名取 安梨沙
空は望夢と共に安梨沙の家を訪れた。
望夢が緊張の面持ちでチャイムを鳴らすのを見守っていると、家の中から安梨沙の母親らしき女性が現れた。
「望夢君、いらっしゃい。……そちらは?」
「電話で話した連れです。……今日は、安梨沙にとても大事な話があって来ました。叔父さんと叔母さんにも聞いてほしいんですが、同席してもらえますか?」
空を不思議そうに見つめる安梨沙の母親に望夢がそう言うと、母親は何かを察した顔で頷いた。
「……分ったわ。今主人を呼んで来るわね。先に居間へ行ってくれる? 安梨沙が居るから」
「はい。お邪魔します」
「お邪魔します」
2人は言われるままに靴を脱ぐと中へ入っていった。望夢の緊張が移った様で、空の心臓は先ほどから飛び出て来るんじゃないかと思えるほど波打って煩かった。
「安梨沙……」
部屋へ行くと茶髪のショートボブにパッチリとした目の可愛い少女亜梨沙が迎えてくれた。
「望夢、いらっしゃい」
「……おう」
「で、そっちの子は? 誰?」
安梨沙の視線が自分に向かったのに気が付いた空は安梨沙に自己紹介をした。
「……初めまして。私は、望夢君と同校の小鳥遊空です。お邪魔します」
「ふーん……同じ学校ねー。クラスメート?」
「安梨沙、空はただのクラスメートじゃない。……空は俺にとって、大事な存在で好きな子なんだ。付き合いたいと思っている」
「へぇー……」
安梨沙が望夢と空を見比べていると安梨沙の両親が揃って居間にやって来た。
「叔父さん、お久しぶりです」
望夢が安梨沙の父親に頭を下げると、父親は望夢の肩をポンと一つ叩いて、望夢達と向かい合うかたちで、妻と一緒に安梨沙の横に並んで座った。
「仕事でなかなか会う機会が無かったからな、どうしているのか気になっていたよ。元気だったか?」
「はい。……あの、今日は大事なお話があって来たんです」
「ああ、妻から聞いた。隣のお嬢さんが関係しているのか?」
空に目を向ける父親の詞に望夢が応じようとしたとき、先に意外な人物が口を開いた。
「小鳥遊空さん。同じ学校の望夢の好きな子だよ。付き合いたいんだって!」
「安梨沙……っ?」
望夢も空も、彼女から言われるとは思っておらずとても驚いた。
しかし、安梨沙の両親は驚くことも、ましてや怒ることもなく、ただ安梨沙の言葉にそうかと頷いた。
「望夢、お前は本当に律儀な奴だな。……黙って居れば気兼ねなく付き合えるだろに」
「な……っ、そんなわけにはいきません。俺は、2人の大事な娘さんに怪我をさせてしまった……。自分だけ黙って幸せになろうなんて……っ」
「馬鹿野郎!!」
「えっ」
突然怒鳴られた理由が解らず困惑する望夢を見て、安梨沙の父親溜息と共に顔を覆った。
「それはお前の都合だろう? 小鳥遊さんには関係ない話だ。それなのに、いつまでもこんなことしていたら彼女に申し訳ないだろうが!」
「叔父さん……っ?」
覚悟を決めてやって来た筈なのに、3人の反応が思っていたものと全く違うことに、望夢と空は戸惑いを隠せなかった。顔を見合わせながらおろおろしていると、その様子を見ていた安梨沙が困ったように笑いながら口を開いた。
「……望夢、あたしたち待っていたんだよ? あんたが、いつか好きな人が出来たって報告しに来る日を」
「え……っ? 一体……どういうことだ……?」
状況が呑み込めない望夢に、安梨沙はゆっくりと車椅子で近づいていくと語り始めた。
「当時のあたしはね……事故に遭ったショック以上に、あんたがあたしの側から離れないで居てくれるようになったことが何よりも嬉しかった。これで、望夢は彼女を作ることさえないだろうって……、そんな風にも思っていたんだよ。酷いでしょ?」
