取り戻した絆
「いらっしゃい」
海と飛鳥が暁の店を訪れると、空だけでなく、望夢と紫の姿も当然のようにあった。
「あ、海と飛鳥」
「お帰り」
「望夢、紫……」「何で、お前らまで?」
「二人も、飛鳥君と海君が来るのを心配して一緒に待っていたんだよ!」
そう言ったのは、笑顔で出迎えた空だった。
「空ちゃん……」
「海君お帰り。改めて、勝手な事しちゃってごめんね」
「うーうん。……違うよ。これで良かった。俺一人だったら今でも何も変わってなかったと思う」
「海君、もう大丈夫だよ。海君を傷つけるものはないし、何より、海君には飛鳥君や望夢君紫君、みんなが付いている」
「……足りないよ。空ちゃんだって、ちゃんと俺の中ではカウントしてあるから」
「嬉しい。ありがとう海君」
空が言葉通り嬉しそうに微笑むと、その笑顔を見て海が飛鳥、そして望夢をそれぞれ見て言った。
「二人とも先に謝っておくね。ゴメン」
「「は?」」
一体何の謝罪だと不思議に思っていた直後、海は空の手を引き、そっと抱き寄せた。
「「「「え……っ?」」」」
「……空ちゃん、本当にありがとう。俺、空ちゃんに出逢えてよかったよ」
「海君……っ。そんな、私こそだよ……!」
「もしこの先空ちゃんに何かあった時は、必ず俺も、君の力になるから」
「……海君っ、そんなこと言われたら泣くしかないじゃない……っ!!」
「へへ。泣かないで」
「「もう、その辺にしておけ」」
二人が顔を見合わせていると、望夢と飛鳥が引き離したいのを懸命に堪えながら声を揃えた。
「最初に謝ったのに……」
「それとこれとは別だ!」
「そうだ! 心臓に悪いんだよまったく!」
二人が文句をたらたらと口にする横で、紫が肩を揺らしながら笑っている。
その様子を見守りながら、暁は微笑ましく思った。
「良い仲間を持ったな。空」
「うん。みんなは自慢の素敵な仲間だよ」
空も暁に満面の笑みで答えた。
そんな時、海のもとに一本の電話が入る。
「えっ、加瀬先生?」
思わぬ人物からで慌てて出ると、加瀬は安堵した様子で言った。
<<鳴瀬、出てくれて良かった。お前、今から自宅へ向かえ>>
「どうかしたんですか?」
<<お袋さんがお前に見せたいものがあるってよ>>
「見せたいもの……?」
良く分らないまま、海は仲間と別れ自宅へ戻ることになった。
・・・・・・
「……母さん、あの……心配かけてごめんなさい。俺……っ」
出迎えてくれた母親の顔を見た瞬間、海は申し訳なくなり頭を下げた。しかし、母は相も変わらず、穏やかな笑みを浮かべ、優しい声音で話しかけてくれた。
「あなたの気持ちは痛い程解っているし、今回はお父さんが悪いから責めていないわ。安心して。……ただね、お父さんの気持ちも少しはわかってもらいたくて…」
「父さんの気持ち……」
そう言われても、思うことは一つだった。
「お願い、今は黙って付いて来て欲しいの」
「……分かったよ」
重たい足取りで母の後を付いて行くと、そこは父親の部屋の前だった。
母が掃除をする時を除き、留守の間は鍵がかかっているため、入ったことなど子供の頃の数えるほどしかなかった。
何だろうか、そう思って恐る恐る覗くと、父親が1人で映像を観ていた。
それは信じられないことに、自分が幼い頃父親と遊んでいるものだった。
『カイね、パパのおしごとおうえんする!』
『本当か? ありがとう。パパのお仕事は色んな人間相手でな、結構大変だから、海が応援してくれたらパワーを貰えるよ』
『そうなの? じゃあ、カイ、おおきくなったらパパのおしごとおてつだいするね!』
『えっ、海……本当か?』
『うん! カイ、パパがおしごとしているところだいすきだから、パパがくるしくならないようにいっしょにはたらくの! パパはカイがまもってあげる!』
『……ははっ。海はお父さんにとって宝物だ。生まれて来てくれてありがとうな。パパ、そんな時がくるのを楽しみに、お仕事頑張って待っているよ』
「そんな……」
幼い頃の自分が父親にそんな言葉を言っていたなんて、すっかり記憶になくなっていて思いもしなかった。
「……お父さんね、仕事がうまくいかない時や疲れた時、内緒でよくこの映像を観ていたらしいの。私も最近になって、偶然知ったのよ」
「母さん……俺、どうしよう」
