隠された傷
『俺がやる気がないからだよ。それに、今の社長から本気でやる気が無いなら継がない方がマシだって言われたし。俺もその方が会社の為だと思っているけど』
海の頭の中で、今日苑が言った言葉が流れていた。
「ただいま」
「海、お帰りなさい」
帰宅すると、母親が出迎えてくれた。
姉たちは確か今日から旅行に行くと言っていたのを思い出す。きっと、事前に母から、父が帰る日を聞いていたのだろう。
「……父さんは?」
あの人というと、悲しい顔をさせるからなるべく母親の前では父と呼ぶようにしている。
「まだよ。でも帰ったら海に話があるって電話で言っていたわ」
「話……」
それを訊いて嫌な予感しかしない。
「あんまり遅くなるなら先に寝たいけど……駄目だよね?」
「そうね……。一応何時ごろになるか確認はしてみるわ」
「ありがとう。お願い」
母親に礼を言うと、海は自室へ上った。
「……はぁ。さっきまでは賑やかだったのに……嘘みたいだ」
嘘みたいにこの家は静かで、空虚だ。
あまりにも音が無い空間での声は、自分に反って来る。嫌な言葉や悲しい言葉を吐けば吐く程、矢のように突き刺さる。
「海? ……ちょっといい?」
ノックの音に気付いてドアを開けると母親が立っていた。
「あのね、お父さん22時頃になるって」
「そう……じゃあ起きて待つよ。夕飯は友達と食べて来たから要らない」
「分かったわ」
母親が笑顔を残しドアを閉じた。
海は、スマホを手にして電話を鳴らす。
「もしもし」
<<親父戻ったか?>>
第一声がそれだったことに思わず笑ってしまう。
恐らく、心配で自分からの着信を待っていたのだろう。
「まだ。……22時にならないと戻らないって。しかも話があるからとか前置き付き。嫌な待ち時間だよ」
<<寝ちまえば? 俺ならそうするけど>>
「出来たら苦労しないよ。……あ、飛鳥おじさん留守? 翔と花奈はいいの?」
<<今はそんなこと気にしなくていい! あいつらは好き勝手してっから>>
「……うん。ありがとう」
<<——なんならよ、親父との会話、俺に繋いで聞かせろよ>>
「は? そんなこと無理だから……っ。飛鳥は本当、いつも凄い事思いつくよね……」
<<ははは。お前に何か言いやがった瞬間、電話口から怒鳴ってやろうかと思ってよ!>>
「……滅茶苦茶だな、もう」
馬鹿らしい。でも、暗い気持ち一色だった心が嘘みたいに軽くなっていく。
それから暫く、どうでもいい話なんかをだらだらして時間を潰していると、時刻が21時を過ぎた頃、下から会話が聴こえてきた。
「……飛鳥、予定より早く戻ったみたいだ」
<<そうか。……じゃあ、後でちゃんと報告しろよ>>
「うん。行って来る」
海は飛鳥との電話を切って、ドアを開け確認すると下へ降りた。
リビングで母親の淹れたコーヒーを飲んでいる姿が違和感この上ない男に、海は声を掛ける。
「……お帰りなさい。お仕事、お疲れさまです」
「おう、海か。こっちへ来い。話がある」
「……うん」
向かいに座ると、徐に、父誠は鞄から資料の束を出して見せた。
「これは……?」
「お前の留学先だ。どこでもいい選べ」
「え……っ?」
言葉にならない海に代わって、様子に気付いた母が誠に意見する。
「あなた……、いきなり過ぎませんか……っ? 海が戸惑っています」
「何を? 海は、鳴瀬家の跡取りだ。いずれはこの道が待っている。そんなこと、前から解っていることだろう」
「ですが……っ」
「……登和子、黙っていてくれないか? お前が間に入るからいちいち話が止まるし、海が自分で意見しなくなる。それでは、将来が非常に不安だ」
