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Paradise  作者: 香澄るか
16/42

朝が運ぶ進展


「……変なところ見せちゃって、ごめん」


 入ったカフェで、紫は席に着くなり空に謝罪した。


 空は、言葉が見つからないのか、ただ首を横に振る。それが逆に有り難い。


 頼んだ飲み物が運ばれて終わったタイミングで、紫は話し始めた。


「……愛穂さんは、元々俺の家庭教師だったんだ。ウチは代々医師家系だから、小学生の時から将来医者になる為にそれなりの学力を求められて、親が雇ったのが愛穂さん。彼女自身も大学で獣医の勉強をしながら資格取得に励みつつ、家庭教師のバイトで学費を稼いでいる感じだった。ーー俺は……一緒に居るうちに愛穂さんのことを好きになったんだ」


 この時の空の反応は解かりやすく動揺していた。


 さっきのやり取り等で大方予感はしていたのだろうが、どう応えていいのかわからなそうな様子に、紫も軽く眉を下げて笑うのみに留まる。


「気持ちを伝えたら終わりだと思っていたから、ずっと自分の想いは告げずに時間だけが経っていって。でも、後々後悔したよ。……愛穂さんは、俺の知らないうちに兄貴に惹かれていた……」



『紫君……、ちょっと大事な話があって』


『何?』


 学習時間も終わり、いつもなら紫にお疲れとにこやかに笑うはずの愛穂が、何故か不安そうなに緊張した表情で言うのが気にかかった。


『……紫君、……私ね、紫君のお兄さん翠さんと付き合うことになったの』


『……え?』


 一瞬、頭が真っ白になった。彼女の言っていることを頭で理解するのが恐ろしくなる。


『明日で家庭教師の契約も終わるし、やっぱり紫君には話した方がいいと思って』


『……何で、兄貴なわけ……? いつの間に‥そんな事になったの……っ』


『……紫君、驚かせてごめんね……っ。でも、私は紫君と居る時は真剣に家庭教師の仕事をやって……っ』


 紫は、誤解をした愛穂が話を聞いてもらおうと伸ばしてくる手を思わず振り払って声を上げた。


『違う……っ、今までやって来たことを疑っているわけじゃないよ。そうじゃなくて……! 俺が……っ、俺がムカついているのは……っ!!』


 ――こんなに近くに居ても、あなたが好きになったのが俺じゃなかったってこと。



「……あの日、感情が抑えきれなくて思わず気持ちを伝えてしまって以降、兄貴とも愛穂さんとも会うのが気まずくなって、何かと理由を付けて遠ざけてきた」


「……お兄さんは、紫君の気持ち知らないの……?」


 漸く言葉を発した空の声は震えているように感じた。


「……うん。知らないと思う。だから、昔からそこまでベッタリな関係ではないし、俺のこの態度は思春期の反抗くらいに思っているんじゃないかな? ……まあ、そういう経緯があって、さっきみたいな流れになったわけ。空ちゃんには関係ないのに本当に、巻き込んで、気まずい思いさせてごめんね」


「どうして謝るの? 謝る必要なんてないよ……っ。謝って、心に抱える気持ちを我慢しようとしないで……っ、無理して笑わないで……っ!」


「空ちゃん……っ」


 気が付けば、空の手が、自分の手の上に重ねられていた。


「こないだ言ったでしょう……? 笑顔でいる必要ない……っ、優しい紫君じゃなくても、どんな紫君でも、私の気持ちは変わらない。大好きで、大切な友達だよ」


 その言葉を聞いた瞬間、紫の中で、ギリギリまで踏みとどまっていたものが、一気に堰を切って溢れ出た。


「俺……っ、本当は、今日行きたくなかったんだ。会いたくなんてなかった……っ。兄貴が俺の気持ちに気が付かないでヘラヘラしながら愛穂さんと居るのを見るのがムカツクから……! 何でっ、何で俺が我慢しなきゃ、気を遣わないといけないんだよ……っ! おめでとうなんて……っ、言いたくなかった……っ!!」


