届いた想い
「梨々香ちゃん、後悔しない?」
唐突に投げられた問いかけに梨々香はドキリとする。
「何が?」
「きちんと、自分を繕わずに、本心から想いを伝えないで……好きな相手を自らの手で傷つけて、後悔しないで……苦しまずに居られる?」
「……好きじゃないわよ。それにもう、どうでもいい」
「いいわけない!!」
「は……っ?」
「いいわけないじゃない。みんなが言う通り、飛鳥君……死んでいてもおかしくなかったんだよ? 好きな人をそんな怖い目に遭わせておいて、どうでもいいで済まされるほどの想いなわけないでしょ!! 苦しいくらい、憎みたくなるほど、本当に好きだったんだよね!?」
逃げられなかった。自分より明らかにか弱そうな子なのに、本気で、真っ直ぐ強く見つめてくるから。
初めから解っていたのかもしれない。認めたくなかったのかもしれない。立谷飛鳥は、自分みたいな女を好きになんてならない。女嫌いだったとしても、ただ、自分が、醜いだけ。
この少女のように真っ直ぐぶつかりたかった。彼の前で、虚像の自分じゃなくて、本当の自分でいたかった。純粋な想いを伝えて、可愛いと思ってもらいたかった。
それなのに、相手と向き合うのが怖くて、いつのまにか傷つかないように相手を傷つけて、自分を守ることにばかりに頭が支配されていた。
本当は、歩道橋から落ちて救急車で運ばれたって聞いたときは恐かった。
神様に、生まれて初めて、彼を助けてほしいと本気で祈った。無事に復学したって聞いた時には、心底良かったと思った。
苦しい。辛くて、泣きたくなるほど、君が好きと。本当は、本当はずっと、たった一言を伝えたかった。
好きな人の前で、彼女の様な女の子でいたかった。
「う……っ、うわあああああああ!!!」
崩れ落ちる寸前、空は梨々香を抱きしめた。そのまま、一緒に床に座り込む。
梨々香は、赤ん坊が感情のまま訳もわからず泣くように、泣き喚いた。
泣けば許されるなんて思っていない。でも、涙と一緒に、心の中を黒く覆う汚い感情を全て流し落として、泣き果てたときには、今度こそ好きな人の前で、嘘偽りのない自分になりたかった……
・・・・・・
「大変だったな。でも、俺の出番が回って来るような事態は避けられたか」
「はい」
目の前で安堵の笑みを浮かべる加瀬に、望夢は頷いた。
「話を聞いていた時はちょっと、いやかなり……冷やりとさせられたけどな」
「……すみません。それでも、最後まで俺らの願いを聞き届けて頂いて、本当に感謝しています」
そう言ったのは、望夢の隣に立つ紫だった。
2人は今、騒動の終結を報告するべく、加瀬に呼ばれ進路指導室へ来ていた。
「あいつ、小鳥遊は……他人のこととなると、誰よりも大胆な行動に出るやつだな」
「はい。俺たちも一緒に居て、驚かされることばかりです。でも、そんなところが尊敬しますね」
「そうだね」
紫が同感と微笑む横で、望夢は少し前の事を思い出していた。
『今から笹森梨々香を紫が呼びに行く。奴がここへ来たら、俺のスマホで加瀬に繋いで、こっそり会話を流す』
『え……っ?』
事前に紫たちとは決めてあったことで、後は空に話すだけだったが、当然彼女は驚いていた。
『先生に……?』
『ああ。最悪の場合を想定して、あいつが何も口を割らなかった場合、しらをきっても大丈夫な保険だ。いくら校内用のマイクで流すと脅しても、実際しなければ奴は態度を変えることは無いかもしれない。でも、加瀬に繋いで、万が一のときそれを加瀬が校長に報告すれば、あいつは完全に終わりだ』
この時既に、望夢たちは突き落とした実行犯である梨々香の従兄弟から自白を引き出し、笹森梨々香という少女の本性を知っていた。
彼女がどれだけ強気の態度に出るか分らない以上、こちらも切り札が必要だという判断だった。
