9.ローザはフラグを回避したい(3)
(ど、どういうことなのかしら、これは)
ローザは混乱していた。
それもそのはず、ローザは、開始より一時間以上早く会場に来たつもりだったのに、すでにお茶会が始まろうとしていたのだから。
(花壇をめちゃくちゃに乱す作戦を実行しえないまま、ぬるっとお茶会に合流してしまったわ……!)
そう、ローザは開会に先んじて庭園に忍び込み、ドロテア妃が誇るという花々を、むしってしまおうと考えたのだ。
王妃の所有物を荒らすのは明らかな重罪だけれど、一方で、花泥棒は罪にならないなどとも言う。
法的にぎりぎり罰されない、けれど最大限犯罪に近い行為を実行すべく、ローザなりに真剣に検討を重ねた結果の選択だった。
妙な真面目さのある彼女は、教師の望む以上の成果を出すべしと意気込んでいたのだ。
本当は茶会が始まってから目の前でむしるほうがよいのだろうが、王妃は常に体格のいい小姓たちを侍らせていると聞くから、開始してからでは、彼らにあっさり妨害されてしまうかもしれない。
それゆえ開始前――運営側として先に会場入りするというクリスよりも早く行動したつもりだったのに、先手を打つどころか遅刻寸前とは。
メイン会場のほうから聞こえる人の声を不思議に思い、工作現場を抜け出してきた瞬間、令嬢たちがそろい踏みをしているのを見たローザの、その驚きは格別であった。
(一時間前集合が王城のマナーということ……!? くっ、全然知らなかったわ。わたくしって本当にマナーを身に付けられていなかったのね)
もちろんそんなマナーはあるはずもなく、一時間遅い開会を案内した王妃の企みと、庭を荒らすべく一時間早く潜入したローザの思惑がバッティングして、こうなっただけである。
が、そうとは知らぬローザは、予想以上に難解な王城の流儀に、改めて不安に駆られた。
こんなことで、無事にマナー違反をできるのだろうか。
(いえ、自信を持つのよ、ローザ。遅刻できたならむしろ上々の滑り出しだわ。それにごらんなさい、予想外に皆さま地味だけれど、喪服レベルなのはわたくしだけ。しかも、頭に花を咲かせた女なんて、ほかにいやしないわ)
クリスに席を勧められながら、ローザは素早くテーブルを見回す。
事前情報にあった華やかな装いをした令嬢――頭の上に船を乗せたり、全身を鳥の羽で飾り立てたりといったことが実際あったらしい――はなぜかいないが、ローザ以上にしけた装いの者もまたいない。
ドレスの色こそ大人しいが、それぞれに意匠をこらしてあり、髪もきちんと結い上げ、小粒の宝石で彩っていた。
引き換え自分はと言えば、かつてこの格好で修道院慰問に行った際、褒め上手の院長にさえ「直視できない」と目を伏せられたレベルの装いだ。
見るに堪えないみすぼらしさには自信があった。
しかも、服は葬式のようでありながら、頭には結婚式のように花を挿すという浮かれ具合。
さらに言えば、頭にぶっ挿したこの薔薇の花は、先ほど、この庭園の奥にある小さな薔薇園から拝借したものである。
月下香が咲き乱れた庭園で、隠れるように薔薇も咲いていたので、嬉々として摘んでみたのだ。
その直後にうっかり茶会に合流してしまった結果、花はこの一輪しか盗めていないが、まぎれもなく花泥棒ではあるので、ひとまずよしとする。
あとは、いつ王妃に犯行を匂わせるかの問題――のはず。
順調な滑り出しのはずだ。
(ですよね、叔父様……!?)
ローザはこっそりアントンに視線を送り、彼が奇妙な笑顔を浮かべているのを見て困惑した。
あれはどういう意味の表情なのだろう。
皆絶句していたし、クリスも「おまえが一番貧相だ」と言ってくれたのだから、たぶん大丈夫なのではないかと思われるのだが。
「それにしてもローザ、俺たちの用立てたドレスはどうしたんだ?」
と、自席に戻りしな、どうしても気になったのかレオンが尋ねてくる。
ローザはよくぞ聞いてくれたとばかりに、自身にできる最大に邪悪な笑みを浮かべてみせた。
「わたくしには似合わないと思いましたので、売る算段を付けましたの。売上げは、すべて修道院での識字教室に流用する予定ですわ」
内心でローザは、どうだ! と見得を切った。
パトロンに相談もなく、似合わないなどという理由で勝手に転売。
しかも売上は貴腐人教育に使用するという利己性爆発ぶり。
これで引かなきゃ人じゃない。
自信を持って周囲を窺えば、やはり皆驚愕に息を呑んでいる。
ローザは心の中で小さくガッツポーズを固めた。
いや、
(おおおい! 王妃陛下の発言を汲んだみたいに慈善活動しちゃってどうするのだい、君ィ!?)
