飛鳥の葛藤
朝目覚めて最初にしたことは、昨日の出来事が、全て自分に都合のいい夢じゃないかどうか確かめることだった。
「空」
「望夢君、おはよう!」
空は、自分の名前を呼びながらやってくる好きな人の姿に胸が高鳴るのを感じた。
「なんか、新鮮だな」
「う、うん!」
お互い、未だ気恥ずかしさを抱えながらも微笑み合う。
2人が立つ場所は、互いの通学路の合流地点。昨日話して、放課後はみんなと一緒に居るから、朝はここで待ち合わせて2人で登校しようということになったのだ。
「じゃあ、行くか」
「うん」
「空、手平気?」
「うん!」
突然出された手に何の意味があるのか、少ししてようやく理解した空は、照れながらも望夢の掌に自分の手を重ねた。
学校までの距離はそこまで長くはない。それでも、こういった一緒に話したり笑ったり出来る特別な時間があるというだけで十分に感じた。
・・・・・・
「望夢、空ちゃん、おはよう」
登校すると、先に登校していた紫がこちらに気が付いて挨拶をしてきた。
「紫君!」
紫とは月曜日まで会うことが無かったので話をしなければと思っていた。
けど、何から話そうかと悩む空に、紫は笑顔で言葉を掛けた。
「空ちゃん、ありがとう。望夢を選んでくれて。あと、おめでとう」
「望君から聞いたんだね。こちらこそ、ありがとう。紫君のおかげだよ。いっぱい、話したいこと、聞いてほしいことがあるよ!」
紫が居なければ今の自分達はない。空が伝えきれない感謝の想いを込めて力強く訴えると、紫はその様子に笑みを深める。
「うん。俺も、空ちゃんと話したくて待っていたんだ」
「本当?」
「本当だよ。だって、俺と空ちゃんはもう親友じゃん」
「親友? え!? 私がっ、紫君と……っ!?」
「そうだよ」
驚く空に対し紫は当然と言う顔で笑う。
「紫にそこまで言わせるなんて空、お前は本当にすごい奴だな」
感心している望夢の言葉に喜ぶ空だったが、直後にハッとし恐る恐る振り返った。
「望夢君……あの、私……いいのかな……?」
「何が?」
「これは……望夢君の大切な紫君を、横から奪ってしまうような真似なんじゃ……っ!?」
「……だから、お前の目には俺らのことがどんな風に映ってんだよ!?」
「あはははっ!! 空ちゃんってば最高っ!!」
紫がやり取りを聞いてたまらず声を上げて笑っていた時だった。
「お前ら、そんなとこに立ったまま何してんだ?」
立ち話で時間を使っている間に、飛鳥と海が登校してきた。
「飛鳥君、海君、おはよ!!」
「空ちゃんおはよう」
「お前なんかテンション高くね?」
空を不思議そうにみつめる飛鳥に、紫と視線を合わせた望夢が声を掛ける。
「飛鳥……、ちょっといいか? お前に話がある」
「あ? 何だよ。お前が俺にって気持ち悪りいな。別にここで言やーいいだろ!」
「……じゃあ言うけど、俺と空、一昨日から付き合い始めたから」
仕方が無いので空を横目に望夢が宣言すると飛鳥の動きが固まった。
「……は?」
「一昨日、俺から空に告ったんだ。そんで、暁さんにもその日のうちに挨拶に行って認めて貰った。……苑さんだけは実際のところ怪しいけど」
「……何だそれ。マジかよ。空は望夢が好きだったのか……?」
飛鳥に話を振られた空は照れながら小さく頷いた。
「うん……っ。あの……黙っていてごめんね。恥ずかしくて、打ち明けられなくて……っ」
「いや……それは仕方ないだろ。……そっか、へぇ。空……良かったな」
「ありがとう」
「……じゃ、俺は先に上るわ。なんか、こうゆうむず痒い雰囲気、耐えられねえし?」
わざとヘラっと笑いながらそう言葉を投げると、素早く上履きに履き替えた飛鳥は階段を駆け上がる。
「おい、飛鳥……っ!」
「望夢、大丈夫。俺が行くから。空ちゃんの隣には望夢が居ないとでしょ?」
「海……、分った。任せる」
「うん」
望夢を制して、飛鳥の後を海が追いかけていく。
この時の空は、直ぐ側で起きている小さな歪に気が付いていなかった。
・・・・・・
「おい、立谷。起きろ。……立谷!!」
「イッテ―っ!!」
突然後頭部を襲った痛みに飛鳥が突っ伏していた上半身を起き上がらせると、出席簿を片手に怒り頂点の加瀬とそれは確り目が合ってしまった。
終わりのHR。完全に脱力モードだったため、いつの間にか寝落ちしていたらしい。
「あ……」
「俺の前で寝サボりたぁ……いい度胸しているよな。褒めはしねーが」
「ちょっと眠たくなっただけだろ……っ? しかも、もう帰るだけだしよ!?」
「ちょっと……帰るだけ、ねえ。まったく、お前には感服だな。--放課後、このプリント全部終わるまで居残れ!」
「はぁ……っ!? なんだその紙束は!! 有り得ねえ!!」
「足りないか?」
「う……っ。いえ……十分過ぎます」
漸く事の次第を理解し大人しくなった飛鳥の目の前には、辞書ほどの厚みのプリントが積まれていた。