「だったら、私が言わなくても、海の気持ちをもっと察したやり方をお選びになってください」
「海の気持ち……? 何だ?」
「だから!」
「——父さん、俺はまだ、鳴瀬を継ぐと決めたわけじゃないです」
「何だって……?」
海の言葉に、誠は耳を疑っているような顔をしながら声を震わせる。
「俺は、確かに鳴瀬の人間だけど、もっと自分の将来について考える時間が欲しい。今のうちから一つに絞って、進むレールを父さんに決められたくない」
「な……っ。お前は鳴瀬家の人間なのに、一体他に何がある!? 今更そんなことを言って、許されるとでも思うのか!?」
「俺は別に、この家を軽んじているわけじゃない。父さん達がしてきたことの偉大さも解っているつもりだよ。……けど、俺は鳴瀬家の人間である前に、まだ16の学生だよ。みんなと同じように、社会人になったら何がしたいとか、色々……一度サラにして考えてみたい。言われるまま進んだ先で、後から継がなければ良かったって、後悔したくないんだ!」
「このっ、大馬鹿が……っ!!」
「あなた……っ!!」
母が止めに入ろうとした時には遅く、誠の振り上げた拳は、海の顔に入った。
「……っ」
「海……っ!!」
母が駆け寄ろうとするが、その間にも父は海の胸倉を掴みあげる。
「お前はまだ解からないのか!? この家に生まれた時点で、そんなことを思うことが如何に、愚かな真似だということが!! 今の言葉を会長の……お前のお爺様の前で言ってみろ……っ、とんでもないことだ!!」
「やめて下さい……っ!! 息子にすることじゃありませんよ!!」
「……こんなことならもう1人くらい、息子を作っておくんだったか……。1人しかいない男だっていうのに、とんだハズレ籤だ」
「あなた……っ、海に謝ってください!!」
非道な言葉を吐き捨てた誠に登和子が言い放つが、海は最早、悲しみ憤りすら通り越し冷静だった。
「母さん、俺は平気だから気にしないで。そんなに怒ったら、血圧が上っちゃって大変だよ。お医者さんに言われたでしょ」
「海……っ」
「……ずっと考えていました。鳴瀬を継ぐ以外の自分に、果たして価値があるのか。それを昔から自問自答してきた答えが……今、ハッキリしました」
海は部屋へ戻りスマホと少量の荷物を手にし、再び降りて来ると言った。
「暫く留守にします」
「海っ、あなた何処へ……っ!?」
「母さんゴメンね。連絡はするから」
母親に申し訳なさげに微笑むと、海はゆっくりと玄関の扉に手を掛けた。
「海、待ちなさい。海!!」
誠が呼び止めたが、海が声に振り返ることは無かった。
・・・・・・
海との電話が終了して30分も経たないチャイムの音に、飛鳥は胸騒ぎを覚えた。
「「おにいダレ~?」」
「俺が出るからお前らはそこに居ろ」
飛鳥は弟と妹に言い置き、ドアへと急ぐ。
予感は的中してしまい、立っていたのは綺麗な顔を痛々しく腫らした海だった。揉めるかもしれないとは思ったが、コレは予想外だった。
「夜遅くに、押しかけてごめん」
「良いけど……お前、それ……っ!?」
「無謀な賭けに出た結果、かな」
「……何をした?」
「簡単に言うと、あの人に喧嘩売った。……いきなり資料見せて留学しろって言われたから『まだ継ぐって決めたわけじゃない。進むレールをあなたに決められたくない』って、正直な気持ちを伝えたんだ。そしたらこの様。——おまけに……、俺はハズレくじ。もう1人、跡継ぎを作れば良かったってさ」
「……あの野郎、俺が今からぶっ殺しに行ってやる」
静かだが、完全にキレた飛鳥を海は慌てて押しとどめる。
