17.ローザは愛を味わいたい(2)
(やはりベルたんは、一度怒ると「攻め」たちすら逆らえない、人類最強の「受け」……)
まるで月光を背負ったラスボスのような弟の激昂ぶりを思い出し、ローザは身を震わせた。
毒を受けた身だからか、それとも女だからか、ベルナルドはうかうかと婚約フラグ強化をしてしまったローザを責めることはせず、こうして細やかに体調を気遣いさえしてくれる。
だが、これ以上の失態を重ねれば、薪の次にこの暖炉に投げ入れられるのは自分ではないか、いや、そうに違いない――と、そんなことを思い、ローザは強く気を引き締めた。
(正直、せっかく腐レンドになれた王妃陛下と離れるのは未練が残るけれど、それどころではないわ。今度こそ大人しくして、婚約者レースにしっかり出遅れなくては)
攫われるようにして下町に来たため、アントンともゆっくり話せていないが、聞いたところでは、友を息子の婚約者にと意気込む王妃に対し、「事件を解明した人物こそ引き立てられるべき」と彼が諭してくれたのだという。
つまり、無為に日々を過ごし、その間にほかの令嬢なり貴族なりが活躍してくれれば、ローザのレース順は後退確実だ。
(ん? 待って。ということは、ベルたんが腐毒事件の黒幕を突き止めれば、ベルたんがレオン殿下の婚約者ポジに急浮上という可能性も……?)
ふとそんなことを思ったが、ローザは即座にその考えを振り払った。
最近どうも、自分のやることなすことが裏目に出がちだ。
ここは大人しく身をひそめ、王城の事件には一切かかわらず、孤児院ライフを粛々とエンジョイするに限る。
ローザは自身にそう言い聞かせ、うんうんと頷いた。
「ただいまー。あれ……? ベル兄、もう来てた!」
とそこに、複数の足音とともに、勢いよく扉が開く。
どうやら孤児院の子どもたちの一部が、一仕事終えて帰って来たらしい。総じてベルナルドより年下と見える彼らは、わあっと歓声を上げると、次々ベルナルドに向かって駆けてきた。
「わあ、ベル兄! 久しぶり!」
「すっげえ! まじで王子様みたいじゃんか! かぼちゃパンツは履かねえの!?」
「小遣いちょーだい!」
ベルナルドは慣れているのか、子どもたちに「おう」だとか「ねえよ」だとか次々タッチを交わし、最後の一人――赤毛にそばかすの少年だ――にはデコピンをおまけした。
「ばぁか」
などと、にっと笑って。
(ンミ゜ァ゛ッ!)
見守っていたローザは、脳内ですら発音しきれぬ悲鳴を上げ、勢いよく崩れ落ちた。
(ベ……ッ、ベルたんが、かっこきゃわゆいおにいちゃんしてる! かっこきゃわゆいおにいちゃんは好きですか!? はい! 好きです!)
少年らしい悪戯な笑みを浮かべる推しの周りに、目を輝かせた子どもたちが群れ集う、この光景の尊さときたらどうだろう。
もしやこれは、聖書で描かれる至高神ベルクと十二天使の遊戯、その再現だろうか。
いや、もはやそれをも上回る眼福さだ。
なんと言っても、日頃幼い口調で「僕」と話すベルナルドが、お兄さんぶって男らしく話す感じがよい。とてもよい。
彼自身は口調の切り替えを気にしているのか、ローザの反応を窺うようにちらりと視線を寄越してきたが、もちろん「これ以上ないほどよいです」の気持ちを込めて、ローザは小さく頷いた。
いや、本当なら盛大に頷いてサムズアップくらいしたかったのだが、うかつに顔を動かすと鼻血が垂れそうだったのだ。
仕方なく脳内で、ばんばんと床を叩き、天に両手を突き上げながら歓喜のバク転を決めたローザは、現実世界に舞い戻り、顔を引き締めた。
「腐腐、みんな興奮しているのね。わたくしにも挨拶をさせてくれるかしら」
この場で最も興奮しているのは自分だ。
そんなのわかっている。
ローザは極力鼻血の危機を回避するため、慎重に立ち上がって、ゆっくりとお辞儀した。
「初めまして。ベルナルド――いえ、ベル兄の姉、ローザよ。これからしばらく、ここでお世話になります。どうぞ、ローザ姉と呼んでね」
そう微笑みかけたローザだったが、少年たちがぽかんと口を開け、声もなくこちらに見入っているのを見て、はっとした。
(し、しまった! 調子に乗ってしまったわ!)