勝利を確信しているのは本人ばかりで、実際には皆、ローザの行動に強く胸を打たれているわけであった。
それを察して、アントンは心の中で絶叫した。
なにしろ、派手なドレスを「当面自粛する」よりも、「弱者に向けて手放す」ほうが、数段実のある「清貧」さであることは間違いない。
通常ならそれでも、勝手にドレスを手放したことに非難が集まろうものだが、奇しくも王妃の「視線を誘う云々」という発言が原因で、異性からの厚意を躱すことは、むしろ称賛される流れになってしまっていたわけだ。
(しかも、なんだいその悲しげな微笑みは!)
そう、眉間を強張らせぎこちなく口の端を持ち上げる表情は、まるで「自分には華美なドレスなど似合わない」と自嘲しているかのように映った。
邪笑が下手にもほどがある。
焦ったアントンは、素早くフォローに乗り出した。
「同志、マティアス神父。本日も聖なるご加護がありますように。どうぞこちらのお席へ」
少しばかり声を張り、王妃の近くに佇んでいたマティアス神父に席を勧めたのである。
女の戦いに突如挟まれ、身動きを取れずにいた哀れな同職者は、ほっとしたように席につき、「聖なるご加護を」と返しながら、感謝の視線を寄越した。
ゲストが全員着席したことで、王妃は茶会を開始せざるをえなくなる。
場の流れが変わり、ドレスの話はいったん打ち切られることとなった。
「……このたびは、ようこそわたくしの茶会へ。ここにいる皆さまは、娘が日頃お世話になっている方ばかり。一人の母親として、心よりお礼申し上げますわ。どうぞ皆さまも肩の力を抜いて、冬なお美しい花々と香り高いお茶をお楽しみになって」
両方のテーブルに向かって、ドロテアが女主人として挨拶を紡ぐ。
さすがレオンとクリスの実母だけあり、その姿は二児の母とは思えぬほどに麗しかった。
声にも張りがあり、しかも艶を帯びている。
禁欲的なドレスをまとってなお豊満さを強調するシルエット、甘さを含んだ翡翠の瞳、ふっくらとした唇。なるほど彼女には、高潔な薔薇でも清純な百合でもなく、酔うほどの芳香を放って咲きこぼれる月下香がよく似合った。
ここからしばらく、途中に予定されている庭園の散策を済ませるまでは、男女分かれての歓談となる。
王妃の趣味と思われる、麗しい顔立ちの小姓たちが優雅に茶を淹れてまわり、テーブルには会話が生まれはじめた。
「まあ、なんて繊細なお茶菓子でしょう。もしやこれは、シュルツ工房の新作ですの?」
「目の肥えていることね、ペトロネラ。まあ、王都住まいの娘なら、知っていて当然なのかしら。わたくしが特注して作らせたのよ。本物の花弁が入っていて、まるで花を食べているような気持ちになるの」
「なんて素敵なのでしょう、王妃陛下。目からも舌からも、花を楽しめるだなんて!」
「王都にはなんでもあるけれど、冬に花が少ないことだけが難点ね。田舎なら、誰でも花に親しむことができるようだけれど。それでもこのお菓子があれば、とうとう王都にないものはなくなるわ。そう思わなくて?」
花に親しむ、のあたりは、髪に花を挿したローザへの揶揄だろう。
遊興好きな王妃として、連日茶会や夜会をこなしてきたドロテアは、女主人としての振る舞いも板についている。
話題を選び、表情や言葉選びを微細に調整することによって、彼女は場の空気を自在に操ることができた。
直接的な言葉はなくとも、いつしか会話は特定の令嬢とだけ盛り上がるようになる。
見かねたクリスが話を振ろうとしても、王妃はそれをさらりと躱し、ローザが会話に加わる隙を与えない。
十分もせぬうちに、「ペトロネラは都会的な令嬢で王妃のお気に入り、そしてローザは辺境の田舎娘」とでもいわんばかりの空気ができあがっていた。
一方、男性テーブルはといえば、ローザに対するあからさまな嫌がらせに、男たちが眉を寄せていた。
特にレオンは、よかれと思って招待した大切な少女が無視されつづけるのを見て、怒り心頭だ。
「自身もローザに大きな恩がありながら、いったいなんのつもりだ……?」
「なんなの、これ。ねえ王子、庭園散策を待たずに、あっちのテーブルに合流しちゃだめ? 俺、ああいうの見てられない。あの場からローザを連れ出したいんだけど」
ラドゥも不快そうである。
(奇遇だねぇ! 私も、とても見ていられないし、ローザを今すぐ連行したいねぇ……!)
