原 沙梨
久しぶりに中学の頃の夢を見た。
あれは、中学2年に進級した時。自分の新しい教室に入った空だったが、新しい大量の教科書を両手に抱えて歩いていたため、後ろからやってきた生徒と身体がぶつかった拍子にバランスを崩してしまった。
派手な音と共に、教室内の視線が一斉に空の方へ向いた。
『あーあ、近藤、何やってんだよお前!』
『え? オレ? いやいや、ふらふらしていたこの人が悪くねえ?』
『お前、ヒデエな。あはは!』
教室にちょっとした不穏な笑いが響くなか、空が盛大に床へ散らばった教科書を慌てて空が拾っていると、不意に手元に影が落ちた。
『大丈夫?』
『う、うん』
突然掛けられた優しい声に驚いた空は声を上ずらせる。
すると、影を作っていた人物は空と一緒の目線の高さにしゃがみ込み、片手でスカートを押えながら空いた方の手で散らばる教科書を取って渡してくれた。
『はい』
『あ、ありがとう……っ』
『いいえ。同じクラスなんだね、これからよろしくね』
空の瞳に映ったのは、かわいい少女の笑顔だった――
それは、あまりにも突然の再会だった。
「空、ちょっと出てくれるか?」
「うん」
朝、玄関のインターフォンが鳴ったのでドアを開けるとその先に立っていた人物に驚かされた。
「沙梨ちゃん……っ」
「空ちゃん……っ?」
茶髪のロングヘアに、ぱっちりした目の少女が空と同じように驚いた顔で立ち尽くす。
「沙梨、知り合いか?」
少女の隣に立っていたスーツ姿の男性が不思議そうな顔で訊ねると、弾かれたように顔を上げ、頷く。
「う、うん。……中学の同級生」
「そうか。急に悪かったね。‥沙梨の父です。仕事の関係でまたこの町に戻って来て、今近所にあいさつ回りに伺っているところでね」
「え……っ」
空は少女の父親の話により驚きながら少女に目を向ける。すると、気まずそうに少女も硬く頷く。
「……そうなの。私は、こんなに早く戻ってくると思わなかったけど……」
「沙梨ちゃん……っ」
「じゃあ、あまり時間が無いから失礼するね。また良かったら、娘とも仲良くしてやってくれるかな」
そう何気なく言った父親の言葉が、お互い胸に刺さるのが伝わった。
証拠に、少女は「もう早く行くよ……っ!」と言って、父親を急かし、一刻でも早く立ち去りたそうな様子だ。
「沙梨ちゃん、待って!」
空は、悩んだが意を決して呼び止めた。
「……何?」
「沙梨ちゃん……中学の頃はごめんね。私……っ、あんなに沙梨ちゃんに仲良くしてもらったのに、何もすることが出来なくて……っ。でも、今こうして再会できたのは意味があると思うの。もう一度……、私と友達をやり直してくれないかな……っ?」
そう震える声で伝えれば、一瞬戸惑った顔をした少女だったが、暫くして笑みを浮かべながらその首は確かに縦に動いた。
「……そんなの……あたしこそだよ。あの時、黙って居なくなったこと後悔していたの……。何度も空ちゃんに話したかったけど出来なくて……、時間が経てばたつほど会い辛くなった……。もし本当に、空ちゃんがそう思ってくれているなら、嬉しい。あたし、こんなだけど、離れてからも空ちゃんの事忘れたこと無かったよ」
「沙梨ちゃん……っ!!」
空は思わず駆け出して沙梨の手を取った。
「空ちゃん、その制服って青宝だよね? あたしね、同じ区内にある晃陽高校に通うの。もし時間が合えば、これを機に連絡取り合ったり、放課後に会ったりとか出来ないかな? 改めて、ゆっくり話したい」
「うん! 勿論だよ!!」
空は、笑顔で沙梨と別れ、学校へ向かった。
・・・・・・
「——お前、なんか上機嫌だな」
鼻歌を歌っていた空の後ろから登校してきた望夢が言った。
「あ、望夢君。おはよう!」
「何かあったか?」
「あのね、実は」
「おーっす!!」
話そうとしたタイミングで、飛鳥達が教室に入って来た。
「チッ」
「あ? 望夢てめえ、朝から喧嘩売ってんのか?」
「今空が話していたところだったんだよ。ったく、良い所で邪魔しやがって」
舌打ちする望夢と飛鳥が睨みあうも、紫と海によって喧嘩は仲裁される。
「お互いさまでしょう。どっちにしたってこんなんじゃ空ちゃんが話せないって」
「ほら、離れて座るよ二人とも。空ちゃん、何の話だったの? 良かったら俺達にも聞かせてくれる?」
紫に優しく促され、空は一呼吸置いてから、4人に改めて笑顔の理由を話した。
「実は今朝、体育祭の時に話した、中学の時の友達と偶然再会したの」
「え? あの……有馬のせいで転校したとかいう?」
「……うん。原沙梨ちゃんっていうんだけど、お父さんの仕事の都合でまたこっちに戻ったみたいで、あいさつ回りに。最初はお互い気まずくて硬い表情だったけど、ちゃんと話したくて私の気持ちを伝えたら、沙梨ちゃんも応えてくれて、もう一度友達をやり直そうって!」
