40.貴腐人ローザはけっして萌えを諦めない(3)
ところ変わって、王妃の間。
普段、カーテンを閉め切って、じっと周囲の動向に耳を澄ませていたドロテアは、この日すでに化粧まで済ませ、密かに呼び集めた子どもたちを前に、難しい顔で腕を組んでいた。
「そう。ローザは、本当にそう言ったというのね?」
「ええ、母上。ベルナルドにそう託けるのを、僕もともに聞いておりました」
「まったく、無欲というか、隙が無いと言うべきか……」
すっかりよそよそしさの取れたクリスとレオンも、ソファに腰掛け、同じ表情で溜息をつく。
その背後では、主治医として壁に控えたラドゥが、伝令として床に跪いていたベルナルドに、愉快そうな一瞥を向けていた。
視線を翻訳するなら、「うまく逃げたね」といったところか。
ベルナルドは膝をついたまま、今一度奏上内容を繰り返した。
「姉は今朝がた目を覚まし、ことの経緯と、王妃陛下からのありがたいお申し出を聞くなり、たしかにこのように申しました。『王妃陛下のご慈悲は、わたくしよりも、被害に遭った子どもたちと魔獣、そして破壊された教会に向けられるべき』と」
「んもう。せっかくレオンとの仲をお膳立てしようとしたのに、そんなことを言われては、そちらを叶えざるをえないではないの」
ドロテアは背もたれにどさりと体を預け、両手を上げながら天を仰いだ。
そう。
アントンへの褒賞と引き換えに、ローザを婚約者候補に配するタイミングを逸してしまった彼女は、「茶会で命を救ってもらった礼がまだだった。なんでも叶えるから、望みを好きに言いなさい」と、破格の申し出をしていたのである。
腐毒事件の犯人解明はアントンの手柄だが、毒の混入を見破り王妃を守ったのはローザ。
ドロテアは、あくまでそれに報いるという形で貴族世論を押し通し、なんとかローザを引き立てようとしたのだ。
そこでもし少女が、ひとかけらでもレオンとの接近を望むようなら、即座に茶会を仕掛け、クイーンズカップを押し付けてしまおうと企んでいたのだったが、返って来たのは、「自分のことよりもほかの皆の救済を」との返事。
その高潔さに感じ入りつつも、もっと年頃の少女らしい要求を、素直にしてくれたっていいのにとじれったくなる王妃である。
「しかも、具体的な救済内容まで走り書きした、それがこのメモだと言うの?」
ドロテアは身を起こすと、テーブルに置かれた一枚の便箋を取り上げる。
そこには、流麗な筆致で、半壊した教会の補修と、施設目的および管理者の変更、被害に遭った子どもたちについての提案が書かれていた。
「東二十一番教会を、被害者救済のため、教育機能を備えた孤児院に転換。事件の風化防止、および搾取された魔獣の弔いのため、名称を変更し、新たな管理者を据えて運営する、ねえ」
メモを読み込み、ドロテアは考え込む。
「実際、地下に魔獣を飼っていた施設は、もはや教会としては使えないでしょう。孤児院に変更するのは理にかなっていると思います。巻き込まれた子どもたちも、幸か不幸か、事件当時の記憶が曖昧で、かの場所への拒否感は無い……それどころか、自分たちが無為に殺めていた魔獣を悼んでいるとのことですし」
「念のため、破壊されたことを活かして、大胆に外観を変え、名称も、弔いの意味を込めて、バイコーンの名を取り入れたものに変更すると。魔獣にまで配慮するのが、ローザらしいな」
クリスやレオンもまた、メモを覗き込みながら頷いた。
静かに耳を傾けていたベルナルドは、そこで少しつらそうに俯き、補足した。
「姉は、バイコーンが自分のように思えてならないのだと、呟いていました」
「地下に閉じ込められ、搾取されていたことが、か……」
いや違う。
無垢なる男たちを愛好し、その結果身を滅ぼしてしまったことが、である。
だが、そのあたりのローザの心の機微は、もちろん誰にも伝わることなく、人々はただ、魔獣にまで労りを向ける少女の慈愛深さに、強く心を打たれるのであった。
「弱者に心を砕く優しさを持ちながら、こんなにも冷静かつ明確に物事の段取りをつけていける人間は、そうはいないわ。それもこの年で。いったいなにが、彼女をこうも突き動かしているのかしら」
ドロテアはほうと息をつき、しみじみと述べた。
だが、その翡翠のような瞳には、かつてのような鬱屈の色はない。
ただ、素晴らしい獲物を前にした獣のような、高揚と歓喜とが宿っていた。
「いいわ。ローザの望みだもの、叶えましょう」
ドロテアはソファを立ち、窓辺に向かう。
大きく窓を開けると、冬の朝の清々しい風に目を細めた。
もう、部屋に閉じこもることはしない。
息をひそめ、猜疑の目で周囲を見渡し、抑えきれない苛立ちを周囲にぶつけることなどするものか。
だって彼女は、とびきり楽しい目標を、手に入れてしまったのだから。
「ベルナルド、と言ったわね。安心なさい、ローザの無欲さに免じて、今回は彼女を囲わずにいてあげる。けれど……レオン、クリス?」
ドロテアは、獅子に例えられるレオンとたしかに血縁を感じさせる、物騒な笑みを閃かせ、小首を傾げた。
「わたくしも協力するから、全力で、あの子の外堀を埋めていくのよ」
「もちろんだ」
「もちろんです、母上」
王妃の申し出を利用して、うまいこと薔薇拡大計画を進展させたつもりでいたローザ。
だが、そのことがますます王族一家の感嘆を呼び寄せ、薔薇を拡大するどころか、自身への包囲網を拡大させてしまったことには――残念ながら、まだ気付いていないのであった。
短いので、次話のエピローグも続けて投稿させていただきます!