ずっと、鳴瀬の家に生まれた男児というだけで、当然のようにレールが敷かれ、勝手に期待されていることが重苦しくて堪らないと感じていた。
そのうえ、似たような環境下でも、跡継ぎの価値でしか見られていない自分と違って、愛情深い父親の元で育った紫が羨ましいと思ったこともあった。
けれど、全ては自分が最初に言った言葉から始まっていたのだ。
縋る様な視線を向ける海に、母はゆっくり歩み寄ると、そっと肩に手を置いて微笑んだ。
「大丈夫よ。あなたが悪いわけじゃない。お父さんが言った言葉は、本当に、言ってはいけない酷い言葉だったもの。あなたが怒って当然のことよ。私も、今回ばかりは我慢できずにこんこんと叱っておいたから。——……ただ、お父さんは、あなたの言葉を大切に記憶して、どんなに大変な時も、それをお守りに頑張っていたのは確かなの。……だから、その想いだけは信じてあげて。あなたのことを、跡取りでしかみていなかったわけじゃないわ」
「母さん……。うん、ありがとう」
海は母親に頷くと、母親が用意したコーヒーを受け取り、そっと部屋に足を踏み入れた。
「登和子か? えっ、海……っ?」
気配を察し振り向いた父は、立っていたのが妻ではなく息子の海だったことに驚きと動揺を隠せない様子だった。
慌ててリモコンに手を伸ばすそうとするが、それは海に阻まれた。
「待ってっ! そのままにしていていいから……!!」
「……いつ戻った?」
「さっき、母さんに急に呼ばれて。ビックリしました……こんな映像があったなんて」
「子供の成長記録だからな。親だから……一応」
今度は、海が驚く番だった。
「親……」
「……子供に対してあんな暴言を吐く親なんていないか。もうお前にとって、俺は親でもないんだろうな」
「いや、驚いているんです……。あなたが俺のことを、鳴瀬の跡継ぎ以外に見ているようには思えなかったので、俺の方こそ……、あなたにとっては息子でもないのかと……」
「……俺にとっての息子は、海以外に居るわけが無いだろう」
「父さん、俺、子供の頃に自分で言った言葉を忘れて、ずっと……あなたに押し付けられていると感じて、憎しみに近い想いを抱いていました。……本当に、すみません」
「……そうだとは思っていたよ。俺も、頭では子供の言うことを真に受けるべきじゃない。お互いが苦しい思いをするだけだって解かっていた。でも……どうしても、二人で働いている将来を思い描いてしまうと、コントロールが効かなくなってしまって……、本当に、殴ってしまって、悪かった……!!」
椅子から立ち上った父親は、海の少し前まで腫れていた顔の箇所を見つめながら、そう言って目の前に深く頭を下げた。
まさかの光景に、海はただただ驚く。
「父さんっ、顔を上げて下さい……!」
「海……」
「俺の気持ちは、正直、出て行く前に伝えた時と全く同じです。ただそれは、反抗心とかではなく、純粋に、今居る場所が、出会えた人たちが大好きなんです。だから、俺の一番の今の目標は、大事な仲間達と学園生活を送って、揃って卒業する事です。それしか、見えません」
「そうか……」
「……でも、別に俺はお爺様や父さんがやってきたことを否定しているわけではないですし、成し遂げて来られたことを尊敬しています。なので、出来れば俺のペースで、将来に対して考えさせてほしいんです。……勿論、鳴瀬以外の道も、考えないわけではありませんが……。よろしくお願いします」
やっとの思いで気持ちを伝えると、父親も海の本気を汲んでくれた様子で、弱弱しい顔付きから一転して、真っ直ぐ海を見返した。
「……そうだな。お前にはお前の居場所と、人間関係があるんだもんな。それなのに引き離そうとして……、まるでお前を自分のもののように、都合のいいように扱っていた。傲慢なことを……悪かった。父さん、これから、少しでもお前に誇りに思って貰えるよう、仕事も、父親としても改めて頑張るよ」
「……本当に?」
驚きと、言い表しようのない感情が湧き上がってくるように感じ、気が付いたら目頭が熱くなっていた。
「海……海っ、本当に、悪かった……ごめんな……っ!」
海の涙を前に、父親も自責の涙とともに、海をそっと抱き寄せた。
とっくに忘れていたはずなのに、海は何だかとても懐かしいような気持ちに包まれた。
その夜、両親と共に加瀬の家を訪れ、お世話になった礼を伝えると、海は自宅に戻ったのだった。