「いや……っ」
「あたしはずっと、望夢の罪悪感と優しさに漬け込んでいた。でもねある日見た望夢の顔が、すごくやつれていて……。綺麗な顔が台無しだし、前よりも随分痩せているうえに、笑っているように見えても目は笑っていなくて……ショックだった。その時に漸く、何もかも、あたしがあんたを縛り付けているせいだって気が付いたの。自分が悲劇のヒロインにでもなったかのような気で、現実を見ようとしていなかった。最低だった。--元をただせば自業自得なのにさ」
「安梨沙……」
「あんなに好きだって言いまくって、散々付き纏ったくせに、肝心の好きな人の変化にさえ気が付くことが出来ない。……こんな身勝手なあたしにはもう、望夢を好きでいる資格はない。でも、意気地なしで、なかなか望夢を自由にしてあげる勇気は持てなくて……っ。それに、あたしたちが幾ら言ったところで、望夢がすんなり受け入れる筈がない。だから、ママとパパに相談して決めたの。--もし、望夢に好きな人が現れたらその時こそ、望夢を解放してあげようって」
「安梨沙……っ、叔父さん、叔母さん……っ」
思いもよらない安梨沙からの言葉に固まる望夢。そんな彼を前にして、安梨沙の両親が耐え兼ねた様に涙ながらに口を開いた。
「望夢君……、長い間、苦しい思いをさせて本当にごめんなさい……っ。実際に望夢君が安梨沙に怪我を負わせたわけじゃないって頭では分かっていながら、私たちはずっとあなたに甘えていたわ……っ。自分の娘と同じ歳のあなたに私たちはなんて酷なことをしたのかと、今ではとても後悔しているわ……っ」
「それなのに望夢、お前は俺らに反論することもなく、真摯に俺達と向き合ってずっと共に歩いてくれた…。本当に、心から感謝している。だから、頼むから……っ、お前はもう前だけを見て、大事な人と幸せになってくれ」
「叔母さん……叔父さん……あ、ありがとうございます……っ」
父親に両肩を掴まれながら涙目で懇願され、望夢も思わず熱いものが込み上げた。
ふと、手に触れた感覚に隣を見れば、空が、静かに涙を流しながら、そっと望夢の手に自分の手を重ねていた。
「空……お前のお陰だよ。……勇気をくれて、一緒に居てくれてありがとう」
「うーうん……っ」
首を横に振りながらそれ以上言葉にならない空の頭を、手を握りながら空いた方の手で優しく撫でた。
そんな2人の姿を、名取家の人々は涙を浮かべながらも温かい眼差しで見つめていた。
・・・・・・
「小鳥遊さん……、空ちゃん、……やっぱり、空って呼んでもいい……っ!?」
「あ、はい……っ。嬉しいです!」
唐突に安梨沙に言われた空は驚くも、直ぐ笑顔で頷き返した。
それを見て、安梨沙も表情をほころばせる。
「良かった……! ……望夢に付き纏って苦しめてきた女なんか、きっと嫌じゃないかなって思っていたから。ありがとう」
「いえ……っ! 私は部外者ですけど、お2人はただお互いが大切だったということは、見ていて解かりましたし。それに、安梨沙さんとの時間を大切にしてきた望夢君だからこそ、私は、今こうして出会って、好きになったんだと思います。安梨沙さんを切り離してなんて考えられません。安梨沙さん、許してくれて本当にありがとうございました」
「空ちゃん……っ」
安梨沙は空に両手を大きく広げ、近づいて来た空を抱き寄せた。
「何よもう……っ。こんなの好きになっちゃうじゃないの!」
「え……っ?」
「無茶言っているってわかっているけど……良かったら、まに会いに来てくれる? あたしっ、出来ることなら、空ちゃんと友達になりたい……っ! あいつの子供の時の写真とかこそっとあげるしさ!」
「本当ですか!? 是非ください!!」
「是非じゃねえ!!」
