34.ローザは危機を抜け出したい(3)
下ネタ回です。
(はっ、はははは裸のっ、殿方がっ! た、たくさん……っ!)
ローザは先ほどから、脳内でさえ言葉を噛むほどに動揺していた。
(こっ、これがマティアス神父様のおっしゃる「わたくしの求めている答え」!? こ、これが、彼の披露したかったもの!? ご、ごめんなさい神父様、わたくし、あなた様の思うレベルにまで全然達しておりませんでした!)
なんということだろう。
これまで多くの春書をたしなみ、あまりにも多様な濡れ場を愛でてきたものだから、自分ではすっかり、その道五十年のやり手婆くらいの心持ちでいたのだが、そういえば現実世界では、家族以外の異性とはハグすらしたことのない、経験値ゼロの未熟者なのだった。
自分自身すっかり忘れていたが、ローザはこれでも、足首までを覆うロングスカートしか履いたことのない貴族令嬢だったのだ。
(さっ、鎖骨より下は弟のものも見たことがないというのに……っ、な、生の、お胸が、み、見え……っ!)
女性と異なり膨らみがないというのはもちろん知っていたし、なんなら聖画や春画で飽きるほど眺めてきたが、リアルのそれは存在感からして違った。
絵や小説の描写では伝わりきらない質感が、ローザの鍛えられすぎた感受性を刺激してやまなかったのである。
「おい、ローザ! 大丈夫か! 立てるか!? 大丈夫だ、バイコーンなら、倒せる。こいつの解体は慣れてるんだ。人間のほうも、正気を、失ってるようだが、俺が、倒せる。床に飛び散った、血にだけ、触らないよう、気を付けろ。毒がある」
「は……っ、は……っ」
いつまでも腰を抜かしたままのローザに、隣のフェイが声を掛けてくれる。
が、申し訳ないが、そんな場合ではないのだ。
初めて見る生身の男の裸に、彼女は萌え死と生存の境を片足立ちしているような状況だった。
(み、皆さますっかり擦り切れた服をお召しで、顔つきも虚ろで、いったいどうしたのか気になるところだけれど……いやいや、もうそれどころではない! それどころでは、ない!)
毒だなんだと言われたけれど、そんなもの、腐毒にすら耐性のあったローザにはなんの問題もないのだ。
むしろ、眼前の少年たちの存在こそが目に毒だ。
ほぼ裸。
それもいっぱい。
少年たちはローザたちの登場に反応したのか、うめき声を上げながら、鈍い動きでこちらに近付いてくる。
彼らのぼろぼろの衣服はあまりにも頼りなく、少年期特有の細い体を、ほとんどさらけ出してしまっていた。
しかも、ふらふらと互いにぶつかりながら歩くものだから、その拍子に、さらに服が破けたり、ずれたりしてしまうのだ。
(ああっ! 今、栗色の髪の少年が、体格のいい少年に躓いてしまったァ! 結果、し、下履きが、ず、ずれ……っ!)
ローザはひゅっと喉を鳴らした。
「ひ、や……っ!」
咄嗟に両手で顔を覆う、が、だめだ、隙間から覗かずにはいられない。
興奮にハァハァと息を荒げだしたローザに、いよいよフェイがその肩を掴んだ。
「どうした、ローザ!」
「み……見え……っ、見えてしま……っ」
「見える!? なにがだ!?」
(聞くの!?)
衝撃を覚えながら、ローザは引き攣った声で返した。
「そ、そのっ、なりなりてなりあまれる部分が……っ!」
「わからない。それはなんだ!?」
教養高さを発揮するべき場面でも、相手でもなかった。
追い詰められたローザは、とうとう涙目になって叫んだ。
「その……っ、ほ、本体が……っ!」
「本体?」
悲鳴のような主張を聞き取り、フェイは当惑した。
魔力を持つという貴族の彼女だから、この魔獣のおぞましい実体でも見えているのだろうか。
「あなたには、見えないというの……!? ほら、こんなに近くにあるのに!」
ショックを受けたように震えるローザを、フェイは困惑の目で見た。
「俺には見えない! くそ、まさか、幻覚の類か?」
「幻覚ですって? え? これは、わたくしにしか見えないの……? わたくしが、汚れているから……?」
マティアスからは、「選ばれた者たち」以外には、魔獣の血は猛毒になるのだと聞いていた。
もしやその毒がもたらす幻覚かと、フェイはあたりを付ける。
だがそれを指摘すると、ローザはしばし呆然とし、やがて再び両手で顔を覆って叫びはじめた。
「ごめんなさい!」
「ローザ?」
「こんなわたくしで、本当にごめんなさい。わたくし、さすがに自分が恥ずかしい……! 魂の底まで汚れきっていて、本当にごめんなさい……!」
声は震え、肩も小刻みに揺れ、ひどい取り乱しようである。
フェイは心配になり、ローザの顔を上げさせようと手を伸ばした。
「ローザ、なにを謝る。いいから、落ち着いて――」
「い……いやっ、お願い、フェイ、こんなわたくしを、見ないで――!」
(なに寝取られた人妻みたいなセリフ叫んでるのォおおおおお!?)
