オトモダチ
「全員席に着いたか?」
式後、教室で待っていると担任の男性教師が現れた。挨拶の時に聞いた。確か名前は加瀬司。黒髪をおでこ全開で後ろに流している。
飛鳥並みに目付きが鋭く強面な容姿に大人の落ち着いた雰囲気がプラスされ、なんとも完璧な、隙の無いオーラが感じられた。
しかし、大人のカッコいい先生に興味が湧くのは必然で、勇気ある生徒達が顔を見合わせては手をあげる。
「先生、いくつですかー?」
「結婚していますかー?」
「歳は28。独身だ」
短いけれど先生の返事に女子達が歓喜している。
空は、暁と一緒だと思って先生を見ていた。雰囲気も何処となく暁と似ている気がしなくもない。
しかし、この盛り上がりも長くは続かなかった。
「——先に言う。俺の邪魔をする奴はこの教室には要らねえ。容赦なく叩きだすぞ」
加瀬が威圧感たっぷりに低く言い放ったからだ。
ピシャッという効果音が聴こえそうな程、突然に室内は静まり返った。
「HRを始める」
何もなかったような顔をしてプリントを配布する加瀬を見て、空はとんでもないクラスに入ってしまったと人知れず思った。
「……よし、必要事項はこんなもんだ。終了時間までは自由にしてよし。だが、教室からは勝手に出るなよ」
加瀬の偉力は既に絶大だった。
他のクラスで自由に歩き回る生徒がいるなか、空のクラス1年2組は誰一人教室から出なかった。
「帰りどっか寄って帰ろうぜ」
「どこに行く?」
「ゲーセン?」
「それもいいけど俺腹へった。減ったよな、小鳥?」
「……はい?」
何故自分に振るのか?自由時間と言われていつも通り読書をしていた空は、思わず素っ頓狂な声を発しながら首を傾げた。
確かに、偶然にも空と彼らの席は、空を囲うように隣や前後を占めていて、先ほどから楽しそうに話す声は聴こえていた。でも、自分に何で聞く必要があるのだろうか?
困惑して黙っていると、望夢は同じ問いを二度繰り返した。
「減ったな?」
「えっと……減った……ような」
誘導尋問のような問いに、思わず口から出てしまった。
「よし行くぞ」
「え、行くって一体、どこ……へ?」
後悔先に立たず。気が付くと空は望夢達に連れられ街の中に居た。
「……望夢、連れて来て本当に良かったのか?」
不安な表情で紫が耳打ちをしたのはムリもない。
ファミレスで、彼らの目の前に座る空は緊張でガチガチ、顔は血の気が失われていた。
それを見て望夢がこの一言。
「——小鳥、もっと笑え」
「え……っ」
飛鳥はこの様子に足を投げ出し腕を頭の後ろで組みながら明後日を見やった。
「無望。こいつさ、実はイジメてーんだって」
「飛鳥黙って」
海が窘め、紫は苦笑交じりにこめかみを抑える。
「……望夢、どうする気?」
「どうもしない。腹が減ったから一緒に飯を食う」
「……分った。小遊……ごめん、言いにくいから今から空ちゃんでいいかな?」
「え、あ、は、はいっ……!」
「小鳥、ゆっくりでいい。ちゃんと、思ったことを落ち着いて言え」
急に話しかけられプチパニックになる空に、すかさず望夢が言い聞かせた。すると、その言葉を聞いた3人も、何かを察したように黙って待つ態勢になってくれた。
今日会ったばかりの自分の為に……。なんて、有り難いんだろう。折角の想い、無駄にしたくない。
空はそう思ったらまず、ゆっくり息を吐き、呼吸を整えた。そして、何とかちゃんと喋れそうだと思ったタイミングで、心の中では思っていた気持ちを声に乗せて伝えた。
「……あ、ありがとう。驚いてしまってすぐ言えなかったけど……っ、誘ってもらえたことは嬉しいです……っ。ずっと友達がちゃんと居なかったから……誰かと寄り道って初めてで……。思わず緊張して……大変お待たせしました……っ」