「いや、行先を知られたくないんだ……っ。出来れば、何もしないでほしい。……その代り、悪いけど暫くの間、ここに置いてくんない……? 他に行先なくてさ」
そう言って無理矢理笑みを作る海の肩を、少々乱暴に掴みながら飛鳥は言った。
「当たり前だろう。俺に黙ってどっか行ってみろ。俺が、お前を殴り飛ばすからな!」
「それは……嫌だな。親父よりお前の方が容赦なさそうだし」
「分かってんじゃねえか」
シシっと笑う飛鳥に、海は眉を下げて苦笑した。
良かったよ。正解を選んで来て、と。
翌日、海は空達に事情を大まかに話した。
「え、じゃあ……海、家出中ってこと?」
驚く空達に、向かい合う海は頷く。
「……うん」
「こいつ、今俺ん家にいるから」
飛鳥がクイと親指で海を指す。
「飛鳥には迷惑かけるけど、俺……あの人と今会う気無いから。痺れ切らしてまたどっか行くまでは、絶対に帰らないつもり。ま、こんな奴、もう要らないかもしれないけどね」
「——おい。いくら腐っているからってそんな言葉吐くな。俺に殴られても良いのか?」
「……悪かったよ。でも、事実だし」
ギロッと睨む飛鳥に、海は思わず身体を退きながら謝る。
空は海の話に胸が張り裂けそうだった。
どうして、本当の父親なのに、実の子供にそんな言葉が言えるのだろう。それに顔の痣まで……。
海は色白なので痣がすごく悪目立ちしていた。飛鳥の家に救急箱が無かった所為もあり、冷やす以外そのままにしていた海の顔は、かなり人目を引いた。
「おい、鳴瀬その顔どうした」
案の定、加瀬が海を呼び出し、事情を説明すると彼は厳しい顔になった。
「……なるほど、そう言う理由か。親御さんが口ごもるわけだよな……」
「え……っ、学校に連絡があったんですか……?」
驚く海に、加瀬は側にあった出席簿で頭をぺしっと軽く叩いた。
「馬鹿か。息子が喧嘩したまま夜に家を出て行ったら、そりゃ心配するだろうが」
「……でも」
「お袋さん、泣かすんじゃねえよ。お前男だろうが」
加瀬の言葉は何より胸に刺さった。海は母の姿を思い浮かべながら、加瀬へそっと訊ねる。
「……すみません。その、母は何て言っていましたか……?」
「恐らく、立谷君の所にお世話になっているとは思うんですが、学校へ来たら今どうしているのか知らせて貰えませんか、ってな」
「そうですか……」
「で、立谷の所に居候してんのか?」
「はい……。でも、長居は出来ないと思っています」
海が俯きながらそう言うと、加瀬は溜息を吐いて告げた。
「お前、今日から俺ん家に来い」
「……え?」
「いくらなんでも、事情を知った以上、あいつの家にそのまま居させるのはな……。立谷の気持ちは解かるし、お前らが揃ったところで馬鹿な事をするとは思っちゃいねえが、校長は良く思わねえよ。お前の親もな。……だから、立谷に気を遣ってまた勝手にどっか行っちまうくらいなら、俺の目の届くとこに居ろ。面倒だからな」
「……でも、先生にだって迷惑を掛けてしまいますよ?」
「お前な……、俺の仕事は、お前らに迷惑を掛けられることだろうが。餓鬼が、一丁前に大人の心配なんかすんじゃねーよ」
そう言って、加瀬はまた海の頭をポンと叩く。けれど、放るような言い方なのに、その声は優しかった。
「先生……ありがとうございます」
・・・・・・
海が家を出て早3日経った頃、HRで進路調査が行われた。
「バッドタイミングだろ。加瀬の馬鹿野郎」
「飛鳥、聞かれても知らないよ。それに、これは先生の所為じゃないよ。来年になったら進路を見越したクラス替えが行われるんだから、事前調査はあるって」
「だからってよ……」
「いや、紫の言う通りだし、俺は逆にいい機会だと思う」
