4.ローザは「推し」を育てたい(1)
最高だ。
ベルナルドがやって来てからの三カ月というもの、ローザの人生は毎日輝いていた。
「さあ、今日はお菓子作りに挑戦してみましょうね。材料を入れる順番には気を付けて。砂糖と小麦粉、どちらが先か。……どちらが先か。そう、順番ってとっても大事よ」
「今日は数学を進めましょう。掛け算の復習からよ。わたくし、掛け算って大好きなの」
「古典を読むときには行間を味わって。行間を読む技術というのは、なにより重要なのよ」
安息日を除くすべての日、ローザはベルナルドにぴったりとくっついて、手取り足取り腰取り授業をしている。
本当は、ラングハイム領と関わりのある高名な指導者や学者に師事させるつもりだったのだが、彼らにはやんわりと断られてしまったのだ。
もちろんその理由は、「ベルナルドを教育することで、ローザを後継者から退かせたくない」というローザへの配慮だったのだが、当の本人はそれに気付かず、「わたくしって人望ないのね……わかってたけど」とショックに肩を落とすだけだった。
だが、すぐに「これはむしろ接近のチャンス!?」ということに気付き、嬉々として自ら教師役を買って出た。
多くを独学でまかなってきた自分に教師役が務まるのかは不安だったが、ベルナルドは楽しんでくれているようだ。
ただ、
「今日は昼からうさぎ狩りに行きましょう。その後はうさぎ肉の調理に挑戦してみましょうね。骨格と血管の配置を午前中にしっかり学んでおくのですよ」
「……自分で捌くのですか?」
「? ええ」
時折、ベルナルドがおずおずとこちらを見上げてくるのが、めちゃかわながら、少々気に掛かってはいる。
「昔ね、お父様があまりにアレなものだから、料理人たちが一斉にストライキを起こしてしまったことがあったの。いつまたそういうことが起こるか、わからないでしょう? いざとなれば自分で肉を狩って、調理できるようでなくてはと、自主的に課題に取り入れたのだったけど……」
補足しておくと、狩りや調理を始めたのは、当時猟師モノでの妄想にハマっていたからでもあるのだが。
同様の経緯で、ローザは縫合・抜糸の技術や刺繍、金属の製錬、一通りの調理技術、主要諸国の言語を身に着けている。特技の遍歴は、そのまま萌え嗜好の遍歴でもある。
ついでに、何度も生命の危機に接しないと増大しないという魔力も、萌えの力であまりに心臓に負荷を掛けすぎたため、六歳時点で既に治癒魔力が高レベルで発現していた。
途中からはあまりに肝が据わってしまったせいか、魔力の成長は早くに止まってしまっていたけれど。
「ごめんなさいね。男性と女性、そして市民と貴族では、きっと身に着けるべき教養も違うのでしょうね。あまりに授業が厳しいようなら、そう言ってくれていいのよ」
「いえ……頑張ります」
父親のせいで女手を屋敷に留めるわけにはいかず、普通の淑女教育を受けられなかったローザとしては、自分の鍛錬内容が一般的であるか、実は自信がない。
恐る恐る告げると、ベルナルドは小声ながらそう答えてくれたので、ローザはほっとした。
(よかった。下町での暮らしは過酷だと聞くし、それを乗り越えてきたベルたんにとっては、きっとこのくらい楽勝よね。わたくしとしたことが、ベルたんを過小評価してしまうところだったわ)
いけない、いけない、と首を振る。
世界一素晴らしい推しを見くびるなんて、人として一番やってはいけないことだ。
ローザは改めて、生物学の教本とにらめっこするベルナルドの横顔をうっとり見つめた。
この三カ月、ローザが徹底的に栄養管理し、完璧な食事と運動を与えてきたために、彼はみるみる本来の美貌を取り戻しつつある。
さらりとした髪は金糸のようだし、柔らかさを残した頬はミルクのよう。
そして、あどけない水色の瞳は、南の海か、そうでなければ宝石のようだ。
(はあ……ぺろぺろしたい……)
あの父親の血を継いでおきながら、どうしてこうも美しい顔が生まれるのだろうか。
うまいこと掛け合わさってくれた遺伝子に、渾身の拍手喝采を贈りたい。
しかもベルナルドは、実に素直で、一つしか年の違わないローザからの教えを、なんの反発もなく染み込ませてゆくのだ。
文字はわずか一カ月で覚え、数字には強く身体能力も高い。
貴族の血が入っているなら、いずれ魔力も発現するだろう。
(この、圧倒的素直……。白い布を、自分色に染め上げてゆく感覚……っ。ああ、きっとこれが育成系「攻め」の感じるであろう快感なのね)
将来の「攻め」の醍醐味を先取りしてしまっているような気がして、少しばかり心苦しくなったが、それ以上にローザはこの快感に酔った。鼻血が出そうだ。
(以前は、「ちょっと影のある」なんてオーダーをしたものだったけれど……ああ、神様、もう十分です。今の素直で無垢なベルたんで、十分です!)
たぶん異母弟にこれ以上萌え要素を搭載したら、ローザは尊死する。
にまにまと――傍目には、にこにこと――ベルナルドのことを見つめていると、視線に気付いた彼は、おずおずとこちらを振り返った。
「あの……姉様、どうかしましたか……?」
「いいえ。今日もあなたが本当にかわいいなあと思って。ねえ、長文を読むのはまだ少し苦手でしょう? よければ夜に、読み聞かせをしに行きましょうか?」
下心を百分の一ほどに希釈して告げたが、「かわいい」の語は、もしかしたら年頃の少年には禁句だったのかもしれない。
ベルナルドは口を引き結ぶと、
「……いえ、結構です。もう、寝かしつけてもらうような歳でもありませんから」
ぷいと顔を背けてしまった。
(……ッんア! そっ、そんな仕草もめちゃかわ!)
どうしたことか。
異母弟が自分の息の根を止めにかかってくる。
「腐腐っ、かわいいところが素敵なのに。でもそれなら、代わりに今度遠乗りに出かけましょう。大人の嗜みよ。馬蹄の作り方から教えてあげるわ」
「……馬蹄から作るのですか」
「馬蹄は幸運を呼ぶのよ。幸運を自分で作るなんて、縁起がいいでしょう?」
ローザは幸せだった。舞い上がっていたのだ。
だから――彼が湛える静かな緊張感に、気付けずにいた。
***
「あら……? おかしいわね、耳飾りが一つ足りない……?」
朝、身支度を整えようとしたローザは、鏡台に置いてあったはずの金の耳飾りが見当たらないことに気付き、ことりと首を傾げた。