いつも、自分が何かを言おうとした時には、目の前に誰も居なかった。どうしても緊張からパニックを起こすと変な喋り方になるし、時間がかかってしまうから。
初めて、ちゃんと聞こうとしてくれた人たち。それでも、声を聞くまでの時間、空は生きた心地がしなかった。
また、嫌われてしまうのうだろうか?そう思った時、声が聴こえた。
「空ちゃん、ありがとう」
ありがとうと聴こえたことに驚き、俯いていた顔を上げると、笑顔の紫が瞳に映った。
自分が作り出した幻聴ではないのだと、安心出来た空は首を名一杯横に振った。
「お礼を言うのは私です……っ。沢山気を遣わせちゃったのに優しくしてくれて、本当にありがとう……っ!」
「気にしないで。空ちゃんこそ、今の時間辛くない? 平気?」
「ちがうよ……っ。ごめんなさい。慣れなくて緊張しているけど……っ、嫌じゃなくて……!」
「そっか、なら安心した。そういうことなら、今はまだ無理に話たり、行動しないでもいいから、徐々に慣れてくれたら嬉しいよ」
「うん……っ」
優しい。空はそう思ううちに気が付くと、温かさに涙していた。
「空ちゃん……」
これには、皆驚くほかなかったが、先ほどの様な心配は一瞬で消え去った。
「ありがとう」
再び彼らの目に映った空は、喜びに満たされた笑顔だったから。
・・・・・・
その後、時間をかけながら少しずつ緊張を解していく空は、彼らと共にゲームセンターを訪れた。
彼らのホームなのだろうか、みんな、楽しむ人達の間をすいすいと通り抜けて奥へ進んで行く。
しかし、いざ遊び始めると、誰もが意外で驚いたのが空だった。
「おい、どういうことだ……?」
眉を吊り上げ、引き攣った口元からは納得いかない様子がありありと伺える飛鳥の前には、申し訳なさそうに違う方向をみつめる空が立っている。
「まさか、小鳥が快勝とはね」
隣では、望夢が空の肩に手を置いて、飛鳥の悔しがる顔を拝めて爽快と言いたげに笑っている。
それがまた飛鳥の怒りを増幅させた。
「冗談じゃねえ‥…っ、何でこのくそマジメ女に、俺が負けなきゃなんねーんだよ!!」
「ごめんなさい……っ」
「そんな、空ちゃんが謝ることないよ。飛鳥がただ弱いだけだから」
気落ちする空に優しく海が笑いかける。
その声を、飛鳥の耳がしっかりと拾い上げた。
「おい、海。今何つった?」
「弱い」
「よわ……っ」
独り隅でダメージを喰らっている飛鳥を放置して、いたって笑顔の海が空へ訊ねる。
「でも、驚いたよ。空ちゃんどうしてこんなに強いの? もしかしてゲーム好き?」
「好きっていうか……えっと、実は小さい頃からゲームセンターにはよく連れて来てもらっていたので、ゲームはどちらかと言えば馴染があって……! でも、あの頃とは比べらないほどゲームが新しくなっていて……っ、ビックリしました」
「「「「え!?」」」」
空のこの台詞に4人は声を揃えて驚いた。
「……意外だ。お前みたいな女は四六時中机に噛付いて勉強しているか、何書いているか分からねえような本を読んでいるのがテンプレだろう……っ」
「飛鳥の脳みそもテンプレだね」
「おい!!」
「でも、確かに意外かもしれないな。空ちゃんの親御さんがゲームセンター好きなの?」
「あ、はい……割と」
紫の問いかけに、空はもっと幼い頃に暁と出かけたときのことを思い出しながら頷く。ついでに、「親御」さんと言われ、暁のことを話すべきか考えたが、言葉を繋げるのを躊躇った。
自分が心から暁を家族と思っていても、空の特殊な家庭の事情をすんなり受け止めてくれる人間がどれくらいいるかはわからない。今までは1人でいるので思いつかなかったが、いざ、近づいて来てくれる存在が出来ると不安が心を襲う。
どこまで話していいのかも、正しい距離感が解らない……