プリントを見つめたまま静かにそう言ったのは、誰でもない、海本人だった。
「海君……、あれからも先生の所に居るの?」
空の問いかけに、海は笑顔で頷く。痣と腫れもだいぶ分らなくなった。
「うん。先生は、とことん気が済むまで戦えって。有り難いよ」
「そっか」
なら安心と安堵する空の隣で、飛鳥は調査用紙を飛行機に折りたたみながら顔を歪める。
「俺ならムリだぜ。四六時中教師とマンツーなんて、地獄絵図だ」
「けどお前は、そっちのほうがいいんじゃねえか? 見えたぞ小テスト……27点」
「望夢てめえ……っ、勝手に人の点数見んじゃねえよ!!」
「——何だ、お前にも少しは羞恥心があったか」
望夢に気を取られ、全く背後し忍び寄る気配に気付かなかった飛鳥は、突然聴こえた声に悪寒を感じた。
「あ……加瀬……っ」
「俺は1人増えるくらい全然構わないぞ。つーか、鳴瀬は手が掛からねえから、お前にみっちり、じっくり……教えてやれるしな?」
「い、いや……遠慮しとくぜ……っ!!」
「遠慮は要らねえ。——何なら、鳴瀬と俺の、2:1でも良いかもな?」
「や、止めてくれぇえええ~!!!」
恐怖に震えた飛鳥が空に助けを求めて縋り、それを望夢と紫に、容赦なく引き離されているという光景を前に、海が隣の加瀬に訊ねる。
「……すみません。色々聞こえていましたか?」
「ああ、しっかりと。あいつは、もっと自声のデカさを自覚するべきだな」
「あはははっ」
「ま、立谷は立谷なりに、自分が唯一してやれることが無くなったと思って、歯痒いんだろうよ」
「……解かっています。でも、俺は……先生がああ言ってくれて助かりました」
「ん?」
「いつもは強く当たってますけど、本当は……俺は、昔からあいつに助けて貰ってばかりなんです。それなのに、何一つ返せていないから、正直……これ以上、貸しを増やしたくなくて」
自分がどんどん情けなくなっていくので。
そう言葉を重ねると、加瀬は飛鳥に顔を向けたまま言った。
「ふーん……。俺には深い事は解からんが、思ったままに言わせてもらうなら、お互い様なんじゃねえか? きっと、あいつだって、聞けばお前と同じようなことを言うと思うけどな。——お前らはまだ若い。今は、格好とか関係なく、互いの傷や汚れをどんどん見せ合え。晒せ。どれだけ無様にすっ転ぼうが、肩組んで一緒に歩けば、可笑しくなって笑えるもんだぜ。……心配しなくても、大人になったら、嫌でも取り繕うことばかりだ」
「先生……」
「あ、放課後寄り道してもいいが、俺を思ってくれるなら補導される前には帰って来いよ」
「……はい、分りました。なるべくそうします」
「なるべくかよ」
気持ちが軽くなった海の言葉に、加瀬も笑みを浮かべながら他の生徒の元へと歩いていく。
その背中を見ながら、海は心の中で頭を下げた。
「海、加瀬と何話したんだ?」
「ちょっとね」
望夢に訊ねられた海は、さっきとは違った表情で進路調査用紙を見つめた。
・・・・・・
放課後、少し見たい本があり、4人を待たせて本屋に立ち寄った海は、そこで思いもしない相手に遭遇した。
「鳴瀬?」
「龍崎……」
ついこないだ再会したばかりの、小学校の時の同級生龍崎雅哉だった。彼は辺りを見回すと、海に訊ねてきた。
「飛鳥は今日は一緒じゃねえのか?」
「……居る。みんなと近くの店で待ってるよ」
応えると、雅哉は口元に嫌な笑みを浮かべた。
「なあ鳴瀬……マジでお前って、ゲイ?」
「は……?」
「だってよ、昔から飛鳥にベッタリで、俺が何度脅そうが殴ろうが、お前、絶対に飛鳥から離れなかっただろう。しかも一時期、マジで噂たったしよ」
「ふざけんなよ。誰の所為だと……っ」