子供のころの望夢を想像して興奮気味に空がお願いした直後、スパーンと勢いの良い音を立てて、突如安梨沙の部屋のドアが開いた。
「……あ。望夢君」
「あ。じゃねえわ。安梨沙と何を約束してんだお前は……!」
「いいじゃない。あたし空ちゃんが好きになっちゃったんだもん! 仲良くしちゃダメなわけ?」
「……っ、いや……駄目ってことは無いけど、そうじゃなくて、俺が言いたいのは……俺の写真とか、勝手に見せないでくれってことで……っ」
「どうして駄目なんですか……?」
不思議そうに望夢を見る空に、何かを察した安梨沙が不敵な笑みを浮かべる。
「きっと望夢は、黒歴史を空に知られたくないのよ」
「黒歴史?」
「安梨沙っ、止めろ!」
「実はね望夢、昔よくうちの兄貴に虐められててさ。って言っても、揶揄い程度なんだけどね。望夢小さいときは泣き虫だったから、その度ビービー泣いていたの。だから、どの写真をみても大抵泣いている写真なのよね。……ふふ」
「最悪だ……っ!」
真っ赤にしながら顔を背ける望夢を見て、空はがっかりするどころか可愛いと思った。
「ふふふっ」
「おい……。空、何を笑ってんだ」
「あははははっ!」
「安梨沙も……っ!!」
「「あははははっ!!」」
空は安梨沙と、何がそんなに面白いのかと言われても答えられないのに、目が合う度笑っていた。あんなに、会うまでは緊張してたまらなかった相手と笑いあっている。本当に不思議だった。
でも、彼女が自分を好きだと言ってくれたように、空もまた、安梨沙のことが今日一日で好きになった。
「夕飯食べて行かないの?」
安梨沙の母親の言葉に、二人は申し訳ないが頭を下げた。
「今日はこれでもけじめを付けにきたので流石に……。でも、また改めて来ます」
「そう……残念ね」
本気で残念がってくれている亜梨沙の母親の姿に空は切ない気持になる。望夢も上手く言葉に出来ないでいると、安梨沙が代わって母親に声をかけてくれた。
「も~何言ってんのママ。今日は、付き合うことになった最初の記念の日だよ? 早く2人っきりにさせてあげなきゃ!」
「「えっ。いや、あの……」」
望夢と空は瞬間的に顔を赤くする。
すると、さっきまで渋っていたのが嘘のように母親の顔が朗らかになった。
「あら、それもそうね。私としたことが、気が利かなかったわ!」
「望夢の言う通り、また来ればいい。今度からはいつでも会えるさ」
父親も2人を見て満面の笑みを浮かべる。
「あの、私まで長居してしまってすみませんでした。皆さんにお会いできて本当に良かったです」
「それはこっちの台詞だよ。望夢の相手が空で良かった。あたしが言うのもなんだけど、望夢が空みたいな素敵な子に出逢えて、本当に良かったよ。望夢のことよろしくね」
「安梨沙……」「安梨沙ちゃん……」
玄関前で、安梨沙と空は再び抱き合った。それを見つめながら、望夢も笑顔で寄り添う。
「絶対、また来いよ」
「待っているからね!」
「空もね~!」
今度こそお別れし、姿が見えなくなるまで手を振ってくれる3人に、望夢と空も角を曲がりきる最後まで大きく手を振った。
安梨沙の家をあとにした望夢と空は、最初からは考えられないほど晴れやかな表情で、薄暗くなり星が見え隠れする道を並んで歩く。
「空、ちょっと」
「どうしたの?」
途中急に呼び止められた空が望夢の方へ振り向くと、真剣な表情の望夢によって告げられた。
「空、俺と付き合ってほしい」
「え……っ?」
「かなり遠回りしたけど、やっと……堂々と言える。俺は、空が好きだから今以上の関係になりたいって思っている。色々不甲斐ないところ見せてばっかりだけど……っ、俺の彼女になって欲しい!」
空は望夢の告白を聞き、確りと頷いた。