『……でも、そうなったら笹森さんは、この学校で居場所がなくなるってことだよね……っ?』
『ああ、そうだ。けど、あいつがしたことってのは、そういう事だろ?』
『……うん。そうなんだけどね……、でも……それでいいのかな……』
『空……?』
『私が間違っているのかもしれないけど……っ、でも、沙梨ちゃんのことを思い出しちゃって……。沙梨ちゃんは、私のことがあってだけど、有馬君によって転校することになって、再会するまでの長い間、私や有馬君のことを憎み続けていた。それを思うと、罰を下すことも必要かもしれないけど、彼女の心が変わらなければ、何も解決したことにはならない気がして……っ!』
『……分った。じゃあ、もしあいつが俺らの前で自分のしたことを認めて、心から反省を述べたら、加瀬には、校長に報告するのは止めてもらえるよう頼んでみる』
『本当……!? ありがとう……っ!!』
正直なところ、望夢達は彼女が改心することは無いと踏んでいた。
空は人が良すぎるから、相手の立場になって考えてしまうことが多い。確かに、それで自分達は沢山彼女に救われたし、変わっていった人間だっている。
だが、相手が悪すぎる。きっと、最悪な事態はある。
彼女は傷つくだろうが、人間だれしもが心を入れ替えられるわけではない。——筈だった。
『みんなは何もしないで!!』
自分達がもう駄目じゃないかと思ったときに、空が放った一言には、正直鳥肌が立った。
ギリギリまで彼女は、笹森梨々香が変わるのを諦めようとしていなかった。
笹森梨々香に対し、空は立ち向かった。と、言うよりは正面から向き合ったのだ。そして、丸ごと包み込んで、変えた。
『……本当に、ごめんなさい。信じて貰えないかもしれないけど、あんな事態にまでなるって思わなかった……っ。もう二度と、あんな真似しないから』
笹森梨々香が泣き腫らした目で、空を始め、自分達に頭を下げた姿が今でも焼き付いて離れない。
「マジで……凄い女です。あいつは」
「お前、女見る目あるな」
加瀬が言うと、望夢はホントっすねとお道化たが、心からの言葉だった。
・・・・・・
その頃空は、飛鳥と一緒に屋上に居た。
『空……ありがとうな。返事、ちゃんと今のが片が付いたら、そしたら……聞かせてくれるか? ……いつでもいいからよ』
彼との約束を果すためだ。
「……飛鳥君、私ね、飛鳥君と初めて出会ったときちょっと恐くて……、本当に友達になれるのか、正直不安しかなかったです……」
「だろうな。お前が俺を警戒してんの丸わかりだったし。俺も、会った直ぐのときは、こんなマジメで地味女と俺らがダチとか冗談だろって思った」
「うん。でも……、実際の、本当の飛鳥君はとっても熱くて、明るくて、何よりも仲間想いで優しくて、一緒にいるうちに、すごく大好きになりました」
「……おう。俺も、お前は、ただのマジメで地味女じゃなくて、実はガッツがあって、どんな奴より器がデカくて、いい奴だって分った。……だから、気が付いたら自分でもビビるほど、すげえ好きになってた」
「……っ、本当に大好きだけど、私は……っ、飛鳥君とずっと友達でいたい」
鼻がつーんとした。口を開くと熱いものが同時に込み上げそうになるが、今は我慢しないといけないと必死に堪えた。
泣いても自分が救われるだけ。泣いてはいけない。
「……俺が好きって言ったとき、どう思った? 迷惑だったか?」
「驚いたけど、本当に……心の底から、嬉しかったよ!!」
空は、今出来る最大級の笑顔で飛鳥に伝えた。
すると、飛鳥も笑った。
「……そうか、それが聞けたらもう充分だ。空、ありがとうな、ちゃんと言ってくれて。困らせたとは思うけど、俺……初めて好きになった女がお前で、マジで良かったわ!!」
初めて?