「紫君……!」


 空は立ち上がり紫の隣に静かに座り直すと、重ねていた手をギュッと握りしめた。


「空ちゃん……っ?」


 空の行動に、紫が驚いた様子で涙を流したまま顔をこちらへ向ける。その表情に、空の胸が締め付けられた。


「……ずっと、いっぱい、したくない我慢して偉かったね! 頑張った……っ! もういいよ……っ!」


「……っ」


「大丈夫。紫君はこれからもっと、幸せになれるよ。私は信じているの。神様は、頑張った人にはちゃんとご褒美をくれるって……! 私が、みんなと出逢えたみたいに!」


「空ちゃん……。——不思議だな。……空ちゃんに言われると、本当にそんな気がしてくる」


「本当? ふふ。良かった」


 空が微笑みかけると、紫は今の状況が冷静になっていくうちに気恥ずかしくて手を放した。でも、視線は空を見つめたままで口を開く。


「空ちゃん、健康診断の時……俺に言ってくれた言葉覚えている?」


「うん」


『紫君は、将来何になりたいの?』


「昔から、家が医者の家系だから当然医者になるだろう、なるべきだなんて、周りから散々決めつけられてきたんだ……。いつしか、そんな声に押し負けて、自分で将来について色々考えるのを放棄しそうになっていた時に、空ちゃんと同じような言葉を俺に掛けてくれたのが愛穂さんだった……」


『紫君、みんなの意見がボクの意見なんて、思っちゃ駄目。あなたにはあなたの人生があるのよ。紫君のお家は医者の家かもしれないけれど、あれだけ居るんだもの。一人くらい、違う人間になったって構わないわよ。紫君、本当は、将来何になりたいの? 一度、ちゃんと考えてみるのもいいんじゃない?』


「そうだったの……」


 紫の話を聞いた空は、あの時の紫の反応を振り返ると同時に、どうしてあんなに驚いていたのか納得した。


「ビックリしたよ。俺の家系のことを知っても、そう言ってくれる人もいるんだって。その日から、愛穂さんは俺にとって特別になった。将来に対して不安しかなかった俺に、安心と光を与えてくれた人だったから……」


「紫君は、素敵な恋をしていたんだね」


「そうかな。俺は……大切な人をきっと悩ませて苦しめてばっかりだった」


「でも同じくらい、紫君だって悩んだし苦しんだでしょう?」


「それは……っ」


「確かに、愛穂さんは紫君の想いを知って悩んだと思うよ。苦しんだかもしれない。……だけど、それはきっと、紫君が2人共大切だったから苦しんだように、愛穂さんにとっても、お兄さんと同じくらい、紫君が大切な存在だったからじゃないかな? 辛い思いをさせてしまったかもしれないけど、もし、紫君の気持ちを無視してお兄さんと簡単に幸せになれる人なら……、紫君は好きになっていないと思うな」


「空ちゃん……っ」


 その言葉を聞いた紫は、衝動的に空をひきよせると彼女を抱きしめた。


「紫君……っ?」


「ごめん。今だけ、少しだけ……、こうさせて欲しい……っ」


 震えるその声にハッとした空は、抱きしめられているというより、まるで縋っているように思える彼をそれ以上は何も言わずそっと抱き留めた。




・・・・・・




「本当に、ごめんね! 結局……情けないところばかりまた見せて。……恥ずかしい……っ」


 赤い顔を両手で覆いながら項垂れて歩く紫の隣で、空は微笑みながら首を横に振る。


「私は嬉しかったよ。本当の紫君を知れた気がして」


「……本当の俺は、ただの格好つけで女々しい奴って分かった?」


「違うよ。本当の紫君は、一途で、思いやりに溢れていて、器用そうに見えてちょっと不器用で、とても愛おしい人だよ」


「……もう。空ちゃんは本当に天然人たらしだね。あーあ、望夢が頭を悩ますわけだ!」


 漸く手を離し顔を見せた紫は苦微笑交じりに空を見つめながらそう言った。


「え……っ。の、望夢君が何で出てくるの……?」


 突然出て来た好きな人の名前に今度は空が赤面する番だった。しかし、その反応は紫には予想外だったらしく、驚いた顔で空を見ていた。


「えーっと……もしかして、空ちゃん望夢のことが好きなの……?」


「あっ、いや、あの……っ!」


「紫!!」


 紫に気持ちがバレたかもしれなくて慌てているところに、突然何処からか声が聴こえて来た。2人して周りを見回すと、道路を挟んだ反対の道にこちらを見ている望夢を発見した。


