対決の時
「海」
歩道橋の前に佇む海の後ろで声が聴こえた。
「……望夢、紫」
「飛鳥、目を覚ましたぞ。……それと悪い、問い詰められたからお前のこと喋っちまった……」
「そっか、良かった。……あいつのことだから力づくだったんでしょ? しょうがないよ」
「流石、よく分るな」
「はは」
2人が笑うのにつられ一緒に笑うも、あることに気が付き尋ねた。
「……そういえば、空ちゃんは?」
「ああ、空は暁さんに事情話して、車で迎えに来て貰った」
「そう……それなら安心だね。……空ちゃんには、俺が判断を誤ったせいで怖い目に遭わせちゃったな」
海がそこまで言うと、紫と顔を見合わせた望夢が口を開いた。
「そうだ、海に飛鳥からの伝言があるんだった」
「ん……?」
「『もし俺が戻った時、まだ湿っぽい顔でウダウダ悩んでやがったら、殴り飛ばすからな!』って」
「な……っ?」
目を丸くする海に、望夢がヘラっと笑う。
「今回のことはさ、みんながそれぞれ悔しいから……誰かのせいとか、俺らの中で犯人探しするのとか止めようぜ! 言い出したらきっとキリがねえし、俺らがクヨクヨして分裂なんてしてみろよ、犯人が喜ぶ以外に何が残る? ――海、俺らは立ち止まっている暇はねえだろう?」
「望夢……っ。うん、分った。明日から……っていうか、今から、犯人を見付けるために全力を注ぐ」
「おう! 俺らの力を合わせて、やれないことは無ぇ」
「犯人には、俺らを敵に回したことを存分に後悔してもらおう」
「そうだね」
望夢と紫の言葉に、海は再び奮起したのだった。
・・・・・・
翌日、飛鳥が怪我を負い入院したというニュースは瞬く間に校内を駆け巡った。
「なんか……偶然居合わせた奴の話では、救急車で運ばれていたって」
「マジか……それ結構じゃん」
「てか、何でそんな事になるの……っ? 喧嘩……!?」
「いや……実はさ、歩道橋から落ちる小鳥遊さんを庇ったらしい」
「うそ~っ!! え、じゃあ……2人は一緒に居たってこと……? やっぱり噂はほん」
「——と、じゃないから。根も葉もないこと言って拡散したら……覚悟しておいてね」
「ゆ、紫君……っ」
クラスメートたちがまた例の話をしていたところで、登校してきた紫が現れた。
「拡散するなら……今の俺の言葉の方でよろしく?」
「は、はいっ」
「す、すみません……!!」
「全力でっ、拡散しておきます……っ」
「本当? 助かるよ。ありがとう」
「「「い、いえ……っ」」」
笑顔の筈なのに、彼らは一様に凍り付いた。
「……ふう。とりあえず見える範囲での消火活動は完了、と」
「久遠、ご苦労だな」
「……先生。おはようございます」
声の先には担任の加瀬がいた。彼にも電話は入れて、病院には足を運んだのは聞いている。
「あまりお前らだけで抱えすぎるなよ。頼りなく見えるかもしれねえけど、直ぐ側に力貸せる大人は居るんだから」
「ありがとうございます。俺ら、これでも先生のことは大いに頼りにしていますよ。ていうか、先生が頼りなく見えていたらこの学校は終わりです」
「そう思ってくれているならいい。今日も時間作って行けたら様子見に行くよ」
「はい。飛鳥に伝えておきます」
「それと、進展があったら、隠さずちゃんと俺にも連絡よこせよ」
「分っています。じゃあ」
軽く頭を下げ、紫は加瀬と別れた。
教室に向かう途中、一人の少女を視界に捉える。
「……ん?」
こっちの存在には気が付いておらず、どこかを一点に見下ろしている。
視線の先が気にかかって、彼女と同じ角度に視線を下げた時目を瞠った。
紫に呼び出された望夢・海・空の3人は気持ちが急ぐあまり肩で息をしていた。
「それで、犯人がお前も分かったかもって……っ?」
屋上で、一応誰も居ないことを確認してから訊ねると、紫は頷きと一緒にスマホの画面を彼らに向けた。そこには、一人の美少女が映っていた。
「この子なんだけどさ」
「「あ、この子……っ!」」
驚かせるつもりはなかったが、反応に驚いたのは、紫の方だった。
「え? 海と空ちゃん……?」
「何でお前らが声揃えて驚いているんだよ?」
望夢の言葉に先に応えたのは、戸惑いの表情を浮かべる海。
「……この子だから、俺がみんなに明かそうと思っていた、心当たりの子」
「「「え……っ」」」
「――で、空は一緒に驚いているけど、どうした? この女、知り合いなのか……?」
「……違うの。でも……前に、1人でいるときにぶつかってしまって……っ、その時に……」
「その時にどうかしたのか?」
「……飛鳥君の……写真を持っているのを偶然見てしまって……っ。幼かったから、きっと小学生の時のだと思うけど……」
空が何とか打ち明けると、海が表情を歪めた。
「……やっぱりか」