そう言うと、雅哉は可笑しそうに笑みを浮かべた。そして、
「——じゃあ、違うってんなら……お前は、飛鳥の【寄生虫】だ」
笑みは絶やさずに、圧し掛かってくるような低い声で言った。
「……っ」
【寄生虫】その容赦ないワードに、海の心が抉られそうになった時だった。
「海君に謝ってください」
「えっ……空ちゃん?」
望夢達と一緒に居た筈の彼女が此処にいることに、海は驚いた。
「なに、あんた?」
「私は、海君と飛鳥君の友人です」
「ああ……そういえば、こないだ会ったときにも居たっけ。……でも、飛鳥は女嫌いのはずだぜ」
「はい。でも私は、飛鳥君と友達です」
「へえ? ……あの、飛鳥がねえ。まあ……でも、頷けるか。あいつ、昔から虐められっ子とか、放っておけない所あったし。あんた、モロそんな感じだろ」
雅哉は、空のことを上から下までみると、明らか馬鹿にしたような笑みを浮かべながら言った。
この姿をカメラに収め飛鳥にみせてやりたい衝動をグッと抑えながら、海は冷静に頭を働かせる。今は自分の想いより、彼女をこの男から遠ざける方が最優先だ。
「空ちゃん、もう行こう」
「うん。——海君は、もうこれ以上、こんな人の言葉を聞く必要ないよ」
「え……っ?」
一瞬、耳を疑った。
あの優しくてどんな時も笑っているような少女が、怒りに声を震わせていたのだ。
てっきり自分は、雅哉の心のない言葉に傷ついているのではないかと思っていた。
「おい……今、何つった?」
「あなたの様な、他人を蔑んでしか見られないような人の言葉を、これ以上聞く必要は無いと言いました」
「この女……っ!」
雅哉が掴み掛かろうとしたのを見て空をその背に庇うと、海は先ほどとは比にならないほど鋭く、怒りを込めて彼を睨み付けた。
「……お前って、何年経っても中身が成長してないんだな。自分より弱そうな存在にはそうやって、力でどうにかしようとするところ」
「黙れ!!」
「言っておくけど、お前が考えている以上に、この子は飛鳥にとってすごく大事な存在なんだ。もしもこの子に手を挙げれば俺は飛鳥に伝えるし、そうなれば、確実にあいつは黙っちゃいない」
「何……?」
「これは脅しでも何でもないからな」
「……っクソが!!」
雅哉は悔しそうにギリっと歯噛みし、海にぶつかりながら、2人の横を通り過ぎ去って行った。
「空ちゃん……だいじょ」
「海君、大丈夫だった!?」
「え……っ、あ、うん。どちらかと言えば、空ちゃんが平気……?」
まさか、空の方から気遣われると思わず驚くが、本当に彼女は平気そうだった。それどころか、小さな手で拳を握ると、怒りを露わにしながらこんなことを言った。
「私は、あの人に対しての怒りでいっぱいで、それどころじゃなかったから!」
「え……空ちゃん、やっぱり怒っていたの? 俺のことなのに……」
「だからだよ!! 私は、あの人がどういう人かはちゃんと知らないけど……っ、大事な友達をあんな風に言うなんて許せない。それに、この場に飛鳥君がいたら絶対怒っていた筈だから、飛鳥君のぶんも、私が怒ってやろうと思って!!」
ふん!と、鼻息を荒くしながら言う空の姿に、思わず笑ってしまう。
口元を手で隠しながら見ていると、視線に気づいた空が遠慮気味に訊ねてきた。
「えっ、どうしたの……?」
「ゴメン。空ちゃんは真剣なのに……その、嬉しくて」
「嬉しい……? 良かった……っ。つい図々しい真似したから、怒ったかもしれないなって、ビクビクしてた」
「えっ、嘘……あの、怒っていないからね?」
「うん。笑顔が見られたからもう安心してるよ。へへ」
「……空ちゃん、本当にありがとう」