「望夢!?」


「夢君!?」


「空……何でお前が?」


 横断歩道を渡ってこっちにやって来る望夢は、空の存在に気付き不思議そうな顔をする。


「望夢、どうしたの? 今日は晴輝と一緒じゃ……」


「何となくお前のLINEが気になって、早めに帰って来た」


「え?」


 驚いている紫の顔を心配そうに見つめながら、望夢は言葉を掛ける。


「一人で居たくないようなことがあったんだろう。遅くなって悪かったな」


「望夢……」


 紫のピンチを察して駆けつけたのが明らかな望夢のセリフに、空は、恐らく望夢は紫の抱えていたものが分かっているのだと悟った。考えてみれば、彼らは幼馴染であり親友でもある。空が知らなかっただけで、紫の見ていても不思議はない。


 それにしても、多くを語らずとも解かり合えてしまう男同士の友情はなんて凄いのだろうと、感動していた空の方に、前触れもなく望夢の視線が向く。


「……で、何でお前が紫と居るわけ?」


「え? あ……っ、偶然バスで遭遇して。行先もたまたま同じだったから一緒に居たの」


 事情は知っていそうではあるものの、勝手に話すのは憚られてザックリ語ると、ふーんと、拗ねた顔になった。するとその様子を見るなり、紫が体の向きを反転させ歩き出した。


「俺、もう帰るわ」


「え……っ? ちょ、紫君……っ!?」


「おい、紫!! 待てよ!!」


 空と望夢が慌てて呼び止めると、紫は足を止めこっちを振り返った。


「望夢、わざわざ来てくれてありがとう。すげー嬉しかったけど、俺は空ちゃんのお陰でもう大丈夫だから。望夢は、空ちゃんを送ってあげて」


「紫君……っ!」


 追いかけようとした空を紫は手で制する。


「空ちゃん、俺本当にもう大丈夫だよ。………愛穂さんへの想いは断ち切らなきゃいけないけど、あの人がくれた言葉は確かに俺の中に残っているから。それに今は、空ちゃんがくれた言葉の方が俺にとって大きな意味を持っているんだ。だから、明日学校で会おう」


「紫君……。うん、分かった! また明日ね!」


 空が笑顔で手を振ると、紫も笑顔を浮かべながら手を振り返してくれた。


「今の紫の話……、もしかして、今日愛穂さんと会ったのか……?」


 紫の後ろ姿を見つめながら、望夢が訊ねて来た。


 空は、やっぱり彼は紫の事情を知っているのだと解かり頷き返す。


「うん。……お兄さんと愛穂さん結婚するんだって」


 それだけで十分解かったらしく、望夢はそうかと短く呟く。


「……お前が、あいつの側に居てくれたんだな」


「望夢君と比べたら私なんて随分頼りなかったし、本当に一緒にいることしか出来なかったけど……」


 自信無さげに頭を掻きながら苦笑すると、唐突に望夢に頭をわしゃわしゃと撫でられた。


「わ……っ!?」


「あいつの晴れやかな表情を見てみろ。お前のお陰以外の何でもねーよ」


「望夢君……」


「あいつの親友として、礼を言うな。本当にありがとう」


「そんな、私……っ」


 まさか望夢にそこまで言われるなんて思いもよらなかったので空の涙腺は簡単に崩壊した。


「おい、泣くなよ……。礼を言ってんのに、これじゃまるで俺が泣かせたみたいじゃねーか」


「ごめんなさ~い……っ」


「ったく……。あははっ」


 声を上げて笑いながら、望夢がまた空の頭を豪快に撫でる。


「うう……っ」


「ほら、早く行くぞ」


「うん……っ!」


 紫と距離を縮められたのと、休日に望夢に会えた喜びも合わさり、先を歩き出した望夢を空は足取り軽く、笑顔で追いかけた。




・・・・・・




「空ちゃん、おはよう」


 朝、登校した空に声を掛けて来たのは紫だった。


「紫君……! おはよう。……寝られた?」


 いつも通りにと思ったが、やはり少し気になってしまった。すると、クスッと笑った後、紫が穏やかな顔で頷いた。


「うん。空ちゃんのおかげで、自分でもびっくりするほど眠れたよ」


「そっか! 良かった……!」


 空も紫の笑顔を見て心の底から胸を撫で下ろす。その様子を見た紫は口元の笑みを深めた。


「ありがとう。空ちゃんが居てくれなかったら、俺は今頃荒れまくって今みたいに笑ってられなかった」


「でも、紫君には望夢くんだっているし……っ」


 そこまで言いかけた空の声に、紫が被せてくる。


「その望夢にも、今回の件はちょっと遠慮したんだ。……それなのに、空ちゃんにはなんだか甘えられた。望夢以外にこんなに素を曝け出せたのも、受け入れられたことも初めてだった。本当に、空ちゃんは凄いよ。——空ちゃん、大好きだよ」