「海君?」
「この子、実は俺らと同小なんだ。名前は、笹森梨々香。因みに、名前のかの字は香りの【香】」
「あっ……Perfume?」
紫が閃いた表情で言うと、海も肯定の頷きを返す。
「そう。最近彼女も青宝にいたって偶然知ってから少し気にはしていたんだよね。……飛鳥は昔、笹森さんを巡って同級生と激しく対立したことがあるから」
「「「え!?」」」
「笹森さんは当時、飛鳥にしつこくアプローチを繰り返していたことがあって、飛鳥がそれを無視していたら、彼女の取り巻きが飛鳥を批難しはじめて、騒動が最終的にはクラス中に飛び火してしまったんだ。でも、実はそれには裏があって……、プライドを傷つけられた彼女が、ウソ泣き演技で周りを焚き付けて、飛鳥が悪者になるよう仕向けていたんだよね……」
「うそ……っ?」
「おいおい、マジでか」
「小学生でそれが出来るって……恐ろしい子だねえ」
海の話を聞いた3人は揃って驚愕の表情を並べた。
「けど……なるほど? それなら、やっぱり納得って感じかな」
「紫……?」
「この写真撮った時さ……笹森梨々香、すごい顔で空ちゃんのこと睨み付けていたんだよね。般若みたいな。憎らしい感じ」
「え!? わ、私を……っ?」
空は衝撃を受け、それ以上言葉も出ない様子で口元を両手で覆う。
「もし笹森梨々香がまだ飛鳥を好きなら空への嫉妬心、未だにプライドを傷つけられたことによる仕業なら、飛鳥への固執した復讐心だな」
「……飛鳥も、空ちゃんに出逢ってかなり変わったしね。自分を受け入れられなかったくせに、空ちゃんへの温和な優しい態度が許せないってところかな?」
「どちらにせよ、罪は重いね」
静かに、そして普段からは想像出来ないほど低い声で発せられた海の言葉に、その場の全員が無言で硬く頷いた。
・・・・・・
2日後、宣言通り飛鳥は学校へ登校した。
「あ~退屈で死ぬところだったぜ!!」
「じっとしていなかった奴が何言ってんの?」
身体を大きく反らせながら声を上げた飛鳥に、すかさず海が鋭い視線とツッコミ。
「親父が、『あんなに落ち着きのない奴は初めてだ。二度と俺のところへ寄越すなよ』って。俺はいい気分だけどね」
日頃から破天荒な父親に振り回されている鬱憤が間接的にでも晴らせたのか、紫は清々しい笑顔を携え言った。
「それにしても……マジ、2日で舞い戻って来るとか……ゴキ〇リ並みの生命力だな」
感動するどころか驚愕、最早恐怖の域だという望夢の顔に、飛鳥は物申す。
「俺は死にかけたわけじゃねえからな!! 元々大した怪我じゃねえんだよ!!」
そんななか、1人の少女の登場で一気に空気は変わる。
「飛鳥君……っ!?」
「よう空、見てのとおり、完全復活したぜ!」
飛鳥は、事件以来車で登校をし遅れてやって来た空に、文句なしの笑顔を見せた。
「良かった~……っ」
歓んでいるものの、感極まった空の目からは熱いものが込み上げる。
すると、変わらないやり取りがまた始まった。
「あ、泣かせた」
「「うわ~飛鳥君サイテ~」」
「は……っ? ちょ、お前ら……っ!」
囃子立てる彼らの言葉に慌てふためきながらも、飛鳥は空に向き直ると、必死に言葉を絞り出した。
「……な、泣くなって! 別に死の淵から生還したって程のもんじゃねえだろうが! こいつらにも言ったけど、元から大したことねえから! 俺は昔から身体だけは丈夫だしよ! ……あ~……っ、端的に言うとだ、頼む……っ、笑ってくれ!!」
「……うん、そうだよね……っ! ごめんね! ――飛鳥君、おかえりっ!!」
涙が溢れていた空も、飛鳥の言葉で涙を拭うと、次に顔をあげた時には曇りのない笑顔を見せた。
飛鳥はその笑顔を見て、誘われるように同じく笑った。
自分は、彼女のこの顔を、笑顔を、もう一度見たかったのだと。
「——今だけ、飛鳥に花を持たせてやってよね?」
「……言われなくても、分っているっての!」
2人が微笑み合う側で、海と望夢のこんなやり取りがあったことは、側に居た紫だけが知っている秘密だ。
・・・・・・
「梨々香、聞いた? 2組の立谷君、今日復学したって!」
1-5の笹森梨々香は、登校するなり友人から聞かされた話に内心ドキッとした。
「……へぇ、そう? 元気になって良かったよね」
「うん! さおり達が教室まで見に行くって! 梨々香はどうする?」
「あたしは……いいや! ちょっと先生に呼ばれていて」
「そうなんだ! じゃああたし一緒に行ってくるね!」
「うん」
友人を笑顔で見送った梨々香の表情は、周りに誰も居なくなると一転した。
「……はぁ。あんたらとあたしを一緒にすんなっての」
教室まで見に行くけどどうするだ?何であたしがわざわざ足を運ばないといけないの?