「はい、私で良かったら……。よろしくお願いします」
「しゃあっ!!」
望夢は目の前でガッツポーズをとりながら喜びを爆発させた。
そして、同じく笑顔の空を見てこう言った。
「……じゃああと1個、行かなきゃならねえ所、行くか」
「あと1個?」
この時は首を傾げていた空だったが、望夢に付いていくうちに何処へ向かっているかが明らかとなった。
・・・・・・
辿り着いたのは、暁の待つ空の家だった。
「「お帰り」」
「ただいま……っ!」
望夢と帰宅すると、苑も一緒だったらしく揃って出迎えられた。そこは少し予想外だった。
「あれ、2人? 今日は久遠君の家へ行くんじゃなかった?」
「えっと……うん。行って、帰って来たの。あのね」
「お2人に、とても大事なお話がありまして」
空に代わり望夢が口火を切ると、2人の視線が同時にこちらへ向けられた。
「大事な話?」
「暁だけじゃなくて、俺にも関係あんの?」
「どちらかと言えば……多分」
「ふーん。了解」
やがてリビングに暁と苑、望夢と空で向かい合うと、一度空を見た望夢が深呼吸した後、意を決した表情で告げた。
「今日から空と俺、付き合うことになりました」
「「は……?」」
当然だが、2人は驚いた様子で、こっちをガン見したまま固まった。
そんな2人に空が慌てて説明する。
「えっとね、実は……私、ずっと望夢君が好きだったんだの。恥ずかしいから、暁君達には隠していたんだけど……、今日望夢君が告白をしてくれて、色々あったりはしたけど晴れて今日……付き合うことになりました……っ!」
すると、状況に納得した暁が一足先に動作を再開し、静かに煙草に火を点けた。
「そうか」
「えっ、それだけ暁? 何か無いのかよ親として!」
思わず立ち上がる苑を、暁が服を引き掴んで止める。
「苑、座れ」
「でもさっ」
「いいから」
「……ったく、分かったよ!」
苑が渋々着席すると、暁は煙草の煙を吐き出しながら望夢を見て口を開いた。
「俺は、お前のことは気に入っている。相手がお前なら安心だ。……ただ、敢えて親として口出しするなら、幸せにしてくれとまでは言わねーけど、笑顔でいさせてやって欲しい」
「はい。俺も空には笑っていて欲しいです。今日から、俺のできる全てで、空……娘さんの笑顔を護りぬきます。暁さん、ありがとうございます」
「おう、仲良くやれよ」
「はい」
「良かった……! 暁君……っ、ありがとう!」
暁と望夢のやりとりを涙を流しながら聞いていた空は、話が終わるや否や暁に飛びついた。
態勢を崩しかけるも、暁はしっかり空を抱き留め、泣いて喜んでいる姿に目元を和ませる。
「空、良かったな」
「うん……っ!」
「これからは、何かあったら何でもあいつに聞いてもらえ。それから、いっぱい甘えろ」
「うん……っ。ありがとう……っ!」
「でも、もし彼に泣かされたら、いつでも俺らの所へ帰って来ていいからね」
横から綺麗な笑みを浮かべながらそう苑に、何の疑念も持たない空は嬉しそうに笑を返す。
「望夢君を信じているけど、ありがとう苑ちゃん!」
「いえいえ。空ちゃんは俺たちの大事な、大事な宝物だから」
「えへへ」
はにかむ空の髪を、苑が慈しむ様な目をしながらそっと撫でて笑を深くする。その様子を見守る望夢は複雑な気持ちを抱えながらも、取り敢えず胸を撫で下ろす。
「……一応は許してもらえたってことだよな」
すると、その様子を見ていた暁が後ろから望夢の肩に手を置くと、望夢にしか聞こえない声で囁いた。
「俺から忠告が一つ。……これからは、苑の前で背中をみせないようくれぐれも気をつけとけ」
「えっ? それって!? ……冗談、ですよね……?」
振り替えると、暁は肩を揺らしながら煙草を吹かしていた。