「「「え!?」」」


 声と共に鞄が床に落ちた音で空はハッとし音の方を振り向いた。


「みんな……?」


 そこには幸か不幸か、丁度のタイミングで登校してきた望夢・飛鳥・海の3人が、揃って驚いた顔をしながら、衝撃のあまり立ちつくしていた。


「い、今、紫お前……空に、……だっ……だっ……」


「大好き? 確かに伝えたけど」


「どわー……ッ!!! サラッと言うな!! ボケ……ッ!!」


 自分が聞いたことだが、紫を前にして羞恥心と様々な感情が込み上げ、思わず飛鳥は耳を塞ぎながら声を上げた。


「……訊いても良い? それは告白かな? 愛の」


 一方で、素早く冷静さを取り戻した海がダメージ大の飛鳥を横目に訊ねると、紫は風が吹きそうな程爽やかな笑顔で返答した。


「愛といえば、愛だね。ほら、空ちゃんがいつも言ってくれるみたいな」


「……何? ……んだよっ。そっちかよ。……ビビらせるんじゃねーよ。ボケ」


 紫の言葉の真意がわかった途端安堵した様子で態度を変えけろりとしてみせる飛鳥だったが、それも一時のことだった。海の言葉であっという間に窮地へと立たされる。


「ほーんと、飛鳥は命拾いしたね。紫相手じゃ流石に勝ち目無いもんね?」


「おいっ、海、色々どういうことだ……?」


「今この場でどういうことかを公言して欲しいなら、喜んでしてあげるけど」


「は……っ!? な……っ、ちょっとそれは待て……っ」


「——その前に飛鳥、どさくさに紛れて俺のことボケって言った? しかも2回も。飛鳥のくせに許せないな~」


「え? やっ、あの……紫、気のせいだ……っ!!」


 笑顔で迫りくるの紫の圧に耐えられず逃げだす飛鳥を、顔を見合わせて不適に笑う海と紫の2人が追いかけて行く。


 その場には、気が付けば空と、先ほどから一言も発していない望夢が取り残された。紫たちが去って行った方を見たままこちらを見ない望夢に何だか不安になった空は恐る恐る声を掛ける。


「……望夢君、あの、おはようございます……っ」


「ああ。……お前、昨日以来、随分紫と仲良くなったんだな」


「え……あ、ごめんなさい。でも、紫君の一番は何があっても望夢君だと思うので……!!」


 自分が大事な親友を望夢君から奪ってしまったと思い慌てる空の言葉に望夢の顔が盛大に歪んだ。


「おい、気持ち悪いフォローをするな。俺はそこに凹んでいたわけじゃねえ!」


「え? 違うの?」


「……お前の中の俺とあいつの関係性はどうなってんだ」


 苦い顔でこめかみを押える望夢の隣で、空は混乱に陥る。


「じゃあ……っ、どうしてそんな不機嫌な顔を……? 私が怒らせているんじゃ……っ」


「……違わないけど、違う。これは、俺が面倒な奴なだけ。お前は何も悪くない。気にするな」


「でも……っ、無理です。気になります……! 私、望夢君が思っていること知りたい!」


「……空」


 勇気を出して言ったはいいが、声が震えてしまった。


 恥かしい。笑われるだろうか?そう咄嗟にそう思ったけれど、近づいて来た望夢の顔は困った顔だった。


「馬鹿な……困るのはお前だぞ?」


「え……?」


 それ以上声が出なかったのは、望夢が空を壁に追いやり顔を寄せて来たから。驚きと羞恥で呼吸の仕方が解らなくなりそうになった。その間に、望夢は空にだけ聴こえるボリュームで耳元にそっと囁いた。


「——俺以外の男と仲良くなりすぎるのは禁止な」


「それは……っ、えっと……っ」


「……なーんて。冗談だよ。……じゃ、紫に絞られて魂抜けきった飛鳥でも笑いに行こうぜ」


 そう言って、一度だけ空を見た望夢はそのまま歩き出した。


「冗談……?」


 追いかけたい一方で、何が起こったのか分からない空は、真っ赤な顔を両手で押さえながら暫くその場にへたり込んでいた。



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