「どうかしたか?」
「いえ、何でも……っ!」
望夢が何かを察して訊ねて来たが、空は、笑って首を横に振った。
その後は火が付いた飛鳥と何故が色んなゲームで勝負をすることになり大変だった。でも、久しぶりに同い年の子達と過ごせた時間は、間違いなく今までにない程、幸福と充実感に満たされていた。
・・・・・・
「ただいまー」
予定より帰りは遅くなったものの、足取りは軽かった。
「お帰り」
リビングから顔を出したのが、思っていた人物じゃないことに驚く。
「あれ、苑ちゃん……?」
背が高いと思う暁よりも更に長身で、日本人離した容姿とスタイルの金髪男性が空に笑顔で手を振る。
彼の名前は苑。暁の古い友人で、よく家に顔を遊びに来る。
「暁なら買い物。空ちゃん高校入学おめでと。その制服よく似合うね」
「ありがとう苑ちゃん。暁君と苑ちゃんのおかげだよ」
空は照れながらも笑顔で確りと伝えた。
この制服は、暁と苑から贈られたものなのだ。制服にそっと手を当てながら嬉しそうにしている空を見て苑の目元も和む。
「暁だけじゃなくて、俺も、空ちゃんを見守っている大人の一人だからね」
「そう言って貰えて、嬉しい」
「空ちゃん制服姿で写真撮った?」
「うーうん。撮ってないよ」
「一枚も? 暁は何も言ってない?」
「撮りたいとは思ったけど、暁君ここしばらく忙しそうだったから」
空がそう言うと苑は傍らに置いていた自分の荷物からカメラを取り出した。
「じゃあ空ちゃん、写真撮ろうか」
「苑ちゃんが撮ってくれるの?」
驚く空に、苑は笑顔でカメラを構えた。
「俺のお気に入りのヤツで撮ってあげる」
「嬉しい! ありがとう!」
感激して笑った瞬間、シャッターがきられた。
「——何してる?」
2回目のシャッター音が耳に届いたとき、暁が帰宅した。
「暁いいところに」
苑が解りやすくカメラを暁へ向ける。
「暁君お帰り! 今ね、苑ちゃんに写真撮ってもらっていたの!」
「そうか。そういや、撮ってなかったな。沢山撮ってもらえよ」
笑顔で話す空に暁も笑顔を見せる。
その瞬間を、苑は見逃さずシャッターを切った。
「おい、盗撮魔。何をしてる」
音を聞き取った暁の目がカメラを持つ苑に向いたので、苑は満足そうに微笑む。
「記念だろ。どんな光景も撮りのがしませんよ」
「暁君、一枚でいいから、一緒に正面で撮ってもらいたい。……駄目かな?」
苑の言葉を受けて空が暁に頼むと、暁の表情が先ほどと同一人物とは思えないほど緩む。
「駄目なわけがないだろ」
「本当!?」
歓喜する空を見る目が、何にも代えがたい幸せを訴えていた。
「……すっかり親馬鹿だな」
苑は誰にも聞こえない声で言うと、カメラ越しにさきほどより一層深く微笑んだ。
「「「乾杯」」」
飲み物が入ったグラス同士が当たる音が高々と上る。
今夜は暁と苑による、空の入学祝だ。
食卓には空の好きなものが所狭しに置かれている。
「2人ともありがとうございます。私、学校頑張るね!」
「気合を入れるのはいいことだけどな、無理はするなよ」
「うん」
心配そうに諭す暁に空は安心して欲しくて笑って見せる。
「空ちゃん、クラスはどう? 友達出来た?」
「えっと、先生がちょっと暁君みたいな人で、緊張するけど、少し親近感を勝手に持っていて何とかやっていけそう。友達は……友達って言っていいのか分からないけど……今日一緒に寄り道して帰って来たよ」
「本当に? 良かったね」
質問の答えが予想以上に良いものだったことに苑は安心する。暁も苑と顔を見合わせ心の内で喜んだ。
しかし、それも束の間、空のスマホが鳴ったことで事態は一変する。
「え、わ、私……っ?」
まさか自分と思わない空は大慌てでスマホを手にする。
「電話だな」
苑が空に気付かれないように暁に視線を投げる。
