見えない悪意
まさかこんなことになるとは思いもしていなかった。
昨日の今日で望夢と登校する気持になれず、連絡を入れ空は1人で登校した。
「……怖気づくな私。決めたでしょうが」
これから教室へ行き、飛鳥に会うことを考えると後退りしたくなるが、これは自分の気持ちだけで先延ばしにしていい問題ではない。
空は自分に言い聞かせながら、上履きに履き替えるとしっかり前を向きながら階段を登った。
突然声が聴こえたのは、階段を登り切った直後のことだった。
「ふざけんな!! 誰だ、こんな真似しやがった奴はよ!?」
その声は怒りに震えているのが分った。
「この声、飛鳥君……?」
何かがあったのだろうかと、恐る恐る中へ入った瞬間、目に飛び込んでくるものに衝撃を受けた。
【驚愕1-2 小鳥遊空は、二股していた】【高羽望夢に隠れ、立谷飛鳥の家に通う姿を目撃】【この女、正体はビッチ!!】【夜の道で手を繋ぎ歩く二人】【裏切り行為!!小鳥遊は魔性の女!!】【小鳥遊の所為で大国中メンバー分裂!!】【彼女を奪い合って喧嘩勃発!!】
黒板にでかでかと書かれた文章の数々に、貼り出された空と飛鳥の無数の写真。
極めつけは、教卓の上に置かれたボイスレコーダーだった。
≪俺は……お前が好きだ≫
何故だか全く分らないが、飛鳥が自分に告白してきたときの音声がレコーダーから流れている。
「どうして……っ?」
驚きのあまり声を発すると、クラスメート達、そして飛鳥がこちらを振り返った。
空を見止めた飛鳥に焦りの色が見えた。
「空……っ」
「あ、飛鳥君……これは一体……っ?」
「知らねえ。俺が来たら既にこの状態だった……っ。クソ……っ、誰か知らねえけど覚悟しとけよ!!」
飛鳥が怒りに任せ側にあった机を思い切り蹴り飛ばす。その激しい物音に教室内が凍り付く中、複数の足音が教室の前で止まった。
「ちょっと飛鳥、朝から何を暴れて……」
紫の言葉は教室に入った瞬間、目に飛び込んで来たものを前に飲み込まれた。
後に続いた望夢と海も一瞬言葉を失った。その後、黒板を鋭く睨み付ける。
「おい、何だよコレ」
「知るかよ!!」
飛鳥はそう言うのが精一杯だった。苛立ちを拳に込めて黒板を殴りつける。
「飛鳥、怒りはもっともだけど……みんなが委縮しているから、取り敢えず席に着こう」
「……チッ」
海の声掛けで、飛鳥が自分の席に音を立てながらも着席すると、海自身も後に続いた。
「望夢、ここは俺が片しておくから。お前も、空ちゃん連れて風に当たって来いよ」
周りからは比較的冷静に見えているようでも、この男には心情が手に取るように分かっているのだろう。紫の言葉に、望夢は迷うことなく頷いた。
「分った。……空、ちょっと場所変えて話せるか?」
「……うん」
望夢は紫にその場を任せ、この中で一番不安を抱いているであろう彼女を連れ屋上へ移動した。
「空……ちょっと聞きたいことがあるんだけど、飛鳥に告られたのか……?」
≪俺は……お前が好きだ≫
あのレコーダーの声を聴いてしまったら、気になるのは当たり前だ。
空は望夢のことを不安にさせないために、昨日あったことをすべて話した。
「……うん。昨日、用事があるって言ったのは、実は……飛鳥君と約束があったからだったの。それで屋上で待っていたら、飛鳥君が現れて……それで……告白されたの」
「そっか……」
「ごめんね、黙っていて……っ。望夢君にもちゃんと話したいとは思っていたんだけど、昨日は私自身混乱しちゃって……それに、まずは飛鳥君にきちんと返事をした方がいいのかもって考えて……」
「そりゃそうだよな……大丈夫。お前の気持ちは伝わっているから」
「……写真のこともちゃんと話すね。ちょうど、望夢君が私達が付き合っていることをみんなに話した日だよ。私馬鹿だから、機嫌悪いのは自分が何かしたのかと思って、暁君が持たせてくれたおかずを持って謝りに行ったの。でも、飛鳥君のお父さんや翔君達も居て2人じゃなかったし、飛鳥君は、ちゃんと怒ってくれたの。他の男の子の家に不用意に1人で来ちゃ駄目だって。帰りのことは、私がとろとろ歩いていたせいだから……、私が色んなことに配慮出来なかったのがいけなかったの。飛鳥君は悪くないの!」