空の笑顔を見た瞬間、海も心から胸を撫で下ろすことができた。しかし、そう思ったのも束の間、空が不安げに聞いて来た。
「……海君、龍崎って人とは昔からあんな感じだったの? 飛鳥君はこのこと知っている……? だって、もし知っていたら、曲がったことが大嫌いな飛鳥君が、あんな人と友達でいる筈ないと思うんだよね」
やはり、彼女は気付くと思った。まあ、あそこまで態度が違っていれば、怪しまない方がおかしいだろうが、海は少し考えた後、空に静かな声で告げた。
「あのね、空ちゃん……今の、龍崎とのこと、出来れば……飛鳥には黙っていて欲しいんだ」
「え……?」
「ごめんね。空ちゃんは嫌な思いしたのに、こんなこと言うのはどうかと思うけど……」
「うーうん……っ。それはいいけど、私は……海君が心配だよ。どうして、飛鳥君に黙ってるの?」
飛鳥に話せば、絶対に雅哉は海に何も言わなくなるはずだ。
そう思うのに、海はそうはしようとしない。
「……確かに俺にはあんな感じだけど、龍崎は、飛鳥のことは友達だと思っているし、飛鳥も同じだからさ。俺の都合で2人の仲まで壊すのもね」
「海君本気……っ? 飛鳥君は、龍崎君が本当はどんな人か知らないからだよ! 裏で海君をあんな酷いこと言って傷つけているって知ったら、飛鳥君は龍崎君と仲良くしたりなんてしないよ! 海君の方が大切なはずだもん。絶対!!」
「空ちゃん……ありがとう。でも、ごめんね。……あと、今日はやっぱり帰るよ。悪いけど、あいつらに伝えておいてくれる?」
「海君……」
「俺は大丈夫だよ。ほら、望夢たちが待っているから空ちゃんは戻って。ね?」
海はそう言って笑顔を残し去って行った。空は、海の後ろ姿を泣きそうになりながら見送った。
このままじゃ、海の心がどんどん傷付いていくように思える。どうしたらいいのだろう。
・・・・・・
「——あれ? 空、海は?」
1人で待ち合わせの店に現れた空を、3人が不思議そうに見る。
「……今日は帰るって」
「え? 用事?」
目を丸くして訊ねてくる紫に空は頷く。
「うん」
「空、海と何か話したんじゃねえのか?」
そう訊いてきたのは飛鳥だった。きっと何かを察したのだろう。
でも、約束した以上言えない。
「別に、何も話していないよ」
笑って言うと、飛鳥は何か言いたそうだったが、それ以上は聞いてこなかった。
「空、本当に海と何も話さなかったのか?」
帰り道、空を送ってくれる望夢が訊いてきた。
「……ねえ、望夢君ならどうする? 大切な人の為に、自分の大切な人が……何か、辛いことを我慢しているって知ったら」
「そうだな。難しいけど、俺なら……待っていてもその人が相手に打ち明ける気配が無いのなら、例え嫌われても……、伝えるかな。——だって、自分の為にずっと我慢を強いて来たと知らずにいるのは、そいつにとっても辛いことだろ」
「……そうだよね」
言葉を受けて考え込む空の様子に、望夢は暫く考えたあと切り出した。
「なあ空……、お前が俺にも何があったのか話せないのは解かったけど、せめて、飛鳥には直接じゃなくても教えてやれないか?」
「望夢君……」
「俺らよりも長い時間、あいつは海と一緒に居るんだ。あいつはきっと、知らないままでいる事の方が耐えられねえと思うし、後から知った時、自分のことが許せなくなるんじゃねえかな。……俺がもし同じ立場で、紫や空がって考えたら、そう思うんだよ」
「……っ」
望夢は、何も詳しいことを話していなくても察しが付いたようだ。
彼の言うことはもっともだと、空は心を揺さぶられた。
そして、自分が今すべき一番必要なことは何かに気付き、空はあることを決断した。