そしてその隣では、アントンが笑顔を引き攣らせていた。
もちろん、レオンやラドゥとは反対の意味で、である。
それというのも、
「まったくだな。見ろ、ローザは遠回しな悪口を浴びつづけてなお、ぴんと背筋伸ばして、黙って耐えている。……くそ、俺はあいつのああいう姿を見ると胸が痛むんだ」
(もしやローザ、それは「冷ややかな顔をして、頑なに会話に加わらない」態度を演じているつもりかい!?)
本人としては「とっつきにくい女」を演じているつもりが、儚げな美貌とシチュエーションが合わさった結果、「逆境下でも孤高を保っている」姿に見えたり。
「あのペトロネラって子、美容にいいとか言って、ローザにだけ気色の悪い、紅茶にヘドロが浮かんだみたいなのを勧めたよ――えっ、飲んだ! ローザ、大丈夫なの……!?」
(おいおいおいおい! この状況でゲテモノを勇ましく飲み干してみせても、マナー違反したことにはならないからね!? むしろ敵意に果敢に立ち向かっちゃってるからね!?)
嫌がらせで「飲んでみろ」と出されたグロテスクな紅茶キノコ――紅茶に砂糖を加えて発酵させたもの――を、クリスの制止も聞かず、毅然と飲んでしまったり。
「口元を押さえて震えてる……! 相当まずかったんだ。いや、もしや毒性が……!?」
(さては美味しかったな!?)
あまつさえ、ものすごく好みだったのか、目を潤ませてぷるぷるしたり――嗜好が腐っているからなのか、彼女は発酵食品が大好物なのだ。
こんな調子で、ローザは、呼吸するように周囲の同情と感嘆をかっさらっていたからである。
(なにやってるのだい!? これじゃあ君、嫌がらせに耐えるただの健気な美少女じゃないか! その天使ムーブを今すぐやめたまえ!!)
アントンは心の中で髪をかきむしった。
ツッコミに忙しくて、これではせっかくの少女たちの茶会を愛でる暇もない。
見れば、王子やクリス、癒術師といった面々はもちろんのこと、中立の立場であった令嬢たちも、すっかりローザにいたわしげな表情を浮かべはじめている。
アントンは状況を是正すべく身を乗り出したが、
「それにしても、同志アントニーは、神の恩寵を感じさせるようなお顔立ちをされていますね。……はて、ですが、誰かに似ているような……」
隣に座すマティアスが、不思議そうに首を傾げてきたのでぎくりとした。
マティアス神父は聖職者でありながら、伯爵位を持つ古参貴族。
つまり、身分が高すぎて接点の少なかった王妃を除けば、「百合豚アントン」の顔を知るこの場で唯一の人物なのだ。
アントンは、ユリア教神父としては厚遇される立場であるものの、本性が知られれば即追放される身だ。
そのうえこのマティアスは、神父の中でもひときわ、女性の貞節や、性道徳に厳格な人物である。
なにを隠そう、アントンの百合豚騒動が発覚した際、百合小説を燃やし、彼をあのむさ苦しい修道院に放り込むよう促したのは、マティアスであった。
右を見ても左を見ても男ばかり、百合成分の「ゆ」の字もないあの忌まわしい日々を、アントンは忘れない。
少なくとも今、この茶会の場で本性を勘付かれ、再びあの修道院に押し込まれるのは勘弁願いたかった。
あまりローザにばかり構って、そのあたりの対策を疎かにするわけにはいかない。
(ああ、もう……!)
アントンがマティアスとの会話に神経を削られている間にも、状況はますます悪化の一途をたどっていた。
ローザの空回り無双、まだまだ続きます!
A神父「被 害 甚 大」