「も、もしもし……っ」
≪出てよかった。もう家か?≫
「……た、高羽君!?」
まさかの電話の相手は望夢だった。そういえば、帰る間際に彼らと連絡先を交換したことを忘れていた。
≪もう家だよな?≫
「うん……家、です」
≪ならいい。急に電話して悪かったな≫
「い、いえ……っ。心配してくれて……わざわざ?」
思わぬ優しさに感激していると電話口で笑う気配がした。
≪お前ふらふらどっか行きそうだし≫
「そんなことは……っ。でも、ありがとう。嬉しいです……っ」
≪おう。また明日な≫
「うん……また、明日」
「また明日」そう言えることが嬉しくて堪らなかった。
現実味の無さを感じながら電話を切ると、熱い視線を感じた空は振り向いた。
「……暁君、苑ちゃん……?」
「男……空ちゃん、電話、男だった……?」
何故か分らないけれど苑ちゃんの動揺が伝染って空も動揺し始める。
「あの……っ、同じクラスの……高羽望夢君といって……っ」
「もしかして、今日一緒に寄り道したのがこいつか?」
暁は冷静に空から話を聞き出す。
「うん……っ。入学式の時に少し話したのがキッカケで……あと、高羽くんのお友達も一緒に」
「お友達……ということは男か?」
「うん。みんな男の子。女の子の友達はまだ出来なくて……」
「そうか……今日寄り道した時の支払いはどうした?」
「え? あ、申し訳ないことに‥みんなが出してくれた。出そうとしても、高羽君が出さなくていいって……」
「高羽……空、高羽ってやつとそのダチの写メあるか?」
どうしてそんなことを聞くのか、突然始まった相次ぐ質問に気になりながらも、空はフォルダを開いて彼らが帰りに送って来た写メを暁と苑に見せた。
「「——マジか……」」
2人はこの時、空が見たことないような表情でその写メをガン見していた。
・・・・・・
「まさか、空ちゃんの【オトモダチ】が不良だなんて」
「……ま、俺らが何か言えた義理じゃねえが」
自分の学生時代を思い起こすしながら暁は苑に言葉を返す。
空が寝た後、大人二人は呑み直しながら空のオトモダチについて話していた。
彼女が喜んでいるのだからあまり口を出したくはないが、アレは予想外だった。
「いざ保護者の立場になると心境変化っていうか……考え方見直させられるよな。あの頃オトナに言われるたび腹が立ってたのに……共感っていうか、ああ、こう見えていたのかって」
「そうかよ」
暁は、苑が溜息を吐いてしみじみしているのを見て苦微笑しながら酒を煽る。
すると落ち着いているように見える暁に、苑が吹っかけた。
「本心では、どうなの? 心配じゃないの?」
「心配じゃないわけがないだろ。けど、高羽ってやつ、割かし確りしてそうだったしな。それに、空を心配してくれているみたいだった」
冷静に分析した結果を語ると、何か言いたげだった苑も思い出し顔で頷く。
「ああ、あの電話な。ちゃんと帰宅しているか確認してきたみたいだな」
「確かに俺は空の保護者としてあいつを守る責任があるが、権利を振りかざすのは違う。空には自由に生きて欲しい。だから、空が頼ってくるまでは、あくまで様子を見守る」
「成程ね、了解。お前がそう決めたなら、俺からはもう言わない。でも、お前と空ちゃんには、俺がいることは覚えておいて」
苑はそれだけ言うと、明日の仕事の為に暁の家を後にした。
飲み込まれそうなほどの真っ暗闇を歩く頭の中には、さっきまで一緒に居た非対称で、側から見ると不思議極まりない親子の姿が蘇っている。
驚くほど毒気が抜かれた親友の姿を思い出すと、笑わずにはいられない。
まさか、あの男があんな風に笑う日が来ようとは。
「良い親子になったよな」
歩いている途中一つの星を見付けた苑は、その星に、親友親子の幸せを祈った。