「本当に? 良かったね、空ちゃん」
「うん!」
微笑みかけてくれる紫に空も笑顔で頷く。
「……お前から声を掛けたのか?」
「うん。……沙梨ちゃんが転校することになった時、私は、自分の所為でもあるのに沙梨ちゃんに何も出来なかった……。正直、拒絶されるかもと思うとすごく怖かったけど……、あの頃は臆病だった私も、みんなと仲良くなって沢山勇気をもらったから、前より少しは強くなれたと思ってるの。だから、沙梨ちゃんに変わった今の私を知って貰いたくて……!」
望夢に答えると、彼は驚いた表情の後、とても優しい笑顔を向けてくれた。
「……そっか。空、頑張ったな」
「みんなのお陰だよ」
「お前が勇気を出したんだよ」
「ありがとう」
望夢にそんな事を言われて喜ばずにはいられない空は笑顔をこぼす。
そんな空を望夢は何かを考えている表情でじっと見つめていた。
「あ! 沙梨ちゃんからだ!」
放課後、何気なくスマホを見た空は、メッセージの相手を確認して思わず席から立ち上った。
「沙梨って、今朝仲直りしたダチか?」
声に反応した望夢が問いかけると、空はメッセージ画面を望夢へ向けて頷いた。
「うん! 転校先が晃陽だから、時間が合えば放課後会おうって話していたの」
「早速連絡が来て良かったね。空ちゃん」
「うん!」
紫の掛けてくれる優しい言葉に、空も満面の笑みを浮かべて頷く。
<早速連絡してみました。会えそうかな?>
<もちろんだよ。何処に行けばいい?>
そう返せば、青宝からも近いファミレスを指定された。
<解かった! これから行くね!>
<うん。待ってるね>
改めて送られてきた文面を見ると、嬉しさが込み上げ、会うのが待ち遠しくなる。
空は逸る気持ちを必死に抑え込みながら鞄を手に立ち上った。
「みんな、今日は先に帰るね!」
空の気持ちが見てとれた4人は顔を見合わせると笑みを零した。
「分かった」
「空ちゃん、道中気を付けてね」
「楽しんできて」
「何かあったら言えよ!」
「もう、飛鳥。何もないでしょ。じゃあ、空ちゃんまた明日ね」
「ありがとうみんな! 行ってきます!」
みんなが笑顔で見送ってくれているのをのを背中で感じながら、空は待ち合わせの場所へ急いだ。
・・・・・・
「沙梨ちゃん、お待たせ……っ!」
「空ちゃん!」
沙梨が待つファミレスに到着し今朝ぶりに顔を合わせるとどちらともなく自然と笑顔を零した。
「そういえば、中学の時は寄り道厳禁だったし……こういうの、ちょっと照れくさいね」
「そうだね。私、女の子とは放課後遊んだり、寄り道初めてだし……緊張している」
そう言って席に着く空に、沙梨が疑問を投げかける。
「……女の子とは? え、空ちゃん……もしかして、彼氏がいるの?」
驚く沙梨の言葉に空は赤面しながら大きく首を横へ振った。
「え……っ!? 彼氏なんてい、居ないよ……っ!」
「ん? でも、今……」
「あ、実は、高校で出来た友達が男の子ばっかりなの……! 女の子の友達も最近漸く出来たけど、まだ外で会ったりしたことはなくって」
「本当に……? それ、本当に友達?」
「あ、心配させたかな? でも安心して、本当にみんな優しくて良い人だし、心から信頼できるの」
「へぇ~、なんか‥会わない間に、空ちゃん変わったね……!」
「本当?」
そう言われた空は、昔の臆病で暗い自分しか知らない沙梨に、変わった今の自分が伝わったのかもしれないと嬉しく思った。
それから2人はデザートやドリンクを間に挟みながら離れていた間の話なんかをして過ごしたが、暫くすると、沙梨のスマホが震えた。
「あ、空ちゃんごめんね。お父さんからメールだ。あ……ごめん。急な家の用事で帰って来いって……」
「そっか。じゃあ今日は解散しよう」
「あたしから誘っておいて、本当にごめんね」
申し訳なさそうな表情の沙梨の手を握り空は笑顔を作った。
「謝らないで。私、沙梨ちゃんと笑って会えているだけで十分嬉しいから!」
「空ちゃん……ありがとう。また絶対に連絡するから」
「勿論だよ!」
思いの外早くの解散になったが、この日、空はとても幸せな気分で家へ帰った。
<<——じゃあ、原沙梨とはまた会うのか?>>
「うん。こうしてまた繋がることが出来てうれしいよ」
その夜空は、望夢に電話で今日の事を報告した。
明日勿論会うのだが、彼には、何だか早く話したかったのだ。
<<そっか、良かったな。本当に、お前が勇気を出して一歩踏み出した結果だな>>
「望夢君……ありがとう。私自身、今回のことはすごく頑張った気がするよ」
そう語ると、電話の声が急に途切れた。
「……望夢君?」