あんたらとあたしを同等に扱うとかマジ有り得ない。レベルが違うっての!
「――ふーん。……やっぱり、中身はそういう感じか」
「は……っ? え……あなた、確か……久遠君?」
声の方を振り向けば、この校内で知らない人など居ない1-2久遠紫が立ってこっちを見ていた。
「あのさ、少し話したいことがあるんだけど良いかな?」
彼の姿は校内で何度も見ているが、今まで会話をしたことなど一度も無い。しいて接点があると言えば、それは「あの男」だろう。
「話って?」
「それは、場所を移してからね。その方が、君にとってもいいと思う」
「……分ったわ」
梨々香は、紫の後を付いて行き、やがて、体育館のステージ裏に辿り着いた。
「付いて来てくれてどうもありがとう。ここが目的地だよ」
「……一体ここで何を話すの?」
怪訝な表情の梨々香の前に、物陰から足音共に続々と人が現れる。
「それは、お前が一番わかっているんじゃねえのか」
「な……っ」
そのうちの一人を視界に捉えた梨々香は、動揺を隠すのに必死だった。
「まさか……また、てめえとツラ会わせる日が来るなんてな。胸糞悪すぎて吐き気がするぜ」
「……っ、立谷飛鳥」
傍目を惹く金髪に、獰猛な獣のような鋭い眼。この姿は忘れるわけが無い。
この男が言った言葉は、直ぐにでも思い出せる。
『お前なんか興味ねえんだよ。目障りだ。とっとと消えろ!!』
「俺は回りくどいのが嫌いだから言わせてもらう。今回のこと、全部やったのてめえだろう?」
「何のこと?」
飛鳥を睨み付け言い返すと、彼と同じくよく見た顔の3人が口を開いた。
「写真・ボイスレコーダー・2組の教室の張り紙、そして……結果的には飛鳥が怪我したわけだけど、空ちゃんを歩道橋から突き落とそうと画策したのも、そうだよね? ハンドルネーム【Perfume】笹森梨々香さん」
「俺達は君が言い逃れできないように徹底的に証拠を集めた。ネットからの情報収集は勿論、歩道橋の近くに居た人の目撃証言と目撃写真。そして、空ちゃんを突き飛ばし、飛鳥に怪我を負わせた、君の従兄の自白動画。現場近くのコンビニには監視カメラだってあった。照らし合わせれば完璧だよ。―—君は終わりだ」
「何でこんなことが出来る? 俺には理解が出来ねえ。したくもねえけど」
目の前に突きつけられた言葉通りの証拠の数々に、梨々香は悔しさで拳を震わせながら顔を歪めた。
今更ながら、失態に気が付く。この場所へ誘いこんだのは、自分を完璧に封じるため。逃げ出そうものなら、設置されている校内放送用のマイクで、今回の事件の全容を校内にいる全ての人間に流して聞かせる算段に違いない。
「……ただ、ちょっと脅かそうと思っただけ。大袈裟なのよ」
「大袈裟……突き落としたこともか?」
望夢の問いかけに、一瞥したあと、溜息交じりで答える。
「だから、脅かそうと思っただけ。まさか、落ちちゃうなんて……怪我するなんて思いもしなかったわよ。第一、やったのあたしじゃないし」
「何だと?」
「だってホントなんだから仕方ないじゃない。故意じゃないのにそんなに責められなきゃいけないの?」
「当然でしょう。落ち方が悪かったら死ぬよ? 君、殺人犯だよ」
「はぁ……っ? 何なの? 生きているじゃない……っ。脅かさないでよ」
紫のさっきまでとは全く人が変わったような冷淡な態度に背筋が凍った。
「そうだよ。生きているからこそ、今こうやって話が出来ているんだ。もし仮に怪我で済んでいなかったら……君は虚勢を張る余裕すら与えられていないよ」
「な……っ」
「冗談じゃなく、本気で、俺らはお前を野放しにしていない。想像できるか?」
海に続いて望夢の追い打ちをかける言葉に身震いが止まらなくなった。
