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14.ローザはフラグを回避したい(8)

「この子は……そんな状況下にあっても、その高潔さを維持してきたというの……?」


 ローザを見下ろす翡翠色の瞳、とうとうそれが、潤んだ。


 この王宮で初めて、ドロテアに薔薇が相応しいと言ってくれた少女。

 なにより欲しかった言葉で、いともたやすく人の心を救ってみせた彼女は、しかし自身は深く傷つけられていたというのか。


「守られるべき相手から傷付けられ……それだというのに、他人に対して、手を差し伸べてみせたと、いうの……っ?」


 ぽろりと一粒、涙が落ちる。


 虚勢を毛皮のようにまとってきた王妃が、とうとうその脆い心をさらけ出したのだ。

 厚い氷で覆われていた心は、本来の、いや、それ以上の熱さを取り戻し、せき止められていたぶんだけ激しく波打った。


 王妃は今、目の前で静かに眠る少女のことが、眩しくて、愛おしくてならなかった。


「ごめんなさい……っ。本当に、ごめんなさい……っ。わたくしのために……っ」


 力なく垂れる腕を取り、そこに額を押し付ける。

 少女が命までかけて差しだしてみせた友情と慈愛が、ドロテアの全身に、どうどうと音を立てて広がっていった。


「母上……」


 レオンとクリスは無意識に、母の背中に手を置く。

 レオンに至っては、ほとんど初めて彼女を母と呼んだのだったが、そのことに気付かぬほど、それは自然な変化だった。


「毒を盛られたのは、あなたの責任ではない」

「母上が詫びると言うなら、僕たちも詫びねば。あなたを誤解して、こんなにも追い詰めていた。もっと早く母上の人となりに触れていたなら、変わった未来もあったかもしれないのに」


 彼らは、ローザが明らかにしたドロテアの姿を、不思議なほどにすんなりと受け入れられる気がした。


 今になって思えば、罪を犯したカミルを罵ったときだって、そうすることで極刑を避けたようにも見えた。

 レオンだって、属国に送られたことで、自由な少年時代を得られた。

 クリスだって、世継ぎ競争に加わったおかげで、女だからと舐められることもなく、豊かな教育環境を手に入れた。


 息子の命を狙っただとか、子どもを玩具としか思っていないだとか、周囲は好き勝手にドロテアに悪評を立てるけれど――本当の彼女は、とびきり誇り高く、不器用な人なのだろう。レオンたちはごく自然に、そう思えたから。


 手のぬくもりを感じたドロテアが、驚いたように子どもたちを振り返る。

 そして彼女は、一瞬くしゃりと顔を歪めると、次には表情を引き締め、ローザに向き直った。


「……わたくし、この子に報いなくては。彼女が差しだしてくれたのにふさわしい友情を、わたくしからも返すわ。あなたたちがそうしているのと同じく、この子を……ローザを、なにからも手厚く守ってみせる」


 虚飾の皮を脱いだドロテアというのは、実に義理深い人間であったらしい。


「手始めに、彼女が目覚めたら即座にクイーンズカップを押し付けましょう。わたくしは腐っても王妃。その後ろ盾があれば、なにかの足しにはなるかもしれない。それで、次期王妃候補となった彼女の教育のために、週に五回はわたくしの離宮に通わせましょう」


 それでもって、さすがレオンやクリスの母と言うべきか、彼女は一度懐に入れた人間に対しては、強く執着する性質であったようだ。

 彼女はくるりとレオンを振り向くと、真顔でその肩に両手を置いた。


「正直、好いた女性を部屋に軟禁するという発想はどうかと思うけれどね、レオン。本人に気付かれぬ程度に、外堀をしっかり埋めておくというのは、わたくし、アリだと思うわ」


 いや、度合いとしては、ドロテアのほうがより病んでいるだろうか。

 久方ぶりに味わった「友情」の甘美さに、彼女はどっぷりとはまり込み、子どもたちに勝るとも劣らぬ速さでローザを囲い込もうとしていた。


「いえ、あの、お待ちを!」


 これに対し、慌てて制止を掛けたのは、誰あろうアントンである。

 彼はここまで、ローザがどんどん美化され、神聖化されていく事態に驚愕し、完璧に硬直していた。


 なんと言っても、彼の中でローザとは、性的嗜好を腐りきらせ、外見とは裏腹の図太さを持った少女である。

 周囲の言う「虐待に遭って」だとか、「それでもなお慈愛の手を差し伸べ」といった描写が、どうにもそれとマッチせず、彼は完全に混乱していたのである。


(あの子が男どもから好意を寄せられているのは理解していたが、まさかこんなに美化されているものとは。それに、虐待? 男が怖い? 少なくとも私は、男に怯えるどころか、興奮する姿しか見たことがないぞ?)