「……馬鹿」
「なっ、海!?」
溜息と共にぽつりと聞こえて来た方を振り向けば、やっぱりというべきか、こちらを呆れ顔で見ている海がいた。
「ほんと、学習能力がねーっつーか。救いようのない馬鹿だな、お前」
「うるせえ!! 黙ってろ!!」
続けざまに今度は望夢が、斜め前から小馬鹿にした顔で見てきたので、先ほどの比じゃない怒りが湧き上がっていた。何故なら、彼こそが、朝から身が入らない元凶なのだから。
「もう望夢君……っ! 飛鳥君……良かったら私、一緒に手伝うよ!」
「は? いいよ。お前に手伝ってもらう訳には」
「空、お前はいいって。お前が残るくらいなら俺が残るし」
お前が言うんじゃねえよ!!
空と望夢が話す背後で、飛鳥が殺気立つ。
冗談じゃない。誰が嬉しくてこの3ショットを臨むのか。ましてや望夢と2人でなんて、それこそ罰ゲーム、地獄以外のなんでもない。
「冗談じゃねえよ。お前に残られたら終わるものも終わらねえんだよ。帰れ!!」
「あっそ。じゃあ、そういうことで空も帰ろうぜ」
「え? でも……っ」
「空ちゃん、俺が一緒に残るから。ちゃんとプリント終わらせて帰らせるし。心配しないで」
「……分った。確かに、海君のほうがいいよね。飛鳥君ごめんね。先に帰るね」
「いいから。さっさと帰れ!」
最後までこっちを気に掛ける空に胸が騒めく。そのせいで、つい突き放した言い方になった。
「本当に、馬鹿なんだからねー」
ゴンっ!という音と一緒に、本日二度目の衝撃と激痛が飛鳥を襲った。
「おまっ、……なんつー物を人の頭に落としやがる!?」
「何って、辞書だけど」
「その何じゃねえよ!!」
冷静に応える海に、飛鳥は息を荒くして訴える。
1問間違えたくらいでこの仕打ちはあまりにも酷いだろうと思い、向かいに座る海を憎らしく睨み付けてみるが、彼の行動の真意は別にあった。
「……どっかのお馬鹿さんには、これくらいしないと響かないんじゃないかと思ってね」
「あ?」
「後から後悔するくらいなら、好きな子に対してあんな言い方しなけりゃ良いって言ってんの」
「……っ、しょうがねえだろ? 考えるより先に口から出ちまったんだから!」
「それって、自分で『私は単細胞です』って言っているのと同じって、気が付いている?」
「う、うるせえー……っ!!」
「お前の気持ちは解からないでもないよ。好きな子が彼氏と居るところを四六時中見ないといけないのはさぞ腹が立つし辛いと思うよ。けど、それは飛鳥がグズグズして動かなかった結果でしょ? 望夢は、ちゃんと自分の気持ちを伝えたんだよ。悔しいならさ、飛鳥も空ちゃんにちゃんと気持伝えれば?」
「そんなこと……っ、言われなくても解ってっるつーの!! けど……今更言ったところで、一体何の意味がある!? 虚しいだけだろうが、クソ!!」
飛鳥は怒りと同時にその場にあった椅子を蹴り飛ばした。
「……やれやれ。手がかかる男だよ」
それを見て、また海が溜息を吐いたのは言うまでもない。
・・・・・・
「「にいちゃーん、おかえり~!!」」
何とか地獄のような時間を切り抜け、無事プリントを加瀬に提出し帰宅した飛鳥を、下のツインズが出迎えてくれた。
「翔、花奈。悪い、遅くなって。今から飯を作るから待って……ろ?」
言いかけた飛鳥の目が、そこに居る筈がない人物の姿を捉えた。
「飛鳥君! お帰り! あ、違う……っ。お邪魔しています」
「空!? 何でお前が……っ。あいつ、望夢は……?」
「望夢君? 望夢君は居ないけど……」
「お前1人で来たのか……っ? 何で」
困惑する飛鳥の側で気が抜けるような何とも陽気な声が聴こえて来た。
「飛鳥~お帰り~!!」
声にすぐさま振り向けば、満面の笑みでこちらを見ている父親朝陽が居た。
「親父居たのかよ? っていうか、何勝手にこいつを家にあげてんだよ!?」
「だって、電話に出たら飛鳥の学校の友達だって言うし。翔と花奈も知りあいみたいで会いたいってしつこいしさ~」
「だからって何考えてんだよ! あんたな、俺が居ないときに女子高生を上げてんじゃねえよ。近所で変な噂がたったらどうする気だボケ!」
「そんなの、飛鳥の彼女って言うに決まってんだろ~? あはは」
「な……っ、馬鹿か……っ! こいつはそんなんじゃねえし、第一空は……望夢と付き合ってんだよ!!」
「へー、空ちゃんは望夢君の彼女なのか」
「は、はい」
朝陽の言葉に赤面する空を見ていられず、飛鳥は玄関まで行くとドアを指して言った。
「空、何で来たのか分かんねえけど、暁さんも心配すっから、暗くならないうちに早く帰れ!」
「飛鳥君……っ、あの、ごめんね。私、謝りにきたの……! さっきうざかったんじゃないかと思って……」
「は?」
「飛鳥君、私に怒っているでしょう?」
目の前の悲しそうな、傷ついた表情を見た瞬間飛鳥は自分を殴りたい衝動に駆られた。
自分は何をやっている?誰を傷つけている?
