新たな芽吹き
「悠ちゃん、昨日公開告白してフラれた話って、マジなん?」
教室で寝ていた有馬の上に体重をのっけてきたのは、有馬のクラスメートで友人の藤原真純。アッシュブラウンの髪に垂れ目で、普通に男前なのだが怠け者っぽい雰囲気を漂わせる男だ。
「藤原、退け。重てぇ」
「そんなわけないわ。俺、其処ら辺の女子より軽いし」
「……お前の軽いは脳みその間違いだ。退け。つーか、誰に聞いた」
「聞くも何も、校内中の噂やで?」
真純がそう言った瞬間、コンマ0秒で有馬が起き上がった。
「クソ痛……っ!! 起きるなら言えや!!」
跳ね飛ばされた真純は涙目で訴えるも、有馬はそれどころではない。
「おい……何で噂になった?」
「俺やないし。放課後の学校で、しかも校門前で告白なんてする方が悪いで」
「チッ」
背後に黒いオーラを纏って盛大に不機嫌になる有馬に、真純は至って変わらないテンションで笑みを浮かべながら言う。
「大丈夫。お前は被害者なんやから、みんなは同情の目で見てくれるって!」
「有難迷惑だ! ……ま、いいや。俺、来月転校するし」
「そうか転校……って、え!?」
サラッと涼しい顔して言い放つ有馬を、真純はこれでもかと目を見開いてガン見する。
「ああ。身体壊して今入院中の親父が、コレを機に退職するって言いだしてよ。親父の実家がある田舎に引っ越すことになった」
「……ありえへん。マジで? 俺、お前がおらんならここ来る意味ないし。いっそ付いて行くわ」
「は? 何言ってんだよ」
「心配要らん。うち金持ちやし!」
「そんなプライベート話聴いてねーよ。……あ、もうこんな時間か。俺親父の面会行って来る。じゃあな」
「え? 悠……っ、ちょ、待てって!」
いつの間にか帰る準備が整っていた有馬は、真純が止めるのも聞かず、そのまま父親の入院先の病院へ向かった。
・・・・・・
「……楽しそうだな」
これで何度目かと言うほど見飽きた光景が、病室のドアを開けた途端飛び込んで来た。有馬の父親は明るく社交的で、他人とも直ぐ仲良くなってしまう。
今日にいたっては、医師を捕まえて話し込んでいた。歳は50代ほどで背が高く体格のいい男性医師だ。
「おう悠! よく来たな!」
「…………」
「お? もしや、息子さんですか?」
「ええ~、俺に似て男前でしょ? 頭もあんななりで結構良くてね~」
「それは、うちの倅と相性がいいですな~」
「「あははははは」」
「……はぁ。それだけ楽しそうなら俺は帰っても良いな?」
「ダメだ!! 俺はお前が来るのを楽しみに待っていたんだぞ!!」
「……16の息子相手に何サラッと恥ずかしいこと言ってんだよ。……ったく」
堂々と言い放つ父親に負け、有馬は渋々、少し顔を赤くしながら居残った。
「では、私はこれで。またお話ししましょうね、有馬さん」
「……あの、【久遠先生】、忙しいのに……父がすみません」
父親が誰かを拘束しているのは日常茶飯事だが、医者は忙しさが違う。有馬は申し訳なく思いながら頭を下げた。すると、クスリと笑ったその医師の男性は首を横に振って言った。
「私は君のお父さんのファンでね、実は自らいつも足を運んでいる。気にしないでくれたまえ。それに、私にも君と同い年の息子が居てね、お父さんとは話が尽きないんだよ」
「先生……」
「だが、退院したら引っ越してしまうらしいね。寂しくなるよ。何か困ったことがあれば、遠慮なく相談してくれていいからね」
「ありがとうございます。……退院まで、どうか父の事よろしくお願いします」
医師の言葉が胸にきた有馬がグッと堪えて頭を下げると、医師は、有馬の肩にそっと手を置いて去っていった。
「男前なうえに、良い先生だろう?」
「そうだな」
何故か自慢気な父親の言葉に頷きつつ、有馬は父親のベッドサイドの椅子に腰かける。
「元気そうで良かったよ」
「来てくれてありがとな」
「……別に礼を言うほどじゃないだろ」
「飯は食べているか? 梓とは、姉ちゃんとは喧嘩していないか?」
「……飯は食っているよ。姉貴とは……普通」
「あ、喧嘩しやがったな? あははは」
わしゃわしゃと頭を撫でてくる父親に、有馬は思わず目を逸らす。
「まあでも、中学の時の友達とは仲直り出来たんだろう?」
「え……? あ……うん。何で分った?」
父親には一度、荒れていた時に空のことをちょっと打ち明けていたことがあった。
女で、ましてや好きな女とは言っていないけれど。