その言葉に、ギリギリまで我慢していたものが溢れ出た。
「……っ、わ、私も……っ。告白してくれたのが……っ、飛鳥君で良かった……っ!!」
「ははは。サンキュ。……じゃあ、望夢が待ってるだろうし、もう行けよ。な?」
「……うん」
飛鳥に促され、涙を制服の袖で拭った空は、背中を向け歩き出す。
「——空!!」
「な、何……!?」
突然呼び止められ振り返ると、笑顔の飛鳥に言われた。
「これからも仲間だからな!!」
「飛鳥君……っ。うん、ありがとう……っ!!」
空は、彼の言葉に手を大きく高く上げて笑顔で頷いた。
「……はぁ。カッコつけてみたけど……やっぱ、キツイな」
冷たい秋風を背に呟いた時、背後に気配を感じる。
「お疲れ」
「……当然、お前か」
ふり返った先に立っていたのは予想通りの人物で、驚くこともなく会話が始まる。
「初恋か。……あ、でも失恋だから、失恋記念?」
「は……っ? お前……」
「何?」
「人の失恋を祝う気かよ……っ」
どこの鬼だ。そこまで言うと、こっちの立場が悪くなるので止めておく。
しかし、彼から返ってきたのは、予想もしていない言葉だった。
「飛鳥が大切に思える女性に出逢えて、彼女によってまた一歩変われた記念」
「……それなら、悪くねえかもな」
女嫌いのはずだった自分が、初めてすごく好きになれた女。
実りはしなかったが、自分が足掻いたことは何も無駄じゃなかった。彼女はこれからも、自分の大切な存在には変わりないのだから。
「……海、ありがとな」
「何が?」
結果だけに囚われて、自分の中で大事にするべきことに気が付いていなかった。それに気が付けたのはこの男のお陰だが、口にするのは照れくさかった。
「……別に」
「エ〇カ様か」
「飛鳥 さ「さて、帰るか」
「ぅオイ!!」
結局、こんな時でも、いつも通りの展開に肩透かしを食らう。
それでも、自分はこれが合っている。湿っぽいのは御免だ。
そのことを誰よりも知っている存在に、感謝しかなかった。
・・・・・・
その後暫くして、笹森梨々香が空の前に現れたのは突然のことだった。
「……ちょっといい?」
「はい」
体育が終わった後で、教室に戻ろうとした時声を掛けられた。
正直、緊張しないと言えばウソになるが、彼女はもう今までの彼女で無いことは誰より空が一番感じていた。
体育館裏に移動すると、彼女は立ち止まった。
「笹森さん?」
「こないだは……本当にごめんなさい。それと、ありがとう。あたし、あなたがあの場に居なければ、今頃学校辞めさせられていた筈だから。……当然だけど」
「笹森さん……」
「あたし、自分でもどう思っているか、何をしたいのか分からなくなっていた。今思うと、狂っていたのね。でも、こんなあたしの心なんて誰も興味なくて、見かけばかりに集まって来た。……中学の頃ね、一部の女子にハブられたの」
「え……っ?」
「自分で言うのもなんだけど、その頃からモテていて、ある日あたしは、当時一緒に居たグループの1人が片思いしていた男から告白されたの。あたしはキッパリと断ったのに、何故か告白をされたってことで責められて、その日から幼稚な嫌がらせとか、ハブが始まった。『梨々香といたら男を取られる』って。それからは、外面だけ良く振る舞って、他人を信じられなくなった」
「笹森さん……」
「ある時偶然ね『もしあいつに好きな男が出来たら邪魔をしてやろう』って、メンバーが話しているのを聞いてしまった。ショックより、怒りを覚えた。逆恨みもいいとこじゃないって。その時から、絶対に本音を言うもんかって、ますます嘘の自分を作った」
「ずっと、独りで戦ってきたんだね……」
空が何気なくそう声を掛けた時、彼女の目が見開かれた。
不快な思いを与えただろうかと思っていたら、彼女の目から流れた涙に驚く。
「え……っ、笹森さん……!?」
「戦ってきた……か。ずっと、自分は馬鹿な真似をしてきたのかもって考えていたから……何だか……嬉しくて」
「そうだよ。今のは褒め言葉と言うか、頑張ってた中学の笹森さんへ敬意を込めました。笹森さんの全てを今の話で理解できたわけでは無いけれど、私も……中学時代は色々あったから。独りって、慣れている様に思えても、本当はずっと寂しいから」
「小鳥遊さんって……不思議な人だよね」
「不思議……あ、変?」