ベルナルドたちが輝ける登場人物だとしたら、ローザはあくまでその背景に植わった木。
そんな自分がベルナルドと同列の扱いを求めるなど、おこがましいにもほどがある。
「あ……。その、やっぱり、『ちょっとそこの人』とかで……」
震え声で訂正すると、少年たちはさらに黙り込んだ後、おずおずと、
「じゃ、じゃあ……ローザ様、で……」
と、礼儀正しくもよそよそしい呼称を提案してきたので、ローザは悄然とそれを受け入れた。
(冷静に……冷静になるのよ、ローザ。これからの日々、いくらベルたんの下町日常ショットが見られるからって、自分がそこに割り込んではいけないわ。あくまでわたくしは路傍の石、いいえ、宙を舞う埃くらいの存在感で、そっと彼らを見守るの……)
ちょっぴり悲しくなりながらも、改めて己の本分を胸に刻む。
だいたい、寛容なベルナルドは自分の腐趣味を受け入れてくれているものの、世の中一般でそれを披露したとして、とうてい容認してもらえるとは思わない。
腐的興奮は極力抑えて、ベルナルドの立場が悪くならないよう、無難な姉を演じてみせよう。
幸い、ここは品のよさとだとか、雅だとかとは縁遠い下町。
綺羅、星の如く煌く、至高の薔薇人材が集いし宮城に比べれば、悶えるほど興奮する機会というのもそんなに――。
「あっ、フェイ兄も帰って来た! ねー、フェイ兄、ベル兄とローザ様だよー!」
(ぶっふぉおおおおおおおおおお!?)
ところがその矢先、ドアがぎいっと開いて新たな人物が加わり、その正体を認めたローザは脳内語調を大いに乱す羽目になった。
首の後ろで結わえた長い黒髪に、一重の切れ長な、やはり黒い瞳。
血が混ざっているのだろうか、どことなくベルク人らしい高い鼻筋と、けれどこのあたりでは見かけない、わずかに黄みがかった肌色。
寡黙さと、磨き抜かれた刀身のような鋭さをまとう彼は、間違いなく、
(ベルたんの、幼馴染くんんんんんん!)
歌劇場で見掛けた、オリエンタルイケメンであった。
「フェイ」
気付いたベルナルドが軽く片手を挙げれば、涼やかな佇まいの少年――フェイというらしい――は、ちらりと視線だけを寄越す。
「早いじゃん。今日、飯当番?」
「…………」
「この人が、前に言った『姉様』。しばらく世話になるから、よろしく」
「…………」
いつもよりだいぶ砕けた物言いで話しかけるベルナルドに対し、フェイはなにも返さない。
ただ、ベルナルドたちの傍らを通り過ぎて、屋根裏に続く階段へと向かうとき、小さく「ふん」と、相槌のような、それとも鼻白むような声を漏らしたのだけが聞き取れた。
「すみません、姉様。フェイ――あいつ、無口だし、不愛想で。根はそんな悪いやつじゃないんですけど。でも、飯当番があいつなら、今日の夕飯は期待していいですよ。たぶんスープだ」
ベルナルドはそう肩を竦めるが、それをよそに、ローザはそっと自分の口元を覆った。
――よかった。垂れてない。
思わず鼻血の有無を確認せずにはいられないほどに、興奮していたのだ。
(なに? なんなの? このパーフェクトな組み合わせは、なんなの……っ!?)
髪の色で言うならまるで光と闇、瞳の色で言うならまるで青空と宵闇、二人で一対の色合いを持つ、ベルナルドとフェイ。
いつまでも無垢な天使のようであるベルナルドと、青年の階を上る途中であるがゆえの、しなやかな精悍さを誇るフェイ、その対比の見事さときたらどうだ。
しかも、わずかな視線の動きと、素っ気ない言葉のみのやり取りでありながら、互いにしかわからないような意思疎通ができているのが、また堪らない。
この二人、相性がよすぎではないだろうか。
(ねえ、夫婦? 夫婦なの?)
さながら今の一幕は、仕事の疲れから一層無口な働き者の夫と、そんな夫に苦笑しながらも心の底では愛している世話焼きな女房といったところか。
しかも、ちょうど周囲には、あどけない表情を浮かべた子どもたちもいる。
もはやこれは、夫フェイ、妻ベルナルドを中心とする、家族ということにほかならないのではないだろうか。
ここは、孤児院という名の愛の巣だったのだ。
(ベルたんったら、すでに夫ある身だったなんて……! 王城に置いてきた殿下は、遊びだったの!? ああ、わたくし、これからBLハーレムをどうプロデュースしていけばよいの!?)
告白しよう。
実はローザは、ベルたんハーレムの中では、「俺様攻め」であるレオンを筆頭旦那候補として見込む気持ちがあった。
だが、こんなにお似合いな二人の姿を見せつけられては、至急布陣の見直しを行わなくてはならない。
衝撃的な展開と使命の重大さに、ローザは眩暈を覚えた。
「姉様? 顔色が悪いですが……大丈夫ですか?」
「大丈夫よ、……いえ、やはり大丈夫ではないかも。わたくしの心臓、もつかしら……」
興奮すまいと決意したそばからこれで、実に先が思いやられる。
(とにかく、フェイ×ベルの関係性については要刮目ね。ああでも、それはまるで太陽を見るような危険行為。わたくし、自分の目を焼かないように気をつけなくては……)
心配そうにこちらを見るベルナルドには気付かず、ローザは再度、己を戒めた。