「お前が、ちゃんと俺の目を見て笑って話すようになったからな、蟠りがなくなったなと思った」
「……ふーん。そっか」
「転校すること、その子や、クラスメートとかに話せたか?」
「クラスの……仲良い奴には今日話した。そいつには……まだ」
ボソッと言うと、そうかと父親が短く答える。
「お前は俺じゃなく、不器用で口下手な母ちゃんに似たからな。コミュニケーション取るのが下手くそだよな」
「……うるさい」
「でも、お前は、一度こうと決めたら、少々危ういくらい真っ直ぐで、心開いた人間には揺るぎない愛情を注げる良い奴だよ」
「は……?」
「大丈夫。その友達にも、お前のいいところはしっかり伝わった筈だ。別れても、どこかでまた縁が繋がるよ。恐れなくていい」
「親父……っ。うん。ありがとう」
この父親の息子で良かった。有馬がそう思いながら精一杯の感謝を伝えると、父親は満面の笑を浮かべながら、目には薄ら涙を浮かべ、また有馬の頭を豪快に、でも優しさのある加減で撫でた。
「じゃあ、また明後日来るな」
しばらく父と過ごした有馬が病室を出た時だった。
前方に、見た事のあるグレーの髪の少年を見付けた。けれど、彼は知らない少女と一緒だった。髪の短い、車椅子の少女と。一体どんな関係なのかは分からないが、有馬が気になったのは、少年の様子だった。
有馬が大切に思う少女と居た時とはまるで違った、硬い表情。どこか不安げで、辛そうで、苦しそうな、暗い目。
「あいつ……?」
もしかすると見てはいけないものを見てしまったのかもしれないと、後ろめたさを感じながらも、いつもなら彼と居る、自分の大切な少女を思うと、その光景がとても気がかりだった。
暫く、有馬は二人の後ろ姿を、角に差し掛かり見えなくなるまで見つめていた。
・・・・・・
有馬と和解した翌日、空の心は深い霧が晴れた様にすっとしていたのだが、今日の放課後は珍しいメンバーだった。
「珍しいな。3人だけか?」
店に入って来た空・飛鳥・海を見て、暁が訊ねる。
「はい。今日は望夢達は用事があるとかで」
そう答えたのは、紫に言伝を頼まれた海。空と飛鳥も海から知らされて、2人を見送ることは出来なかった。
「……へえ。まあ用事なら仕方ないな。座れよ」
「お邪魔します」
「っす」
暁に促され二人はソファー席に座り、空は暁の手伝いで飲み物を準備する。
「けど、あの2人は特段仲がよさそうだよな。幼馴染だったか?」
前にちょっと聞いた情報を思い出す暁の言葉に飛鳥が頷く。
「はい。小学の時からで親同士も仲良いみたいです。けど紫の場合、ダチっつーよりは兄弟とか保護者って感じ? 望夢相手だとマジで口やかましくなるし」
「そうか。そりゃ本当に、ダチが大事なんだろな」
「いつも好き放題の望夢も、紫にだけは言い返せないこと多いしね」
「ツレはそんなもんだろ。バランスとれていい関係じゃねえか」
そう言って暁が2人の前に出したのは手製のハンバーガープレート。
「え、これ……っ?」
「頼んでないですけど……」
「晩飯前だから少量だけど、礼だ。空から聞いた。色々支えになってくれたって」
そう言う暁の後ろで空がこくりこくりと頷いている。きっと、沙梨と有馬の一件だろう。
「え……っ、でもそれは……っ」
「俺ら、マジで一緒に居ただけっすよ? 空が頑張っただけで……!」
2人的には快く受け取れるものではなかったが、暁の言葉が彼らの心を軽くする。
「何言ってんだ。もう忘れたか? 空は、お前らが居れば、それだけで強くなれるって。その、お前らが側に居てくれたことが、何よりデカかったって事だ」
「暁さん……」
「……それじゃあ折角だし、頂きます」
「おう。残すなよ」
そう笑って、暁がカウンターへ戻って行くのを飛鳥と海は感謝しながら見送った。
そのタイミングで、空が飲み物を手にやって来る。
「どうぞ!」
「サンキュ」
「ありがとう。空ちゃん」
2人は空に礼を言うと外が暑かったため、グイッと飲み物を喉に流し込む。
「あいつらも居ればよかったけどな」
「そうだね。俺達ばっかり良い思いさせてもらって」
「ふふ。また望夢君と紫君にもお礼をするね」
空は、仲間想いな2人の言葉を聞き温かい気持ちになった。
そんなとき、空のスマホがメッセージを報せた。
「もしかして、望夢か?」
飛鳥にそう言われて確認するが、それは予想外の人物だった。
「うーうん。……有馬君」
「は? 有馬!?」
誤解がとけたので警戒の必要は無くなったが、飛鳥の表情は険しくなった。