心配になって呼びかけてみると、ちょっと静かな口調になった望夢が言った。
<<……お前は、本当にすげえな>>
「え……?」
<<俺は……、ずっと、足踏みしているのに……>>
「足踏み? ……望夢君、それって……?」
望夢の言っている意味が掴めず聞き返すと、ハッとした様子で急に明るい口調になった望夢が何でもないと言って空の事に話を戻した。
<<兎に角良かったな! またダチと会うことになったら俺らに気遣わないで遠慮なく言えよ>>
「え? あ、うん。ありがとう望夢君」
<<じゃ、もう今日の所は寝ろよ。また明日。おやすみ>>
「う、うん……っ。聞いてくれてありがとう。おやすみなさい」
一体何の話だったのか分からないまま、空はこの時、望夢がどんな表情であのセリフを口にしていたのかも気付かないまま電話を終わらせた。
「……本当にすげえよ。それなのに俺は……っ」
電話を切った後、望夢は部屋の棚の上に置かれた、自分と一人の少女が笑顔で映った写真を見つめながらそう呟いた。
・・・・・・
それからというもの、空は沙梨とマメに連絡を取り、多いときでは一週間に2・3度は会うようになっていた。
そんなある日の事。
「ねえ空ちゃん、コレ、空ちゃんだよね?」
この時も放課後に沙梨と会っていた空だったが、何故か体育祭の時の映像をこちらに見せながら彼女が訊ねてきた。
「あ……うん。恥ずかしいからあまり見ないでほしいけど……っ」
確認したそれは、体育祭のペア競技の時のものだった。認めると彼女の目が明らかに輝いた。
「じゃあ、もしかして、一緒に映っている男の子と、この3人の応援団の人達って、空ちゃんが言っていた友達?」
「あ、うん。そうだよ!」
映像をズームにされ、今度はピンポイントで映る望夢達4人の姿を見て空は頷いた。
すると、いきなり沙梨が拝むように空の前に手を合わせた。
「空ちゃん、お願いがあるの!」
「え……?」
「実は、晃陽で仲良くなった友達が、体育祭を見に行ってから彼らのファンみたいなの。良かったら、空ちゃんから頼んで会わせてくれないかな……?」
「それは……えっと……っ」
「こんな言い方したら変に思うかもしれないけど、もうじきウチも体育祭あるでしょ? だから、この応援を是非参考にさせてもらいたいとも考えていて……、ちゃんとお礼だってするし、駄目!?」
「そんな、お礼なんて……。ただ、私が勝手には決められないから、そういうことなら明日みんなに話してみるね」
「本当? 良かった……っ! ありがとう空ちゃん!」
沙梨が嬉しそうなので叶えてあげたいと思う反面、空の心は何だか靄がかかったようだった。
「どういう事だ?」
翌日、登校した空は望夢達に沙梨からのお願いを伝えた。
「沙梨ちゃんが通う晃陽も体育祭の応援でみんながした様な派手な演出を考えていて、みんなに是非会いたいって言っていて……っ」
「是非会いたいねぇ……?」
「確かに演じたのは俺らだけど、構成は先輩達が考えたものだし、俺らにお願いされてもね‥」
望夢の呟きの後に紫が困り顔で口を開いた。するとそれに続くかたちで、海と飛鳥も沙梨の話に不快感を露わにした。
「俺達が先輩に許可取って来るのも変な話だし、先輩に黙って色々教えるのも違うし……、根本的におかしいよね」
「だいたいファンって何だよ? 俺等は芸能人じゃねーっての!」
空は彼らの表情を見て申し訳なく思った。
「みんな、ごめんね!」
けれど、空が謝ると、彼らはこちらへ向き直り揃って首を横へ振った。
「空、顔上げろ」
「空ちゃんが謝る必要なんてないからね」
「そうだぜ! お前にそんな面倒なこと頼む奴が悪いだろう」
「どちらかと言うと、今しんどいのは空ちゃんだよね」
「みんな……」
沙梨と4人の間で気持ちが揺れる空が言葉に困っていると、望夢が漸く何かを決心した顔で告げた。
「よし、判った。今日、俺らもお前と一緒に原沙梨とダチに会いに行く。空、連絡取ってくれるか?」
「え、いいの……?」
驚く空に望夢と3人は笑顔で頷く。
「ああ」
「今から先輩と先生に話して、データの件やるだけやってみるよ」
「お前の顔を潰すわけにいかねえしな」
「俺らも今の友達として、空ちゃんの友達にも会ってみたいしね」
「みんな……ありがとう!」
空は4人の優しさに感謝した。そしてスマホを手に取ると、早速沙梨に連絡を入れた。
<沙梨ちゃん、みんなが会ってくれることになりました。授業が終わったら放課後合流できるかな?>
<本当に!? みんな喜ぶ!! ありがとう空ちゃん!!>
速攻で返ってきた返事は興奮交じりのものだった。
友達が喜んでくれるのはとても嬉しいはずなのに、この時、空のなかでは不安が生まれていた。