「違う……っ! 俺は、どっちかっていうと望夢に……っ」
「え?」
「……いや、いい。兎に角お前に怒ったわけじゃねえ。誤解させたなら悪かったよ。……本当に、ごめんな」
「うーうん……っ! あ、あのね、実は少ないけど……コレ、ご飯持って来たの! 飛鳥君のお父さんがお家に居るって思わなくて、飛鳥君も今日居残ってお疲れだと思うから、ご飯作るの大変じゃないかなって……っ。良かったら一緒に食べないかな? 暁君にはちゃんと言って来たから」
「……空が?」
「あ、うん。味付けは暁君監修だけどね。あはは」
だから味は保証するよと笑う空に釣られ、漸く飛鳥にも笑顔が戻った。
「結局送ってもらうことになっちゃってごめんね」
飛鳥は、空を送り届けるため、彼女と夜道を月明かりに照らされながら歩いていた。
「いやどっちかつーと、翔と花奈が食べた後引き止めたせいだから気にするなよ。……飯も、美味かった。ありがとうな」
「うーうん。役に立てて良かった! 花奈ちゃんや翔君、それに飛鳥君のお父さんにも初めてちゃんと会えて嬉しかった!」
自分の家族たちを思い出しているのか、嬉しそうに微笑む空に心を持って行かれそうになるけれど、グッと耐えそれに逆らった言葉を口にする。
「……けど、今度からはあんまし1人で来るなよ」
「あ……そうだね。おじさん困らせちゃうしね」
誤解して顔を青くする空に、飛鳥は慌てて言葉を加える。
「そうじゃなくて、もうお前は今までとは違うだろ? ……付き合っている男が居んのに、フラッと別の男の家に来るなってことだ」
「けど……っ、私と飛鳥君は友達でしょ? 望夢君が知っている人ならそこまで」
「俺なら……ムカツク」
「え……?」
「俺が彼氏だったら、好きな女が自分の知らない間に別の男の家に行くとか……すげえムカツクと思う」
「……そっか。そういうものなのかな……っ。私経験ないからそういう気遣いが分らなくて……。あの、飛鳥君」
「何だよ?」
「ありがとう。飛鳥君はやっぱり、優しいね」
その優しいが、以前言われた時には嬉しかったはずが、今は対象外と言われているように感じ、素直に受け入れられなかった。何だかすごく悔しかった。
「……誰にでも優しいわけじゃねえよ」
「飛鳥君?」
「お前だから。……俺にとってお前は、たった1人の特別な女だからだよ」
「飛鳥君……。ふふっ。嬉しい。本当にありがとう!」
何だそれ。簡単にお礼なんて言って、嬉しそうに笑うんじゃねーよ!
飛鳥はガクッと膝から脱力しかけた。
今、何を言ったか解かってんのか?いや、解かってないのは確かだけどよ。
悔しくて、つい本心を告げたにも関わらず、鈍感な彼女には少しも響かなかったらしい。
「……ったく、しょうがねえ。真っ暗になる前に帰るぞ」
「うん!」
彼女のペースに合わせていたらいつ辿り着くかわからないと思った飛鳥は、空の手を掴んで歩き始めた。どうせ告白しても1ミクロも響かない相手だ。このくらいいいだろうと。
その光景を偶然目撃した人物が居たとも知らず。
「何なのよ……あれ……っ」