「うん、解った。心配すんな。お前のこと信じているから」
望夢は必死に訴える空に、安心するよう言い聞かせ、優しく微笑みかけてくれた。
「望夢君……本当に、ごめんね。ありがとう」
「それを言うなら俺の方こそ。……俺は、飛鳥が空を好きだってこと、気付いていた。それでも、自分の気持ちを優先してお前に告白したんだ。……だから、飛鳥の行動に対して何も言えなくって……。その結果、空に全てを背負わせる感じにさせてしまった。……ごめん」
「うーうん……っ。確かに2人とも大事だから、昨日はどうすればいいのかなって、凄く考えたよ。でも飛鳥君は、私達のことをちゃんと考えて、悩んだうえで告白してくれた。だから、私もちゃんと向き合うべきなの。今度は私が頑張る番なの!」
「空……」
望夢は空の手を引くと、彼女を抱きしめた。
「の、望夢君?」
「……ほんと、敵わねえ。お前が俺達の前に現れてくれて、本当に良かった」
「望夢君……ありがとう。みんなのくれる言葉や想いが、私に何より力をくれるの」
空は精一杯の気持ちと共に、望夢の背中に手を回して言った。
・・・・・・
その後、他の3人を屋上に呼び寄せ、今回の一件に関して話し合いを行った。
「加瀬にはこの件、誰か報告したか?」
「俺が大体のことは。ボイスレコーダーはこっちで回収したけど、張り紙とかは証拠写メだけ撮って、一応預けておいた」
望夢の言葉に軽く手を挙げて返答したのは紫。次に、海がスマホを取り出すとそれを全員が見える位置に置いた。
「青宝生徒限定裏サイト。匿名だけど、ここにも空ちゃんと飛鳥のこと写真付きで書かれている」
「はあっ!?」「うそ……っ!?」
飛鳥と空が顔を見合わせたあと、恐る恐る画面を覗いてみると、確かに、自分達が夜道を歩いている姿が映っていた。
「ある程度離れた所から撮影しているみたい。犯人はそこをうまく利用している。勝手に会話文なんかを加えたりして、見る人間の興味を誘っているんだ。おまけに【拡散希望】ときてる」
「舐めやがって!」
「青宝サイトってことは……ウチの生徒か」
「犯人は、やっぱり望夢のファンの女子かな? どちらかというと、空ちゃんをターゲットにしている感じが伺えるよね」
「けど、見た時ダメージを受けるのって、どちらかというと望夢だと思うし……、体育祭以降の望夢旋風状態に怒りを覚えた、男子の犯行って可能性もなくはないかも」
ここまでの紫・飛鳥・望夢・海の順で言った後、もう一度、紫が私見を伝え会話が止まった。すると、側で聞いていた空の口からため息が零れた。
「……はぁ」
その瞬間、4人の視線は彼女一点に集中した。
「……空、大丈夫か?」
「ごめんね。空ちゃんには気分が悪い話だよね……」
「もし居づらかったら少し離れていてもいいからね」
「そうだぜ。空はちょっと休んでいろよ」
望夢達の気遣う言葉を聞いた空は、ハッとし、大慌てで首を横へ振った。
「だ、大丈夫! こちらこそ、みんなにばかり考えさせてごめんね……っ! 折角楽しい気分で文化祭を終えたと思ったのに、凄く残念だなって思っていたらつい溜息吐いちゃって!」
「そっか。……確かにそれだよなー。水差しやがって。ふざけんな」
「許せないね」
「俺らをコケにしやがったこと絶対に後悔させてやる!!」
「じゃあ、本気で犯人探しに乗り出さないとね」
空達はこの日から、騒動を起こした悪者の正体を突き止める調査を開始したのだった。
Rainbow:ココに載せたってことはきっと青宝の生徒
だよね? 誰だろう。
黒猫:言われてみれば確かに
美人:今気が付いた(黒猫)
花*花:写真の話だけど、ビックリしたよねー。まさか二股とか!! あれって本当のとこ
どうなの? 本当に二股してんの!?
イチゴ:T君を好きな誰かが彼女に嫉妬して、やっ
たって噂もあるけど
Rainbow:やっぱガセ?