ちなみにそのとき、遠く離れた王城では、アントンが両手を頬に当てながら悶絶していた。
本当に、どうしてこうなる。
痴少女が興奮しているだけだというのに、なぜ、「悲惨な過去を過ごした美少女がトラウマの幻覚に苦しめられている」みたいな状況に聞こえるのか。
おかげで、聴衆である四人は、思春期特有の凄まじい妄想力を発揮してしまったのか、真っ青を通り越して真っ白になっている。
クリスが「兄上! やはり国宝を!」などと主張しはじめたのを聞き、もはやこれでは混乱を煽るだけだと思ったアントンは、強制的に術を打ち切った。
「おおっとぉ! 魔力を使い切ってしまいましたァ!」
「大丈夫だ。やり方は覚えた」
が、すぐにレオンが指先を持ち上げ、即座にアントンとほぼ同じ術を展開する。
(おいふざけんなよ天才かよ!)
動揺のあまり、アントンは内心で口汚く罵った。
というか、一国の王子がやすやすと禁忌の術に手を出してよいのか。
だが、アントンの狼狽をよそに、レオン発の風紋術は実に鮮明に音を拾ってゆく。
はあ、はあ、と、苦しそうな呼吸の合間に、悲痛なローザの独白が聞こえ、アントンは白目を剥くかと思った。
『いっそ、倒れてしまいたい……っ。いえ、だめ、だめよ、約束したのだったわ』
『気絶しては、いけない……っ。もうこれ以上、心配を、かけては』
(いっそそこは素直に倒れておくれよォおおおおお!)
いったい誰だ、ローザに「気絶するな」と約束させた人間は。
自分だ。
おかげで、ローザは丈夫に見えるどころか、「本当はつらいのに、それを周囲に見せないと決意した健気な少女」にしか見えない。
『大丈夫……わたくしは、大丈夫。大丈夫……っ。いつものように、平静を、装うのよ』
「ローザ……!」
少女の独白に声を詰まらせる一同を見て、アントンは悟った。
――これ、今後どれだけ「ローザ残酷物語」を否定しても、絶対に信じてもらえないやつやん、と。
怒涛の勢いで悪化の一途をたどる状況に、もうどうしていいかわからない。
呆然とするアントンをよそに、そのとき、事態が急転した。
――ゴォ……ッ!
風の膜から、なにかを吹き飛ばすような轟音が響いたのである。
「なんだ!?」
「わからない!」
レオンの紡ぐ風紋術では、音声だけしか拾えないため、状況が読み取れない。
焦れたベルナルドが、ばっと窓から身を乗り出し、教会の方角を見て声を上げた。
「…………! 教会の上空に、凄まじい魔力の渦が!」
「なんだと!?」
たしか、マティアス神父は、微弱な魔力しか持ちえぬために聖職者を志した人物だったはずだ。
となれば、強大な魔力を揮えるのはローザしかいない。
「ローザが、自力で状況を打破したってこと?」
「でも、あんなに精神を乱しておいて?」
ラドゥやクリスが訝しむ横で、風紋術を紡いだままのレオンがはっと顔を上げた。
「誰のものにせよ――強い魔力の発動だ。これなら、移転陣が使える!」
術者が誰であれ、とにかく魔力の痕跡があれば、それを着地点と指定して陣が使えるというのである。
一同は瞳に希望を浮かべ、レオンを振り返った。
「やった!」
「僕、すぐに騎士団から移転陣を持ってきます!」
「では僕は補助を。兄上、陣の術式構築にはどのくらいの時間を見込めば?」
「ベルナルドが陣布を携えて戻ってくるまでには、構築しておくさ」
にわかにその場が活気づく。
打合せもなしに、それぞれが最善の役割のために走り出しながら、彼らは一心に、ローザの無事を願った。