 なんだか嫌な予感がする。

 ローザを叩き起こして事情を問い質したいところだが、ひとまず追及は機を改めるとして、アントンは目の前の緊急事態回避に注力することにした。


 なにせ、このままでは本当にローザが王族たちに捕獲されてしまう。

 それは巡り巡って、アントンの身に災厄が降ってくるということである。


「皆さま、一度落ち着かれてください。倒れた詫びにと彼女を王太子妃に推すのは、いかがなものでしょうか。たしかにローザの現状は痛ましい限りですが、あれは彼女が好き勝手……彼女の意思で行ったことです。もしかしたら、皆さまが思い描くような、大層な理由などなかったかもしれない」


 事実その通りなのだが、この場で唯一真実を見通したアントンの発言は、周囲には眉を顰めて受け入れられた。


「アントニー神父、なぜそんなことを? ローザの献身は、誰の目にも明らかじゃないか」

「わたくしの目から見ても、間違いなく彼女こそ、王太子妃候補にふさわしい人材だわ」

「目の届かぬところに置いていては、次はどんな危機を吸い寄せるかわからないしな。早々に肩書と後ろ盾を与えて、厳重に庇護しなくては」


 クリス、ドロテア、レオンが、息の合った親子そのものの連携を見せる。

 アントンは顔を引き攣らせながら、努めて穏やかに説得を続けた。


「ですが、毒入りと知った紅茶を飲むことが、真に賢明な行動と言えるでしょうか。自己犠牲は聖書の中では美徳ですが、王族の妻となるならば、現実的な問題解決を行える人物でなくてはならない。それとも、仮に王太子妃となった彼女が、問題に遭遇して死にかけるたびに、あなた方は彼女を賛美するというのですか?」

「それは……」

「少なくとも、癒術師的観点から言わせてもらえば、『ふざけんなよこら』って言って叱りつけたくなるかな」


 言葉に詰まった王族三人のよそで、ラドゥがぼそっと呟く。

 もちろん彼としては、ローザがレオンの婚約者候補に収まってしまうのは面白くないからだ。


 ここに分裂あり。

 「ローザの安全」がキーワードだと素早く嗅ぎ取ったアントンは、巧みにラドゥを巻き込みながら、婚約フラグ回避にこれ努めた。


「そうですよね、癒術師殿。このタイミングでローザを婚約者候補に仕立てようというのは、彼女の安全の観点からも実に危険です。なぜなら、下手人の小姓は割れても、その真意はまだ明らかになっていない。もし彼らの後ろで糸を引いている人物がいれば、真実の瞳とやらを恐れて、次はローザを狙ってくるかもしれないからです」


 アントンは、ローザの紫瞳は単に腐っているだけで、とくになにを見通すものでもないことを知っている。

 だが、ここでは、ひとまずローザを持ち上げてでも、王族一味から彼女を引き離すべきだと本能で思ったのだ。

 このままぼんやり王城内にいては、ローザはあっという間にクイーンズカップを飲まされ、王妃の離宮に軟禁されてしまうだろう。

 数カ月後にはもれなく、王子の婚約者にご就任だ。


 ローザを待つのは男といちゃつく日々、

 そして自分を待つのは、身バレしてむさ苦しい修道院に押し戻される日々。


(それだけはなんとしても避けたい……!)


 よって彼は、いかにも聖職者然と見える己の顔を最大活用して、朗々と語ってみせた。


「真に王太子妃にふさわしいのは、自ら毒を飲みに行くのではなく、毒を仕込んだ悪党を見抜いて裁く人物でしょう。そして、真にローザを想うならば、傍に置くよりも、安全な場所に彼女を避難させるべきです。つまり――」


 そうして彼は、この場からの逃走を優先するあまり、こう言い放った。


「今あなた方がすべきは、ローザにクイーンズカップを飲ませることではない。彼女を、危険な王城から一刻も早く離れさせることです」



 ――それが、次なる火種を呼び起こし、やがて自分の尻に着火するのだとも知らずに。

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◆コミカライズ開始!
貴腐人ローザコミカライズ
― 新着の感想 ―
こんな素晴らしいミステリー小説、初めて! もう、天才!!
[一言] 神父さまが自爆する日をお待ち申し上げておりますwww
[一言] ローザの紫瞳は腐っているかもしれませんが、(特定分野の)観察眼に関しては随一ですね。それがプラス方向に行くのは流石は天性の薔薇の使徒。(ただし考察は斜めを通り越して540度くらい回転してます…
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