Perfume:本当だよ。ボクが撮ったからこれ。ずっと
様子見ていたけど、N.T君の彼女、A.T君に
ベタベタしてた。最低よね。
「――こいつだ……!」
サイトを見つめていた紫が声を発したことで、全員が彼の元へ集まる。
「どこのどいつだ!?」
「ハンドルネーム、Perfume」
「多分コレ……女だな」
「ボクって言い方しているけど、だろうね。男がこれは使うか怪しい」
5人が最初に行ったのはサイトに入り込んで、今回の一件を疑うようなコメントを書き込むこと。
相手はきっと今の状況を愉しんでいるはず。もし、あの写真の信憑性を疑う者が現れたら、真実味を持たせる為、犯人自ら何かしらアクションを起こすかもしれないからだ。
そして、それは見事に成功した。
「なかなかいい名前だね、紫」
海がそう言うと、紫はPC画面に目を向けたまま口元に笑みを浮かべる。
「ありがとう海。俺、ムラサキって書いて紫じゃん? どうせなら色にまつわる名前にはしたかったけど、流石にそのまま英語にしたら、直球過ぎて勘付かれるかなって思って」
「考えたね!」
感心しながら、海はハッと何かを思い出した表情になると、紫に耳を貸すよう言った。
「何?」
「俺……、実は一人、気になる子が居るんだよね。まだ半信半疑だから、飛鳥や望夢達にはちょっと言い辛いんだけど」
「マジで……っ?」
「うん。Perfumeって意味……、そっから連想した時に浮かんだ子なんだ」
「分った。じゃあ明日、俺達だけでちょっと様子を見に行こうか」
「うん」
空たち3人が離れた所に居る間に、冷静沈着組の2人は陰でこんな会話をしていたのだが、後に2人はこの時の判断を後悔することとなる。
「――じゃあ帰るか」
犯人と思われる人物をネット上で特定することが出来、今日のところは切り上げになった。
みんなが鞄を手に帰り支度をするなか、飛鳥が望夢に歩み寄る。
「望夢、空のことは俺に送らせて欲しい」
「飛鳥……」
張り紙は兎も角、写真や動画は校内の沢山の生徒の目に触れている。念の為に、暫く単独行動はしないということを5人は決めた。
当然空は望夢と下校するつもりでいたが、飛鳥は自分が行くと願い出た。
「……頼む。少し、空と2人で話したいことがあるんだ」
4人は耳を疑った。あの飛鳥が、犬猿の仲である望夢相手に、頭を下げ頼むと言ったのだ。
空達が固唾を呑んで見守るなか、望夢は間を取ったあと、確りと頷いた。
「―—分った。その代り、空のこと頼んだからな。絶対に無事に家まで送れよ!」
「おう!」
気持ちに応えた望夢は笑顔を見せた。それに飛鳥も笑った。
お互いボイスレコーダーを聴き、飛鳥も、望夢に空が告白のことを話したとわかっているが、まともに話をしたわけではないのに心で通じ合っている。
そんな2人の関係性を、空は羨ましくも素敵だと思った。
「悪いな。俺が出しゃばって」
二人で歩道橋を並んで歩くなか、飛鳥が言う言葉に空は首を横へ振る。
「うーうん……っ! 素直に、嬉しかったよ。飛鳥君とはちゃんと話していなかったし……、今は犯人探しが優先になっているから、どうしようかなって思っていたんだ……」
「……だよな。色々悩ませることになって、本当悪い。俺……黙ってられないんだよなー。あいつらみたいに上手く出来なくてさ」
「どちらかというと……驚いたよ。まさか、私のことを飛鳥君がって……。でも、飛鳥君も望夢君も私にとってはとても大切な人だから、ちゃんと自分の正直な気持ちで、飛鳥君の想いに向き合いたいと思っています……!」
「……空、ありがとうな。返事、ちゃんと今のが片が付いたら、そしたら……聞かせてくれるか? いつでもいいからよ」
「……うん、分かった!」
空は飛鳥の顔を見て、心からの笑顔を浮かべた。――その、直後のことだった。
ドン。
いきなり、足が地面から離れ、身体が前に飛び出た。
「えっ」
「空……っ!!」
歩道橋の階段を降りる寸前だった身体が宙に浮いている。
視線が彷徨うなか一瞬、背後に誰かが立っているのが見えた気がした。
『オマエガワルインダカラナ』
もしかして、私は、突き落とされたのだろうか……?
不思議な気分に包まれながらも、身体が徐々に落ちて行くと空の背中に冷たいものが走った。
「あれ……?」
しかし、ゆっくり瞼を開くと、確かに自分の身体は落ちたはずなのに無事だった。
何故……?
