視線を向ける。
「今日は親父の為の会だ。親父が心から会いたいと思う人を呼ぶことの何が悪い? 姉さんには口出しする権利は無い」
「あんたって男はっ、そういえば、昔から何かといえば美羽の味方だったものね! そりゃ、あの女の娘を呼ぶことも賛成するわよね!」
「おい、いくら姉貴でも、その呼び方は許さないぞ。美羽は、今でも俺の大事な姉貴だ」
「なによ……っ。恩を仇で返して家を捨てた女の娘なんか……っ、この子だって、歳もそんなに離れていない半端な男と暮らしているのよ!? どんな育てられかたをしたかわかったものじゃ」
「―それ以上は、口を慎まんかね」
突如、姉弟の言い争いの中に、重みのある渋い声が割って入った。
その場の全員が注目したのは、着物姿で杖を持った強い目をした70~80代くらいの男性。
「あなたが先ほどから愚弄しているこの娘とその育ての親は、ウチの愚息が長年大切にしている二人でな。無論、ワシにとっても、彼らは子・孫同然じゃ。……もしこれ以上汚い口で穢す様なら、西園寺の名において黙っておらんが、よろしいか?」
「なっ、え……っ、西園寺様……!?」
思わず美晴が悲鳴に近い驚嘆を上げる。
なんと、白髪のその男性は、西園寺財閥会長・西園寺栄吉だった。