昨日の今日の為、空の手には緊張が集中する。意を決しメッセージを確認すると、そこには短くこう書かれていた。
<急に悪い。話したいことがある>
「どうした? あいつ、何だって?」
「話したことがあるみたい」
「話したいこと……? 今ここに呼べ!」
「え……っ? ここに!?」
個人的には、昨日告白されたうえに振った相手に会うのは気まずい。ましてや暁の店に呼ぶなんて。それでも、飛鳥の目が真剣だったので思い悩んでいると、様子を見ていた海が口を開いた。
「空ちゃん、行ってきなよ。もしかしたら俺らの前じゃ言いにくい話かもしれないしね」
「海君」
「でも、海、心配じゃねぇのか?」
不安で仕方ないと書いてある顔で迫る飛鳥に、海は彼の方へ向き直って微笑む。
「前の有馬ならね。でも、飛鳥も分っているでしょう? 今の彼なら大丈夫。もともと、有馬は空ちゃんを護る側だから危害を加えたりすることもないと思うし。もし何かあれば直ぐ駆けつけれる準備だけはしておけばいいんだから」
「……そうだけどよ」
それでも言いよどむ飛鳥の様子を一瞥し、困った笑みを浮かべる海は今度は空に向き直る。
「空ちゃん、行って。飛鳥は俺がみておくから。こいつは、自分が居ないところで空ちゃんが有馬と会うのが気に入らないんだ。ただのヤキモチだから気にしないで」
「んなぁ……っ? 海……お前な……っ!!」
顔を真っ赤にする飛鳥が海に詰め寄るも、海は涼しい顔で空をいってらっしゃいと送り出す。
その様子に、カウンター越しの暁はこっちも似たようなものだなと、望夢達の話を引き合いに目を細めた。
・・・・・・
有馬が待っていたのは、中学のころ一緒に訪れたことがある河川敷だった。
「よう」
「……話って?」
「悪いな。……昨日言えなかったことがあって」
「何……?」
昨日のことを思い出し若干気恥ずかしくなる空だったが、次の瞬間その気持ちは一気に吹き飛ぶ。
「俺、この町離れるわ」
「え……?」
「転校する。親父が仕事を辞めて実家に戻るって決めたから付いて行くんだ」
「そう……なんだ……」
どうして、今なのだろう。
折角誤解も解けて、もしかしたら普通の友達の関係に戻って、これから会ったり出来たかもしれないのに……。
「なんかゴメンな。昨日の今日で転校とか言って……言い逃げみたいな」
「え? ぜ、全然……っ。ただ……、寂しくて」
「マジで……? それは一番無いと思ったわ」
心底驚く有馬に、複雑な心情が湧く。
「私も調子がいいと思うよ……。有馬君のこと恐がって会いたくないとか思ったりもしたのに……。でも、嘘じゃなくて……だって、これからは今までとは違うと思っていたから……っ」
「俺も、同じことを思った。今までは、会えなくても当然だったし、離れていても特別に何も思わなかった。でも……気持ちを伝えた今、離れたくないと思ったし、転校のことを凄い言いづらかった」
「有馬君……あの、また必ず会おうね」
「……え?」
「もう有馬君の気持ちに応えることは出来ないけど……、有馬君とはやっぱり、どんな関係でも繋がっていたいと思っていて……」
「小鳥遊……」
ふと、有馬の頭に、父親の詞が蘇る。
『大丈夫。その友達にも、お前のいいところはしっかり伝わった筈だ。別れても、どこかでまた縁が繋がるよ。恐れなくていい』
本当だったな、親父……。
「……でも、自分勝手だよね」
「そんなことねえ。俺にとってお前は特別だ。イチから友達も悪くねえなって思うよ」
「有馬君……! ありがとう……っ!」
彼女の嬉しそうな笑顔を見た瞬間、自分は、彼女を忘れる事など一生不可能だと思った。
でも、もう彼女を護るのは、自分の役目ではないと自覚させられる。
「……なあ、お前と一緒に居るグレーの頭の奴」
「え? あ、望夢君……?」
何故、有馬の口から彼のことが出るのか不思議そうな顔をしている空に、有馬はあの時見たことを告げるべきか悩む。
「……あいつ。あいつがお前の好きな男なんだろう?」
「へ……っ!? 何で分ったの!? じゃなくて……っ、えっと……っ!!」
――言えない。そんな顔を見たら、傷つくと分かっていてやはり言えないと思った。
もう、彼女を傷つけるようなことはしないと誓ったんだ。
「やっぱりか。あいつは手強そうだから頑張れよ!」
本当に言いたかったことを呑み込み、不安を揶揄いで無理矢理打ち消した。
その一ヶ月後、有馬は引っ越して行った。