浮かんだ疑問の答えは、直ぐ側で聴こえてきた呻き声と共に判明する。
「飛鳥君!?」
飛鳥は空が落下するときに駆け出し、空を庇うように包み込んだ状態で一緒に落ちたのだ。
そのお陰で空は掠り傷一つなかった。
「飛鳥……くん……っ。ねえ、飛鳥君……っ!!」
「デカい声……出すな……っ。まだ、死んでねーしっ……」
「ばかっ! 死……死ぬとか……言わないでよ……っ!」
「……そうだよな。お前には、冗談でも言っちゃいけねえ……よな。ワリぃ……」
「私も……っ、ごめんなさい……護ってくれてありがとう……っ」
「……ああ」
あいつとの約束だからな。
飛鳥はそこまで口にしたあと、「学生が歩道橋から落ちたぞー……っ!!」「救急車!!」という、周囲の騒がしい声と、何度も自分を呼ぶ空の声を聴きながら意識を手放した。
・・・・・・
望夢達は報せを受けて直ぐに、久遠家の病院へ駆けつけた。
「飛鳥、空……っ!!」
「病院ではお静かに」
「「「……すみません」」」
病室に入る直前、看護婦に窘められ、少し冷静さを取り戻す。
「望夢君……っ!」
「空……っ!」
青い顔をした空がこちらを見ているのに気が付き、望夢は彼女の元へ急いで駆け寄った。
「ごめんなさい……っ。私の所為で……飛鳥君が……っ」
「何言っているんだよ。お前は何も悪くねえだろう」
望夢は空の肩を抱きそっと椅子に座らすと、ベッドに横たわって目を閉じている飛鳥を見つめた。
「飛鳥……」
同じくその姿を目の当たりにした海の声が揺れている気がした。
その気持ちが解り過ぎる望夢達は何も言葉を掛けられず、ただ、飛鳥が目を覚ますのを待つしかなかった。
「……うぅ」
飛鳥が目を覚ましたのは、望夢達が病院に駆けつけてから2時間後のことだった。
「飛鳥君……っ」
「空……? ここは……?」
「病院だよ。紫の親父さんの」
空の代わりに応えると、飛鳥の視線がすぐさま望夢に移った。
「……望夢」
「ありがとうな。約束通り、空を護ってくれて」
多分、この言葉は予想していなかったのだろう。飛鳥の目が見開かれる。
彼は、これだけしても恐らく、空を危険な目に遭わせてしまったことに、責任を感じているに違いが無かった。案の定、飛鳥からの第一声は「礼なんか言うんじゃねえよ」だった。
けど、この中で誰より運動神経が良く、丈夫なのは飛鳥だ。気持ちでは自分だって負けないが、実際、彼と同じ状況になった時、同じように空を無傷で庇えたかは分らない。
飛鳥がこの日自分が送ると願い出て、ちゃんと護ってくれたことに、嫉妬や雑念抜きにして、本当に感謝しているのだ。望夢の心からの言葉だった。
「お前の親父さんにも連絡は入れた。仕事場から直行するって」
「そっか。……なあ、海は? 何で、あいつ居ねえの……?」
「ああ……あいつは……」
望夢と紫が視線を合わせて何かを口にするのを躊躇う態度をとる。
「何だよ? ……まさか、あいつまで何かあったんじゃ……っ」
「や、違うっ! それは違うから安心してくれ! 俺らが話そうか迷っているのはな、それじゃなくて……」
「気持ち悪い……っ。隠すんじゃねーよ、言え!!」
沈黙に耐え兼ねた飛鳥が腕を伸ばし望夢の襟首を掴んだことで、とうとう2人は観念し重い口を割った。
「……実は、海には犯人に心当たりがあったらしい。それを、確証が得られるまでは俺らには伏せておくつもりでいたのが、こんなことになって……止めたんだけど、1人でお前と空が落ちた歩道橋に向かった。もしかしたら、周辺に目撃者とか居るかもしれないって」
「海、俺には話してくれてたんだ。……だから、本当は明日、2人でその相手の様子を見に行ってみるつもりだった」
「は……? 何であいつ俺に一言もなく……っ」
そこまで言って、飛鳥は握った拳をドンと、布団の上に叩きつけた。
最後まで言う必要などない。自分が招いた事だ。海が言わなかったのは、頭に血を昇らせて、冷静で居られなかった自分の所為。
「飛鳥、俺だって同じだ……。今回のことに関しては、俺だって静じゃなかった」
望夢が、飛鳥にそう言うと突然飛鳥の肩を掴んだ。
「おい望夢……っ」
紫が咄嗟に止めるも、望夢は聞かなかった。
「俺らが、決定的証拠を見つけ出す。だから、お前は2日で戻って来い」
「……言われなくても」
医師によると、念の為に3・4日は安静にということだったが、望夢の熱い気持が伝わった飛鳥は、短くもしっかりとした声で応えた。