「だって……っ、悔しくて、許せなかったのよ……。昔あたしは、そこにいる立谷飛鳥から屈辱的な扱いを受けた……。女嫌いとか言っていたくせに、……それなのに、高校に入ったら小鳥遊空を平然と隣に置いて、手を繋いだり……あげくには告白……。あたしをどれだけ馬鹿にすれば気が済むのよ!!」
「てめえは……どうしようもないクズ野郎だな。そんなことで空を巻き込んだのかよ!? 俺を気に入らねえなら、俺だけを狙えば良かっただろうが!!」
飛鳥が自分を心底見下す姿に、血が湧きたつほど怒りを覚えた。
「……だからっ、てめえてめえって、何度も呼ぶんじゃないわよ!! あたしには……ちゃんと、笹森梨々香って名前があんの!!」
「知るか!! お前みたいな奴、てめえで十分なんだよ!! はなっからこっちはお前なんか興味ねえのに……っ、くだらねえ自己満の為だけに関係ない奴巻き込みやがって!!」
「……そうね、だからあの日、小学校以来なのに、偶然廊下ですれ違っても見向きもしなかったのよね」
「は……? 何の話をしてんだ」
全く覚えていない飛鳥の反応に、今度は心がヒリヒリ焼かれるように熱くなる。
「……あんたっ、あたしのこと憶えてないの……っ? じゃあ、さっきの台詞は何!?」
「いちいち憶えてるわけねえだろ!! 海が教えてくれたんだよ。てめえが、ガキの時に俺を貶めやがったクソ女だってな!!」
「そんな……冗談でしょ? あれだけ人を辱めておいて、憶えていないって……!!」
我慢の限界だった。
心の中が、業火のように熱い、焼ける様に痛い、苦しい。
「飛鳥……っ!!」
海が叫んだ時には梨々香が駆け出していたが、振り上げた手は届くことは無かった。
「――梨々香さん、もう……これ以上はやめて!」
何故か宙で止まった梨々香の手を掴んでいたのは、あの4人でもない、小鳥遊空だった。
「……何で? っていうか、あんた……ずっとどこに居たのよ?」
「ごめんなさい。……みんなに言われて、離れた所で話ずっと聞いていました」
「へぇ? 盗み聞き? やっぱり、性悪女ね」
嘲笑と共に吐き捨てた直後のことだった。
「黙れ。てめえと空を一緒になんかしたら許さねえ」
吠えるわけでもなく、低く、刺すような真っ直ぐな声に、今までで一番打ちのめされた。
本気で、この女を想っているのが嫌って程、伝わってくる。
何で?どうしてこの女なの……!?
『梨々香ちゃんはお人形さんみたいでとてもかわいいわね』
昔から、大人にはそう言って可愛がられた。
『梨々香ちゃんみたいな女の子になれたらいいのにな』
年上の女には妬まれたけど、同い年の女子からは憧れられた。
『俺……梨々香ちゃんが好きなんだ』『笹森梨々香が女子の中では断トツ』
異性には、ずっとモテてきた。
自分でいうのもなんだけど周りから愛されてきた。望むものは大抵手に入れた。
―—なのに、立谷飛鳥は絶対に振り向いてはくれない……。
「今更出てきて何……? この男を護って、まだ株でも上げようっての」
「違いますよ。私は、笹森さんにこれ以上自分を傷つけて欲しくないだけ」
「は……? 何?」
「写真を拾った時の顔……忘れない。あの顔は、本気で恋をしている女の子の顔だった。……すっごく、可愛かった」
「馬鹿じゃないの……っ? 意味がわからない」
激しく動揺する心を悟られまいと顔を背けた時、小鳥遊空に制服のぽっけからあのケースを抜き取られた。
「ちょっと!!」
奪い返そうとしたけど、空は断固として奪わせまいと抵抗した。
掴み合いなったのを4人が止めに入ろうとしたが、信じられないことに小鳥遊空がそれを止めた。
「みんなは何もしないで!!」
小柄で、きっと彼らなら簡単にどうにでもできる少女。それなのに、彼女のたったその一言だけで、4人は動かなくなった。
歯痒そうに、でも、信じている様子で彼女を見つめている。
一体、この子に、何があるというの?