「自分で言うの? あはは。……小鳥遊さん、あたし、あなたともっと早く出逢いたかったな。今回のことで、すべて失うと思った。恋だけじゃなくて、日常も、何もかも。……だけど、小鳥遊さんのお陰で今の自分と、変わらない日常が有る。このことは、あたし一生忘れない」
「私は何もしていないよ。でも、してしまったことはなくならないし、変えられないけど、自分次第で、未来はどんなふうにでも変えて行けると思う。今の笹森さんなら、きっと大丈夫だよ。もし私で良かったら、力にもなるから!」
「小鳥遊さん……っ。もう……あなたって、どれだけお人好しなわけ?」
そう言うと、梨々香は呆れたように笑いながら涙を拭った。
「空!!」
梨々香と別れ、今度こそ教室へ戻ろうとしていると向かいから望夢・紫・海の3人が走ってくるのが見えた。
「みんな……どうしたの?」
とても焦った様子に心配になると、望夢が空の両肩に手を置いて聞いて来た。
「笹森梨々香に呼び出されたって……っ。何も無かったか?」
「それで……? うん、大丈夫。こないだのことを改めて謝りに来てくれたの」
「そうか……良かった」
「みんな、心配かけてごめんね。わざわざ来てくれてありとう」
「当然だろ」
望夢が笑顔でそう言いながら空の頭に手を置く。その時、一緒に笑っていた空はある事に気が付いた。
「あれ……、そういえば、飛鳥君は?」
すると、望夢は初めて気が付いた様子で辺りを見回す。
「あれ、あいつ居なかったのかよ」
「やれやれ。気が付いていなかったとは」
「飛鳥なら、途中でちょっとトイレって抜けたけど」
「は? こんな時にマジで意味不明だなあいつ」
望夢は気が付いていなかったが、彼の後ろにいる海がこちらにチラっと目配せしたので、もしかしてと、空は先ほど梨々香が歩いて行った方を見つめた。
・・・・・・
「おい、待て」
前触れなく聴こえた声に、心臓が飛び出るかと思った。
「……た、立谷……君」
「お前、空に何もしてねえだろな?」
自業自得のくせに、キツく睨まれた瞬間苦しくなった。
「……信じて貰えないかもしれないけど、本当に反省しているから何もしていないわ。少し話しただけ。改めて、謝りたかったから」
「ならいい」
「立谷君にも、改めて……謝らせて。……本当に、馬鹿な真似をしたって思ってる。ごめんなさい」
許してもらえるなんて思っていないけれど、せめて、本当に心から謝りたいという思いが伝わればいいと、深く頭を下ろした。
暫く、何も語られない時間が流れたとき、漸く、声が聴こえた。
「俺はお前のしたことを許すことも、忘れることもしねえけど、好きだと思っている奴の言葉がどれだけ偉力があるか……受け入れられねえことがどれだけ辛いのか、自分にもそういう存在が出来て、初めて解った気がする……。だから、お前があれだけのことをした責任を少し感じている。……悪かったな」
「……立谷君」
一体何が起こっているのか、衝撃が大きすぎて何も言葉がみつからなかった。
でも、今こそ言えることもあるのかもしれない。
飛鳥が踵を返して去ろうとするのに気が付き、慌てて呼び止める。
「待って!」
「……何だよ? 文句か?」
「ちが……っ。……本当は、あんな汚い言葉を浴びせたいわけじゃなかったの……っ。最初は純粋な想いしかなかったのに、傷つけられるのに耐えられなくなって、自分を護るうちに、だんだん嫌な奴になっていった……。こんなの、好かれるわけないって頭では解っていても、止められなくなって……。だから、これが最後だから、言わせて下さい……っ! ずっと、本当に、好きでした……っ!!」
気持ち悪がられても、最後にどんな言葉を残されても、もういい。
覚悟を胸に、震えそうなのにグッと耐えて言葉を待っていると、長い沈黙の後、声が発せられた。
「…………俺は、あいつが特別だっただけで、まだ女は嫌いだ。けど、お前……前よりちょっとは、マシになったんじゃねえの」
「え……」
「もっと、素を出せよ」
そう残し、今度こそ飛鳥は梨々香の前から居なくなった。
1人呆然と立ち尽くす梨々香の目には、涙が溢れた。
「……ズルい」
これが最後にするって言った後に、あんな言葉残して行くなんて。諦めきれなくなるじゃない。
でも、せっかくくれた言葉を無効にしないために、前を向かなくては。
「……よし」
やがて、梨々香も涙を拭うと、前を向いてゆっくり歩き出した。